AWC お題>高く、高く       青木無常


        
#1117/1336 短編
★タイトル (GVJ     )  98/10/27  12:55  (127)
お題>高く、高く       青木無常
★内容

    智の神イームレスのこと

 イームレスは叡智をつかさどる神である。
 天より十一の神とともに降りて、いにしえの神話に語られる八邪神を成敗し、バ
レエスに平安と幸福をもたらした大いなる神である。
 イームレスはおのれ自身の運命を除く、世界のあらゆる智とできごとを熟知して
おり、それゆえにひろき目をもつ者とも呼ばれる。
 またイームレスはふるき邪神どもにしいたげられていた人間たちに叡智の吐息を
かけ、無知なる牢獄から救いだしたもうた御神であり、いまのひとびとが冬になっ
ても飢えず凍えず、あたたかな灯火のもとで語らい書を読みふけることができるの
もすべてイームレスの御技あってのことにほかならない。
 その肉体はまばゆき光輝におしつつまれ、徳なき者が目のあたりにすればたちど
ころにその視界をうばわれる。それゆえ智の神の神官たちは鼻までおおう黒いずき
んをすっぽりとかぶり、神殿内では決してその目でものを見ることはない。
 大いなる智の神の光臨は万古の代より数えるほどしかなかったというが、その出
現の際にはつねに馬車の上にある。馬車の名はワジャリヤという。まばゆき光輝を
きらきらしく放つ壮麗なワジャリヤは、アジャイアとアジャイルスというふたりの
御者にひかれて天降る。アジャイアとアジャイルスはときに万里をかけめぐり、バ
レエスのあらゆる場所をティグル・ファンドラのひとめぐりにもみたぬまに走りつ
くすという。

    ワジャリヤの御者のこと

 アジャイアとアジャイルスはイームレスの馬車ワジャリヤの御者である。
 アジャイアとアジャイルスはかつてバレエスを暴虐のもとに支配していた八暴神
の陪神であり、大いなる光放つ十二の神々がバレエスに光臨した際、イームレスの
手によりて捕縛され、ワジャリヤの御者となった。巨大な漆黒の鎖で縛された御者
神どもは、つねに腰をおり、額からはどすぐろい汗を滝のように流しながら、血ま
みれの足で地を踏みしめて馬車をひく。
 火急の際などイームレスは、七つの宝輪をアジャイアとアジャイルスに与えると
いう。その宝輪に足のまわりを囲まれると、アジャイアとアジャイルスは風の神イ
ア・イア・トオラと肩をならべて走ることができるほど速くなる。だが御者神の肩
にのしかかる重荷の重さは千倍にもますのだという。
 御者神どもはかつて、アリハク山より巨大なその七つの肢をもって地をはうひと
びとを踏みつぶしながら、暴虐に、あらゆる世界をかけめぐっていたのだという。
 光輝ある神をのせた、このバレエスでもっとも重い馬車をひくのは、かれらの受
けた罰である。

    イームレスの逃走

 かつて、バレエスの簒奪神たちが安穏としていた治世のおわりに大いなる英雄神
が大いなる暗黒神と化して世界をほろぼそうとした。大いなる神の変節に、残る十
一の簒奪神たちはどうにかその暴虐を鎮め、またうち負かそうとしたが歯が立たな
かった。
「世界を簒奪せしわれらに、むくいがおとずれたのだ。こは、われらが運命なり」
 十一の神の一、アフォルがつぶやくようにそういうと、智をつかさどる神イーム
レスが鼻をならした。
「運命などはアフォルのもてあそぶ玩具にすぎぬ。われら大いなる神々に運命の鉄
槌のふりかかることはなし。剣をとりて戦え。わが叡智の前に立ちはだかる者はな
し」
 力づよくいい放つや、九百九十九の眷属をひきいて智の神はふたたび暗黒神の討
伐にむかった。
 ティグル・ファンドラ、イア・イア・トオラ、、ラッハイ、ガルガ・ルイン、ヴ
ォールらがそれにつづいた。
 ティグル・イリンはそのおもてを暗くくもらせながら、三つの宝玉をふところに
隠して虚無の壁の裏側にその身を隠した。ティグル・イリンの深きひとつの闇のみ
が天空に残される。
 憐憫の女神ユール・イーリアは世界から月の光が喪われたことをなげいて地にう
ずくまった。
 情念の女神ウル・シャフラは、バレエス全土が大いなる神の暗黒にじわじわと浸
食されていくさまに嘆きかなしみ、その流す涙は洪水となって世界をみたしていっ
た。
 死神マージュは、なだれのように冥界に送りこまれてくる、生けとし生けるあら
ゆるものの魂をさばくのにただただ忙殺された。
 ただひとり、運命をつかさどるアフォルのみが、かなしげにその目をくもらせた
まま荒れ狂う暗黒神と、その討伐にむかった神々とのゆくすえをながめやった。
 智の神にひきいられて太陽神、風の神、空の神、時の神、地の神らは果敢に暗黒
神と刃を交えたが、あらゆる力の化身である暗黒神に敵すべくもなく、つぎつぎ
にうち倒されていった。
 智の神イームレスはこれがただひとつおのれの智のうちから外れていた運命であ
ることを知り恐怖にかられ、ほかの五神を見捨てて逃走した。それを見てティグル
・ファンドラ、イア・イア・トオラ、ラッハイ、ガルガ・ルイン、ヴォールらもお
のが眷属を見捨てて逃亡し、暗黒神はふたたびどすぐろい闇を世界に吐きだしはじ
めた。
「走れ、走れ、御者どもよ。天をめざしてひた走れ。われは叡智をつかさどるひろ
き目をもつ光輝神なり。昏き地の底などに隠れひそむことはできぬ。走れ、走れ、
暗黒神の千の目がとどかぬ天の果てまでひた走れ」
 追いすがる闇に背をうたれながらイームレスはおのれの乗機である馬車ワジャリ
ヤの御者どもを鞭うち、せきたてた。
 ふたりの御者神アジャイアとアジャイルスの肢のまわりで宝輪は狂ったようにま
わりつづけ、あまりの速さについに火を噴きはじめた。アジャイアとアジャイルス
は熱さと疲労に苦悶の声をあげて泣きわめいたが、イームレスのうちふるう鞭は容
赦なく御者どもを責めたてた。
 馬車は天を目ざしてのぼりつづけた。走れ、走れ、御者どもよと叡智の神はうわ
ごとのようにくりかえしながら鞭をふるいつづけ、やがてふたりの御者の七つの足
は焼けただれ、すり切れていった。宝輪は炎につつまれながらそれでもまわりつづ
け、アジャイアとアジャイルスは血と肉を涙にして流しながらおめき、走りつづけ
た。
 地をおおいつくす暗黒をはるか足もとにおきざりにして、ジェガ・ジェガ・パン
ドオの虚無に馬車がとどこうかというころに、ふいにイームレスの鼻先を異様な悪
臭がかすめすぎる。
 狂ったように走りつづけていたアジャイアとアジャイルスが、せわしない足のう
ごきはそのまま、ぴたりと暗黒のただなかに停止した。
「なにをしている。あふれでる暗黒はもはやわが足もとまで迫っているぞ。走れ、
走れ、御者どもよ」
 だがふたりの御者がどれだけ懸命に足掻きつづけてもワジャリヤはぴくりともう
ごくことはなかった。
 なにが起こったのかと前方に目をこらしたイームレスは、そこに立ちはだかる幼
童を見た。
「ここからさきに道はなし」
 幼童が口にすると同時に、おそるべき悪臭がイームレスのもとに吐きかけられた。
臭気はあかぐろい煙となって吹きつけ、その刺激は激痛となってイームレスの目、
耳、鼻口尻の穴から精気の出口まであらゆる場所よりその体内へともぐりこみ、叡
智の神は苦痛にのたうち泣き叫ぶ。
「わが名はアシェト」
 幼童はいった。暗黒神の吐きだした闇のなかからわき出し七人の魔神のひとりで
ある。
「なれが逃れるすべはなし。わが吐息に追い落とされて、なが叡智はすべて暗黒の
地上にこぼたれた。なれはすでに痴呆のつまった肉袋にすぎぬ。なんとなれば、も
とより絢爛たる馬車の御簾に安穏と護られて怠惰にむさぼられしなれのからだは、
見よ、破裂寸前にまでふくれあがってまさしく肉袋のごとし。なれは叡智の神にあ
らず。怠惰と愚昧をつめこんだ、醜悪きわまる肉袋にすぎぬ」
 悪臭を吐きちらしながら魔神アシェトはワジャリヤを追いまわし、からだじゅう
の穴という穴からあらゆる粘液をたらしてアジャイアとアジャイルスはかけめぐり
つづけ、やがて噴きだした暗黒におし流されたあらゆる汚物が沈殿する、世界のも
っとも低き場所に追い落とされた。七つの宝輪は燃えつきて、わずかに残ったアジ
ャイアの左足のかたわらでただひとつの残骸が力なくからからとまわるばかり、そ
れでもふたりの御者はみにくくゆがんだ七つの肢の残骸を懸命に繰りながら走りつ
づける。
「痴呆の神とその御者どもよ。なんじらはそこで宝輪の残骸とともに、とわにまわ
りつづけるがよい。そのすきに暗黒神をたおし、われが世界を手中にする」
 悪臭を吐きちらしながらアシェトはその場を立ち去り、あらゆる汚物がうずまく
世界の底でワジャリヤの残骸のなか、イームレスはまとわる激痛に血の涙を流しな
がらその肥満しきった肉体をもてあまし逃げることもかなわなかった。
 そして肉体を損傷したアジャイアとアジャイルスは、漆黒の鎖に捕縛されたまま、
世界の底でおなじ方向に輪を描きながらいまも馬車をひきつづけているという。




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