#348/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/10/01 19:10 (500)
冥々白々 2 永山
★内容
四月
・殺人
4/2 佐藤伸哉(さとうのぶや23)アルバイト E町8−1
4/15 殿宗寺佐助(でんそうじさすけ70)書家 N町5−2
五月
・殺人
5/8 高橋浪江(たかはしなみえ64)主婦・未亡人 W町1−3
5/21 中村家康(なかむらいえやす48)芸術家 S町2−9
六月
・その他の変死
6/2 生島剛(いくしまつよし17)高校生 N町3−6
「冥がひと月に一人、殺害していると仮定すると」
曽我森が口火を切った。
「四月、五月はそれぞれ二件の内のどちらかが、冥の仕業となるけれども、こ
の見方は甘いかしら?」
「いえ、そうでもないと思います」
受けるのは九条。伸びたツーテールの左をしきりに弄りながら、微笑みを浮
かべた。
「その前に、江尻さんが先ほど唱えた説が、九十九パーセント消えましたね」
「ん? あー、そうか」
名前を突然呼ばれて戸惑い気味ながら、江尻は程なく察した。
「名字が違うから、あの暗号が一つの姓名しか表していない、という考え方は
誤りだってことね」
「暗号は矢張り、六名を示しているのだと思います。そして、その上で、冥が
ひと月に一人殺害しているという仮定を採用しましょう」
九条は紙の上の名前を指差した。
「『じゃにんD』が表すのは、佐藤伸哉か殿宗寺佐助ということになります。
同じく、『すとああてぃN』は、高橋浪江もしくは中村家康に対応するはず」
「どう変換するのかは分からないけどぉ」
両津が右手を挙げながら云った。
「Dは殿宗寺のDじゃない? Nは中村で」
「浪江もNだよ」
両津は江尻に指摘されて、「あ、そうか」と自説の弱さをあっさり認める。
九条はしばし考え、両津の意見を「いい線行っているかもしれません」と評
してから、尋ねた。
「佐藤伸哉とDとを関連づけるような情報は、何かないですか? たとえば旧
姓や住所のイニシャル、渾名――」
「うーん、ちょっと待ってよ……あっ、アルバイト先がファミリーレストラン
のデリーズだ。週刊誌の記事だけれど、働きぶりは真面目で、いずれ正規採用
にという話が出ていたとか何とか。でも当人は俳優志望で、あんまり気乗りし
てなかったんだって」
「働いていた場所、ですか。難しいわ。個人をある程度特定する属性ではある
ものの、名前ほどじゃない……」
「名前だって、同姓同名はいるわよ。個人特定という意味なら、仕事場と大差
ないんじゃないかしら」
曽我森が意見を述べると、九条はそれもそうねと思い直した。探偵業に限ら
ないかもしれないが、修正や切り換えの速さも大切と認識している。
そこへ江尻が口を開いた。顔は両津の方を向いている。
「両ちゃん。四件の殺人の中で、絶対に冥の犯行とは違うと云えそうなのって
ないのかな? たとえば、えーっと、容疑者は絞り込まれているが、誰がやっ
たかまでは特定できていない。そのために未解決扱いであるとかさ」
「なーるほど。しばし待たれよ……」
両津の手がキーを叩くのを見ながら、九条は江尻の見方を検討してみた。
「絞り込まれた容疑者達の一人が、冥かもしれない。だからそれを材料に、安
易に除外するのは反対です」
「そりゃ勿論だけどさ。容疑者なら警察のマークが厳しくなるだろうから、動
きづらいんだろ? 冥が容疑を向けられるような間抜けだったら、余裕こいて
殺人予告してる場合じゃないって」
「理屈になってないように思いますが……」
「いやだから、何て云うか……そうだっ。容疑者扱いされるってことは、恐ら
く、動機がはっきりしてるんだ。対するに冥は、無差別殺人を画策しており、
犠牲者個人に明確な動機を持っているとは思えないな。よって! 冥は容疑者
扱いされない」
江尻の自信満々の発言だったが、九条は首を傾げた。
「待ってください。冥の計画が無差別殺人と断定するのは、現時点では少々危
険でしょう? さすがに、全てが明確な動機による殺人とは云いませんが、明
確な動機による殺人一つをカモフラージュする目的で、大量殺人を狙っている
可能性もあります」
「あれね。木を隠すなら森っていう」
曽我森が呟く。江尻は「だめか〜」とぼやき、引き下がった。
「いえ、だめではありません。なるべく論理的に行こうと思ったまでです。私
も心情的には、江尻さんの説に傾いています」
「そうか? それならいいんだけど」
「ともかく、両津さんの調べた結果を待ちましょう」
九条の声を合図としたかのごとく、両津が「はい」と挙手をした。
「分かったよぉ。というか、分かった範囲じゃあ、高橋浪江さんの事件が引っ
かかる。この人、未亡人で、亡くなった旦那さんから結構な財産を引き継いだ
らしいよ。その財産目当てに殺されたっていう見方が有力視されてて、警察も
容疑者逮捕の日が近いことを記者に匂わせている、だって」
「興味深いですね。他の三件は?」
「これといった続報記事は見当たらず。たださあ、その中の二件が、とっても
変な具合なんだよね」
「どういう風に」
「私達の好きなミステリの言葉で云うと、不可能&不可解ってやつみたい」
「……決まりです」
目が輝くのを意識する九条。軽い興奮で、息が荒くなった。
「その二件が、冥の犯行に違いありません!」
「そんな無茶な」
江尻が口を中途半端に開け、顰めっ面を作っていた。
「階段を一歩一歩、堅実に昇ってたのが、突如、三段とばしを始めた感じ」
「一般的な犯罪者が、わざわざ不可能犯罪を行うことは、極めて希です。対照
的に、冥のような劇場型犯罪者には、不可能犯罪がお似合いというもの」
「乱暴な理屈だよ、それ。極めて希ってことは、絶対にないことじゃないんだ
し」
火の着きかけた九条と江尻のやり取りを、曽我森が止めに入る。
「ここはまず、どの件が該当するのかとか、どんな不可能犯罪なのかを聞いた
あと、判断すればいいじゃない」
「――正論です。建設的です」
九条はクッションに座り直し、両津の方に首を向ける。江尻もため息混じり
の渋々ながら、話を聞く姿勢になった。
両津は他の三人の注目をあからさまに意識しつつ、右手人差し指を立てた。
「一つ目は、殿宗寺さんの事件! 一人では決して出られない部屋で刺し殺さ
れていた!」
「……興味深いけれども、具体性に欠けて、いまいち、状況を思い描きにくい
というか……」
曽我森が小首を傾げると、両津は画面の記事をちらちら見つつ、読み上げ始
めた。否、掻い摘んでの説明らしい。
「えーっと。殿宗寺さんの自宅には、隠し部屋がいくつかあり、その内の一つ
が犯行現場と思われる。部屋の扉は、開閉には複数名の協力を必要とする構造
であるにも拘わらず、発見当時、殿宗寺さんの遺体しかなかったことから、謎
が深まっている……」
「両津さん、文章、間違ってませんか? 成り立ちません」
瞬間的な苛立たしさに襲われた九条は、感情を抑制して聞き返した。その分、
指先でテーブルの縁を叩く。
「間違ってないと思うけど。扉の説明として図が出てるから、それを見たら納
得するんじゃない?」
「図面とは関係なく、文章がおかしいと感じたのです。開閉に複数名の協力が
必要というだけなら、複数犯であれば何ら問題はありません」
「……あー、そだね。図を見たら、最低でも部屋の中に一人、外に一人いない
と開閉できないって分かるんだけれど、文章にはそこまで書いてない」
「そうでしたか」
九条は満足して頷き、図を見ることにした。他の二人と同様に場所を移動し、
両津の脇に回る。
と、そのとき時計に注意が向いた。例会を始めてから、既に三時間になろう
としている。少女探偵団の規則の一つに、平日の会合は三時間を超えないよう
に務める旨があった。現に事件の解明に当たっているのであれば例外とするが、
今日のような場合は、まだ解明に当たっているとは云いにくい。事件の存在の
有無を調べている段階だからだ。
団の中で最も探偵熱の高い九条である。ここは素知らぬふりを決め込んで、
続けたいところ。だが、リーダーとして、それはできなかった。
「残念ですが、じきにタイムアップを迎えます。例会はここで終了とし、本事
件の検討は、帰ってからも個別にやるようにしましょう。扉の構造の図など、
必要な物をプリントアウトして、各自持ち帰ることに」
やり残しの宿題を片付けた九条は、間を置かずに、冥の事件に取り掛かった。
殿宗寺事件の現場、その扉は一風変わった構造をしていた。
出口は一つ、金属製の扉のみで、これは上下に動く。上がった状態が、“開”
だ。操作は手動。部屋の奥に固定されたハンドルを回すと、滑車の仕組みで、
扉が上下する。ハンドルにはストッパーがなく、扉を上げた状態で手をハンド
ルから離すと、扉はすぐに下がりきる。扉を開けておくには、常に室内で一人
がハンドルを持っていなければならない。
ではその一人はいかにして部屋を出るのか。出口は枯れ井戸(と云っても形
だけの造り物だそうだ)の底に通じており、出てすぐの壁面にレバーが設置さ
れている。このレバーを押し下げることで、隠し部屋の扉が上がった状態のま
まロックされ、室内の者はハンドルを手放し、外に出られるようになる。
そしてここが要なのだが、井戸は上がっては行けるが、上から降りて行くこ
とはできない仕組みになっているという。遊園地等の入場口によくある、一方
向にのみ回る回転扉のような器具が取り付けられているのだ。
(この器具のおかげで、井戸から共犯者が降りてきて、レバーを操作するとい
う手段は執れない……)
ふむ、と鼻息を小さくつき、微笑する九条。こうでなくちゃ、と思う。
出口の構造は分かった。では、入口はどうなっているのか。
入口は、床の間の壁にカムフラージュされている。掛け軸をめくると、握り
拳二つ分ほどの空間があり、上からロープが垂れている。このロープを引くこ
とで、壁の一部がどんでん返しのように回るのだ。そこから入ると、すぐにま
た回転扉がある。これは井戸に仕掛けられた物と同じく、一方向、つまり入る
ことしかかなわない。
更に、この回転扉は二人が通る(換言するなら二回転する)とロックが掛か
る。ロックを解除する条件は、先に記した部屋を出るための一連の動作の終了
である。これにより、隠し部屋には常に二人一組で入るほかない。部屋から一
生出られなくてもいいのなら、一人で入ってもかまわないが。
そして、回転扉を抜けて真っ直ぐ、約一メートル先に隠し部屋がある。
(入るルートの逆走は不可能。入口の回転扉を、一回転につき二人いっぺんに
通ることも不可能。完全な密室殺人……)
ともすれば密室の謎解きに傾きがちな頭脳を、手綱を引いてとどめる。
今すべきは、冥の事件であるかどうかの判定だ。密室の謎は、九条には大変
な魅力だが、後回しにせざるを得ない。
(殿宗寺さんて人、どうしてこんな変な仕掛けを作ったのかしらと思ったら、
書家だけでなく、忍者でもあったのね)
両津によって手に入った、被害者の個人データに見入る。自称忍者、という
言葉があった。趣味にしていたらしい。手裏剣や刀の模造品、水蜘蛛やがんど
う等、多彩な忍者道具が物置から見つかっている。自宅に隠し部屋をこしらえ
たのも、趣味が高じた結果である。真似をするだけではつまらないので、人を
食ったような造りにしたと広言していたと伝えられる。
収集及び増改築費用の出所は、書家として儲けたのではなく、先祖代々受け
継いできた土地家屋を切り売りした対価であり、被害者もまた自身所有の山の
中で、忍術修行の真似事をしていたという。このような趣味を独りで極めても
物足りなかったか、同好の士との付き合いは広範であった。その内の親しくな
った仲間に、順次、隠し部屋の存在を打ち明けていた。
(当然、犯人は隠し部屋について知っていたはず。でないと、こんな計画犯罪、
できる訳がない。容疑者は絞られるわ)
今度は、犯人探しに気持ちが傾く。九条はまたもや頭を振って、最優先事項
に意識を向け直さねばならなかった。
(冥の犯行と断定するには、被害者とあの暗号を結び付けなくちゃ。暗号が六
人を差し示し、なおかつ、殺害順の通りに並んでいるとしたら、『じゃにんD』
が殿宗寺さんに該当するに違いない。……うん?)
心の中での呟きに、引っかかるものがあった。凄く単純で明快な答が待って
いる、そんな予感が生まれる。
九条は心中の呟きを声にした。
「『じゃにんD』……じゃにんじゃにんじゃにんじゃにんじゃにんじゃ……」
次の瞬間、声を立てて笑っていた。
こんなにもあからさまに答が掲げられていたなんて!
(『忍者』の前後を入れ換えて、『じゃにん』にしただけなのね。『じゃにん』
が趣味を表すのなら、Dは……これも簡単だわ。殿宗寺のイニシャル、D)
この仮説が当たっているのか確かめようと、暗号の二項目、『すとああてぃ
N』の変換を試みる。
(名字のイニシャルはN。『すとああてぃ』は、真ん中で切って入れ換えると
……『あてぃすとあ』? 意味が通じない)
困惑が眉間に皺をなす。区切る位置をずらしてみることを思い付いた。即座
に、答らしき言葉が浮かぶ。
(二文字目と三文字目の間で切って入れ換えれば、『ああてぃすと』になるわ。
アーティストで決まりね)
ならばと、イニシャルNで趣味が芸術関係の被害者がいたか、チェックする。
程なくして、九条の脳裏でマッチングが成立。
(中村家康さんが当てはまる。名字のイニシャルはN。趣味じゃなく、仕事だ
けれど、芸術家だわ)
そして、両津が云っていたもう一つの不可能犯罪も、中村家康の事件であっ
た。確信を強め、九条はこれまでの思考過程と結果を書き留めた。
この程度ならみんなも気付くかなと思い、知らせるのは明日学校に着いてか
らでいいと判断する。実は多少恣意的な判断である。というのも、九条は不可
能犯罪の謎そのものに、早く取り組みたかったのだ。
だが、それ以前にすべきことがまだある。
(解いたことを、冥に知らせてやりましょう。警察への通報は……冥の反応が
あってからでいいかしら。でも、次の犯行を防がなくてはいけないし)
そこまで考えて、そういえば六月に起きた事件は、この暗号に当てはまるの
かと疑問が湧いた。急いで調べる。
死んだのは生島剛、高校生。暗号は『しょうひゃくT』が対応する。
「……関連なさそう。『しょうひゃく』はどう考えても百姓だし、イニシャル
はTじゃないし」
独り言を口にしてから、だったら未然に防ぐにはどうすればいいかという難
問に突き当たる。
(幌真市の農家で、イニシャルがTの人全員を警護するというのは、現実的で
ないのかなぁ。何軒あるのか分からないし、一軒につき何名いるのかはもっと
分からない)
農業地帯を抱えてはいないから、莫大な数に昇ることはあるまい。それでも
農業に携わるイニシャルTの人全てに、警護員を付けることは難しいだろう。
警察に冥の存在を認識させ、これは連続殺人事件なのだと納得して貰わない限
り。
(冥に挑戦状を叩きつけるよりも、こちらの方が大事です)
思うものの、実行に移すのには戸惑いを覚える。少女探偵団の例会で刑事事
件を取り上げたことは幾度かあったが、解決につながる糸口らしき物を掴んだ
のは、今回が初めてと云っていい。
一介の中学生に、警察やマスコミに伝があるはずなく、正面から持ち込んで
も、まともに取り合ってくれるかどうかすら危うい。門前払いが関の山か。家
族や教師に相談してどうこうなる問題でもあるまい。
(お父さんお母さん相手でも、冥の暗号を解いたらこうなったんだけれど、ど
うすればいい?ぐらいの相談ならできるかもしれないけれど、そのあとがね)
期待薄だ。
九条の願い、それは、冥の次の犯行を防ぐことに加えて、この事件に積極的
に関わることもある。探偵になるべくして生まれた(と自負する)彼女にとっ
て、初めて巡ってきた大きな事件。つまり、初めての好機でもある。逃したく
ない。
(刑事か新聞記者の知り合いがいる人、いなかったかしら)
本棚に目が行く。小学校の卒業アルバムと、中学校の名簿が並んで立て掛け
てある。探偵になりたいと明確に希望を持ち始めたのは、中学生になってから
であるため、小学校のときの同級生の親が何をしているかなんて、気に留めた
ことがなかった。ひょっとしたらいるかも、という淡い期待を抱き、膝立ちで
本棚に近寄ると、卒業アルバムの方へ手を伸ばす。
目当てはアルバム内の名簿ではなく、小冊子として付いてきた保護者の名簿。
何の目的で作られたのか分からないけれども、家主の職業も併記されていた。
ケースごと卒業アルバムを引っ張り出し、傾けると、小冊子が滑り出る。最
初から順に、職業の欄にだけ注目してページを繰っていった。
梅雨のシーズン真っ盛りというのに、今朝は快晴。気持ちよく澄んだ青空の
下、そよぐ風もからりとしている。なのに。
「どうしたらいいのかしら」
ため息と共にこぼす九条。登校の足取りは重かった。目が冴えてしまって早
早にベッドを抜け出、結果、普段よりかなり早く家をあとにしたからよいよう
なものの、いつも通りだと確実に遅刻のペースだ。
学校で嫌な出来事が待っているのではなく、冥の次の犯行をどうすれば防げ
るのか、一晩考えてもアイディアは閃かず、手詰まりに陥ったため。名簿のチ
ェックも虚しい結果に終わっていた。
(暗号を解いただけじゃ弱い。論理性を高めて、説得力を持たせられたら、警
察に持ち込めるのに)
ずっと考えてきたことが、また頭の中を回り始めた。
(何か、きっかけになる何かがあれば……)
その“何か”が見つからず、苦しんでいる。
根を詰めると、突拍子もないことを思い付くもので、昨晩、ベッドの上で苦
悩する内に一瞬、「冥に次の殺人を起こさせれば!」と考えた。およそ一分後、
かぶりを振ってこの考えを打ち捨てると同時に、自分を戒めたのは断るまでも
ない。
「若菜ーっ!」
物思いに耽る九条の後ろから、長く引っ張る声がした。振り返らなくとも、
江尻と分かる。だから返事をせずに、彼女が追い付くのを待っていた。
すると。
「ん? 誰?」
三メートルほど前方を行く男性が、足を止めて、肩越しに振り向いた。眉に
掛かるか掛からないかぐらいの黒い前髪、丸っこい縁無し眼鏡の奥の眼は怪訝
な色を浮かべつつも優しげで、小さく高い鼻、引き締まった口元と併せて二枚
目ぶりを際立たせる。背は一八〇センチ超といったところで、スーツの下の身
体はスマートだが、肩や太股辺りに逞しさが漂う。年齢は二十代前半か。ノー
ネクタイであるところを見ると、勤め人ではないのかもしれない。
などと観察を重ねる九条の後方では、江尻が立て続けに、「若菜ー! リー
ダー! 団長!」と叫んでいる。声が徐々に近付くのが分かった。いやに慌て
ているわと思い、ちらと横目で窺うと、赤信号で足止めを食らっていたらしい。
青に切り替わるや、ダッシュしてくる姿が見えた。
「ちょっと、もし」
今度は男の声がして、九条は視線を戻した。最前の男性が若干距離を詰め、
話し掛けてくる。
「何でしょう」
「あの子は、君の知り合いですか?」
「はい」
「じゃあ、偶然だったのかな。君の名前も若馬(わかま)というんだ?」
「わかま? いえ、私は若菜、です。九条若菜」
フルネームまで出す必要はなかったかしらと、小さく後悔しつつ、九条は相
手の反応を待った。
若馬というらしいこの男性は、気不味そうな苦笑いを浮かべ、頭を左右に振
った。
「あいたたた。完全に聞き違えた。駄目だ、この歳で耳が遠くなったつもりは
ないんだが……」
「気になさることはないですよ。彼女、朝は掠れ声で滑舌が悪いから」
何となく気の毒になって、フォローを入れる。江尻の声が掠れるのは、剣道
や空手の練習で気合いを入れすぎたときぐらいだ。
「あ、いや、どうも。つまんないことで声を掛けて、申し訳ない。学校には間
に合う?」
「多分」
九条がそう答えたとき、江尻が追い付いた。
「おはよっ、と。この人、どなた?」
朝の挨拶に続けて、若馬を見やる。警戒と好奇心を隠そうとしない。
九条は手早く説明した。
江尻が合点した風に頷くと、若馬はやっと解放されたとばかり、きびすを返
した。
「邪魔したね」
「いえ。こちらこそ」
発端となった声の主である江尻に代わり、九条は軽く頭を下げた。
「私はまた、朝からナンパされてるのかと思ったよ」
江尻は、若馬がまだ近いというのに、普通のボリュームで喋る。それをたし
なめてから、さらに九条は「さっき、団長と呼びましたね?」と注意した。
「あー、あれ。あれは……待ってくれっていうサインよ、サイン」
「逆効果、間違いなしですね。若馬さんに声を掛けられていなければ、私、怒
ってさっさと先に進んでいました」
「う……と、ところでさ。冥の事件について、何か分かった?」
旗色が悪くなって話題を換えたいのがありありと出た、あからさまかつ強引
な持って行き方だった。が、九条にとっても望ましい展開なので、文句を言わ
ずに流れに従う。
「そのことですけれど」
昨日の夜に考え付いたことや、今後どうすればよいのか悩んでいること等、
九条は掻い摘んで話して聞かせる。
「そっかあ。警察に届けるのも、このままじゃ難しいのか。私も知り合いにい
ないしねえ」
江尻のそんな台詞に覆い被せる形で、男の声が斜め前方から届く。
「被害者の名前をもう一遍、言ってくれないか」
「は?」
顔を向けると、若馬が何故か真剣な表情で食いついてきていた。
「さっき云った死んだ人達の名前、何て?」
お喋りを聞かれていたのにも驚いたが、それ以上に、彼の勢い込んだ様子に
驚かされる。江尻が再度警戒を強め、態度を堅くしてしまったのを横に、九条
はゆっくりと応じた。
「理由を教えてください。あなたが知りたがる理由を」
「死んだ人達と僕の父との間に、つながりがあるかもしれない」
「――いかなるつながりがあるんです?」
吸引力のある返答に、九条だけでなく、江尻も完全に立ち止まる。
「僕の父は小説家で、超一流ではないものの、プロなんだ。その父に、テレビ
番組出演の打診があって。幌真ケーブルテレビの、街の有名人という感じのコ
ーナーなんだがね」
視線を外し気味に話す若馬。嘘を吐いて後ろめたいのではなく、身内につい
て語るのが面映ゆいようだ。
「全然、関係ない話に聞こえるんですけど〜」
江尻が非難がましく茶々を入れる。若馬は一つ、大きく頷いた。
「さっき君達の云っていた二人は、同じコーナーに出た人かもしれない」
「ええ?」
「出演の依頼というか打診があったとき、テレビ局の人は参考にと、これまで
出演した人のリストと、何回分かのVTRを持って来た。死んだ人達の名前が、
どちらもリストにあったように記憶している」
「まじ?」
素っ頓狂に叫んで反応する江尻。九条は努めて冷静に振る舞った。
「まさか、リストを今、お持ちじゃありませんよね?」
「残念ながら。自宅にはあるよ」
「では……」
九条は手帳から一枚、紙を破り取り、冥にやられたと推察される被害者二人
の名前を書き付けた。
「ご記憶に?」渡し、尋ねる。
「……この、殿宗寺佐助さんは覚えている。珍しい名前だし、忍者と佐助がぴ
ったりだなと感じたから。中村さんの方は、家康という名前に覚えがあるよう
な気がする」
手渡した紙片に、殿宗寺の趣味が忍者であることまでは書き付けていない。
九条は若馬を信用した。
「色々と協力してほしいことがあります。最初に、自己紹介ですね。私は九条
若菜、幌真東中学の三年生です」
江尻も引き続いて名乗る。若馬は、ふむ、と鼻を鳴らすような反応を示した。
「僕の名は、若馬隆邦(たかくに)だ。職業は……隠していたようで云い憎い
んだが、幌真東中の教師」
「!?」
目を白黒させる江尻。九条は友達を見て、自分もそうなってるんだろうなと
思った。
「授業を持つのは明日からで、今日は早めに行って、朝礼での挨拶やら何やら、
とにかく学校に慣れておくつもりだったんだが、予定が狂った」
若馬は楽しげに云った。
「だが、大凡の雰囲気は掴めたかな。三年生が探偵ごっこに精を出すとは、ユ
ニークな学校のようだね」
進学希望なのにこういうことに首を突っ込むのは感心しないな。
と、ちくりとやられたものの、若馬は話の分かる先生だった。九条達の希望
を即座に聞き入れ、なおかつ車で送ってくれた。
「今朝お会いしたとき、車ではなく、歩きでしたのに……」
助手席に収まった九条は、隣を見た。後部座席、若馬の真後ろに陣取る江尻
も、「そういえば、そうだったっけ」と思い出す口ぶりで云った。
「勿論、学校には車で来た。今朝は、駐車場に置いて、周辺を散策していたん
だよ」
「そのおかげで、こうして手がかりを掴めたのね。ラッキー」
後部座席真ん中の両津が、手を叩いて喜ぶ。さして広くない車内に、拍手の
音が響いた。
「お若く見えますね。云われませんか?」
九条の後ろから質問したのは、残る一人、曽我森だ。
「若く見られても、男だからか、全然嬉しくないな。童顔だの、がきっぽいだ
のと云われたこともある」
九条は内心、悔しがっていた。何故なら、今朝の初対面時に予想した年齢を、
若馬は十近くも上回っていたのだから。
(外見から実年齢を推測できないようでは、探偵として失格です)
若馬が特別なのだとは考えず、九条は自分への課題とする。
「そろそろ着く。最初に云ったように、父は在宅していると思うが、会えるか
どうかは分からない」
「それで結構です。今のところ、出演者リストがあれば充分でしょう」
九条はすかさず答え、気合いを入れた。冥の暗号に加え、リストとの符合も
見つかれば、自分の推理を警察に持ち込むに足る有力な仮説に仕立てられよう。
道路の前方左手に、古風な日本家屋が見えてきた。スピードを落とし、そち
らの方へハンドルを切りながら、若馬が云う。
「リストだけでいいのなら、待ってろ。取ってくる」
「あ。もう一つ、お願いがあるのですが」
車庫に入らず、ドアを開けて出て行こうとする若馬を、九条は手を伸ばして
呼び止めた。
「警察にこの話を持ち込むときは、若馬先生、付き添ってください。いえ、む
しろ、先生が思い付いたことにしてくだされば、警察もよりきちんと聞いてく
れるでしょう」
「僕みたいな一教師かつ若造が乗り込んでも、どうだか。こういう場合は、被
害者の身内が訴えるのが効果的と思うが」
「しかし、遺族の方達にこれから会って、一から説明し、納得して貰う猶予が
あるようには思えません」
「ほぉ、なるほど」
感心しましたという風に、立ったまま腕組みをした若馬。しばし思案する仕
種を見せたかと思うと、彼はぽんと手を打った。
「父の伝を辿れば、出版社か新聞社の人に動いて貰えるかもしれない。記者が
持ち込んだ話が、相当な説得力を持っていれば、警察も無視はしまい。これで
どうだ?」
この提案に、九条も他の面々も、元気よく応えた。
「はい。考えられる限り、最高の形です」
「事情は飲み込めた」
若馬隆邦の父、勲は重々しく首肯した。和服姿で座椅子にでんと腰を据え、
目を閉じたその様は、型にはまり過ぎで、多少大げさでもあった。
九条達は新聞記者に働きかけて貰うため、ことの次第を勲に説明すべく、若
馬宅に上がり込んだ。出されたお茶や菓子には(両津でさえも)手を着けず、
真剣に頼み、今、可否の判断を仰いだところである。なお、テレビ局が持って
来た出演者リストとの照合は先に済ませておいた。殿宗寺佐助及び中村家康の
名は、間違いなく記載されていた。
「それで、いかがでしょう?」
九条が返事を求める。短い時間でも沈黙が耐え難い。
勲は悠然と構えていた。なかなか答がないことに、息子が気を揉んだらしく、
声を掛けようとする。と、そのとき小説家は目を開けた。
「犠牲者はまだ二人。偶然という目も捨てきれないが、仮に君達の推理が当た
っていたとしたら、大変だ。すぐにでも通報して、次の犯行を未然に防ぐよう
努力しなければならない。心よりそう思う。よかろう」
引き受けるが早いか、若馬勲は膝を立て、腰を上げた。
「電話をして来よう。何しろ初めてのことだから、絶対にうまく行くとは約束
できないが、説得しよう」
「お願いしますっ」
九条の礼と、曽我森らの黄色い歓声に送られる形で、勲は和室を出て行く。
襖が閉じられると、教師の若馬は座った体勢のまま、教え子達に向き直った。
「ああ云いながら、内心では恐らく、事件を小説のネタにしようと考えている
んだ。だから、一方的に感謝する必要なんかない」
「それよりも気になることが……。先生のお父さんは、テレビ出演を?」
「断った。打診があったのは、かれこれ……半年か七ヶ月か、それくらい前に
なる。リストの顔ぶれを見て、気に入らなかったらしい」
「理由はどうあれ、出演なさらなかったのなら、安心です。命を狙われること
はないと思えるだけの理由になりますから。今、一番に心配すべきは」
九条の指先が、リストにあるテーマの欄を上から下へとなぞる。一点で止ま
った。
「この人ですね。千代谷健悟郎(ちよたにけんごろう)さん。独自の減農薬栽
培で成果を収め、その話題でコーナー出演が決まったようです」
「この人が……?」
リストに注目していた皆が、面を起こして、今度は九条の発言に耳を傾ける。
「冥が次に狙うと予告した人です。イニシャルはT。職業は農業、つまりお百
姓さん。冥の暗号規則に照らし合わせると、『しょうひゃくT』となります」
「なるほど。見事に符合する」
「続く暗号でも確かめてみました。『けっこんG』は平仮名をどう入れ換える
のか分からずに、迷いましたが、ふっと気付きました。これはそのままでいい
んです。小さい『つ』と『ん』があるんだから、どこで区切って入れ換えよう
ともまともな言葉になりません。これは結婚、ウェディングです。リストを見
ると、ウェディングプランナーを仕事にする、岳伸也(がくしんや)という名
がありました。イニシャルGも合います」
「面白ーい。次、私がやってみる!」
両津が身を乗り出し、手のひらに指で文字を書く仕種を始めた。『いかはつ
めB』の平仮名を組み替えているに違いない。
「――あ! 『いかはつめ』は発明家だよね。リストを見ると、町の発明家っ
てことで出演した人がいるし」
坊野矢七(ぼうのやしち)という名があった。イニシャルB。
「最後の『ころじいえY』が分かりにくいわ。リストにある名前で、イニシャ
ルがYの人が一名のみなので、逆に辿れたけれども」
と、今度は曽我森が云った。彼女の指が差し示した箇所には、淀原樹理(よ
どはらじゅり)という名前が。現役の大学生で、環境保護・美化活動グループ
の代表を務める、とある。
「なるほどなるほど。『ころじいえ』はエコロジーか」
若馬が半ば呆れ気味ながら、それでも感心したような口ぶりで頷いた。
「先生。テレビ局の方と、今でもコンタクトを取れますでしょうか」
「そりゃまあ、僕も父も名刺を貰ったから、電話ぐらいならできるが。何のた
めに?」
「決まってます、住所を知るためです。犯行を防ぐには、まず指名された人達
の居所を掴まないと話になりません」
「そういうことは、警察に任せるべきだ。冥とかいう輩の書き込んだ暗号を解
読したら、リストに挙がった名前に悉く該当者がいた。この事実だけで、もう
充分だろう。この材料を持って、出版社の人間が働きかければ、警察も間違い
なく動く」
「仰る通りでしょう。けれども、三番目に予告されている人には、今こうして
いる間にも、危機が迫っているかもしれません」
――続く