#5292/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/11/30 00:40 (148)
そばにいるだけで 54−11(文化祭編−前) 寺嶋公香
★内容
晴天の上、暖かく、しかも屋上は程良い風が吹いていて、気持ちがいいくら
いだった。
「相羽先輩、いいですか」
「いいよ」
気安く即答する相羽。そのまま、柵の間際まで歩を進める。当然、前田弟も
着いてきて、横に並ぶ。
相羽は、秀康が話す前に、一つ注意を促した。
「ただし、先輩はやめてほしい。むず痒くなるよ」
「じゃ、じゃあ、『相羽さん』でいいですね」
「ああ。それで、わざわざひと気のないところまで来て話したいなんて、どん
な大事なこと?」
「あの。涼原先輩のことで、聞きたいことが」
固い調子の喋りが、一段とぎくしゃくしてきた。瞬間接着剤で固められたみ
たいに、急に押し黙る前田弟。
「涼原さん? 何故、僕に?」
「……」
さっきから一人で赤面していた秀康は、意を決した風に口を開いた。
「今、付き合ってるんですかっ?」
「……誰と」
「涼原先輩とですよ」
「……誰が」
「だからっ、相羽さんが!」
相羽には、別にからかうつもりはない。ただ、念を入れて確認しただけだ。
「力が入っているところを、悪い。その問いに対する答は、ノーなんだ」
「……本当ですか」
疑わしそうに目を細め、相羽をにらむ秀康。相羽はその視線を受け止め、そ
して受け流した。
「信じられないのなら、最初から聞く必要ないんじゃないかな」
「そ、それはそうですけど」
たじろいだ秀康だったが、立ち直りも早かった。どうやら、これからが本題
らしく、やけに気合いのこもった表情になり、腕にも力が入った様子。次に口
を開いたとき、鼻息が荒かった。
「付き合ってないなら、付き合ってないでいいですけど――」
秀康の台詞の途中で、相羽は苦笑をこらえながら、思った。それはひどい言
い種だな、と。
そんなことにはお構いなしに、口角泡を飛ばす勢いの秀康。
「――相羽さん、あの人を泣かせないでください」
「あの人というのは当然、じゅ……涼原さんのことだね?」
「そうです」
相羽は黙り込んだ。相手が気負って返事を待っているのは、もちろん感じ取
っていたが、すぐに応じられるものでない。
しばらくは会話なく、佇む。下からは、生徒や来場者の笑い声や叫び声が、
絶え間ない。漫才やお化け屋敷をやっているところもあったっけと、思い起こ
す。
相羽は屋上の方に目線を戻し、口を開いた。
「そんなことを言うからには、秀康君は、涼原さんが泣いているところを、見
たことがあるわけだね」
「あります。だからこそ、こうして」
強くうなずいた秀康。確信を持った目をしているが、相羽にとっては、どう
いうつながりで「だからこそ」という言葉が出て来るのか、理解しかねる。
「泣いていたのは、僕のせいだって? 涼原さんが言ってたのか」
「そ、そんなこと言いませんよ」
「だろうな。どうしてそう思ったのか、君の口から説明してくれないか。分か
るように、順序立てて」
「……心当たり、ないんですか」
「そう言われても、秀康君が涼原さんを見たのがいつなのか、教えてくれない
と、考えることもできないよ」
相羽の指摘に、秀康は、そうか、しまったという風に顔をしかめ、手の平で
開いた口を隠した。そのまま、今度は手の甲で口元を拭い、しばしの沈黙を挟
んで意を決したように答える。
「今年の三月。卒業式のあとです」
「卒業式……」
おうむ返しをした相羽。あの日の出来事を思い起こすのに、苦労は不要だっ
た。頭出し機能付きのプレイヤーのごとく、簡単かつ鮮明に再生される。
(目が合った……んだよな)
あのとき、純子は白沼を始めとする女子達と、話をしていた様子だった。相
羽はそれを少し遠いところから見かけ、友達宣言されたのが聞こえた。ちょう
どその瞬間、純子と目が合った。静寂があったそのあとは……よく分からない。
自分は場を離れたし、あれから春休みの間中、純子とはずっと会えなかった。
電話さえしていない。
(あのあと、泣いてたってことは、つまり……何だ? 分からない。卒業式だ
からって、泣いてたんじゃないのか……)
相羽は首を捻り、秀康に告げた。
「もう少し、時間がいる」
「あんまり待てませんけど。自分て、結構気が短いんです」
相手の返事を、敢えて無視する。
相羽は空を見上げながら、考えていた。かつて純子が涙を流したのを、何度
か目の当たりにしている。そのときの記憶を、一つずつ呼び覚まそう。
(最初は……ああ、キス事件だ。これは外そう)
思い出すと、今でも赤面してしまう。頭を振った。
(次は、やっぱり小六のとき。お見舞いに来てくれて、僕が父さんのことを口
にしたら、泣き出してしまった。これも参考にはならない)
懐かしさに浸りそうになるところを我慢し、押し進める。
そして、一番印象深い出来事に、やがてぶち当たった。
(あの去年のクリスマスのときの純子ちゃんは、アルコール入っていて、周り
を全然気にせずに、泣いていた。あれは、僕のせいなのか?)
自分が原因なのだろうとは思う。しかし、すでに決着したことではないか。
卒業式の件とは、まるで結び付かない。
「秀康君」
「はい、何ですか。何か、思い当たる節が、ありました?」
「卒業式のことだけじゃあ、僕には分からない。君は、まだ他に知ってること
があるんじゃないかなと思ったんだが」
「僕は別に。ただ、姉さんから少し、話を聞いたくらいで」
相羽の内に、あまりよくない想像が広がる。
(前田さんから? あの人が何か知ってたっけか? 僕が誰を好きなのか知っ
てるのは、女子では町田さんくらいだと思っていたんだけど、まさか)
「それを話す前に、僕から質問していいですか」
「かまわない」
もうしばらく待たされるらしい。相羽は柵に腰の部分を当ててわずかにもた
れかかり、両腕を軽く組んだ。胸の前で重ねて揃える感じだ。
「相羽さんが好きなのは、誰なんですか」
「……関係あるのかい?」
直接的な質問に、相羽は思わず苦笑を浮かべていた。それが気に入らなかっ
たらしい、声を張り上げる秀康。
「笑ってる場合じゃないですよっ。涼原先輩の想いに、どうして応えてあげな
いんですか!」
「――」
秀康の大声に、ほんの一瞬、周囲が気になり、目を走らせた相羽。肩越しに、
再度下を見やったが、幸い、第三者から注目されることはなかった。相変わら
ず賑々しい。皆、自分達のことで忙しいようだ。
相羽は安堵してから、疑問を口にした。
「――どういうことか、分からないな」
「本気で言ってるんですか、それ」
「うん。本当に分からない」
唇を曲げて、への字を作った秀康。焦れったくて、もどかしくてならないが、
適切な言い回しが出て来ない、そんな風情だ。
「じゃ、じゃあ、ストレートに言いますよ。姉貴が言ってた。涼原先輩が好き
なのは、あんただって」
「……秀康君。それだけかい?」
動揺がなかったと言えば嘘になる。でも、大したことはない。冷静なまま、
問い返した。
秀康が「これで充分だろ?」と、ぞんざいな口調を保って答えた。
「いや、逆だ、不充分だよ。君のお姉さんに、直接聞かないと、意味をなさな
いと思わないか。それとも、お姉さんは君に、理由まで言ってくれたのか」
「それは……見れば分かる、とだけ」
相羽は首を振った。
「そうか。やはり不充分だなあ。しかし、秀康君が言いたかったことは、飲み
込めた」
「本当ですか」
まだ信じ切れない体の秀康。無理もない。相羽のこれまでの対応は、秀康か
らすれば、のれんに腕押し、豆腐にかすがいといった類のもので、手応えを感
じられなかったに違いない。それがいきなり、理解したと言われても、信じら
れまい。
「ああ。泣かせない自信はないけれどな」
「あ、相羽さん、あんた!」
「これから先、僕は決して涼原さんを悲しませない。僕も、涼原さんの悲しん
でいるところを見たくないからね」
言って、柵を離れ、中へ通じる扉に向かう相羽。秀康が、怪訝な顔つきにな
って、追いかけてきた。
「泣かせない自信はなくて、悲しませないと言い切るなんて、一体、どういう
つもりなんですかっ……?」
「人は、悲しいときだけ泣くわけじゃない――分かるだろ?」
相羽が言ったあと、秀康は着いてこなかった。
* *
――『そばにいるだけで 54』おわり