#1157/1336 短編
★タイトル (GVB ) 98/12/31 22:37 ( 97)
大型大雪小説 「ひとり雪合戦」 ゐんば
★内容
帰りの電車が駅に着く頃には大雪になっていた。
松本喜三郎はつるつる滑る人たちを眺めながら、はてどうしようと思った。
余談だが、よく雪国の人間は東京の人間が多少の雪が降ったくらいであわてふ
ためき雪道をつるつる滑るさまを見て笑う。しかしそこにはおのずから地域差と
いう物があることを忘れてはならない。
かつてエジプトで有史始まって以来の雪が降ったとき(大雪ではない。「雪」
である)、凍死者が続出した。エジプトの有史以来であるからそんじょそこらの
有史とは有史が違う。当然ながらエジプト人たちは雪に対する備えなど何もして
なかったのだ(このくだり創作ではないので念のため)。東京の雪を笑う者はエ
ジプトの雪を、凍死していった人々を笑えるのか。笑えるとしたらすごいいやな
奴である。
雪は激しく積もっている。
傘は役に立たなかった。仕方なく喜三郎はアパートへの道を歩き始めた。
滑らないように一歩一歩確実に歩くから、いつもの倍はかかっているだろうか。
アパートへの中間地点にある月極の駐車場が、いつもなら駅から七分くらいで見
えてくるのに十五分は歩いたような気がする。
急に喜三郎は尿意をもよおした。
駅で済ませてくればよかったと思ったが、寒さと、家に帰るまでの時間の予測
を誤った結果である。仕方がない。喜三郎は駐車場の片隅に陣を構えた。
いざことに及ばんとしたときにひらめいた。そうだ。雪中の小水とあらば、字
を書かねばならぬ。
しばらく立ちしょんのポーズで何を書くか考えていたが、とりあえず寒いので
自分の名前で妥協することにした。このまま考え続けてちんぽこ丸出しで凍死し
たのでは末代までの恥だ。
「松」の字はだいたいうまくいったが、「本」の最後の横棒を書こうとして思い
っきり的をはずし、「本」だか「末」だか「未」だかよくわからないものになっ
てしまった。「本」でこんなに苦労していては「喜」は大丈夫だろうかと心配に
なった。いや、むしろ簡単な字のほうが形がとりにくいのではなかろうか。しか
し、「喜」の字は横棒が多いので下手をするとつぶれてしまう。十分に字の大き
さに注意する必要があるとは思ったが、とりあえず書き始めることにした。悩ん
でいる場合ではない。小便がしたいのだ。
案の定つぶれてしまった。四角の部分は完全にぐちゃぐちゃになっている。し
かし、次は「三」の字だ。これなら大丈夫だ、と思ったがもう小便が出なかった。
喜三郎はとっても中途半端な気持ちに襲われた。このまま帰るのでは納得がい
かない。かといって小便は出ず、何か小便の代わりになるものはないかとあたり
を見回した。
駐車場は一面の雪である。いつもならコンクリートむき出しの地面が、真っ白
に覆い尽くされている。
広く高く積もった雪を見ていると喜三郎は自然の大きさと自分の小ささを感じ
た。そうだ。名前が途中だなんて小さいことにこだわっていてはいけない。もっ
とほかにやるべきことがあるはずだ。まず喜三郎はちんぽこをしまうことにした。
それにしても小便の代わりってなんだとは思ったが、なにしろ寒さで思考力が低
下していたので仕方がない。
あらためて積もった雪を見ているうちに思いついたことがある。雪合戦だ。雪
は人を童心に帰らせるものがある。やはりここは一つ子供のときのように雪合戦
をやるべきだ、と思い立ち早速友人の杉野森弥三郎に電話をかけた。
幸い杉野森は自宅にいた。雪合戦をやろうというと、さんざん罵られたあげく
電話を切られてしまった。はて遊び心のわからない奴である、では自分一人だけ
でもやろうと決意した。
地べたにかがみこみ、雪を一すくい取って雪玉をこさえる。さらにもう一すく
い取って、一回り大きな雪玉にする。あまり雪玉作りに時間をかけているとその
間に相手に攻撃される。このくらいにしておこうと、雪玉を持って立ち上がって
その雪玉を、さてどうしようと考えた。
しばらく雪玉を持っていたがふと思いついた。そうだ。壁打ちだ。
喜三郎はその雪玉を思いっきり駐車場横の壁に投げた。しかし、テニスのボー
ルと違って雪玉は跳ね返ってこない。そうか、雪玉は柔軟性がないから跳ね返ら
ないんだな、これは大事なことだとかばんから手帳を取り出して最後に書いたペ
ージを拡げて書き足した。
「壁打ち雪合戦はあまり楽しくない」
かばんに手帳をしまいながら、なんで俺はこんなことをメモしてるんだろうと
思ったが、なにしろ寒さで思考力が低下しているので仕方がない。
しかしよく考えると壁打ちばかりが一人テニスではない。素振りだって一人で
やる。野球でいえばシャドウピッチングだ。そうかまんざら思考力も低下してば
かりでもない。早速喜三郎は新たなる雪玉を作るとなんどもシャドウピッチング
を繰り返した。
しばらく充実していたが、よく考えるとあまり雪玉を持っている意味がないこ
とに気づきやめてしまった。
しかし野球でもよく真上に投げ上げてまた取るというのを一人でやるではない
か。そうだ真上にあげれば同じところに落ちてくるのだ。早速喜三郎は新たなる
雪玉を作ると真上に投げ上げた。
雪玉は高く上がってスピードを緩め、下に向かって落ちはじめてそのまま喜三
郎の頭を直撃し、四方八方に砕け散った。そうだこれでいいんだ、雪合戦らしく
なったじゃないかと喜三郎は何度も雪玉を投げ上げて頭で受け止めた。
さらに雪合戦らしくするにはどうしたらいいか。雪合戦で肝腎なのは、いかに
相手の雪玉をよけるかである。よし、今度は避けてみようと喜三郎は頭上に雪玉
を投げ上げて素早く飛びのいた。
雪玉は喜三郎が立っていたあたりの地べたに当たって砕け散った。
喜三郎はもう一回雪玉を作り、投げ上げる。落ちてくるところを素早く避ける。
何度か試してみたが、どうもこれ避けてしまうとあまり楽しくない。
喜三郎は座り込んで考え始めた。よけてしまうと面白くないが、かといって避
けないと雪合戦にならない。はてどうしたものか。雪玉に当たらないことには勝
負がつかないではないか。待て、そもそも雪合戦というのはどうなったらどうな
ったら勝負が決まるのだ。サッカーのようにゴールがあるわけでないし、バレー
のようにネットもない。カバディのように声を出す訳でもないし、マリンバのよ
うに楽器でもない。いかん。だいぶ思考力が落ちている。雪合戦といえば、壇ノ
浦である。桶狭間だったかな。で、真上に投げ上げると落ちてくるけど、これは
ニュートンが万力を発明したからであって、それまでの人は万力がないので苦労
したのだ。だから、サッカーのようにゴールはないし……。
目が覚めると、なにやら回りがにぎやかである。意識がはっきりしてくるにつ
れ、どうやら自分を取り囲んでいるらしいと気がついた。警官が自分の顔をのぞ
き込んでいる。ゆっくりと起き上がりだがしかしちんぽこ丸出しでないことを確
認し、話しかけてくる警官に答えた。
「なんでもありません。雪合戦をやってただけです」
[完]