AWC カウントダウンが聞こえる   已岬佳泰


        
#1234/1336 短編
★タイトル (PRN     )  99/12/26  20:11  (174)
カウントダウンが聞こえる   已岬佳泰
★内容

■カウントダウンが聞こえる   已岬佳泰

「どうしてこうなっちまったんだ」
 つい愚痴がこぼれる。閑散とした首都高速を猛スピードで飛ばしていても、
気持ちはどす黒く沈んでいる。ジャンクションにそびえ立つまがまがしいビル
ディングには、もう大晦日の深夜午前0時になろうかというのに煌々と明かり
がついていた。
「しょうがないじゃない、運がなかったのよ」
 となりでため息をついているのは、おれの10年来の恋人、笙子(しょうこ)
だ。出会った頃のコケティッシュな魅力はどこかに失せてしまい、今はもうお
れといっしょにいることに疲れ果てているように見える。助手席のシートを大
きく倒して、その合皮にめり込まんばかりに体を任せて、タバコを吸っていた。
「営利誘拐と殺人か‥‥」
「そうね、それにあと保険金詐欺もかな?」
「保険金詐欺? それはないだろ」
「でもこのまま放っておくとあの家は吹っ飛んでしまうんじゃない。そしたら
火災保険が‥‥おりないか」
 笙子はしらっとしている。こんなときでも火災保険のことを考えつくなんて、
女はしぶとい。おれのようには簡単にあきらめてはいないのかもしれない。そ
れにしても‥‥。
 おれの思いはどうしてもそこへ行き着くのだ。
「なあ、どうして加須(かぞ)は来なかったんだ」
 舞浜までレインボウブリッジ経由で20分という電光表示を見ながら、ジャ
ンクションを右へと車線変更した。笙子のタバコの煙がフロントグラスを漂う。
「気が変わったんじゃない。加須さんってよく知らないけど、そういう人だっ
たのよ」
 加須智廣。勤務先の証券会社でのおれの上司だ。会社に内緒でやった香港の
先物取引で相当な金を儲けたことをおれは知っている。知ってはいたが会社に
は告知しなかった。誰だって金はほしい。おれは加須のやり方をまねて自分で
も会社の金を転がしてみる方を選んだのだ。もちろん加須にも会社にも内緒で。
そしておれの方は会社の資金に大きな穴をあけてしまった。
「しかし、加須の子煩悩は有名だ。放っておけるはずがない」
「そんなこと言ったって、実際に来なかったんだから仕方がないでしょ」
「おまえの電話がまずかったんじゃないか」
 笙子が大きく煙を吐き出した。ふーっと音を立てる。
「またその話。わたしはちゃんと伝えたわよ。何回も言わせないでくれる。あ
んたの息子を預かっている。無事に返してほしかったら、用賀の料金所まで7
000万円の現金をひとりで持ってこい。相手はあわてていたわよ。何回も場
所と時刻を確認して」
「用賀料金所、午後11時15分。ここから加須の息子を隠したあの家まで3
0分。遅れたら爆弾のリセットが間に合わない」
「そうでしょ、その通りに伝えたわ。もし時刻までに来なかったら、息子さん
の命は保証しないってね」
「おれの計画に問題はなかったはずだ。加須はあわててやってくる。身代金は
あいつが儲けた金額そのままだ。きっとあいつは現金でどこかに隠し持ってい
ると睨んだ。何しろ表沙汰にできない取引の儲けだからな。警察には相談でき
ない金だ。そいつをバッグに詰めて持ってくる。金の入ったバッグを受け取り、
息子の隠し場所のメモを渡すのは料金所で働くおまえの役目。加須は渡された
メモを元に息子の場所へと急ぐ。おれたちは金が入り、あいつには息子が戻る。
身代金の出所を説明できないから、あいつは警察には届けない」
 高速道路は空いていた。3号線のジャンクションから1号線の分岐まではあ
っという間だった。湾岸道路方面という行先表示に従い、おれはハンドルを右
に切る。
「でもさ、加須さんは結局来なかった。ちゃんと右から3番目の料金ゲートと
伝えてあったのに、電話をかけてから11時15分の間に料金所を通過したの
はあんたの車だけ。予定通り5分だけ待った。やっぱり誰も来なかった。なに
しろ大晦日の夜だものね。みんな家でテレビでも見ているんでしょう。11時
20分にわたしはゲートを閉めて、待っているあんたの車に乗った。そしてあ
んたは、目論見が狂って不機嫌に車をぶっ飛ばしている。で、どうするのこの
先」
 笙子はダッシュボードの上に置いてある封筒に向かって顎をしゃくった。予
定通りなら加須に手渡されていたはずの封筒だった。加須の息子がいる場所の
メモが入っている。
「どうするかなあ」
 呟きながら、おれは直面する状況を持て余していた。姿を現さなかった加須
に怒りの矛先が向く。表向きはまじめな証券マンを装いながらしっかりと私財
を蓄えている。しかもそんなことはおくびに出さない。あいつの裏の先物取引
を知っているのは会社ではたぶんおれだけだろう。いっそ、そのことであいつ
を強請(ゆす)ったほうが手っ取り早かったかもしれない。
「あの家まで戻って、爆弾を外してくる?」
 そのことはすでに考えた。来なかった加須が悪い。もう時限装置は作動して
いる。このまま起爆装置をリセットしないと‥‥。
「加須の息子が死んじまうな」
「だから、営利誘拐と殺人。捕まったら間違いなく死刑ね」
 死刑、という言葉におれの気持ちがざわつく。

 耳に障る電子音が車内に響いた。おれの胸ポケット、携帯電話が鳴っている
のだ。反射的に電話を取り出し急いでONにする。ついつい昼間の証券マンの
習性が出てしまう。そんな自分にちっと舌打ちして耳を澄ました。
「加須だ。おい、おまえだな、息子を誘拐した犯人は。いったいどういうつも
りだ」
 おれは自分の耳を疑った。電話の向こうから加須の怒りに満ちたとがった声
が鼓膜に突き刺さる。加須はおれを誘拐犯と決めつけている。
「すみません、何のお話かわかりませんが‥‥」
 おれの返事はしどろもどろになった。いったいどうやって加須はおれが犯人
だと分かったのか。必死で考える。頭蓋がからからと音を立てて空回りする。
 加須がおれの携帯電話にかけてくるのは何の不思議もない。仕事の連絡用に
と携帯番号は知らせてある。問題はどうして加須がいきなりおれを犯人と決め
つけるのかだ。笙子の電話? おれは笙子を見た。
「なに?」
 笙子がタバコを吹かす。
 いや、笙子の電話には問題はなかったはずだ。ちゃんと公衆電話を使ってい
たし、笙子と加須には面識はない。おれと笙子の関係は知らないはずだ。だか
らこそおれは笙子を連絡役に使ったのだ。
 それじゃあ、用賀の料金所に加須は来ていたのか。そこで身代金を渡す相手、
右から3番目のゲートの女がおれの車に乗り込むのを見たのか。
 それも変だ。おれはゲートを通過して、その先で笙子を待っていた。笙子は
11時20分まで待ってから、車が全く来ないのを確認してゲートを閉めた。
だから、加須はゲートのこちら側には来ていない。おれの車に乗り込む笙子を
目撃できないはずだ。
 それじゃあ、いったいどうやって加須はおれが犯人だとわかるんだ。
「つべこべ言わずに黙って息子を帰せ。いいか、息子が無事に戻ったら、この
ことは不問にしてやる、だからすぐに帰せ」
 加須の声が容赦なくおれの耳に飛び込んでくる。間違いなく加須はおれが誘
拐犯だと確信していた。
 なぜだ。
 パニックに陥ったおれはあわてて携帯電話の電源を切った。

「うふふ、困った顔をしてるわね。加須さんに図星を指されてショックでしょ。
でも彼があんたを犯人だと名指しする根拠がわたしにはわかるような気がする
わ」
「え? どうして。まさかおまえ‥‥」
「ふん、勘違いしないでよ。わたしが教えたんじゃないわ。単純なあんたの失
敗」
「どういうことだ?」
 笙子は今度ははっきりとおれに向かって煙を吹き付けた。頭にかっと来た。
おれはこれまで笙子に暴力を振るったことはない。おれの主義に反するからだ。
しかし今度ばかりは、思わず手が出そうになった。
「ねえ、もうこんなことやめなさい。あんたは悪党にはなれないわ。あんたが
犯人だということは相手に見透かされいるし、仕掛けた爆弾は永久に爆発しな
いしね」
 車はレイボウブリッジにさしかかった。ライトアップされてきれいな青色に
橋脚が浮かび上がっている。おれは笙子の言葉を頭で繰り返していた。
「しかし‥‥」
「あのね、そもそもこの計画がずさんでぼろぼろなのよ。加須さんの裏金をね
らうというとこだけは、まあ悪くない思いつきだけどさ、誘拐した子供は自分
の家に隠しておくし、爆弾に起爆装置をつけたのはいいけれど、爆破の時刻を
よりにもよって午前0時にセットするしね」
「加須の息子がおれの家に遊びに来たんだから、しょうがないじゃないかよ」
「そうでしょ。所詮、息子さんが遊びに来たから、遊び疲れてそのまま寝付い
ちゃったから思いついたことなんでしょ。計画性なんかありゃしない。だから、
もうやめやめ」
 笙子は新しい煙草をつまんで、おれの顔の前でくるりと回した。
「やめるって、誘拐したし、爆弾だって仕掛けたんだから手遅れだよ」
 自分の言葉にだんだん勢いがなくなってゆくのが分かる。おれはいつもこう
なのだ。くじけるとすぐに気持ちがしぼんでしまう。ちょっとした投資銘柄の
見込み違いを客に指摘されると、それが気になっていつまでもくよくよする。
「だから、息子さんが勝手に遊びに来たんだから、誘拐は不成立。爆弾は起爆
しないから殺人も不成立」
「どうして爆弾はだめなんだ?」
 おれは愚問を発したらしい。笙子はしばらくおれの顔を見て、黙ってカース
テレオを停め、代わりにカーラジオのスイッチを入れた。とたんに興奮した女
の声が流れる。
 ――いよいよあと1分で新年でーす。西暦2000年でーす。さあ、みんな
でカウントダウンを始めましょう。
 女の声に大勢のウオーという歓声がかぶる。
「もうわかったでしょ。今夜の午前0時がどういうことか。あんたの仕掛けた
あのデジタルの時限装置はきれいにゼロが並んでリセットつまり解除されてし
まうということよ」
「ふーん、そうか」
 おれは感心して頷いてしまった。
 そんなおれを見て、笙子が煙草を投げ出し転げまわる勢いで笑い始めた。苦
しそうに背を折っている。
「ああ、わたしもいい加減、あんたみたいな人とは別れなきゃあと思うんだけ
ど。だめなんだなあ。そういうまぬけなあんたを見ているとね。あんた、まだ
分かっていないでしょう。どうして加須さんがあんたを犯人だと分かったか」
「うん」
 おれは素直にうなずく。
「加須さんが作った裏金はいくらなの」
「えーと、7000万円だな」
「私たちが要求した身代金は?」
「その7000万円だ」
「加須さんの裏金のことを知っているのは誰?」
「おれだけさ」
「加須さんがそのことに気づいていたら?」
「え、あ、そうか」
「バカねえ」
 笙子の目が優しく笑っているのを確かめてから、おれはめいっぱい踏み込ん
でいたアクセルをゆるめた。行く手にはきらきらと花火でまばゆく光るディズ
ニーランドのお城が見えてきた。

(了)





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