#493/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (XMF ) 87/11/17 21:52 (121)
【自動ドア】 コスモパンダ
★内容
【自動ドア】 コスモパンダ
自動ドアは今はちっちゃな下町の食堂でもあります。ステップに立つ、スイッチが入
り、ドアが自動的に開く。だから自動ドアなのです。でも自動ドアがいつでも貴方を受
け入れてくれるとは限らないのです。
出勤途中に私は地下のデパートの入り口を通ります。ここは普通の人はあまり知らな
い抜け道になっている所です。私はいつもそこで経理課のA嬢と出会うのが楽しみで時
間を見計らっているのです。彼女は中肉中背ですが、胸の大きなスタイルのいい女性で
す。その彼女が私の前を歩いていました。そしてそのデパートの抜け道になっている入
り口の自動ドアを通っていったのです。彼女の後ろ姿を見た私は追いついて、お早うの
挨拶でもしようと小走りに自動ドアに向かったのです。
ドカーン。
気が付くと私は通路に仰向けに倒れていました。
何が起きたか分かりませんでした。私の後から来た営業のB君が私を助け起こしてく
れましたが、床で頭と背中を強く打って満足に有り難うも言えない有り様でした。
これが異変の始まりだったのです。
その日のお昼、地下の食堂に食事に行こうとして、私はエレベータのドアの前に立ち
ました。エレベータの「降りる」のボタンを押したのですが、昼休みで混んでおり満員
通過ばかりで中々乗れません。ふと気が付くと、別のエレベータのドアが閉じるところ
でした。そのドアに慌てて走っていったのですが、無常にも私の目の前でドアは閉じて
しまいました。
ガチャンという音で振り返ると、私がさっきまで待っていたエレベータのドアが開い
たところでした。私は再びダッシュしました。しかし、結果は同じ。ドアはまたしても
私の目の前で閉じたのです。
そんなことを三、四回繰り返したでしょうか。私と同じようにエレベータを待つ人は
私が気づいた時にはエレベータに乗っており、私だけが取り残されているのです。
とうとう腹を立てた私は、十五階から歩いて地下の食堂まで降りて行きました。
汗だくになって地下に着いた私はランチの安い店に行きました。しかし、もう人が外
にまで並んでいるのを見て別の店を探すことにしました。
エレベータで降りれなかったので、もうどこの店も混んで中々昼飯にありつけそうに
ありません。私は地下の通路を通って別のビルの食堂街に行きました。滅多に入らない
喫茶店にある見本のランチが気に入って、その店のドアの前に立ちました。
ところがドアが開きません。貝のように殻を閉ざし、私を入れてくれないのです。
そうか、故障しているのかと、私は手で自動ドアをこじ開けて中に入ろうとしたので
すが、ドアは手で開くほどやわな造りではありませんでした。そのドアの前で私は二、
三分は格闘した頃でした。
「あのーっ、故障してるんですか?」
後ろから、女性の声が聞こえてきました。振り向くと、そこには三人の事務服を着た
若い女性が立っていました。
「どうもそうらしいんです」 汗まみれの私はいささか、照れながらそう答えた。
三人の内の一番背の低い、ショートカットの髪の子が、ちょっと済みませんと私の横
をすり抜け、自動ドアの前に立った。するとドアは軽く開いた。
「開いたーっ」 ショートカットの子は子供のように手を広げ、耳障りな甲高い声で叫
ぶと私ににっこり微笑んだのです。
茫然と立っている私越しに、ショートカットの子は連れの二人に声を掛け、さっさと
店の奥に入って行った。連れの二人は木偶の坊のように立っている私の側を、クスクス
と笑いながら店の中に入って行きました。
そして彼女達が入ると、ドアは再びピシャッと私の鼻先で閉じたのです。
私は自動ドアのステップの上で飛んだり跳ねたり、地団太を踏みました。しかし、自
動ドアはびくともしません。
私はその店に入るのを諦めて、また別の店を探しました。そして更に数軒の店の自動
ドアと喧嘩することになったのですが、とうとうどの自動ドアも私を迎え入れてくれな
かったのです。私は苛立ちよりも何か得体の知れぬ恐怖を感じながらさまよい続けたの
です。そのあげく、空腹と疲れと精神的ダメージでボロボロになった私を救ってくれた
のは、人通りの少ない通路の奥にポツンとある店でした。
その店に何故入ろうとしたかというと、自動ドアではなく手動のドアで、しかも開い
ていたからという、単純なことだったのです。
店の中は狭くて、五、六人が座ると一杯になるカウンターがあるだけの店でした。私
が店の中に入った時には客は一人もいませんでした。
三十少し前位で髪が長くピンクのエプロン姿の清楚な感じの女店員が一人いました。
彼女は、カウンターの向こう側で頬杖をついていましたが、少しハスキーな声で「いら
っしゃい」と私に声を掛けました。
私はカウンターの前に並んでいる真ん中の椅子に腰掛けました。
「お待ちしてましたわ」
まるでスナックのママさんみたいな口をきくと思ったのですが、とにかく空腹だった
私は彼女に一番早くできる料理を頼んだのです。
「わかりました」と彼女は、冷たい水の入ったコップを置きました。
私はそのコップを掴むと息もつかずに一気に飲み干しました。
「まあまあ、随分と喉が乾いてるのね。走って来たの?」
彼女は二杯目の水をコップに注いでくれました。
「いや、そうじゃないんだ。中々店に入れなくてね」
私はその水も一気に飲み干しました。
「あらあら、ここにお水を飲みに来たみたい。しょうがないわね。じゃあ水差しを置い
ておくわ。好きにしてね。お店、みんな混んでたの?」
私に背を向けた彼女は、冷蔵庫を開け、野菜やら魚やら材料を出し始めました。
「信じてくれるかな? 実際馬鹿な話なんだ」
トントントンという、包丁がまないたを叩く小気味よい音が心地好く聞こえました。
「信じるわよ。何があったの?」
彼女のハスキーな声は心地好く私の耳をくすぐり、私は初対面のこの女性に知らず知
らずの内に心を許していたのです。私は不思議な自動ドアの一件を話しました。彼女は
「本当」とか、「そんな馬鹿な」といった調子で軽く相槌を打って私の話を聞き流して
くれました。
「できたわよ」と彼女が差し出した盆の上に乗った料理を見て私は唸りました。
それはとてもとてもランチと呼べるようなちゃちな料理とは違ったのです。和食のフ
ルコースのようで、鮎の塩焼きや松茸の吸い物から芋の煮っ転がし等など、およそ十品
はあり、どう見ても一万円は下らない料理でした。
私は思わず、オーダーシートを見ました。しかし、そこにはランチ、一品、五百円と
書かれてあるだけでした。
恐る恐る一口食べた私は、思わず「美味い!」と口走りました。
彼女は嬉しそうに、お世辞はいいわよと微笑んだのです。その人懐っこい笑顔がたま
らなく可愛く、私は時を立つのも忘れて食事をし、彼女とたわいもない話をしました。
どれくらいその店にいたでしょう。聞き上手の彼女にすっかり打ち解けた私は、とっ
くに昼休みが終わっていることに気づかなかったのです。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
彼女のそんな言葉に私は腕時計を見て言葉を失いました。既に退社時刻を過ぎていた
のです。私は名残惜しかったのですが、慌てて支払いを済ますと店を飛び出しました。
会社に帰ると、残業で残っていた同僚に課長が探してたぞ、と威かされました。しか
し私は気分が高揚していたのか、そんな言葉も全然気にならず、適当に雑用をすると呆
れる同僚を後にして帰宅しました。
後になって気づいたのですが、昼間の時と違って会社に帰った時にも帰宅時にもエレ
ベータのドアは私を迎えてくれていたのです。
次の日の昼休み、私は昨日の彼女の店に行こうとしました。しかし、どうしても見つ
からず、大体この辺りではと思う地下通りの売店で聞いたがそんな店は無いと言われて
しまいました。
何軒かの店に聞いた後、最後に尋ねた店の少し歳をくった店員に、以前そんな店が確
かにあったが、あまり流行らなくて潰れたという話を聞きました。その時、店を経営し
ていた女性も何処へとも無く立ち去ったといいます。かれこれ十年前のことらしいので
すが、私はその店員に言われた通りに歩いて行きました。しかし、結局私が辿り着いた
店は派手な音のするゲームセンターだったのです。
今思えば、自動ドアが開かなくなったのは、流行らない店の客引きだったのではない
でしょうか。私は十年前のその店で食事をしたのではないでしょうか?
夢か現実か、それも定かではありません。私の人生に六時間の未知の時間が存在した
のは間違いないと思います。
それにしてもあの彼女はまだ生きているのでしょうか?
でも、すぐにまた会えそうな気がします。
というのもさっきから、私の乗ろうとする電車のドアがどういう訳か一つも開かない
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−(完)−−−−−−−−−−−−−−−−−−