#121/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (TCC ) 87/ 2/16 16:33 (109)
「野良犬」 5.
★内容
(9)
三好の家の近くまでくると、警官がうろうろしていた。焼け跡の調べがまだ終
わってないのだろう。吾郎はあわてて物陰に隠れた。
思い直してここまできたが、考えてみると吾郎にできることなど何もないのだ。
現に、こうして警官の姿に怯えている。
見ると、良子が二人の刑事らしい男にパトカーの中で事情を聞かれている。良
子は昨日、吾郎が泊ったのを知っている。当然、そのことを話すだろう。それな
のに姿が見えないということは、吾郎が疑われるという状況になるはずである。
たとえそうじゃないとしても、参考人として行方を探しているということは間違
いなかった。
吾郎は、今ここで警官に不審尋問でもされたら、何と申し開きをしようかと考
えていた。
しかし、その心配は必要なかった。大勢いた警官や刑事たちは、二、三人を残
してパトカーで次々と引き上げていったからだ。
良子は残った警官に小さく頭を下げて、肩を落とし、ゆっくりと歩きだした。
吾郎は良子の後を追った。何をするという気もなかったが、ただ説明したかった。
もし疑われているとしたら、なおさらだった。
だが、声をかける勇気が出ないまま、良子のアパートに着いてしまった。
良子は、ただいまと声をかけて、ドアの中に消えた。吾郎はドアの前にたたず
んで、ノックするのをためらっていた。
その時、中からどなりあう声が聞こえてきた。
「だから、お前はバカだっていうんだよ。そいつを犯人にしたてておけばちょう
どよかったのに」
〈犯人にしたてる? どういうことだ〉
吾郎は男の言葉を聞いて、ノックしようとした手を止めた。そして、そっとド
アを引くと音もなく開いたので、その隙間に体を滑りこませた。
(10)
玄関に立つと、奥の部屋で言い争う男女の声が筒抜けだった。
「どうして、そのガキのことを警察に話さなかったかって聞いてるだろ」
「大きな声を出さないでよ。外に聞こえたらどうするの。せっかくうまくいって
るのにぶちこわしじゃないの」
良子の声の方が落ち着いていた。男の声は夫らしく、酒を飲んで多少酔ってい
るようだ。
「あの男の子を犯人にしなくても、流しの放火犯の犯行に見せかける予定だった
じゃないの。そのために何の関係もない家に三軒も火を付けたのよ」
「・・・・・」
「もう、朝から飲むのやめなさいよ。お父さんのお葬式の準備もしなきゃならな
いし、これから忙しくなるんですからね。それから、火災保険と生命保険の請求
をして・・・・」
「よくそんな楽しそうに話せるな。義理とはいえ、父親を焼き殺しておいて」
「何いってるのよ。元はといえば、あなたがサラ金なんかで借金を作ったのがい
けないのよ」
「わかったよ。もう言うな。それでこれからどうするんだ? そのガキはほっと
いていいのか?」
「それなのよ。私が心配してるのは・・・・なぜ、あの子、消えちゃったのかし
ら。私の感では、警察の前に出られない事情があるからだと思うんだけど・・・
もしかしたら、私が火をつけるところを見られたんじゃないかしら。それで私を
ゆするつもりでいるのかもしれない」
「それで、警察にそのガキのことを言わなかったのか」
「そうよ。もし、あの子が目撃していたとしたら、何か言ってくるはずよ。警察
より先に接触して手を打たなきゃならないわ」
「何の為に様子を見に行ったんだよ。そのガキがいたんだから決行を延ばせば良
かったじゃないか」
「私は一日も早く借金を返したいのよ。もうあのサラ金の取り立て屋の顔を見る
のもいやなの。それにあの男の子もしばらく滞在するようなこと言ってたし、あ
の子には可哀想だけど一緒に死んでもらうしかないじゃない」
「それもそうだな・・・・ところで、目的を果したんだから、もう放火はしなく
ていいんだろう?」
「いいえ、あと一軒だけやるのよ。今までボヤばかりで、灯油を使って全焼させ
たのは今度だけだから、目立ち過ぎるわ。だから、あと一軒、灯油を使うの。放
火魔が、だんだんエスカレートしていったように見せかけるのよ」
「俺がやるのか?」
「もちろんよ。夕べは私がやったんだから、今度はあなたの番でしょ」
「わかった、やるよ」
「早い方がいいわ。今夜、やるのよ。通夜の席を、そっと抜け出していってくる
の」
「ああ・・・・・」
吾郎はそこまで聞くと、音をたてないように、ドアから外へ出た。
アパートを出た吾郎の心の中は、良子に対する怒りと、三好に対する憐れみと
が交錯していた。
〈おっさん、あんた可哀想な人だな。娘に殺されたんだぜ。いくら人助けをして、
いいことしたって、娘に殺されてりゃ世話ねえよ。この世に神さまなんていやし
ねえんだよ。みんな自分のことばっか考えて、生きてるんだからな〉
目の前に公衆電話があった。吾郎は受話器を取って、110を回した。