AWC 「野良犬」  2.


        
#117/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (TCC     )  87/ 2/16  16:19  (136)
「野良犬」  2.
★内容
                (3)

 その家は確かに古かった。所々、隙間の開いた手入れの悪そうな生垣に囲まれ
ていた。玄関から入ったすぐの部屋が茶の間で、小さなテーブルが置いてあった。
茶の間の右手が六畳ほどの和室で、布団が敷放しになっている。そして左手が一
段低くなった台所で、汚れた食器などが流しに雑然と置かれていた。
 男はテーブルの前に吾郎を座らせると、手早く傷の手当をした。

「どうやら骨は折れてないらしい。じゃあ、ちょっと待ってろよ。お前の布団を
敷いてくるからな」

 男は奥の部屋へ消えた。

「よう、おっさん、酒はねえのかよ」と、吾郎が声をかけると

「なに、ナマいってるんだ。ガキのくせに。今、お茶を煎れてやるよ」

 布団を敷き終えた男が戻ってきて、台所へ行き、やかんを火にかけた。

「チェ、しけてんな。酒も買えねえとは・・・」

「買えないんじゃないさ。お前に飲ませる分はないってことだよ」

 そういいながら、男は一升ビンと湯飲みを抱えて戻ってきた。そして吾郎の前
にはお茶を置き、自分は冷酒に口をつけた。

「そういう根性だから、カミさんに逃げられるんだぜ」

 男は急にだまり込んだ。
 吾郎は家の中の様子から、当てずっぽうに言ったのだが、どうやら図星だった
らしい。男は湯飲みの冷酒を一気にあおった。その気まずい沈黙に耐えかねたよ
うに、吾郎が口を開いた。

「ところで、まだおっさんの名前を聞いていなかったな。俺は荒木吾郎だ」

「名前か? 三好一雄だ。見ての通りの一人暮らしだが、女房には逃げられた訳
じゃない。俺がたたき出したんだ」

 三好はそういって、二杯めの酒を湯飲みについだ。

「どっちだっていいよ、そんなこと。俺には関係ないね」

 吾郎は中年男の愚痴など聞きたくはなかった。

「だけどおっさん、何で俺なんか家に連れてきたんだ? もめごとには近寄らな
いようにする主義じゃなかったのかい?」

「声を掛けた時、お前が救急車か警察を呼んでくれと言えばそうするつもりだっ
たさ。だが、お前はそうじゃなかった。金を取られたのにだ。あの金もまともな
金じゃないんだろう」

「おっさんにゃ関係ねえだろ」

「関係ない・・・・か、その言葉は今の若いヤツラの口癖だな。何でも関係ない
関係ないといいやがる。自分一人で生きてると思ってるんだから始末が悪い」

「みんなで助け合って、人類皆兄弟か? 冗談じゃない。今時、そんなの流行ら
ないぜ」

「そうか、流行らないか・・・・」

 三好は淋しそうに笑って、いつの間にか空になった湯飲みに三杯目の酒をつご
うとしたが、ちょっと考えて手を止めた。

「もうやめといた方がいいな。最近、胃の具合がどうもおかしくてな」

 そんな独り言をいいながら、一升ビンにフタをした。

「あーあ、辛気くせえ酒だな。酒飲む時くらいパーとやれねえのかよ。オジンは
これだからやんなるよな」

「余計なこといってないで、もう休んだ方がいいぞ。若いんだからそんな怪我は
すぐに治るさ。どうせ家出でもしてきたんだろう。家に帰れなんていったって、
ききっこないだろうから言わないが、連絡だけはしておいた方がいい。とにかく
怪我を治して、それから仕事でも探すんだな。それまでここにいてもいいから」

「ああ、じゃあそうするよ」

 三好の言葉に吾郎は小さくうなづいた。いまさら、自分の身の上を説明する気
にもならなかったし、施設のことを話せば、金を盗んだこともバレてしまうから
だ。それに吾郎にとって三好の申し出は、まさに救いの神だった。こんな怪我で
おまけに金もないときては、どうしようもないのだ。だが、素直にありがとうな
どとは言えない吾郎だった。
                (4)

 その時、玄関で声がした。

「今晩わ」

 三好が立ち上るより先に、若い女が勝手に上り込んできた。

「あら、お客さんだったの。ごめんなさい」

 女は吾郎を見て頭を下げた。22、3才くらいで痩せ型の神経質そうな女だっ
た。吾郎はこの女の視線を体に受けとめて、何かいいしれない嫌悪を感じた。そ
れは生理的な好き嫌いの感情で言葉では説明できない物だった。

 彼がこういう嫌悪を感じる女性には共通の特長がある。それは痩せていて、目
つきのきつい、唇の薄い女だった。それは、吾郎が作り上げた母のイメージだっ
た。そして、吾郎は自分を捨てた母を憎んでいた。

「ああ、紹介しよう。これは嫁に出した娘の良子。こっちは荒木吾郎君。昔の知
り合いの息子さんで、事情があってしばらくうちで預かることになってな」

 三好は吾郎のことをそう説明した。良子は、吾郎が怪我をしているのを不審げ
に見ている。三好はその視線に気付き、慌てて付け加えた。

「オートバイで事故を起こしてな、親父さんから勘当中なんだそうだ。吾郎君の
お母さんから頼まれて、親父さんの機嫌が直るまで俺が預かるという訳なんだ」

 という三好の説明で、良子は納得したようにうなづいたが、その目にはまだ疑
いの色が見え隠れしていた。

「でも、お父さん一人じゃ、ろくなもてなしもできないわね。夕食だけでも私が
作りに来ましょうか?」

「いや、いいんだ。そんなことをしたら、吾郎君が気を遣わなきゃいけなくなる
から・・・・何とか、男二人でやるから心配しなくていいよ」

「そう、それならいいんだけど・・・・」

「それより、こんな遅くに何か急用だったのか?」

 思い出したように、三好が尋ねた。

「ああ、そうそう。これ戴き物なんだけど、お父さん好きだったから・・・・明
日にしようかとも思ったんだけど、寝酒に飲みたいんじゃないかと思って」

 良子は紙包みを取り出した。ブランデーだった。

「おお、こりゃあいい。さっそくいただくよ。旦那にも礼を言っといてくれ」

「ええ、じゃあ帰るわ。何か手伝うことがあったら、いつでも電話してね」

 良子は上目使いにそう言うと、そそくさと帰っていった。





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