AWC ポケミ「スープをどうぞ」問題編  已岬佳泰


        
#1239/1336 短編
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ポケミ「スープをどうぞ」問題編  已岬佳泰
★内容

■スープをどうぞ   已岬佳泰

[問題編]

 変な話に巻き込まれたなあと僕は後悔し始めていた。
 事の起こりは従姉(いとこ)の宍村響子(しむらきょうこ)か
らの電話だった。従姉と言っても僕より歳は五つ上だから、もう
三十歳くらい。だが独身ですごいお金持ちなのだ。だから遊びに
行ったりするとよく小遣いをくれるので、響子からの頼みならそ
う簡単には断れない。
 ところが今回の頼みはちょっと変わっていた。
 響子の話を要約するとこうなる。

 響子は殿倉秀茂(とのくらひでしげ)という男と交際をしていた
が、最近別れ話をした。理由は至って単純明快。他に好きな男がで
きたからだ。響子に言わせると殿倉を格別嫌いになったというわけ
ではないらしい。しかし二股かけるほど響子は悪女ではない(これ
はあくまでも本人いわく、である)。そこで殿倉に別れ話をしたが、
殿倉はその後も響子にしつこくつきまとってくる。
 そこで一計を案じた。
 今度つきあい始めた新しい恋人、仁川晴崇(にかわはるたか)と
いっしょにいるところを見せつけてあきらめさせようというのだ。
 殿倉は有名なシティーホテルのレストランで支配人をしている。
そのレストランに新しい恋人仁川とふたりで行って仲良く食事をし
ようという。それだけなら僕の出番はないようだが、響子はちゃん
ととどめを刺す役を僕に振ってくれた。
 べたべたと親密にふたりが食べているところへ僕が行って文句を
付けるのだ。
「おい、俺の女に手を出すな」
 ここから先が気が進まないところなのだが。
 仁川は響子の話では柔道の有段者。それで僕は無惨にも投げ飛ば
されてしまう。仁川の強さを見せつけることで、殿倉にあきらめさ
せようと言う魂胆らしい。
 嫌な役回りだ。しかし、まあしょうがない。

 緩やかな坂道を上った先にそのシティーホテルはあった。
 僕が歩いてゆくと正面ドア前に衛兵のような制服を着たドアマン
がいて、僕の身なり(響子の指示で革ジャンにジーンズというラフ
な格好をしていた)を横目でちらっと見たが止めはしなかった。
 響子に指定されたレストランは地上21階にあった。
 入り口からのぞいてみると、中の雰囲気が打ち合わせとは全然違
っていた。窓際の席でドレスアップした響子が立ち上がってウェイ
ターに文句を言っている。眉をひそめて響子の肩を抱くようにして
いるのがたぶん響子の新しい恋人、仁川だろう。
 とすれば、困った顔をしたウエイターの隣で頭を繰り返し下げて
いる蝶ネクタイの男が支配人の殿倉だろうか。
「蠅(ハエ)が浮かんだスープをだすなんて、どんなレストランな
のここは!」響子の怒りに狂った声。
「誠にもって申し訳ございません。すぐにお取り替えいたしますの
で」いかにもおろおろした感じの殿倉の声。
「バカ野郎、いったい何のつもりなんだ」これは仁川。声を聞いた
だけでは、仁川のものが一番ドスが利いている。
 僕はレストランの入り口で戸惑った。筋書き通りに走り込んで
「俺の女に手を出すな」と啖呵を切る場面ではなさそうだった。案
内係まで僕に気づかず、騒々しい響子らのテーブルを見ている。
「あら」
 ようやく響子が僕に気づいて手招きした。手をバツに交差して見
せる。どうやら僕の出番は無しと言う意味らしい。
「いったいどうしたんだい」
 僕はテーブルに近づくと仁川に軽く会釈をしながら響子に声をか
けた。
「どうもこうもないわよ。見てよこれ」
 響子は僕を仁川に簡単に紹介すると、すぐにテーブルの上のスー
プ皿を指さした。クリームスープらしい乳白色の表面に黒い蠅が羽
をひろげている。これでは響子の怒りももっともだった。僕はその
蠅を見てちょっと変な感じがした。かゆいところに手が届かないと
きの欲求不満のような。
 しかし、僕がその理由に思い当たらないうちにスープ皿は、ウェ
イターによって下げられてしまった。仁川が自分のスープも下げる
ように言ったので、スープ用のスプーンも全部片づけられて、テー
ブルの上にはテーブル塩と胡椒の背の高い瓶がセットで残るだけに
なった。

「僕はお役御免みたいだから、帰るよ」
「あらそう、悪かったわね。でもコーヒーくらい飲んでいけば。私
たちもすっかり気分壊しちゃったから、スープだけ飲んで帰るつも
りよ」
 仁川もそうしろと勧めるので、僕はウエイターが音もなくどこか
から持ってきたロココ調の椅子に腰を下ろした。
 ふつうなら高級ホテルのレストランなんて堅苦しいだけで、コー
ヒーの味も分からない。響子に引き留められてもさっさと帰るとこ
ろなのだが、さっきの変な感じがのどに刺さった魚の小骨みたいに
気になっていた。

 窓辺に向かい合って座っている響子と仁川に対して、僕はちょう
ど直角に座る形になって、大きな窓を正面に見る格好になった。窓
越しの外は暮色が漂う真冬の森と空だった。
 スープと僕のコーヒーはいっしょにやってきた。仏頂面(ぶっち
ょうづら)のウェイターが銀色のカートにスープの入った広口のポ
ットを乗せて近づいてくるのがウィンドウに映り、どうやらカート
の下側にコーヒーポットも認められた。
 ウェイターはまず、スープスプーンを2組、テーブルに置いた。
いっしょについてきた殿倉が緊張した面もちで新しい白いスープ皿
を響子と仁川の前に置く。まるで何かの儀式でもあるかのような慎
重さだった。
 ウェイターが広口のポットからスープをゆっくりと掬って、それ
ぞれのスープ皿に流し込む。突っ返したのと同じクリームスープだ
った。
「ささ、早くいただきましょ。蠅が来ないうちに」
 響子は皮肉を飛ばしながら、テーブルの塩胡椒をひとひねりずつ
スープに落とした。スプーンを手にして早速ひとすくい口に持って
いった仁川に「あなたも?」と訊ねる。仁川は首を振って、またス
ープを口に運んだ。うまいともまずいとも言わない。
 ウェイターがコーヒーカップを僕の前に置いた。洒落たデミタス
カップだった。
「あっ」
 僕と響子が同時に声を漏らした。
 銀色のコーヒーポットを手にした殿倉がへまをやらかしたのだ。
おそらく僕のカップにコーヒーをつごうとしたのが、手元が狂った
のか、響子のスープ皿にもコーヒーを落としてしまった。白いスー
プに焦げ茶色のラインができている。
「なんてざまだ、ふざけんじゃねーぞ」
 仁川がテーブルを叩いて立ち上がった。今にもテーブルをひっく
り返しそうな勢いだった。顔が怒りで真っ赤になっている。
「もう、帰りましょ。こんな失礼なレストラン」
 響子はと言えば怒りを通り越して、あきれかえっている様子だ。
僕だけが椅子に座ったままだった。
「申し訳ありません」
 殿倉は気の毒なほどうろたえ、平身低頭の体勢。ウェイターは信
じられないと言う目で殿倉を見ていた。
「もう帰る、こんなレストラン2度と来るか」
 仁川はそのまま椅子を蹴って歩き出した。テーブルクロスが仁川
の動きにいっしょに引きずられ、テーブルの上の食器が床に落ちそ
うになった。僕はとっさに響子のスープ皿だけをつかんだ。それ以
外の食器は、僕のコーヒーカップを含めてことごとく床に落ち、そ
れらの割れる派手な音がレストランに響いた。
 仁川はすたすたと早足で歩いてゆく。しかし響子はすぐには後を
追いかけない。僕と仁川の後ろ姿を見比べている。仁川も響子が付
いてこないのに気づき、あたふたと戻ってきた。
「こんな店、出よう」
 そう言って響子の肩を抱こうとしたが、響子は「ちょっと待って」
と座ったままの僕の顔を見ながら、さっと仁川の太い腕をかわした。

 僕が座ったままなので、殿倉たちはまず、テーブルをセットし直
した。仁川に引っ張られてテーブルクロスとともに床に落ちた食器
と中身のスープは、うまい具合に通路の方に散乱していて、僕らが
座っていたテーブルはテーブルクロスさえ新しいものに変えてしま
えば、何事もなかったかのようだった。
 新しいテーブルクロスがかけられるのを待って、手にしていたス
ープ皿を戻した。すかさずウェイターがそのスープ皿を下げようと
したので、僕はあわてて断った。
「床に落ちたテーブル塩と胡椒の瓶が見つかったら欲しいんだけど」

 僕は殿倉に向かって頼んだ。それを捨てられては困るのだ。
「どうしてそんなものを欲しがるの?」
 響子が首を傾げた、が、そのまま殿倉に向かって
「それにしても殿倉さん、ひどいじゃない。そりゃあ、あなたにと
っては私が新しい恋人を連れてきて不愉快だったかもしれないけど、
あんな嫌がらせをするなんて、あんまりだわ」と文句を付けた。
「申し訳ありません」
 殿倉はあくまでもレストランの支配人という口調で、丁寧に頭を
下げる。
「でも殿倉さんに響子さんは感謝すべきかもしれないよ」
 僕の言葉に響子は怪訝そうな顔をした。
「どういうこと?」
「塩と胡椒の瓶が見つかれば、説明するよ」
 僕がスープの蠅を見たときにふと感じた変なもの。その正体を僕
はやっと見つけた気がしていた。

[問題編・完]

 僕が気づいた変なこと。鋭い読者のみなさんはもう気づいている
のでしょうね。でももしまだなら、ちょっと考えてみてください。





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