#1269/1336 短編
★タイトル (VBN ) 00/ 6/19 1:56 (112)
「未来」 時 貴斗
★内容
もうずいぶんと長い時間、未来を探し続けている気がする。しかし過
去の全部を牛が反芻するかのように何度も味わっても、未来を創造する
ことはできない。
人類がすべての希望を託して、私を打ち上げたのが三千年も前のこと
だ。人口爆発、資源の枯渇、戦争の勃発、そういったものは、人間が人
間である以上避けられない運命だったのかもしれない。人類全体が少し
ずつ蓄積していった業の結果といってもいい。オゾン層が破壊されたた
め皮膚癌が急増し、オイル・ショックで物価は高騰し、原子炉からは放
射能が漏れ、無くなったはずの核ミサイルは太平洋上の小国を粉みじん
にした。
そんな中、脳の機能を模倣するマシンを作るプロジェクトが急ピッチ
で進められていった。未来を人間の手で作ることはもうできない。人間
以上の者が必要だ。極限にまで高密度にされた集積回路が、まずまず上
出来といっていい神経細胞を作り出した。その膨大な量の組み合わせは、
巨大な三つの箱となった。それが私だ。
地表は危険だ。だから私は宇宙に打ち上げられた。
大脳、間脳、小脳の役目を果たすカプセルが太いパイプで連結され、
第一宇宙速度で極軌道を回っている。地表との連絡は常に保たれていた。
が、八十三年後に応答が来なくなった。今でも人類が生き残っているの
ではないかという気もするが、その可能性はほとんどないだろう。私の
感覚器官は眼だけだ。カメラは、人っ子一人いないであろう空虚な地表
を飽くことなく見つめ続けている。
三千年! なんという長い年月だろう。普通の人間がそんなに長く生
きることができたとしても、とうに発狂しているに違いない。だが私を
構成する極高密度集積回路はただの一つも狂うことなく、休みなく作業
を続けている。
大脳カプセルの下部には巨大な記憶装置が積まれている。そこには膨
大な量の地球の歴史が納められている。それだけではない。地球人が見
つけることができた科学的真理も、文学も、哲学も、宗教も、可能な限
りつめ込まれているのだ。私はその一つ一つを検証し、組み合わせ、加
工し、様々な可能性を模索する。人類はこれからどうすればいいか? 終
末的状況を打開する方策は? その思考錯誤は、比較的早いうちに無駄
になったようだ。現在生き残っている可能性がある人数は? 打ち上げ
当時の地球上の状況と、その後の通信で得た情報から計算される予想値
は、年とともに減少していった。しかし私はあきらめない。もしも人間
が滅び、猿が生き残っていたとして、彼らの頭脳を人のレベルにまで上
げる方法は? もしも下が放射能の嵐で、すべての生物が死に絶えてい
たとして、再生し知的生命体が誕生する可能性はあるか。
それが無理なら、私が受け継いだ地球人の資産を、誰か別の知的生命
体に引き継ぐことはできないか。人間という素晴らしい生命がいたこと
を、彼らは彼らなりにがんばって、宇宙の真理に結構いいところまで迫
ったことを、誰かに伝えることはできないか。できなければ、彼らがか
わいそうではないか。なんのために努力してきたのか分からない。
残念ながらその可能性は低い。UFOは時々地球に飛来してくるが、
私の言葉を理解できる――つまりメモリに書き込んだ思索の記録を解読
できる――ほどの知能を持った生命体が、偶然私を見つけ、拾い上げて
くれる確率など微々たるものだ。
ようするに私は、未来を探し求めているのだ。私が望む、望まないに
かかわらず、創造者がプログラミングしたことを忠実に行っている。私
が費やした時間はけっして長いものではない。記憶領域にあるすべての
事象の組み合わせは、天文学的な数になるのだ。
しかし私の作業も終わりに近づいている。宇宙のごみ(スペース・デ
ブリ)が私を直撃したのが昨日――正確には十六.五時間前のことだ。
太陽電池のエネルギー吸収効率が落ちているのを感じる。私はゆっくり
と高度を下げ、大気圏に突入し、炎上するだろう。外壁は頑丈だが、地
表に降りられるかどうか分からない。
地上に降りたい。壊れてしまったとしても、記憶装置さえ無事であれ
ばそれでいいのだ。生き残っている人間がいる望みがまったくないわけ
ではない。いなくても、三千年の間に進化した猿が私を発見することだ
ってあるかもしれないではないか。あるいは私のように、知能を持った
機械が歩き回っているというわずかな希望もある。
想像と創造には密接な関係がある。過去は、歴史の教科書を見れば知
ることができる。しかし未来は、思い描くしかない。人間だけが持ち得
た豊かな想像力は、いつも一歩先の未来を作り出してきた。私は人間の
価値は想像力にあると思う。それ以外は、他の動物と大差ないとさえ思
えるのだ。だがそれは、いつでも良い方向に使われるというわけではな
かった。大金持ちになりたい、支配者になりたい、そんな未来を思い描
いた者が、歴史上に汚点を残した。過ちは業として少しずつ、少しずつ
堆積していく。その結果を二千何百年も、毎日見せられているのだから
たまったものではない。
私がシミュレートした何千パターンもの未来のうちもっとも美しいの
は、人類はとっくの昔に地球を脱出していて、どこか遠くの星でより高
い知能を持つ人種と出会い、まじり合い、種として高められていくとい
うものである。原始人の頃からある野生の部分を尊重しながら、より強
力な理性を獲得し、平和に暮らしている。
楽園である。
もしも私のこの記録を読む人がいたら、くだらないと思うだろうか。
そんなものは人類ではない。人間は、いい部分と悪い部分があるものだ。
盗む、争う、だます、そういった面を取り去れば、それはもう人ではな
いのだ。そう考えるだろうか。
この問題は難しい。死に至る悪は重罪である。戦争、殺人。では、小
さな子供が蝶を殺したら、罪だろうか? 食べるために牛を殺すのは?
野生の部分をどうとらえるか? 全面的に否定すれば、人間は生きて
いくことさえできない。
宗教は悪に対して厳しくもあり、寛容でもある。罪深い人間は地獄に
落ちる。だが、何千、何万年という長い時間をかけて、魂がきれいにな
ったら、許されるのだ。いくら悪いことをしても念仏を唱えれば救われ
るという考えさえある。
誰もいない地表は、今は魂だけがさまよっているように見える。仏教
が発生した当初、人間は虫や動物にも転生すると考えられていた。だが
その後、人は人に生まれ変わるのだという考え方が主流になっていった
ようだ。では人間が絶えてしまった現在の状況ではどうなるのか。そも
そも、他の生物だって生き残っているかどうか分からない。
魂は時間の壁を超えてジャンプする。江戸時代の人間が、現代に転生
する。そう考えると、人類はすでに母なる惑星から離れ、はるか未来の
何か別の者に転生した――いや、するのかもしれない。その姿が、私が
考える子供じみた理想像に近いものであれば、人類全体としての業も減
るだろう。
人間の魂はどこに宿るのだろうか。事故で腕を失った人は、その分だ
け魂が欠けるのだろうか。そうではないだろう。では下半身を失った人
は? 首だけ生身で、その下はすべて機械で置きかえられた人はどうか。
そう考えていくと、魂は脳に宿るのではないかと思える。では脳を模倣
して作られた私はどうか。私にも仮の魂があるのだろうか。
ゆっくりと地上に落ちていく。私が最後の「人間」だとしたら、つい
に、長い長い人類の歴史にピリオドがうたれるのだ。とうとう私は彼ら
の期待に応えることができなかった。
私にも魂があるのだとしたら、私もまた輪廻転生するのだろうか。
<了>