#5283/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/11/30 00:21 (197)
そばにいるだけで 54−3(文化祭編−前) 寺嶋公香
★内容
「ふ。りょーかい。何も出ないわよ」
「期待してねえって」
わざとらしく悪態をつくと、唐沢は気兼ねすることなく、廊下を歩いていく。
部屋に入って、すぐさま話の続きにかかった。
「涼原さんを好きになったのはだなあ……よく覚えてねえ。あ、好きになって
るじゃん、俺――って感じよ。いやあ、びっくりびっくり」
「……」
町田は声もなく、いわゆる“じと目”で唐沢を凝視した。いささか軽蔑の意
を含めながら。
(こういうことぐらい、まじめに話せないのか、こいつは〜。玄関では真面目
モードだったんだから、上がらせるんじゃなかったか)
思わずグーを作ったが、そこに息を掛けただけで、どうにか辛抱できた。
「あんたの片思いの話は、充分だわ。私が聞きたいのは、学校での純と相羽君
の様子よ」
「ふむ。はっきり言うとだな、クラスが違うせいもあるだろうが、さほど会話
を交わしていない。俺とは結構、話をするんだけどさ」
「それって、純の方が、遠慮してるんじゃないのね?」
「……多分、遠慮してるね、あれは」
唐沢の返事に、町田はうなだれ、首を横に振った。
「だめよ。そんなんじゃ」
「俺に言うなよな」
「あの子が今するべきは、郁や久仁に遠慮して、一歩退くことじゃなくて、正
直な気持ちのまま、素直に行動することだと思う。無理をして郁達と仲直りし
ても、意味ないわ」
「いいこと言う。同感だね。なーんだ、同じ考えじゃないか、芙美ちゃん」
言うや否や、前頭部を手でカバーする唐沢。「ちゃん」付けして呼んだこと
を、町田にどやされると思ったのだろう。
しかし、町田は聞き流し、会話を保った。
「同じじゃないわよ。あんたと一緒なんて、とんでもない。私は、純が自分で
気付くのを待っているの。あんたは力尽くで解決しようとしている」
「俺の方が間違っていると、言いたいみたいだ」
「そうよ」
「はん。努力しないよりは、いくらかましだと思ってるんだけどなあ。『待つ』
って便利な言葉だよな。俺の性には合わない」
「あんたに何が分かるって言うのよ」
町田は、つい口走った。感情が先に立って、相手にそっぽを向き、とうとう
とまくし立てる。
「中学のときからしか、知らないくせして。私達はね、そのずっと前から友達
なんだからね」
「……」
唐沢から即座の返事がなかった。異変を感じて、はっとなる町田。唐沢へ振
り返り、見つめた。
口を尖らせていた唐沢は、空気が抜けたみたいに相好を崩すと、頭をぽり、
と掻いた。
「……まー、そういう話を持ち出されると、確かに分からん」
「か、唐沢」
言い過ぎに気付いて、詫びようとする町田に、唐沢はさらに続けた。
「でもさ、それと同じくらい、相羽は、涼原さんを好きなんじゃないのかな?
あいつが一番、かわいそうだ」
「……ごめん。ちょっと言い過ぎたわ。撤回」
うつむいて嘆息する町田。唐沢は、「そんなことはどうでもいいんだが」と
断りを入れた。
「結局、俺としては、あの二人に正常な状態になってほしいわけ。好きな者同
士がこんな近くにいて、何ですれ違いばっか起こさなきゃいけないんだか。焦
れったくて、見ていられないね」
「……相思相愛で、近くにいても、すれ違いをするカップルは、いくらでもい
るわ。そうね、たとえば、どちらにも言い出す勇気がなかったら、それだけで
お互いの気持ちが分からないまま、終わるかもしれない」
「そう。それなんだよ。今日、ここへ来た目的のメイン」
指差してきた唐沢。
町田はその指を払うことなく、次の言葉を待った。
「おまえが知ってるかどうかは分かんねえけど。相羽は、涼原さんに一度、告
白してるんだぜ」
「……え?」
どうしたって理解できないことを、眼前に突きつけられたような気がした。
町田は何度も瞬きをした。
「そして、ふられてるんだ」
「何……それ?」
座った姿勢そのままに、唐沢の方へ何センチか近寄る町田。頭の中を整理し
ようと、しきりに首を捻る。
「確か、去年の十月頃のことさ。ほぼ一年前だな。相羽の方から、話してくれ
た。アンフェアにならないようにとか何とか言って」
「――それってまさか、相羽君が、外国の高校に行くかどうかってとき?」
「そう、それを言い出した頃に重なってる。正確には、そのことを言い出す前
に、告白したんだとさ」
「……私を担いでるんじゃないでしょうね?」
「そんな無意味な真似、するかよ」
撫然として、目つきを鋭くする唐沢。町田がたじろぐと、それに満足した風
に、表情を緩めた。
「普段が普段だから、信じてもらうのに苦労するよな」
「な……分かってるじゃないの」
町田は息をつき、後頭部に片手を当てた。調子を取り戻すべく、頭をかいて
時間を稼ぐ。
「それで? どうしてそんなこと、私に言うのかしら」
「食い付きが悪いな」
不満げに唐沢。
「友達のこと、心配じゃないのか。気になるだろう?」
「言われなくても」
素気なさは故意。唐沢からもっと詳しい話を聞きたいし、今すぐ純子か相羽
に電話で尋ねもしたい。一体、何がどうなっているのか。
唐沢は町田の心の動きを知ってか知らずか、再度、真顔になって、抑えた口
調で切り出した。
「どうしておまえに言ったか、理由を聞いてきたよな。簡単だよ。俺にはどう
することもできないから、おまえならどうするかと、期待を掛けて、打ち明け
てみた」
「確かに、問題が繊細すぎるようね。あんたには、向いていない」
「あのな、いい加減にしろって。俺のことを悪く言うのはいつものことだから、
許してやるよ。だけど、今、どうでもいいことに労力を割いて、本当に大事な
ことを先送りするなよな。俺の前で動揺を見せるのが、そんなに嫌か? なら、
俺は消えてやる。その代わり、あとは芙美、おまえが何とかしてくれよな」
きつい調子でまくし立てると、唐沢は膝を立て、腰を上げた。
町田は急いで止めた。
「待ってよ。分かったわ」
唐沢は予測していたのか、すぐに座り直した。町田は、引っかけられたか、
と後悔した。ま、それもいい。
「私だって、何とかしたかった。今聞いた話で、なおさらそう思ったわよ。だ
けど、唐突すぎて、どうしたらいいんだか……」
「女のおまえでも難しいか」
そうつぶやく唐沢の目は、どこか安堵した様子が覗いている。
「じっくり考えれば、いい手が浮かびそうか?」
「さあ。自信ないな……」
肩をすくめる町田。正直な感想である。
「できれば、成り行きに任せたいくらい。聞かなければよかった」
「おいおい」
「でも、聞いたからには、黙って見てるわけにいかないじゃないのよ」
「そりゃそうだな。しかし、行動を起こして、無力だったときも、凄い挫折感
を味わうんだよ。俺がその実例」
唐沢は苦笑いを浮かべて、自らを指差した。
「俺みたいにならないよう、芙美にはうまいことやってほしいもんだ」
「あんたと一緒にしないでと言いたいところだけど、こればっかりはね」
ため息。友達として取るべき行動を決めるには、今少し時間が必要のようだ。
「唐沢。あなたは、結局、どうなってほしいわけ」
「俺に聞くか?」
分かっているだろうにとでも言いたげな唐沢。
「そうなのよね」
町田は再び嘆息した。思いは唐沢と同じ。自分でも、よく分かっているのだ。
「収まるべき形は、一つしかないわ」
* *
日曜は、スケジュールが空いていれば、ルークの事務所に顔を出すことと決
められている。今日も朝の十時に行ってみると、市川が嬉しさを前面に押し出
して、出迎えてくれた。
対して、小型のリュックを下ろしつつ、身を引き加減にした純子。
「……何だか気味悪い」
「失礼な言い方ね」
純子が正直な感想を口にすると、市川は腰に両手を当て、胸を反らす風にし
て怒るポーズを取った。
純子は指定席と化しているソファに座り、リュックをお腹の前で抱えた。
「だって、市川さんが嬉しそうにしているときって、たいてい、大きな仕事が
取れたときだから。私にとっては、不安が半分以上」
「今回は、そんなに嫌なものでもない、と思うよ、うん」
あまり信用できそうにない話をしながら、杉本に身振り手振りで指図する市
川。杉本はメモ書きらしき紙を渡した。
「端的に言えば、声優をやってみようってことになるんだけど、どうかしら」
受け取った紙片に視線を落とさず、さらりと告げる市川。純子は聞き流しそ
うになったが、すぐに意味を解し、いっぱいに開いた目で見返した。
「……どんどん、モデル業から遠ざかっている気がするんですが」
「遠ざかってはいない」
言って、市川は右手人差し指を顔の前で振る。漫画だったら、ノンノンとい
う吹き出しが付いてきそうな仕種だ。
「仕事の幅を広げた、と表現してほしいわね」
「あの、声優さんのお仕事って、素人の私でできるようなものですか」
「多分、大丈夫じゃないかしら? 主役だけどね」
いつものことだとあきらめ、言われれるがままに話を飲み込んでいた純子だ
ったが、これには思わず腰を浮かした。
「主役? ど、どうなってるんですかっ?」
「そう慌てない。落ち着いて聞いてよ」
市川は純子を手で制すると、ようやくメモを取り上げ、一瞥した。
「アニメの『ファイナルステージ』って知っている?」
「え? 知ってますけど、アニメじゃなくて、漫画じゃなかったですか?」
「来年の四月に、テレビアニメになるそうよ。それで、私は全然知らなかった
んだけれど、この漫画って、主人公が歌手という役どころなんだってね」
「はい。でも……男ですよ」
「それでいいの。当然、久住淳への仕事よ」
ウィンクする市川に、純子は口をぽかんと開けてしまった。腑に落ちたもの
の、また久住の仕事かと思うと、気乗りしない部分が少なからずある。
「企画だけは、随分前に通って、準備が着々と進んでいたのが、今頃になって、
作者の方が拒んで。企画した側は、主人公の声は、この業界で人気のある声優
を想定していたらしいわ。対して、作者は、声の質はともかく、歌がだめだ、
気に入らない、だってさ。その声優の声そのものは気に入っていたけれど、唱
うのを聴いて文句を付けたくなった、というのが舞台裏ね、恐らく」
「……作者の人は、私の――というより、久住淳の歌声がいいとおっしゃって
いるんですか?」
喋りながら、作者の名前を思い出そうとしたが、だめだった。
市川はメモをちらちら見ながら、答える。
「そうみたいね。ここに何人か、歌手の名前が挙げてあってね。この長神(な
がかみ)っていう漫画家、相当に偉い先生なのかしら。とても声優なんて引き
受けてくれそうにない大物ばかり、選んでいるわ」
「それで、私にお鉢が回ってきたんですね」
合点して、微苦笑を浮かべた純子。漫画家の名前も、やっと思い出せた。長
神五郎(ごろう)だ。
そんな純子に対して、市川はさも心外そうに眉を寄せ、首を振った。
「私達からしてみれば、久住淳だって、大物に仕立てているつもりよ。露出を
最小限に押さえて、希少価値を高めて」
純子は苦笑いを浮かべて、聞き流した。内心では、キャリアの差はどうした
って縮まりませんよー、とつぶやきながら。
「とにかく、正直な感想を言うと、私達では判定しかねているわけ。この仕事
を引き受けるのが得策なのかどうか。まず、そもそも原作の漫画について、何
にも知らない。これはまあ、あとで読んで、勉強すればすむことなんだけれど、
先方への返事を遅らせていると、機会を逃しかねなくて。あんまり、時間をか
けられないんだよね」
嘆息した市川のあとを、杉本が引き継ぐ。ソファの背もたれに身を乗り出す
ようにしてから、口を開いた。
――つづく