AWC 「野良犬」  3.


        
#119/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (TCC     )  87/ 2/16  16:24  (127)
「野良犬」  3.
★内容
                (5)

 吾郎は、とうとう良子に一言の挨拶もしなかった。今の自分が口を開けば、と
がったナイフのような言葉しか出てこないということを、誰よりも吾郎自身が一
番よく知っていたからだった。

「おっさん、嘘つくのうまいもんだな。だけど本当のことを言ってくれてもよか
ったんだぜ。かばってくれなんて頼んでないだろ」

 心とは裏腹に、つい憎まれ口をきいてしまうのだった。

「お前のために嘘をついた訳じゃないさ。本当のことをいえば、良子が心配する
からな。前にもお前のような怪我をした野良犬を拾ってきて世話をしてやったの
はいいが、出ていく時に噛み付いていきやがった。ちょうど、銀行からおろして
あった金をそっくり持っていかれたんだ」

 そういった時の三好の口からは、やりきれないというような、小さな溜息が漏
れた。

「何だよ。俺もそうだっていいたいのか?」

 吾郎は、ちょっとうろたえた。今、聞いた話しは、自分のしてきた行為そのま
まではないか。長年世話になった園長を裏切ってきたのだから・・・・
 今頃、園長もこの三好のような悲しそうな目で、やりきれなさを噛みしめてい
るのかもしれない。

「おっさん、何だってそんな目にあったってのに、また俺みたいなのに関わり合
うんだよ」

 吾郎は、この三好の人の好さに腹立たしさを感じるほどだった。自分が助けて
もらっておいて矛盾しているようではあったが・・・・。

「淋しいからかもしれないな」

 三好は良子の置いていったブランデーを飲もうかどうしようかと迷っているよ
うに撫で回しながら、ぽつんとそう言った。

「俺だったら裏切られて傷つくより、淋しい方がまだマシだと思うけどな」

「何度裏切られても、やっぱり人間ってヤツを信じたいんだ。特にお前みたいな
若いヤツは、必ず素直な心を持ってるもんだ。口ではいくらつっぱっててもな」

「なにクサイ台詞をいってんだ。もういいよ、俺は寝るよ。おっさんの寝言にゃ
つきあってられねえぜ」

 吾郎はそう言って、布団にもぐり込んだ。
 三好の言う、吾郎の『素直な心』っていうヤツが、危うく顔を出しそうになっ
て、それは吾郎にとっては大いにテレ臭いことだったからだ。

「そのブランデー、今夜はやめといた方がいいぜ。胃の調子が悪いんだろう?」

 吾郎は布団の中から声をかけた。

「ああ、そうするか。せっかくお前が俺の体を心配してくれたんだからな」

 三好はブランデーを箱の中にしまい、吾郎の隣の布団に横になった。
 しばらくしても、吾郎はなかなか寝付けなかった。隣の三好もまだ眠ってはい
ないらしく何度も寝返りをうっている。暗闇の中で三好の息づかいが聞こえるよ
うな、静かでむし暑い夜だった。
 その寝苦しさをまぎらわすように、吾郎は三好に話しかけた。

「おっさんは、カミさんにも裏切られたのか?」

 吾郎は口にしてしまってから後悔した。これはしてはいけない質問だったよう
な気がしたからである。

「・・・・・ああ、何度もな・・・・」

 三好は暗闇の中で、絞り出すような声で答えた。

                (6)

 その夜、吾郎は夢を見た。
 園長が金庫の前でうずくまっている。そしてこちらに振り向いて、吾郎に裏切
りを責めるような視線を投げてくる。その顔がいつの間にか、三好の顔に変わっ
た。その視線から逃れようと、必死で走るのだが、全然前に進まない。

〈ウウッ、ウーン〉

 吾郎は息苦しさで目が覚めた。それは夢にうなされたせいだけではないらしい。
見ると襖の隙間から煙が入ってくる。それに異常な熱さだ。

〈火事だ!!〉

 吾郎は直感した。
 跳ね起きて隣の布団を見ると、三好の姿はなかった。

〈チェッ、自分だけ逃げたのか〉

 吾郎は舌打ちしたが、それどころではなかった。早く逃げなければならない。
起き上る時少し脚が痛んだ程度で、すぐに痛みも感じなくなった。熱さと息苦し
さはあったが、不思議に恐怖感はなかった。

 茶の間との境の襖を開けると、炎の柱が襲ってきた。慌てて襖を閉めて、部屋
の中を見回すと、北側に小さな窓がある。どうやら裏庭に面した窓らしい。
 吾郎はその窓から脱出しようとしたが、長いこと閉め放しになっていたらしく、
鍵が錆付いていてなかなか開かない。

 喉が焼けつくように痛い。目も開けていられないほどの熱気が襲ってくる。吾
郎は激しく咳こみながら、やっとのことで窓から転がり出るようにして脱出した。
 裏庭の生け垣の隙間から裏小路に出ると、ぞろぞろ野次馬が集まってきていた。
 吾郎は関わりあいになりたくないので、急いでその場を離れることにした。

 よたよたと十分ほど歩いていると、児童公園の前に出た。吾郎はその公園に走
り込み、水飲み場を見つけるとガフガフと音をたてて、狂ったように水を飲んだ。
喉を潤してやっと人心地ついた吾郎は、ベンチに横になった。
 東の空は、もう明るくなり始めていた。だが本格的に街が目覚めるのは、もう
少し後のことだ。その大都会の空白の時間に、吾郎は押しつぶされそうな孤独を
噛みしめていた。

〈これじゃあ、まったく野良犬だぜ。あのまま俺があそこで焼け死んでいても、
誰も俺のこと知ってるヤツはいないんだから、身許不明死体ってわけだ。おっさ
んだって、俺の名前しか知らないんだからな〉

 吾郎は急に声をたてて笑いだした。笑いながら、情けなくて涙が出た。
 産まれてすぐ施設の前に捨てられていた吾郎には、親の記憶はもちろんないし、
施設を飛び出した今となっては住む所もない。ただ、園長の荒木四郎から貰った
『荒木吾郎』という名前があるだけだった。

〈そんな野良犬には、かまっていられないっていうことか・・・・〉

 吾郎は三好を恨む気持ちなどはなかった。
 火事に気が付いた時、他人のことなど心配する余裕がなかったとしても、責め
られることではないのだ。まして、吾郎と三好は知り合ってまだ数時間しかたっ
ていないのだから・・・。それに、三好にとっては気まぐれに傷ついた野良犬を
拾ってきた、というだけのことだったのかもしれないし・・・・





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