#227/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/03/12 00:28 (202)
そりゃないぜ!の恋14 寺嶋公香
★内容
「……分かった、悪かった。では、言い直そう」
芝居がかって剣持は謝ると、続けた。
「結婚してしまう三井さんだけど、それでもいいな〜とぽよよんとした夢を抱
いている男は、かなりの数がいる」
「だから?」
「せめて劇の中で、その夢を叶えさせてもらうってのも、一興ではないかと思
いましてな、旦那」
「誰が旦那だ」
……この二人、何だかんだ言って、仲いいのではないか。端で見ていて、ば
からしくなってきたぞ。
ここで僕が関西弁で参戦すれば、収拾つかなくなるのは見えているから、自
嘲しておく。それよりも今は劇だ。
「結局、僕の異議は受け入れてもらえたのかな?」
「うーん。考え中。さっきも言ったけど、私一人でやるもんじゃないんだから、
みんなの意見を聞かなくちゃ。あ、もちろん、万里を除いたみんな」
最後の付け足しは、悪戯っぽく笑って。
家に帰り着いてからでは、広海君に電話するチャンスはあまり期待できない
と昨日、学習したので、今日は下校途中、電車に乗る前に電話してみることに
した。
誰に電話するのと知りたがる知念さんを遠ざけるために、公衆電話ボックス
に入った。さて、ここから携帯電話で掛けるのも間抜けな気がする。第一、携
帯電話を持たない、本当に公衆電話を使いたい人に見られたら、何だこいつは
と思われるだろう。手持ちの小銭と色落ちしたテレフォンカードを確認する。
ボタンを押してから、今日もまた三井さんが出たら嬉しいなと考えてしまっ
た。逆に、出ないとすれば、それはまだ帰宅していないからであって、つまり
由良の奴とデート中ってことになる、恐らく。
しばらく呼び出し音に耳を傾け、待っていると、やがてつながった。家の人
が他にいないのか、出たのは広海君だった。
「あ、岡本さんのお兄さん」
こんな早い時間に電話が掛かってくるとは思っていなかったらしい。びっく
りしたような声だ。表情の方も楽に想像できる。
「今、いいか?」
「う、うん、大丈夫」
「あんま時間ないんで、単刀直入に行くぞ。瞬也君と話せたかい?」
「昨日言われたから、なるべく頑張ってみたよ」
うんうん。なかなか素直な行動をしてくれる。嬉しいではないか。うちの泉
と大違い。
「それで、由良っちのことを何か言ってなかった?」
「浮かれてるって」
「浮かれてる?」
「格好つけの由良っちが、お姉さんのことになると、でれでれになるんだって」
その様を思い描くと、失笑しそうになる。まあ、いかにも浮かれてますって
いう言動を取る訳じゃないだろうけど。
しかし、これは残念ながら役立たない情報だな。
「他にないか、広海君? できれば由良っちの短所、つまり悪いところを言っ
ていたっていうのがいいんだけど」
「あるにはあったよ」
「どんな」
期待を込めて先を促す。
と、邪魔が入った。電話ボックスのドアをごんごん叩く音に振り向くと、知
念さんが腕時計の文字盤(と呼んでいいのかね、あれは? デジタル時計なん
ですけど)をこちらに向けて指差しながら、何やら口を動かしている。ああ、
そろそろ電車が来るよって意味か。
「もう少し」
送話口を手で塞いでから、ドアを押して隙間を作って、彼女に告げる。
「って、乗り遅れるわよ!」
「じゃ、先に行っといていいよ。今のところ、君に話せるほどの成果は上がっ
てないから」
それだけ言い捨て、再び電話に没頭する。
「広海君、悪いな。何だったんだ?」
「あのね、由良っちはこれまで何十人もの女の人と付き合ってきたのに、高校
生にめろめろになるなんて、情けない……って」
ううむ。そういう悪口ともちょっと違うのだが。
それにしても瞬也って奴、生意気だな。見もしないで(いや、見たことある
のかもしれないが)、三井さんのことを見下すような評価をしやがって。がき
には分からへんのや。
と、腹立ちのあまり関西弁になりかけたところを踏ん張って、広海君に言っ
ておく。
「もしも、由良っちが今でも他の女の人と付き合ってるような様子があったら
教えてくれって、瞬也……クンに言ってみてくれ」
「うん、分かった」
「くれぐれも、遠回しに、だぞ。直球勝負は避けろ」
「うん」
送受器を戻すと、カードが返ってきた。度数が残っているのを確認し、振り
返る。
すると、ドアの向こうには知念さんがまだ立っていた。少なからずびっくり。
「何や。行ったんとちゃうんか」
「待つよ、これくらい。数時間に一本て訳でもないんだし」
怒ったような口ぶりで答え、知念さんはぷいと横を向くと、大股で駅舎に向
かう。慌てて追い掛けた。
「すまんすまん。三井さんの弟から、情報がないか、聞いてたんや。残念なが
ら、大したことは聞けなんだけど」
「……私の方でも、少し調べてみた」
さっさと改札を通ってから、くるりとこちらを向く。今度は慌ててブレーキ
を掛けた。ツインテールが鼻先をかすめそうになる。
「何か分かった?」
「ずっと調べてるんだけどね。今日、幸運があったわ。昨日の話になるんだけ
ど、今頃になってロッ研――ロック研究会に入会希望者が来たって、連城君が
教えてくれて」
ロック研究会の新入会員と、由良の異性関係が、どうつながるのだろう。興
味津々、耳をダンボにして続きを待った。
「その子の母親が、由良総合病院で働いてるんだって」
「へえ!」
「連城君はあれでなかなか気が利くのよ。すぐに入会希望の子と親しくなって、
聞き出してくれた」
何を? もちろん、由良の異性関係についての噂に違いない。
ここで知念さんは嬉しさと苦々しさを混ぜたような顔をした。
「全部、昔話なんだけど、出るわ出るわって感じよ。一度なんか、病院に女の
人がカッターナイフを持って乗り込んできたんだとか」
「ほう」
昔の話とはいえ、結構波乱の人生を送ってるんだな、あの二枚目。
「看護婦に手を出すのは一度で懲りて、それならと今度は出入りの薬剤メーカ
ーの営業に来た女の人に声を掛けていたとか」
やりたい放題だな、おい。よくそれで、三井さんとの結婚に漕ぎ着け、なお
かつ過去に付き合いのあった人全員と縁が切れたものだ。もし本当に、完全に
縁が切れたのなら、拍手してやってもいい。
という訳で、まだ疑う余地はたっぷり残ってる。
「相当に信憑性の高い噂話も少なくないんだけれど、どれも決定打にはならな
いでしょうね。とにかく古い」
「昔付き合っていた女の人達の内、数名でいいから名前とか住所とかが分かれ
ばな。辿って行けば、絶対に何かあると思う。確信した」
「……あのさ」
不意に声のトーンを落とし、知念さんが上目遣いに聞いてきた。「何?」と
応じるのと同時に、列車が入ってくるアナウンスが鳴った。答はしばしお預け
状態になる。
車内は混んでいて、内緒話をしづらい雰囲気だったが、僕はもう一度聞いた。
この状況では答えづらい内容なら、知念さんも黙ってるだろう。
「たとえばの話よ」
前置きして、周囲を見回す目の動き。
「昔付き合ってた女が、妊娠中絶していたとして、それをネタに、結婚をやめ
させるつもりはある?」
「……うーん」
まさかこんなストレートな球が来るとは予想外だ。口ごもってしまう。鼻の
頭を掻き、一旦、窓の外に視線をやってから考え、そして答える。
「多分、そうする。その目的で動いてるんだしな。やめさせられるかどうか分
からないが、言ってみるよ」
「じゃあ、その女性がちゃんと中絶費用や手切れ金その他をもらって、きれい
に別れていたらどう?」
「……そういった事実があったとして、そのことを由良は――」
さすがに名前の部分は一段と、いやいや、三段階ほど声を低くした。
「――三井さんに、打ち明けていないと思うんだ。だったら、知らせてあげる
べきだ。事実を知らないまま、この年齢で結婚だなんて」
「ふうん。それなら、ついでにもう一つのたとえば。万里が全てを知った上で、
結婚に同意していたとしたら?」
「……」
返事に窮した。身体が揺れる。
眩暈なんかじゃなく、電車が停まっただけのこと。駅でもないのにどうした
ことかと乗客がざわつく。が、すかさず信号待ちとのアナウンスが流れた。
「それなら」
ざわめきの中、やっと答える。知念さんの目は、外を向いていて、興味があ
るようなないような。
「あきらめるしかない、かな……あきらめたくないんだけど」
考えてみれば、僕らがしようとしていることって、芸能スキャンダルを漁る
ワイドショーみたいなもんだ。当事者同士の問題に、過去の醜聞をほじくり返
してきて、関係をこじれさせようとしている。
そんなんじゃなく、せめて、今現在の由良がひどい男(実際にそうであるか
どうか全く分からないが)であると示しめしてこそ、三井さんに考え直しても
らう意味が出て来る。無論、ひどい男と承知しながら結婚する人だっているだ
ろうけどね。
こいつはちょっとばかり、考え方を改めなきゃいかんのかな。
そんなことが頭の片隅に思い浮かび、そして電車は再び動き出す。
帰宅すると、泉がビッグニュースを持って来た。ただし、このビッグニュー
スとは、あくまでも妹にとってのビッグであり、僕にとってはそれほど大きく
はない。
「瞬也君の仕事場を見学させてもらえそうだよ!」
手のひらをこちらに向けて出しながら、泉は言った。
「由良の今を知らないと、無意味なんだよ」
素気なく応じると、当てが外れたように両手が下がる我が妹。やはりお駄賃
目当てか。
「その撮影に行けば、今の由良長太郎の何かが分かるのか?」
「……さあ? お兄ちゃん、恐いよ」
指差されて、顔の表面を撫でる。強張っていたかもしれない。
「なあ、泉。広海君とも仲よくやれよ」
「うん? 言われなくても、そうしてるつもりだけれど」
「断っとくが、男二人を手玉に取れという意味やないからな」
「それぐらい!」
鼻で笑う泉。どうやら、僕の「恐い顔」は解消できたようだ。しかし、肝心
の恋の問題の方はちっとも解消に向かって進まない。
夜、布団に潜り込んでからも悶々として考える。
汚い手を使う後ろめたさ、みたいなのを感じて、心理的に追い詰められてい
たのかもしれない。
相手は、僕の好きな人とすでに婚約していて、結婚式まで秒読み段階。まと
もにやって太刀打ちできるはずがない。だからといって、相手の昔の異性関係
を持ち出すのは、どうもフェアじゃなく、格好悪い気がしてきた。真っ向勝負
で玉砕した方が、まだましだ。
……心情としてはそうなんやけど、負けると分かっていてぶつかって、砕け
散るのも別の意味で格好悪い。
完全な出遅れ、勝負にならない、遅きに失した――そんなもの、最初から分
かっていたことだ。敢えて勝負しようとしている理由は、当然、三井さんに惚
れてしまったから。
格好悪く散るつもりはない。対等とまでは望まない、ただ、勝負の形になっ
ている土俵に持って行きたい。
それすら難しい現在の状況が、重くのしかかる。普通の恋愛勝負なら、想い
を伝えるだけでライバルと同じ土俵に上がれるはずなのに。フェアにひっくり
返す術はないのだ。
あー、いかん。煮詰まってきた。
ジレンマってやつだな。相方がいれば、ぼけるところだ。お菓子作りに欠か
せませんなー、そりゃメレンゲや!とか何とか。ああ、スキーするとこやろ、
でも可。って、それはゲレンデ。どんどん離れて行く。
お笑い方面まで煮詰まってきた。こういうときは、無理にでも寝るに限る。
はよ寝よっ。
……そして僕は、夢を見た。
花嫁姿と見紛うほどきれいなお姫さまの格好をした三井さんと、腕を組んで、
体育館の舞台の上を歩くシーン。
学校でのロングホームルームが、脳味噌のどこかに残っていたんだな。さす
がに、自分の格好は恥ずかしくて見下ろせなかった。ちょうちんブルマだった
ら目も覚めよう。できるだけ長く見ていたい夢なんだから。
――続く