#4559/7701 連載
★タイトル (AZA ) 95/10/31 2:42 (200)
美津濃森殺人事件 1 永山
★内容
今回の登場人物
桑田真祐(くわたしんすけ) 尾関篤彦(おぜきあつひこ)
栗木彫弥(くりきほりや) 須藤(すどう)
*名前だけ登場・・・栗木槙善(くりきまきよし)、瀧乃(たきの)
「今、美津濃森に足を踏み入れたところだよ、瀧乃。青と緑のきれいな立て看
板が、歓迎してくれている。もちろん、足を踏み入れたと言っても、車に乗っ
ている。君が住んでいた街という理由から興味はあったけれど、話の通り、静
かな佇いの美しい土地だ。そうだね、正式には市だったんだね。でも、この雰
囲気は、村に近いなあ。それも、イギリスかどこかの、それなりに近代化され
た村って感じさ。とにかく空気がきれいな気がする。これで、殺人事件の捜査
でやって来たのでなければ、最高なんだが」
桑田真祐は、軽く笑い声をたてた。携帯電話を通して、その声は相手に届い
たことだろう。
「うん、君の言う通りだ。毎度、同じ理由で嘆いてもしょうがない。せいぜい、
早い解決を心がけよう。そしてできれば、次は君と来たいね、瀧乃。じゃ」
最後も笑いで締めくくって、桑田は電話を切った。
そうして、それまで片手しか置いていなかったハンドルを両手で握り直すと、
バックミラーに目が行った。何か落ち着かなくなる。
どうしても我慢できなくなった彼は、車を道路脇に寄せて停止させた。とり
あえず、エンジンを切る。続いて胸ポケットから櫛を取り出した。
「うぅーん」
少し奇妙なうなり声を出しながら、彼は櫛を髪にあてる。端からぴたりとあ
て、丁寧に丁寧にとく。
「うん、決まったぜ」
十分以上経った頃、鏡の中に、見事なリーゼントの男を見つけた桑田は、満
足そうに呟いた。
美津濃森市は、水神湖という大きな湖を抱える、その名の通り水の豊かな街
だ。故に緑も多く、湖の周りを走る道路も、緑に囲まれる形だ。
桑田が髪をいじっている間に、彼の車の横を通り過ぎたバイクがあった。騒
がしい音を立てて湖の東側から西側へと疾走するバイクの若者は、暴走族紛い
の風体だったが、髪の手入れに熱中していた桑田には、そんな些事にまで気が
回らなかった。
バイクに乗っていたのは、十八になる青年・栗木彫弥。彼は高校3年生のこ
の夏も、相変わらず遊んですごしていた。彼の父で県議会議員でもある栗木槙
善が、何かと甘やかして育てた結果としては、当然と言える。受験生として息
つく暇もないはずの夏も、父親のコネでそれなりに名のある私立大学へもぐり
込めると決まっていれば、気楽なもの。
今、彫弥は、恋人の所へと向かっている。それなら心も弾むはずなのだが、
彼の頭の中は不安で一杯だった。
桑田が担当することになる殺人事件が、報道される一日前の風景であった。
「遅いではないかね、桑田警部殿」
尾関篤彦は、ささくれだった気持ちが一杯の表情を桑田に向け、最後にアク
セントを置いて言った。時刻は午後十二時半を過ぎていた。
「警部は監察医よりも遅れて現場に到着してはならない、等という法律でもで
きましたかね?」
桑田は暑さにサマーコートを脱ぎながら、言い返した。汗が額ににじんでい
たが、自慢のリーゼントが崩れるほどではない。
「もうすぐ、我々は仕事を終える。そんな頃にのこのことやって来て、よくそ
んな口が利けるものだ。現場が保存されていたからいいようなものの」
「それを見越していたんだよ、尾関君」
桑田は、二まわりは年上の監察医に向かって、そんな口を利いた。
「現場は、人も滅多に来ないような湖の北側にある洞窟だと聞いた。そうなる
と、少々遅れても、現場保存に支障はないだろう。監察医が先に調べを終えて
いる方が、僕としても死因等の状況を飲み込んだ上で捜査に当たれる訳だから、
時間の節約になるんじゃないかとね」
「減らず口を叩くなっ」
「おっと、こんな言い合いをする方が、よっぽど時間の無駄というものだよ。
早く、状況を教えてくれないか」
「……ふん」
桑田の言動が気に入らなさそうな顔だったが、尾関は考え直したように、喋
り始めた。
「被害者は女性。年の頃は十五〜二十ってとこか。まあ、そこらへんはおまえ
らの仕事だ。第一発見者にでも聞いてくれ。死因は絞殺。何らかの紐状の物を
凶器に使ったと思われるが、少なくとも遺体の側にそれらしき物はなかった。
首についた痕から、背後から絞められたようだ。犯人の身長は、被害者よりあ
る可能性が強いかもしれん。これはまだ調べないといかん。死亡推定時刻は、
これも正式なもんじゃないが、昨日の夜十時からの四時間以内だな。それから、
十二時の位置に八ミリ程度の傷がある。粘膜剥離は全体的に見られる」
「死亡推定時刻の後に、そんな言い方をしちゃ、混乱するよ。何故、はっきり
と言わないのだ?」
「被害者をこれ以上辱めるような言葉は、慎むべきだとは思わないのか」
「それは分かる。しかしだ。もし、今度の事件を担当するのが僕のような優秀
な刑事でなく、ぼんくらだったら、死亡推定時刻と傷跡の位置をごっちゃにし
てしまわないかね。ま、いい。要するに、被害者は暴行を受けていた。性器の
上部に傷があるという訳だ」
「……服装は、ジーパンと下着をずらされた格好。上着はさして乱れていない。
失禁の痕跡はあった。死後、筋肉が弛緩したためのものか、恐怖によるものか
までは判断できんがな。
それから、こういう場合、抜け落ちた陰毛があるはずなんだが、そこから血
液型等を割り出されるのを恐れて犯人が持ち去ったのか、一本も見つかってい
ない。だが、精液の方は拭き取られはしていたが、若干ながら採取できた。容
疑者が見つかれば、すぐに鑑定するのがいい」
「そんなことは言われなくても分かっているよ。それよりも、その精液が、本
当に犯人の物なのか、断定できるのかね?」
「それは……分からん」
悔しそうに答える尾関。分からないという事実よりも、桑田に言い負かされ
たのが悔しいようだ。
「では、努力することだ。安易な結論をよこさないで欲しいな」
「……」
「これだけかな、情報は?」
明るい口調の桑田に、呆れたようになって、尾関は答える。
「いや。まだある。後頭部に裂傷がある。血はそれほどでもないが、少々、陥
没気味だから、詳しく調べる必要がありそうだ」
「それは、犯人が被害者を殴って気絶させ、それから紐状の凶器で締め殺した
という状況を示唆しているのかな?」
「その可能性もあるし、別の可能性もあるだろう。例えば、誰かが殴り倒した
被害者を、別の犯人が締め殺したとかな」
「ふふん」
その口ぶりからして、尾関はささやかな仕返しをしたつもりのようだったが、
桑田はまるで気にしていないのだ。その顔に同居する端正さと精悍さは、多少
の「口撃」では微動だにしない。
「ま、頑張ることさ。さて、今度こそ最後だね? では、遺体と対面の後、第
一発見者に話を聞こうか」
そう言うと、桑田は巡査の一人を案内に、遺体のある方へと向かった。
「これは……本当に美少女って感じだな。この格好はいただけないが」
先ほど、尾関が言っていた通りの格好で、被害者は地面に横たわっていた。
白いTシャツにジーパン、スニーカー。うなじが隠れるか隠れないかの辺りで
きれいに切り揃えられているらしい黒髪。苦痛の表情を残しているものの、清
楚かつ色気がほのかに感じられる顔。色が白いのは、生命が去ってしまったせ
いだけでなく、薄く化粧をしているため。
「身元を示すような物は?」
「何もありません。ただ、靴下にイニシャルらしきアルファベット二文字があ
しらわれていますから、それが手がかりになるかと……」
桑田に質問された若い巡査は、やや緊張した面もちに見受けられる。
被害者の靴下に目を向けると、なるほど、白地に赤糸でYHと筆記体が踊っ
ている。
「そうか。じゃ、第一発見者に話を聞くかな」
「はっ。あちらに待ってもらってます」
巡査の指し示した方には、一人の男が立っていた。木にもたれ掛かるような
格好で、疲れた様子の中年だ。
男は、自分の出番がきたのだと気付いたらしく、斜めになっていた身体を、
桑田の方に向き直した。
その瞬間、桑田は内心、ぎょっとした。男の右腕がなかったからである。
「やっと、私の話を言うときですな」
左腕で大きくジェスチャーしながら、男は桑田に近寄って来た。
桑田は、遠慮のない目で、男の右肩の辺りを眺めた。付け根から、見事なく
らいきれいに腕がない……。
「ああ、腕ですか?」
男は、桑田の視線を気にも止めない様子で、気さくに口を開く。
「気にせんで下さい。ちょっとした事故でね。今はもう、慣れっこになってま
すから」
「いや。さぞ、ご苦労があったに違いない。まずは、お名前から伺いますか。
それから職業も」
「須藤と言います。文筆業を生業としていると申せましょうかな」
「文筆業とおっしゃると?」
「週刊誌のネタになりそうな愚にもつかない記事から、文化評論まで、手広く
やってます」
「そういう文筆ですか。住まいは?」
「この美津濃森です。湖を中心にして言いますと、南になりますかな」
「ほう、地元ですか。てっきり、東京かと思いましたが。となりますと、どん
な物にあなたの記事が載っているんですか?」
「たまぁに、全国区の本に載るときもありますが、たいていは地元の新聞社が
出しているタウン誌に」
自嘲気味、としていいのか、須藤は薄笑いを浮かべて言った。
「なるほど。では、そろそろ本題だ。被害者について、見覚えはありますか?」
「いえ、全然」
「ふん……。発見されたときの様子を話してもらえますか? あなたがこんな、
人が滅多に近付かない場所へ、どうして足を運ばれたのかも含めて」
「そうですな。うむ、こっから話せばよいか。今朝の九時四十分ぐらいだった。
湖の北側の洞窟に死体がある、という電話を受けたのだ」
「ちょっと待って下さいよ。いきなりで、話が混乱するな」
気取った手振りで須藤の話を止めると、桑田は口を差し挟む。
「ここでは、死体を見つけたら、警察でなく、あなたへ連絡するようになって
いるのですかね?」
「とんでもない。からかわんで下さい。いえね、私、文筆業をやっていますで
しょう。ですから、ネタに飢えている訳ですな、いつも。そこで、読者からの
情報提供を募ることになる。そのため、さっき言いましたタウン誌の自分の欄
に、電話番号を載せておるんです」
「しかし、それにしても警察より早く、あなたの方へ知らせが行くとはね……。
ま、いい。続けて」
「私も最初は半信半疑だったが、相手の声が逼迫しているのに動かされまして
ね。結局、色々と仕度して、九時五十分ぐらいでしたか、家を出ました。タク
シーを拾って、すぐそこの森の入口で下ろしてもらった後、洞窟目指して歩き
ました」
「電話の相手は、名乗らなかった?」
「はい。こちらが質問しても、とにかく行ってみろというだけでしたな」
矢継ぎ早の質問が始まった。
「相手の声に覚えは?」
「ありません。が、男だと思います。造り声っぽかったので、年齢の方は特定
できかねますが」
「その声、録音されたとか、そういうことはなされてませんか?」
「残念ながら……」
「森の入口にたどり着いたのは、何時頃でした?」
「十時十分ぐらいでしたかなあ」
「タクシーのナンバーや社名、あるいは運転手の名前、容貌等は?」
「ナンバーは分かりませんが、美津濃森タクシーでした。運転手の名前も、ち
ょっと覚えていません。若くて痩せた、喉仏の出た人でしたな。そうそう、黒
縁の眼鏡をしていて、眉が割と濃かった」
「ふん、後であたってみましょう。森の入口から洞窟まで、誰かと会いません
でしたか?」
「いや、誰も」
「洞窟に着いたのは何時?」
「十時十五分だったか……。いや、覚えていません。腕時計をしていたんだが、
このときは見なかったですから。しかし、入口からなら五分ぐらいでしょう」
「ふん。で、発見時は十時十五分とみてよろしいかな?」
「そうです。ご覧の通り、洞窟を入ってすぐの所に、見つけましたから」
「それ以後のあなたの行動を話して下さい」
「念のため、近くに寄りまして、本当に死んでいるのかどうか、確かめました。
脈を取るまでもなく、この顔を見れば、分かるんですがね。これは大ごとだと
思いまして、すぐに警察に連絡をしようと、道まで引き返しました」
「……道まで引き返すのに五分。それから、あちらの巡査のいる駐在所まで行
った。そうですな?」
「はあ」
「駐在所までは何分かかったかな?」
「走ったですから、二十分ですかね」
記憶をたどる風にして、須藤は言った。
−続く