AWC 冥々白々 1   永山


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#347/1160 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/30  23:39  (493)
冥々白々 1   永山
★内容
「それでは、水曜会議を始めます」
 九条若菜(くじょうわかな)は薄いピンク色のクッションから腰を浮かし、
四角い座卓の縁に手をつくと、自分の座る以外の三辺を順番に見た。テーブル
上には、スナック菓子等の盛られたバスケットがいくつかと、ジュースの注が
れたグラスが四脚。
「まず、身近で、気になった出来事があったかどうか。報告を」
 いつもの通り、右回りに発言を促す。九条が顔を向けると、ツーテールの長
い髪が、共振実験の振り子みたいに揺れた。
「事件とは云えないかもしれないけれど」
 曽我森晶(そがもりあきら)が前置きをして始めた。
「月曜日のことなんだけれど、学校の図書館にちょっとした異変が。本が」
「盗まれたか?」
 九条の正面に座る江尻奈由(えじりなゆ)が、先走る。そうして話の腰を折
っておきながら、身を乗り出さんばかりに片腕をテーブルにつき、曽我森に続
きを求めてきた。
「盗まれたのなら、明らかに事件になる」
 首を振った曽我森は、抑えた口調で答えた。
「じゃあ、返却期日を守られていないってだけか」
「それも違う。本が増えていたの」
「増え……?」
 さすがに江尻の口も止まる。代わって、九条が嬉しそうに微笑んだ。
「事件ではなくても、ミステリーの匂いがします。表に出たがらない篤志家の
寄付じゃなければ、ですけれどね」
「図書委員でもないあきちゃんが、そういうことに気付くなんて、凄いね」
 全然別のところで感心したのは、ずっとお菓子に専念していた両津重子(り
ょうつしげこ)。指先をウェットティッシュで拭いてから、やっと本腰を入れ
るかのように、輪に加わった。
「蔵書の並びを覚えていただけよ。見覚えのない本がたくさんあって、しかも
タグも何も貼っていないんだから、目立つわ」
「ほんとに寄附じゃないのかしら? 悪い云い方をすれば、体のいい廃品回収。
不要になった本を、捨てるには忍びなくて、こっそり置いていった……」
 九条は寄附説に拘りを見せた。曽我森も頷きながら応じる。
「否定しきれないわ。一度に置いていったとしたら、大変な量だけれどね。私
が気付いた分で、九十九冊あったはず」
「そのことを、図書委員や司書の先生は、把握できていたの?」
「私がカウンターの子に尋ねるまで、誰も」
 曽我森は肩を竦め、首を横に振った。
「ほとんどが、使用頻度の低い、つまり目立たない書架に置いてあったせいと
思う。神社仏閣の資料写真集や大活字本、ハードカバーサイズの哲学書のコー
ナーといったところにね」
 三つ目の項目には、説明が必要かもしれない。彼女達の学校で哲学書を読む
生徒が皆無という訳ではなく、携帯に便利な新書サイズで揃っているのだ。
「勝手に置いて行かれた本の中に、図書館に元々所蔵されていたのと同じ物、
ありました?」
「あったあった。少し古い文庫本、文学全集、辞書の類ね。合計すると四十三
冊になったわ」
「そう」
 九条は意識して落胆のため息をついた。
「さっきの勘が当たってた気がする。寄附を申し出ても、全体の半分近くが蔵
書にあるのと同じなら、全部は引き取って貰えないと勝手に判断し、それなら
こっそり置いて行こうと考えた。ありそうじゃない?」
「九十九冊を運び込むのは、大変だよ? 何回かに分けたにしても、結構な手
間だ」
 しばらく大人しかった江尻が、やけに張り切った調子で異を唱える。続いて
曽我森が、「少しずつ増えていったのなら、私ももっと早く気付いたと思う」
と疑問を呈した。
「そうだよね。あきちゃんの記憶力は抜群にいいもんね。ちょっとでも前と違
っていたら、気付いた可能性大!」
 両津も同調する。興味を失いかけていた九条は、気を取り直して新たに考え
始めた。昔から有名な日本の某探偵のごとく、頭を掻く。無論、ふけが出るよ
うなことはない。
 やがて口を開く。飛んでもない答が出て来た。
「それなら、図書委員か司書の先生が犯人なのでしょう。あるいは、鍵を管理
している用務員さん。うちの学校の図書館に本を納めている書店の店員さんは、
時期的に除外できる。本を入れるのは、確か年度末だったはずだから」
「ふわ?」
「だって、そうじゃない? 曽我森さんがこの月曜まで気付かなかったからに
は、一度に九十九冊を運び込んだことになる。それができるのは、さっき云っ
たいずれかでしかあり得ない」
「筋道は通っている気がしないでもないけれど」
 困惑顔の曽我森は、同じような表情をする江尻と目を見合わせた。それから
すぐに、曽我森が云った。
「本好きな図書委員や、司書の先生がそんな真似するとは思えないわ」
「だったら、用務員さんに決まり。まあ、鍵を自由に取り扱える立場の人なら、
誰でも当てはまりますけど」
「うーん、反論できないよう」
 両津が頭を抱えるポーズをする。彼女の発した言葉は、他の二人の気持ちを
代弁していたかもしれない。
「明日以降、当たってみるとしましょう。この件は今日はこれまで。はい、次」
 九条は右手指先で、テーブルの端をとんとんと叩いて、進行を促した。
「両津さん、何かありましたか」
「私? 特にないよー。近所の飼い猫が迷子になったとか、いつもはすぐ売り
切れるジオールのメロンメロンケーキが二つも残ってたとか、M電機店の広告
で、価格表示が一桁間違っていたとか、それくらい」
 上目遣いで思い出す風にしながら、一気に喋ったあと、両津はまたお菓子に
手を伸ばした。
「念のため、検討してみましょう」
 九条はほんの一瞬だけ思案し、順番を決めた。
「価格の誤表示は、店側のミスで決着したの?」
「うん。私も店に行って、一応、聞いてみたよ。だってその値段なら、私もサ
ブマシンに欲しいって思ったんだもん、パソコン」
「ケーキが売れ残っていたのは、何曜日のこと?」
「先週の金曜」
「大雨だった日……。客足が鈍っても不思議じゃないわね」
 これもミステリーと呼ぶほどの話ではなさそう。がっかりしつつ、迷い猫の
件に。
「誘拐の可能性はあるかしら」
「さあ? 血統書付きとかじゃなく、ただの三毛猫だからねえ。でもさあ、飼
い主にとったらすっごく大事ってことはあるかもしれないしぃ」
「その猫の性別は知ってる?」
「確か、雌」
「じゃあ、正真正銘、珍しくもない三毛猫ね。じゃあ、家の近所で、小動物の
惨殺死体が見つかった、なんてことは?」
「ないない。あったら真っ先に報告してるって!」
 きっぱり否定したのを見て、九条は江尻と曽我森に、何か意見はないか、尋
ねた。曽我森は九条からの視線を無言でスルーし、江尻を見やった。
「猫で思い出したけれど、そういえば近頃姿を見なくなった野良猫や野良犬、
結構いる気がするな。前はもっと見掛けていたのに」
 江尻が云い、首を傾げる。
「寿命なのかな。それに今年の夏、猛暑みたいだし、野良達にはきつそうだわ」
「猫には猫の墓場があって、死期を悟るとそこへ自ら行き、誰にも知られずに
死んでいくって云うわね」
 曽我森が、彼女自身はあまり信じていないらしい口ぶりで云った。
 それはともかく、新しい話を得て九条は再度、黙考を重ねたが、結論や閃き
は出て来なかった。
「これは今後の展開待ち。より凶悪な犯罪の前兆現象でないことを願うけれど、
犬や猫の死体が見つかってないからと云って、安心するのは早計だし、現段階
では手の打ちようがありません」
 ため息混じりにここで打ち切り、三人目の江尻に視線を向ける。
「この一週間で、何か変わったことはなかった?」
「あったことになるかな。悪い意味の事件じゃなくてね。あー、でも、みんな
知ってるだろうなー」
 勿体ぶって、片目を瞑る江尻。九条は殊ミステリーとなると、せっかちな方
だが、ここは辛抱強く待ち、小首を傾げてみせた。
「何かしら」
「学年トップの座に長らく座り続けていた、あの逸見美真(へんみみま)が、
初めて陥落したじゃない」
「そういえば、噂になってたねー」
 両津が何故かにこにこ笑いながら応じた。尤も、彼女はそのふくよかさから、
いつだって笑っている表情に見えるのだが。
「先生もわざわざ云ってたし。でも、どちらかって云うと、代わって一番にな
った、えーと、誰だっけ」
「鈴木君よ。鈴木玲二(すずきれいじ)」
 曽我森に教えられると、両津は「あー、そうだった」と何度も頷いてから続
ける。
「鈴木君の努力を誉め称えるニュアンスだったよね。頑張ればできないことは
ない、とまでは云わなかったけれど、それに近い感じで」
「努力家が報われるのは、よいことです」
 九条は淡々と述べた。実は、彼女は学校の勉強にほとんど関心がない。それ
なりにいい成績を収めているから、心配もしてない。そんな九条が、他人の成
績や順位に興味を持てるはずもなく、だから今、江尻達が話題にしたことも初
耳だったし、ぴんと来なかった。
「しかし、ミステリーではありません。一応、聞きますけど、逸見さんのその
ときの成績が極端に悪かった訳ではないのでしょう?」
「それは勿論。飽くまで、鈴木君が頑張った結果だと思うよ」
「無闇に疑うのはよくありませんが、鈴木君がカンニングなどの不正を働いた
ようなこともないでしょうね?」
「多分。鈴木君て人がよくて、根が正直な感じだよ。仮に悪いことしたとして
も、すぐ顔に出ちゃうタイプ」
「では、事件性は疎か、謎も存在していませんね。この件も、これまででいい
でしょう」
「あのー、団長」
 江尻が右手を挙げた。九条は途端に顰めっ面になった。整った顔立ちの眉間
にのみ、深い皺が寄る。
「団長と呼ぶのはやめてくださいと、前から何度も云ってるのに」
「少女探偵団のリーダーなんだから、団長だと、前から何度も云ってるのに」
 ここぞとばかり調子に乗って、口真似をする江尻。
「でしたら、せめてリーダーと呼んでほしいです」
「それなら、そうする前に、名称を少女探偵倶楽部とかに変えない?」
「もしそんな名前にしたら、今度は部長と呼ぶつもりでしょう」
 延々と続きそうなやり取りに、曽我森が手を叩きながら割って入る。
「はいはい、不毛な論争はそこまで! 奈由、そんな話をしたくて挙手したん
じゃないでしょ、最初の様子だと」
「そうだった」
 頭を掻き掻き、江尻は咳払いをし、改まって九条に向き直った。
「いつもと様子が違うよ、だん……若菜」
「そうかしら」
「普段なら、関係なさそうな出来事を、あっちから一つ、こっちから一つって
感じで引っ張ってきて結び付け、飛んでもない大陰謀事件をでっち上げるのに」
「でっち上げだなんて。豊かな想像力の発露です」
 不平そうに唇を尖らせてみせた九条。江尻は、今度は素直に応じた。
「その豊かな想像力を、今日に限って発揮しないのは、何で? 私達の報告を
悉く、小さな事件として片付けようとしてたけれど」
「よくぞ聞いてくれました」
 途端に上機嫌になったのを、九条本人も自覚する。
「私も、この一週間に気付いた出来事があります。そこに、大事件の匂い、ミ
ステリーの匂いがするのです」
 要は、そのことを皆で早く検討したくて仕方がなかった、という訳だ。
「なぁんだ、そういうことか。私はまた、頭でも打って、どっかおかしくなっ
ちゃったのかと心配してたよ」
「至って正常です」
「ねえねえ、その事件の話、長くなりそう?」
 両津が顎を引き、見上げる風にして云うと、九条は察しをつけ、「分かりま
した」と首肯した。
「お菓子と飲み物の追加、ね」

「私は機械音痴で、さっぱり駄目でしたが、三月から両津さんに教わって、人
並みにインターネットを始めました」
「知ってる」
 曽我森が云った。他の二人と違って、お菓子やジュースにあまり手を出さな
い彼女は、早く話を聞かないと間が持たない様子である。
 九条はにっこり笑って、続ける。
「では、間を飛ばしましょう。何やかやとあって、私が定期的に覗くようにし
ている掲示板の一つに、幌真シティBBSがあります。自分達の住む街の名が
付いた掲示板は、ここくらいですから」
「知ってるー」
 手を挙げて反応したのは両津。
「いかにも公式っぽいけど、ほんとは違うんだよね。起ち上がった当初は、結
構賑わってたみたいだけれど、今は寂れてるんじゃなかったっけー?」
「うん、寂れてるけれども、たまに書き込みはあるの。そうでなければ、私も
定期的に覗きません。そして先週土曜、遡る内に、興味深い書き込みを発見し
ました」
 九条は立ち上がると、背後の机に向かった。あらかじめプリントアウトして
おいた用紙を手に取り、戻ってから皆に配る。
 書き込んだ者の名は、“冥”となっている。タイトル欄には「CATCH MEI IF 
YOU CAN」とある。洋画の題名を捩ったものらしい。日付は古く、四月一日だ。
書き込みの時間帯は、4:44。狙ったものなのだろうか。
 そして、なおのこと気味が悪いのは、その内容だった。
『我が名は冥。
 冥府魔道の絡繰り士。キマグレに命を貰う者也。

 遠くない未来に、次の者共の命、貰い受けることになるは、真理による定也。
 覚悟して待たれよ。

じゃにんDすとああてぃNしょうひゃくTけっこんGいかはつめBころじいえY

 侍の月を迎える迄に我を捕まえること能わざるときは、新たなる供物を求め、
再臨す』

「何これ? 殺人予告と暗号?」
 曽我森が紙から面を上げ、九条を見やる。
「さすが、少女探偵団のメンバーです。私も同じ考えに到りました。恐らく、
四月一日から十月三十一日までの間に、六人を殺害しようという宣言です」
「ちょ、ちょい待ち!」
 江尻が慌て気味に叫び、プリント用紙に顔をぐっと近付けた。目を皿のよう
にして、文面を追う。が、程なくして、投げ出すように云った。
「うーん、分からん。四月一日は書き込みのあった日だから、まあ分かる。十
月三十一日ってのは、どこにあるの? それに被害者の人数も」
「侍の月とは、十一月でしょう。小の月を覚えるのに、よく云いませんでした
か。『西向く侍』と」
「あっ。二、四、六、九、十一か」
 飲み込めた面持ちになった江尻。曽我森は端から分かっていた様子で、二度
ほど軽く首肯する。だが、両津は左右に首を傾げた。
「分かんない。聞いた覚えがないよー」
「あんたの文系嫌いには、びっくりするわ。教えてあげるよ」
 紙と鉛筆を使って、手早く説明する江尻。
 十一を重ねると士になることから、武士、つまりは侍だというところまで話
が終わるのを待って、九条は場の話題を本線に戻しにかかる。
「犠牲者に予定されている人数が六人というのは、暗号の形から判断しました。
予告文には『者共』とありますから、この――」
 と、彼女は、“じゃにんDすとああてぃNしょうひゃくTけっこんGいかは
つめBころじいえY”の箇所を指差した。
「――暗号文は、一人ではなく、複数名の人物を表すはず。一連の文が、アル
ファベットで六つに区切られていることから、一区切りが一人に対応している
と推測するのに、さほど無理はないでしょう?」
「なーる。それで六人か」
「最も重要なのは、誰が狙われるか、よね」
「勿論そうですが……暗号、まだ解けてなくて。だから、全員で当たろうと思
って」
 少しはにかんだ口ぶりになる。それを自覚して、九条は顔を若干、皆から反
らした。少女探偵団を結成し、リーダーを務めているものの、彼女が理想とす
る探偵像は、飽くまで個人なのだ。他の物事に関してなら、みんなで協力する
という形でも、一向に気にならないのだが。
 九条の信条とは関係なく、議題は進む。早速、曽我森から意見が出された。
「暗号をまともに解くのは難しそうだし、実際に起きた事件を当てはめていっ
た方が、早いかもしれないわね」
「ん? どういうことです?」
「これを書いた冥さんとやらが本気だとして、半年で六人の殺害を予告してる
んだから、ひと月に一人の割合でしょ。今月でもう三ヶ月目よ。二、三人の犠
牲が出ていて、おかしくないわ。その全てが発覚してない訳はないと思うの」
「云いたいことは分かりました。凄い」
 感心して首肯する九条。江尻や両津も、似たような具合に頷いた。
「ハードルは、対象にすべき殺人事件が、あまりにもたくさん起きていること。
四人で手分けしても、何日間掛かるか……」
 難しげに唸って、俯き加減になった九条に対し、曽我森はさも意外そうに、
「幌真市とその周辺ぐらいでいいんじゃないの?」と云った。
「それは何故?」
「絶対的な根拠にはならないけど、幌真の掲示板に書き込んであったんだから、
それでいいんじゃないかなって。わざわざ寂れてるとこに、こんな予告したっ
て、普通は注目されないわよ。もっと大きな、賑わっている掲示板に書き込ん
でこそ、犯人の目的は達せられるんじゃないかしら」
「愉快犯なら、確かに……。しかし、余所の掲示板に書き込んでいるかいない
か、分かりません」
「検索掛けたら、ある程度は掴めるよ」
 両津が云って、重い腰を上げた。立ち上がってからは足早に、九条の勉強机
に向かった。ノートパソコンに手を乗せ、聞いてくる。
「起動していい? 調べるのに」
「ああ……分かりました」
 パソコンやインターネットをまだ使いこなすまでにはなっていない九条にと
って、今この場で検索してみるという発想自体、出て来なかった。
「折角だから、こっちに。みんなが見易いように」
 江尻の言に従い、九条愛用のパソコンを勉強机から座卓に移す。コード類の
捻れを直し、起ち上がりを待った。いや、待つというほどのこともなく、使え
る状態になった。
「軽いなー。私みたいに色々載せてたら、こうはいかないもんね」
 お喋りをしつつ、作業をてきぱきと進める両津。
「検索語は何にする?」
「そりゃあ、決まってる」
 江尻が即答し、先ほどの用紙を持つと、一箇所を指差した。犠牲者を予告す
る暗号文だ。
 それを見ながら、両津が入力していく。
「全部?」
「うーん、Nぐらいまででいいんじゃないかなあ」
 異論は出ない。“じゃにんDすとああてぃN”で検索を行った。
「……ないね」
 両津が呟く。実際には一件だけヒットしていたが、それは九条がこの冥の書
き込みを見つけた、幌真シティBBSだから、端から除外だ。
「どうしよ? 短くしてもう一回かな」
「これで充分でしょ。少なくとも、この暗号文は、余所に書き込まれていない
可能性大ってことよ」
 曽我森が断定するのへ、九条が疑問調で口を挟む。
「別の暗号文があるとしたら、まだ分からないということですね」
「別の? それを心配し出したら、きりがないわ。雲を掴むような話になっち
ゃう」
「だったら……この、『冥府魔道の絡繰り士。キマグレに命を貰う者也。』で
検索しましょう。暗号の部分が異なっていたとしても、これは共通しているは
ず」
「ラジャ〜」
 両津はすぐさま応じ、手先を軽快に動かした。先ほどより時間が掛かったの
は、漢字に直すのに手間取ったせい。「めんどいー。一発で変換してくれない
よ〜」とぼやきながら、どうにか正確に打ち込んでいった。検索ボタンをクリ
ックして、息を飲んで待つ。今回も結果が出るまでは短かった。
「空振りだね」
 最前と同じだった。両津が、あーあと大きく伸びをする。曽我森がすかさず
云った。
「がっかりすることないわ。これで絞り込めたんだから。何故だか知らないけ
れど、冥はこの幌真市を舞台に選んだ」
「もしくは、己の犯罪劇場に招待する客を、幌真市に住む人々に限定した」
 九条が付け加える。
「だって、幌真の人が予告を読むものと期待して、あの掲示板に書き込んだの
は確実としても、犯行がなされるのが幌真市と決まった訳ではないでしょう? 
勿論、幌真が犯行の舞台になる可能性は、極めて高いとは思うけれども」
「とにかく、次のステップに行こう」
 江尻が焦れたように云う。彼女は両津の肩を揉みながら、皆を相手に続けた。
「仮に幌真が舞台になってるとして、既に冥の予告は実行されているかもしれ
ないんだろ。調べるには、何て検索すればいい?」
「ネット検索では、手間が掛かりすぎるんじゃない?」
 曽我森が云うと、両津も頷く。
「新聞社のデータベースにでもアクセスして、そこからだね」
「そんなことしなくても、私、スクラップを作っています」
 九条は机の一番下の深い抽斗を開けると、そこから青いカバーのファイルを
取り出した。A4より二回りほど大きなサイズで、厚みもある。テーブルに置
く際、なかなか重たげな音がした。
「探偵を志したときから、新聞に掲載された変死事件の記事を全て切り抜き、
取ってあります。これは今年の一月からの分。今日のはまだ切り抜きを許され
てませんので、昨日の夕刊までですけれどね」
 ルーズファイル形式になっているページを、ぱらぱらとめくった。
「こんな、いつの間に……」
 江尻と曽我森は驚きと呆れが一緒になったような苦笑を作り、口を半開きに
してファイルの中を見入る。両津はそれを横から眺めつつ、「使い勝手のいい
データベースにするのは魅力的だけれど、入力が大変そう……」云々とこぼし、
難しい顔になっていた。
 九条は日々の努力の積み重ねが役立つのが嬉しく、それが表情に出ていた。
目を細め、ページを繰る。と、あるところで止めた。
「ここからですね。念のため、四月一日に起きた事件から見ていきましょう」
 当該分を外し、四つに分けようとする九条。彼女の腕を、両津がつついた。
「何でしょう?」
「ねえねえ、幌真の事件だけをまとめて抜き出してないの?」
「そこまでは無理です。スクラップを始めるに当たって、考えなくもなかった
のですが、全てコピーして、別のファイルを作らねばなりませんからね。中学
生には厳しいです」
「はあ……。リーダー、パソコンをもっと活用しようよぉ」
 両津の嘆きはさておき、分担してのチェックが始まった。まず、幌真で起き
たものを選んでいく。次いで、未解決事件に絞り込む。
「幌真の規模から云って、殺人事件は年平均……二十ぐらい? 月に二件弱ほ
ど起きてるような感じがする」
 江尻の予想を、九条は「とんでもない」と否定した。
「ここ最近は、年間発生数は十前後で収まっているみたいですよ」
「そんな程度? 俄には信じがたいなー」
「他の地域とごちゃ混ぜになってません? 幌真の規模なら、これでも多い方
です。南部に繁華街を抱えているせいか、喧嘩の末に殺してしまったケースが
案外あって。以前、親が子を虐待死させた中にも、殺人と認定された事件があ
りましたしね」
「ああ。そう云えば、交通トラブルでもあったね。揉めて、片方の人が相手の
車にしがみついて、運転手はスピードを上げ、蛇行運転を繰り返し、さらには
塀に擦りつけて死なせた事件。明確な殺意があったとして、殺人になったっけ」
 話しながらでも作業は意外と捗り、四件の未解決殺人事件と、続報の見当た
らない変死事件が三つ残った。それぞれ一つずつ――山中で発見された焼死体
と、岸壁近くを漂っていた水死体――、被害者が身元不明のものを含んでいる。
「さっき聞いた平均からすると、ペース早くない? 変死はともかく、殺人が
ふた月余りに四件て」
 江尻が感想を述べると、九条はゆっくり頷いた。
「冥が暗躍しているからかもしれません。ひとまず、両津さん。これらが本当
に未解決事件かどうか、調べてください。中には、私が見落とした分があるか
もしれない。変死事件で、後に殺人でないと分かった場合は、決着しても記事
にならないこともあるようですし」
「ラジャ、ラジャ〜」
 両津はジュースのグラスを空けると、鼻歌混じりに取り掛かった。
「でもその前に、幌真の掲示板が、IP丸出しかどうか、確かめとくね」
「アイピー?」
「発信元の特定にある程度役立つっていうか……あ、いいや。出てない。今の
時点では忘れてOK」
「そう、ですか……? では、追跡調査をお願いします」
 分からないまま形だけ頷いた九条は、他の二人に向き直り、「私達は、暗号
解読に取り組みましょう」と云った。江尻が呼応して、先の用紙を凝視するの
に対し、曽我森は一つの疑問を出した。
「その前に、リーダー。幌真のBBSにその後、書き込みはないの? 予告に
関係のある書き込みって意味ね」
「元々寂れていますからね。それでも、たまにありました。予告に反応した、
品のない書き込みばかりですけれど。『本気じゃねーくせに』『通報しますた』
『タイーホ』と、そんな程度の。まともに暗号を解こうとした人はいなかった
みたいですね。ちなみに、本気で通報が行われた気配は、今のところありませ
ん」
「冥の新しい書き込みもなかったって訳ね」
「はい。別の名を騙ってもいません、多分」
「こういう劇場型犯罪の犯人て、犯行を一つやる度に、誇示したくなるものじ
ゃないのかしら」
「書き込みの題名で、MEIつまり冥を捕まえられるものなら捕まえてごらん
と挑発しているのですから、自己顕示欲は強いんでしょう。なのに誇示してい
ないのだとしたら、あまりにも掲示板が寂れているから、愛想を尽かしたのか
も」
「愛想を尽かしたなら、どこか別の掲示板に書き込んでいても、不思議じゃな
いような……」
「予告にあった暗号を余所に書き込むことはしていないと分かっただけで、冥
が余所の掲示板に全く書き込んでいないかは、断定できません」
 話を続ける二人に、江尻が「そろそろ、こっちに力を貸せーっ」と怒ったよ
うな口ぶりで云った。
「リーダーのことだから、既にいくつか検討してみてるんでしょ。それを教え
て。手間が省ける」
「はい。まず……アルファベットは数字を変換したものではないかと仮定し、
アルファベット順に数字を対応させました。Dは4、Nは14という風に」
「うん、それで」
 紙にメモを取りながら、江尻が先を促す。九条は困惑顔になりつつ、説明を
続けた。
「それで、たとえば『じゃにんD』は、じゃにんの各文字を前か後ろに四つず
つずらしたら、解読できるのではないかと考えたのですが……」
「それだと、じゃにんはえっと……」
「ずらし方の法則にも拠りますが、後ろにずらすなら、『ぞゅのん』『ぞりの
げ』『ぞりのえ』等になって、まるで意味をなしません。前にずらすも同じで
す」
「考えみたら、ずらすというのは、小さい『や』や『ん』の扱いがはっきりし
ないなあ。あ、濁音や半濁音もか」
「それは考え得る全てを試せば済む話ですから、大きな関門ではないでしょう。
いずれにせよ、このやり方では駄目でした」
「なるほど。次は?」
「逆さ文かと思いました。ローマ字に置き換えて、逆から読むという……」
 再度『じゃにんD』を例に取ると、ZYANINDとし、これを逆順にDN
INAYZと並べ替えて読もうという考え方だ。これも意味のある結果にたど
り着かないのは、明白だった。
 九条は三番目に考えついた説を話す。
「ローマ字に置き換えたことから発想したのですが、全てをローマ字にした後
に、更に数字に変換するのはどうか、と。Zは26、Yは25、Aは1という
風に」
「ZYANINDは……26251149144?」
 曽我森が考え考え云うと、九条は軽く首を縦に。と、次に横に振る。曇った
表情で、ため息混じりに云う。
「でも、そこから意味のあるメッセージを導き出すには到ってません。恐らく、
間違ったのです」
「二重、三重の暗号ってこともなさそうだし……」
「はい。殺人予告とは本来、狙われる者に恐怖を与えるのが目的のはずです。
それを暗号化するだけでも本末転倒なのに、さらに多重暗号だなんて。暗号マ
ニア以外、そんな間怠っこい真似をするとは考えにくい」
「案外、冥は暗号マニアなのかもよ。ハンドルネームも、ひょっとしたら本名
のアナグラム……MIEを並び替えたMEIだったりして」
「面白い説だと思います。ただし、真相を射抜いているかどうかは、現時点で
は、その他の数多ある説と同等です」
「そりゃそうだわ。根拠なしの、単なる推測に過ぎないものね」
 ひとしきりの議論が済んで、九条と曽我森も暗号解読に臨む。一足先に取り
掛かっていた江尻が口を開いた。
「これって以外と、一つの名前を表してることって、ないかな」
「一つの名前? それはないわ。さっき、リーダーが云ったように、複数名の
殺害予告なのは間違いないんだから」
 曽我森が即、否定するが、九条はそれを遮って、言葉を差し挟む。
「一人の名前、ではなくて、一つの名前、と云いました?」
「さっすが。鋭い」
 両手の人差し指を真っ直ぐにし、九条へ向ける江尻。曽我森は、「どういう
こと?」と問いたげな目線を二人に送った。
「同姓同名の人間が、世の中には結構いるんじゃないかってことさ」
 江尻が得意げに説明を始める。が、最初のフレーズのみで、曽我森も察した
らしい。
「そうか。分かったわ。暗号では一つの名前を示し、その名を持つ人が次々に
狙われていく。そういうことね」
 この説を認めると、選択肢が増えてややこしくなる。厄介だなと感じつつ、
無視する訳にも行かない。
「じゃあ、私はこれまで六つの名前に固執して、散々頭使っているから、気分
転換の意味も込めて、江尻さんの説で考えてみる。江尻さんと曽我森さんは、
六つの名前で考えてみてくれる?」
「うん、その方がいいか」
 役割分担が明確になったところで、場は静かになった。クリック音とペンを
走らせる音のみが、しばらく続く。
 更に十五分程度が経過した頃、パソコンを弄っていた両津が口を開いた。し
ばらくストップしていたお菓子を再開しつつ、結果報告。
「殺人は全部、未解決みたいだよ。変死の方は、二つが決着。水死の奴が事故
死だったって発表されてる。あと一つ、自殺で片が付いてた」
 食べながらだから不明瞭な箇所もあったが、大凡は聞き取れた。九条はスク
ラップ記事の中から、解決済みの物を確認すると、元に戻した。
「ご苦労様。それじゃあ、残り五つの事件で死んだ人の名前、リストアップし
ていきましょう」
 九条が云うと、両津はいつの間にか起ち上げていたエディタに、手早く文字
を入れていく。作業はじきに終わり、指先を拭くのに使ったちり紙を丸めてか
ら、画面を九条の方へ向けた。
「これをプリントアウトすれば、すぐにリスト完成〜」
「あ、ありがとう。随分早い……」
「コピー&ペーストの繰り返しだから、さっきの検索よりずっと楽だったよ。
さっきもこうすればよかった」
 この程度のことにも感心しきりの九条だが、ともかく印刷しようと、コピー
機にパソコンを接続した。どこにどう線をつなげばいいのか、まだ覚えていな
いため、配線メモを片手に、できる限り素早く。そうしてプリントアウトした
紙を各人に配り、彼女自身も手に取るとじっくりと見入った。



――続く





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