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★タイトル (QFM ) 95/ 9/24 10:55 (146)
「飛龍イオリス」3 坂東利悠紀
★内容
降り続いていたブリザードが止み、厚い雲の切れ間から陽射しが差し込む
と、陽光に反応して、ドームの周辺に設置されたソーラーエネルギーパネル
が作動し始めた。
居住区の気温は完全に空調され、年間を通して二十度を下ることはないが、
惑星開発局の最北端に位置する、ここ北方支局では、外気との気温差は夏で
もマイナス三十度以上になる。
山の中腹にあるこの建物からは、谷沿いに点在する集落の一つ、「霞彩谷」
が臨める。が、直線距離にして約二十km、雪深い山中のほぼ垂直に近い断崖
に位置しているため、土地のものでさえもその存在を知るものはない。
イレーネは締め切られた資料室の窓際に歩み寄ると、ドームの一部に取り
付けられた非常用ハッチを開け、緩やかに舞い込む冷気に、背中で束ねてい
た髪を解き、軽く頭を振って深呼吸した。
柔らかに波打つ薄緑の髪が、白い角を包み込むように冷気に翻る。一瞬に
して部屋のガラスが曇りを消していき、晴れ渡った空を映し出す。イレーネ
はデスクに戻ると、研究室から送られてくる情報をスクロールし続けている
CRTをぼんやり見つめていた。
「イレーネさん・・・・」
声に振り向くと、開いたドアから覗き込む、栗色の髪をショートカットに
した少女が、白い息を吐きながら微笑んでいた。
「どうしたの? セシル」
イレーネは立ち上がるとドームのハッチを閉め、エアコンのスイッチを入
れて少女を迎え入れた。
「兄さんが、三時に帰るから。って」
セシルは言いながら、ROMで埋め尽くされた書架の上に掛かっている時
計を見上げた。二時少し前を差している。
「そう。お別れね」
イレーネは憂いを含んだや差しげな微笑を浮かべると、ソファに腰掛けた
セシルに入れたてのコーヒーを勧め、向き合って腰掛けた。
「六カ月もこんなとこにいなきゃならないなんて・・・・」
セシルは大袈裟な溜め息をついて見せると、クスッと笑ってカップを取っ
た。
あどけない中にも聡明さを含んだ大きな瞳は、イレーネと同じ、ヴィダー
ル人特有の明るい灰色の色素を持っているが、額にはその象徴たる角は見ら
れない。
「兄さん、イレーネさん連れて、本局に帰るらしいわ」
「そう。じゃ、今日からあなたも正式なスタッフね」
「気が重いわ。私みたいな子供で勤まるのかしら」
「大丈夫よ。中央のシンク・タンクの秘蔵学生だものる自身を持って」
「はぁい☆」
セシルはイレーネと顔を見合わせて微笑むと、不意に眉をひそめて彼女の
顔を覗き込んだ。
「兄さんが呼び出されたの、皇帝の病気のせいですって?」
「ええ・・・・。簡単には回復しそうにない。って・・・・」
「そう・・・・。兄さん、本局に帰ったら生物医療班の班長だって。イレーネさ
んも皇室侍女に戻るんでしょ?」
「そうね。忙しくなるわ」
「ね、皇帝って、どんな人? まだ若いんでしょ?」
セシルの瞳が悪戯っぽい色を含むと、イレーネは一瞬当惑の表情を見せた
が、口元に微笑を浮かべると、軽く頷いた。
「確か、今年で三十三歳におなりだわ。ご病気で少しお痩せになったけど、
素敵な方よ」
「兄さんと比べても?」
「ふふ。難しい質問ね」
「皇帝陛下がライバルじゃ、兄さんにはちょっと手強いなぁ・・・・」
セシルは腕を組んで考え込む振りをすると、当惑気味のイレーネに、悪戯
っぽい仕種で肩を竦めて見せ、コーヒーの礼を言いながら席を立った。
「兄さんを手伝ってくるわ。イレーネさん、本局へ帰っても元気で・・・・」
「ありがとう。あなたもね」
セシルは部屋を出ると、通路を横切った青年の後を追った。
「兄さん」
青年は立ち止まると、彼女を振り返った。
惑星開発局生物医療班のスタッフであり、皇帝の主治医も兼任する、瀬岐
潤也医師である。
黒髪が壁面照明に艶を放つ。清潔で知的な魅力をもった好男子だ。
地球本局の養成プログラムを首席で終了した秀才ぶりもさることながら、
極東人の血を八十パーセント以上も宿している彼は、人種的にも貴重な人材
である。
「兄さん、残務整理なら私がするわ。イレーネさんの側へ行ってあげて。い
くら仕事が忙しいからって、大事な人を二八時間も一人にしておくなんて、
サイテー☆」
「ふふ。マセた奴だな。君は・・・・」
「しっかり捕まえとかなきゃ。皇帝に取られちゃったって知らないから」
潤也は軽い溜め息をついて苦笑を浮かべると、持っていた書類を彼女に差
し出し、彼女の頭に軽く手を載せると、ふと硬い表情を浮かべた。
「本局の辞令、本当は地質調査じゃないな?」
「うん・・・・。治安隊本部から・・・・」
「治安隊?」
「反乱分子の調査・・・・みたい」
「そうか・・・・危険なことに巻き込まれなければいいけど・・・・」
「行政・経済・治安・・・・全て順調だと思ってたわ。私・・・・」
「違う人種同士が共存しようとしてるんだ。多少の摩擦が起こるのもやむを
得ないさ」
「そうか・・・・」
「頑張れよ。私も時間が取れたら、連絡をするようにするから」
「うん。ありがとう。兄さんも元気で・・・・」
答えの代わりに肩を叩かれ、白衣の長身が資料室のへ続く通路へ消えると、
セシルは軽い溜め息をついた。
「入るよ。イレーネ」
潤也はノックをすると、ネクタイを緩めながらドアを開けた。
「そろそろ時間だ。準備はいいかい?」
「はい」
イレーネは整理されたROMを納めたケースを取り出すと、彼に手渡した。
「セシルは?」
「大丈夫だよ。ここのスタッフに加えて私の助手を勤めていた者にも二人残
ってもらうことになったから・・・・」
「そう・・・・」
「三カ月か・・・・。よくやってくれたね。ありがとう」
彼女は彼の言葉に、抜けるように白い肌を微かに紅潮させると、優しくか
ぶりを振った。
惑星開発局のスタッフとして、今まで幾つもの惑星の調査に参加し、様々
な異星人と出会ってきた潤也だったが、こうまでも美しいと思える生命体は
初めてだった。
「ところで・・・・潤也、あの人のことは・・・・」
遠慮がちな言葉の後、自分を見上げる視線に出会うと、彼は視線で答えた。
「ああ、そうだったね」
彼がソファに就くと、彼女もその差し向かいに腰掛け、次の言葉を待った。
「二年前に除籍していたよ。正式な申請はなかったようだから、隊商に入っ
た可能性が強いそうだ。今、通商局に二年前のリストを探してもらってると
ころだ」
「隊商・・・・」
「ランバート家と言えば、大司祭の家柄だろう? 彼は生まれながらにして
司祭の地位を持っていることになる。なのになぜ、彼は保証された未来を捨
てたんだ?」
彼女は口をつぐむと、何かに耐えるように静かに俯いた。
「私には判らないな」
潤也は気怠い仕種で煙草をくわえ、火を点けると、煙と共に浅い溜め息を
吐き出し、遣る瀬無い眼差しで、俯く彼女を見つめた。
「私には判らない。君のような女性を置き去りにしてまで自由を得た男の気
持ちなど・・・・」
「迎えに・・・・来てくれるわ」
「え?」
細い肩が微かに震える。
「もう二年経つよ」
「待ってるの・・・・」
「彼はもう君の知っている彼ではない。隊商の人間は死者と同等と言うのが
君たちヴィダール人の階級意識なのだろう?」
「いいの。それでも・・・・」
「イレーネ!」
強い口調に弾かれたように顔を上げた彼女の瞳が潤む。戸惑うように静か
に俯く彼女の仕種に、彼ははっと我に返ると、微かに滲んだ後悔を、浅い溜
め息にして吐き出した。
「済まない・・・・大きな声を出してしまって・・・・」
「・・・・いいえ」
「その・・・・君が待つと言うのなら、その分、私も待つことにするよ」
「え・・・・?」
「いや・・・・なんでもない。さ、後30分で出発だ」
彼は言いながら煙草を消すと、立ち上がり、ネクタイを締め直すと、ドア
の前で振り向いた。
「イレーネ・・・・」
静かに歩み寄った彼女の頬に手をやり、柔らかな髪の感触を感じながら首
筋に触れたが、優しく拒むように俯いた彼女に戸惑い、やり場を無くした手
を、細い肩に軽く置いた。
「本局でも、しっかり頼むよ」
「・・・・はい」
部屋を出るとき、背中で微かな声が詫びるのを聞いたが、なぜか潤也は答
えることが出来なかった。