AWC 『Z−NETは今日も晴れ』(2)旅烏


        
#202/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (LAG     )  87/ 6/11  14:31  (135)
『Z−NETは今日も晴れ』(2)旅烏
★内容


「そっ、その書類と言うのは一体なんなんですか?まさか純金で出来ている訳でも
 無いでしょう?」

それまで、落ち着かない様子で話していた依頼人は、急に疑わしそうに冬野所長を
見ると「秘密は絶対に守っていただけるんでしょうね?」と疑い深そうな目をして
足元のボロ靴から全身を見上げた。

「もちろんです..信用なさらないなら他へ行っていただくまでですが?」

冬野所長は依頼を断わり慣れているだけに、言葉には迫力というものがある。
玉井礼子は心の中で、依頼人が怒って立ち上がらない事を祈った...なにしろ今月の
サラリーが全額手元に入るかどうかの瀬戸際だ。

「い、いや..ここに来るまでに3軒も興信所を断られているのです..
  ここに断られたら私は破滅するしかない」

「じゃあ話して下さい...一体どんな事情なのですか?」

「実は私は、SYN−SYSTEMという、コンピュータ・ソフトウエア会社の役員を
 しているのです...
 そして、3カ月前からNTTの新型オンライン端末用ソフトウェアの入札見積り依頼
 を受けていまして、しかもそれが当社を左右するほどの巨額なものですから全社あげ
 て取り組みました」

「ふむふむ、それで?」

「それで、なんとか落札出来る見通しが立ったのが三日前なのです...
 私は、その夜一人だけ残って仕様書と入札用の見積書を作っていました..
 時間は深夜の2時ごろだったと思うのですが、むしょうに眠たくなり一階の自動販売
 機にコーヒーを飲みに行きました...書類はほとんど出来上がっていたので...
 思えば、なんと愚かな事をしたのかと悔やまれますが、私はその重要書類を全て机の
 上に置きっぱなしにしていたのです」

平野という男はただでさえボサボサの頭を、さらにかきむしった...

「私が一階の自動販売機の前で、コーヒーを飲んでいるときに、ふと妙な音がするのに
 気が付きました..二つ有るエレベーターのうち、私が降りてきたのとは別の
 エレベーターが動いているでは有りませんか!しかも私のオフィスのある3階に
 止まったのです。
 私は慌てました...
 すぐに来たとき乗ったエレベーターに飛び乗ると、3階のボタンを押しました...
 そしてドアの開くのももどかしく、自分のオフィスに飛び込むと、気絶しそうになり
 ました。
 机の上に有ったはずの書類が全て無くなっているではありませんか!
 万一あれが、競合会社の手に落ちたら当社は大打撃を受けるでしょう...」

「ビルの出口は、そのエレベーター一つですか?」

「いいえ。階段も有りますが、深夜の出入りは表玄関だけになっています..だからど
 っちで降りても出口は一つという事になりますし、途中の階は全て閉まっていますか
 らエレベーターも階段も他のフロアへのドアは開かないのです」

「玄関で、コーヒーを飲んでいる時に不審な事は無かったですか?」

「別に変ったことは有りませんでした..深夜2時と言えば静かですから、何かあれば
 すぐ分りますが..」

冬野所長の目が光ったようだ..

「なるほど、それは、面白いですな...
 その時間に、貴方が重要書類を作っている事を知っている者は?」

「神に掛けて誓いますが、誰にも話してはいません」

男の力んだ調子が滑稽であった...
つまり、オープンされていたフロアは3階と1階だけという条件のようである。

「それから、慌てて廊下に出ると丁度エレベーターのランプが一階に着いたところでし
 たので、私もすぐにもう一つのエレベーターで後を追いましたが、
 一階には、すでに犯人どころか、ひとっこ一人の影も形も見えませんでした」

「その間の時間はどれくらいでしたか?」

「そうですね..全部で5分くらいのものでしょうか?
 すぐ玄関横の赤電話で警察に電話して、そのまま玄関で待ちましたが、
 ほんの2−3分でパトカーが到着しました...」

「犯人を追って一階に降りたとき、車の走り去る気配は有りましたか?」

「はっきりとは言えませんが、確かに車の音もしたようです」

「つまり貴方は犯人の影も、車の影も見なかった訳ですね?」

「そう言えばそうですね...見ていません」

「それからどうしました?」

「警察の取り調べが始まって少ししたら、迎えの車が来ましたので、20分ほど
 調べに立ち会ってから帰りましたが...」

「ふむ...なるほど..」

冬野和正の目が異様に輝いているのは、この事件に興味を持った証拠であり、
こうなれば普段グータラな中年男が、探偵仲間にZEEK(ゼロ戦)と呼ばれる、
おそろしく俊敏な名探偵になるのを玉井礼子は知っていた。
それは全く別人のような冬野和正で、このどうしようもない事務所に、彼女がいままで
勤めたのもそれが有ったからである。
もっとも、その姿は年に2−3回きりしか見ることが出来ないのではあったが...

「むつかしい事件ですな...雲を掴むような話だ」

平野という依頼人は、冬野の正直な感想を聞くと急に落胆したらしく、ガックリと首を
垂れた..

「そうでしょうな..犯人の人相も分らないし、期限は2日ときている..
 書類につながるような手がかりは皆無なのだから..
 警察でも、他の探偵事務所でも、全てそれを理由に断られてきたんだ」

ヨロヨロと立上り掛けた平野隆治を手で制すると、冬野はきっぱりとした口調で言った

「なんとか捜して見ましょう..ところで貴方は、ここへは車で来られましたか?
 なんならタクシーでも呼ばないと、ここは不便だから...」

玉井礼子は、心の中で「バカ!なんて事言うのよ!金庫の中を知っているの!」
と叫んでいた..
壁際の古ぼけた金庫には、ほんの2000円ほどしか入っていないのだ...
しかも今日の、お昼のラーメン代もここから念出しなければならないというのに。

「いや、もうすぐ運転手が迎えに来ることになっています。
 仕事柄、時間は不規則だし、運転免許が無いのでいつもそうしているのです...
 しかし本当に引き受けて頂けるんですか?」

「間違い無く引き受けます...御安心下さい。
 今日の夕方にでも、貴方のオフィスに伺って具体的な相談を致しましょう。
 まだ大丈夫とは申せませんが..」

平野は、多少希望が見えてきたのでホッとした顔になった。
一応依頼を受けてくれる探偵社が出来たのだから...
事務机の前の玉井礼子もホッとしていた。

「前に断られた興信所で、ここが引き受けてくれれば、多分大丈夫だと聞かされてきた
 んです...少しは希望が出てきました」





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