AWC 「野良犬」  1.


        
#116/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (TCC     )  87/ 2/16  16:13  (127)
「野良犬」  1.
★内容
                (1)

 そろそろ、新宿の夜が奇怪な軟体動物のように、うごめき出す時刻だった。
 ゲームオーバーの文字が消えた後の、デモ画面に写った自分の顔を見て、荒木
吾郎は「目が死んでるな」と、心の中でつぶやいた。彼は一枚だけ残った百円玉
をゲームテーブルの上に置いたままで、ゲームセンターをあとにした。

 ウロウロとあてもなく歩きながら、吾郎は何度もポケットのふくらみを手で確
かめた。そのふくらみは、吾郎にとっては『安心』であり、また同時に『心の痛
み』でもあった。その30万円という金は、孤児だった吾郎が、16才の現在ま
で育った施設から飛び出す時、園長室から盗んできた金だったからだ。
〈今頃、園では俺と一緒に金庫の中の金が消えていることに気が付いて、大騒ぎ
になっているかもしれない〉
 そんなことを考えながら、いつの間にかコマ劇場の裏通りの辺りまできていた。
そこでぼんやりしていた吾郎に、18、9のチンピラ風の三人の男たちが声をか
けてきた。

「おい、こんな夜中にガキが遊んでちゃだめだろう。早く帰ってお勉強しなくて
いいのか? ママに叱られるぞ」

 三人のうちの一番背の高い男が、吾郎の額を指でこづくと、クックッと笑いな
がら言った。吾郎はその手を振り払い、

「ガキはお互いさまだろ」

 と、低い声で言い返した。この一言で、男の頬がピクッと引きつった。
 次の瞬間、顎の辺りに衝撃を感じる暇もなく、吾郎の体は地面に這いつくばっ
ていた。殴られたのだと認識するのに、数秒を要した。起き上ろうとする吾郎の
腹部を、もう一人の男が爪先のとがった靴で蹴り上げる。後はもうまるで、なぶ
りものだった。彼らはニヤニヤ笑いながら殴り、スポーツを楽しむように蹴った。
 その度に、ボグッと鈍い音がして、吾郎の体の奥からは苦い物が込み上げてく
るのだった。
 吾郎はボロ雑巾のようになった。その頃には、もうあまり痛みは感じてはいな
かった。ただ、体が燃えるように熱かった。

 「もういいかげんにしとけよ、洋次。死んじまうぜ」

 チンピラたちの仲間らしい男が、後ろから声をかけた。

「ああ、兄貴。いえね、このガキがナマイキなことを言うもんですから、ちょっ
と礼儀を教えてやってたんですよ」

 三人のうちの洋次と呼ばれた男が、その男にへつらうように言った。
 吾郎は地面にひっくり返ったまま、男を見上げた。男は白い麻のスーツを着て、
黒いサングラス、年は27、8というところ・・・誰が見ても、本職だとわかる。

「まだほんの子供じゃねえか。それくらいで勘弁してやれよ」

「兄貴がそういうんなら・・・」

 洋次はそういうと、吾郎の側へきて、ズボンのポケットに手をつっ込んだ。吾
郎は施設から盗んできた金を残らず取られてしまった。抵抗しようにも、体がい
うことをきかない。

「こいつ、ガキのくせに結構持ってました。どうぞ、兄貴」

「相変わらず、お前はやることが悪どいなあ」

 そう言いながらも、男は洋次の差し出す金を受け取った。
 男たちが立ち去った後も、吾郎はしばらく動けなかった。口の中はヌルヌルと
した感触で、鉄のような味がした。つばを吐くと、真っ赤な血と一緒に折れた歯
がコロンと音をたててころげ落ちた。

〈畜生! あいつらいつか殺してやる〉

 吾郎は野獣のような目で、男たちの消えた暗闇をにらみつけていた。

                (2)

「いつまで、そうしているつもりだね?」

 という声に吾郎が振り向くと、いつの間にか一人の男が後ろに立っていた。
 五十前後の小柄な男で、貧相な体格に不釣合な髭を鼻の下に蓄えていた。

「いつから見てたんだ?」

「いつからって、最初からさ。『ガキはお互いさまだろ』ってお前さんがいった
所からだ」

 男は近寄ってきて、壁にもたれて座り込んでいる吾郎の顔を覗き込んだ。

「ああ、ひどいもんだな。早く手当した方がいい。ほら、俺の肩へつかまれよ」

 吾郎は差し出した男の手を無視して立ち上ろうとしたが、やはり無理だった。
肋骨の一本や二本は折れているかもしれない。

「だから意地張らないで、つかまれって言ってるだろう。ぐずぐずしてるとサツ
がくるぞ。今の騒ぎを見物してたのは俺だけじゃないからな。きっと誰かが通報
してる。それとも被害者として堂々とサツに会えるってなら、このままほっとく
が、どうせあの金も後ろ暗い金じゃないのか?」

 図星をさされ吾郎はしぶしぶ男の手を借りた。歩くたびに胸部に激痛が走り、
吾郎は顔をしかめた。

「痛てえよ。もうちょっとゆっくり歩いたらどうなんだ。思いやりってもんがね
えのかよ」

「注文が多いんだよ。いやなら置いて行ったっていいんだからな」

「わかったよ」

 仕方なく、吾郎はまた歩き始めた。

「これに懲りて、これから街を歩く時は俺の主義を見習うことだな」

 男は歩きながら、吾郎を諭すように言った。

「おっさんの主義って?」

「もめごとは見て見ないふりをする。強そうな男が向こうから歩いてきたら、道
の端によける。血の気の多いヤツには反抗しない」

「ヘッ、バカみてえだ」

 吾郎は鼻先で笑った。

「俺に言わせりゃ、お前の方がバカに見えるね。いきがって、余計な災難を買っ
て出るなんざ、バカの見本だね」

「何だと!」

「ほらほら、着いたよ。俺の家だ。古い家だが、お前を泊める布団くらいあるか
らな」

 男はいきりたった吾郎をいなすようにそう言いながら、ポケットの中から鍵を
取り出した。





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