AWC 詩篇 空中の書10     直江屋緑字斎


        
#303/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (QJJ     )  87/ 9/ 2  14:38  ( 33)
詩篇 空中の書10     直江屋緑字斎
★内容
<頭蓋骨モデルから伝わるもの 33行>

   頭蓋骨モデルから伝わるもの

闇の傾斜を、張りつめた糸が重なるように、かさかさに涸(ひか
ら)びた雪片が滑ってゆくのを聞いた。カーテンの蔭の隙間から
冷たい風が忍び込むせいでもあったのだろう。骨が噛みつかれる
ように深い冷たさが肉を包んでいる。それにつれて体が底なしの
睡りに就いてはいたのだが、脳味噌は奇妙にうごめきはじめ溌溂
(はつらつ)としていた。肉が溶け出して床に吸われてでもいる
のだろうか。
姿勢だけは謹直なものであった。背筋はきりりと伸ばし、直角に
曲げて揃えた両脚の上、ちょうど臍(へそ)のあたりで呪印さえ
結んでいた。瞼(まぶた)を開けようとしたが、固く結ばれたま
まいかようにも開けることができない。だが何かしら周囲のもの
のありようが、そのままの状態でも感じられた。特に強く捉えら
れるのは、机上に埃(ほこり)にまみれたまま放置されている頭
蓋骨のモデルの形である。温かなものと冷たいものから発せられ
る微妙な空気の運動などといったものではない。確かな触覚を伴
った明瞭な形である。
数年前に知人から罌粟(けし)の一種を押花にしたものを贈られ、
それをモデルの中に蔵っていたことを想い出していた。その薄い
花びらの透き通ったピンク色が記憶の底から泛(うか)んでくる。
モデルの中にはもう一つのがらくたが匿されていた。それはジル
コンを象嵌(ぞうがん)した、銀製の、人面をかたどった大きな
指環である。異国の骨董屋で買い求めたのだが、女主人の言によ
るとコメディアンのマスクとのことである。けれども脣(くちび
る)を耳まで開いたその顔は俗悪で、いささか呪われたものでで
もあるかのような畏れを伴っていた。その相貌の面妖さが明瞭に
頭の中に感じられる。見えるものは何ひとつないのにすべてが感
じられる。奇怪なる至福とでもいえそうな一刻である。
骨格だけを残して、肉体と呼ばれうるあらかたが失われてゆく。
まるで聖遺物器の重なりのように。……




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