AWC 「高野豆腐」    時 貴斗


        
#1159/1336 短編
★タイトル (VBN     )  99/ 1/ 7  22:55  (113)
「高野豆腐」    時 貴斗
★内容
 ごっ、ごっ、と雪を踏み鳴らしながら、小僧はお寺へと帰る道を急い
でいた。高野山の冬は厳しい。歩くうちにも小僧の坊主頭に雪が降り積
もっていく。両手にかかえた藁包みで顔にかかる雪を防ぎ、白い息を吐
き出しながら、家路を急ぐ。藁包みの中にはお寺の修行僧達の夕食の食
材が入っているのだ。途中、どさっ、という音が聞こえたが、徐々に勢
いを増す雪の気配におびえる彼には、後ろを振り返る余裕などなかった。
 ようやくのことでお寺に帰りついた小僧が藁包みを開けてみると……。
「な、ないっ!」
 豆腐が、ないのであった。きっと途中で包みから落ちてしまったに違
いない。ああ、和尚様に何と言い訳しよう。
「どうした? 坊主。」
 現れた覚海に、小僧は豆腐を落としてきてしまった旨を、正直に語っ
た。きっと叱られると思った彼は、言った。
「今から……、探してきます!」
 しかし覚海は柔和な顔で言うのだった。
「よい、よい。もう暗いことだし、白い雪の上の白い豆腐はさがしにく
かろう。だが、物を大切にするということは大事なことじゃ。明日の朝
になったら、探しにいくのだよ。」
 翌朝、やっとのことで探し出した豆腐は、すっかり凍りついていた。
小僧は覚海に相談し、湯でもどしてみることにした。食べてみると、そ
れは豆腐とはまた違った旨みが付いていた。ほんのりと甘いそれは、そ
の後民衆に広まっていくことになる。

       *       *       *

「……というのが、高野豆腐の始まりだよ。」と、俊介は言った。
「へえ、そんな話があったの。」由梨絵は微笑みながら答えたものの、あ
まりそんな話には興味がないようだ。由梨絵の眼は輝いていた。彼女の
頭の中は明日日本へ帰ってくる川谷君のことで一杯なのだ。
 食卓の上には、高野豆腐ににんじんを乱切りにしたのと、さやいんげ
んげんが添えられた小皿が、酒の肴としてちんまりと置かれている。
「それにしても、よく父さんの好物を覚えていたな。」俊介は高野豆腐を
箸でくずして口に運んだ。じゅうっと、ほんのり甘い煮汁が口一杯に広
がる。
 全体に薄茶色を帯びた、何の飾りもない、のっぺりとした食べ物。普
通の豆腐のように、ねぎや鰹節が乗っているわけでもない。一様に薄茶
色で、どこか色彩的にあざやかな所があるわけでもない。そんな質素な
食べ物を、どうして自分のような年配の人間は好むのか。俊介はふとそ
んなことを思った。
「お母さんに習ったのよ。」と、由梨絵は言った。
 久しぶりに会った娘は、いつの間にか大人になっていて、母さんの手
料理を真似るようになった。
「老けたな。」と、俊介は思った。
 俊介はビールをごくりと飲み干す。テーブルを挟んで向かい合った由
梨絵が空になったコップにビールをつぎ足す。
「明日のお昼には成田に飛行機が着くから。」由梨絵は頬杖をついた。
 自分の婚約者を初めて父親に会わせる喜びで、彼女の胸は満たされて
いるようだ。
「母さん、俺もいよいよ一人ぼっちになるよ。」俊介は、心の中で、天国
にいる妻に向かってつぶやいた。

       *       *       *

 ちらちらと雪が舞い続ける中、二人の、はではでな銀色の服に身を包
んだ男達が、新雪に足跡を刻みつけていた。その二人は、どちらも頭で
っかちで、手足はひょろりとしている。トランシーバーのようなものに
耳を当てていたちびの方が、のっぽの方に話しかける。
「隊長、ただちに帰還せよとのことです。」
「うん。そうだな。この時代にも異常はなさそうだし、そろそろ帰るか。」
「二十世紀にですか? それとも三十世紀にですか?」
「二十世紀の時間局に立ち寄っても、用事はないだろう。三十世紀に直
行しよう……、おや?」
 のっぽは、足元に落ちている、白い、四角い物体をみつめた。
「なんでしょうね?」ちびもまたその見慣れない物体に興味を示した。
「待て。今、知識データベースから検索してみる。」のっぽは腕にはめた
ポータブル端末を操作した。
「時間工作員の罠かもしれません。」ちびは腰のホルダーからレーザー銃
を抜いて、構えた。「破壊しましょう。」
「待て!!」のっぽはちびの腕をつかんだ。が、一瞬遅く、銃から閃光
が閃いた。光線はねらいを外れ、物体のすぐ側の雪を射抜いた。もうっ
と、水蒸気が立ちのぼって消えた。
「馬鹿者! タイムパトロールが過去に干渉すればどうなるか、分から
んのかっ!!」
「す、す、す、すみません。でも何かの罠かも……」
「これは大昔の、“豆腐”という食べ物だよ。大豆の加工品らしい。」
「どうしてそんなものが、こんな所に落ちているんですか。」
「それは分からんが、とにかくこれはこのままそっとしておこう。さあ、
さっさと帰ろう。」

       *       *       *

 ごっ、ごっ、と雪を踏み鳴らしながら、小僧はお寺へと帰る道を急い
でいた。両手にかかえた藁包みで顔にかかる雪を防ぎ、白い息を吐き出
しながら、家路を急ぐ。途中、どさっ、という音が聞こえたが、徐々に
勢いを増す雪の気配におびえる彼には、後ろを振り返る余裕などなかっ
た。
 ようやくのことでお寺に帰りついた小僧が藁包みを開けてみると……。
「な、ないっ!」
 豆腐が、ないのであった。
 翌朝、さんざん歩き回ってやっとのことで豆腐を見つけた彼は、一瞬
満面に笑みを浮かべたものの、すぐに首をかしげた。豆腐にはある変化
が起こっていた。もちろん、凍りついていたことは言うまでもないのだ
が、もうひとつ、奇妙な変化が起こっていた。だが、とにかく豆腐を見
つけた彼は、急いでそれを寺に持ち帰った。

       *       *       *

「……小僧が豆腐を見つけた時には、すっかり凍りついてしまっていた
んだよ。それを湯でもどして食べてみた、というのが高野豆腐の始まり
だよ。」
「へえ、そんな話があったの。」由梨絵は微笑みながら答えた。
 俊介は、高野豆腐を箸でつまんだ。
 隅を火であぶって、湯でもどし、だし汁で煮付けてある。隅のおこげ
の部分が、一面に薄茶色いだけの豆腐に彩りを添える。口一杯に広がる
薄甘い煮汁も格別だが、このおこげの部分の香ばしさがたまらないのだ。
「でも、隅を火であぶるようになったのは何故?」と、由梨絵は聞いた。
「それはな……」俊介は、ちょっと困った。
「それは、まあ、昔の人の、“風流”というもんだよ。“風雅”だよ。」
 とは言ってみたものの、どうしてだろう、と、ちょっと不思議に思っ
た。


<了>




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