#5351/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/12/24 01:53 (199)
天使の名探偵 11 永山
★内容
「では、神父自身がばらまいたのか。これもなかろう。もし荻崎神父がばらま
いたなら、犯人に抵抗してぶつけるか、もしくは犯人を暗示するためという理
由が考えられる。が、犯人暗示なら、一個だけ握りしめれば充分。抵抗だとし
たら、遺体の上にあれほどキーホルダーが載ったのは、不自然と言える。投げ
つけた当人には、ほとんど掛からないはずなんだ。七井君、ここまではどうだ」
「分かったよ。要するに、犯人がばらまいたんだって言いたいんだろ。それで
いいじゃん。全然、問題ないね」
「そうか。つまり、俺とおまえさんは意見の一致を見た訳だな。ありがたい、
気持ちよく続けられる。犯人がばらまいたなら、それは神父が亡くなる前かあ
とか。亡くなる前なら、たとえば犯人は逃げようとした被害者を足止めするた
めにばらまいた、なんて考え方があるが、現実的でない。箱毎投げつけるだろ
うからだ。むしろ、被害者の死後、ばらまかれたと考えたい。何故なら、たく
さんの数をばらまきながら、遺体の下にはたった一個のキーホルダーしかなか
ったという事実がある。神父さんが存命中であれば、当然床に倒れていない。
床一面にキーホルダーが散らばったあと、神父さんが倒れ伏す。その身体の下
にはより多くのキーホルダーが入り込んでしかるべき」
念押しする刑事。七井は、欠伸をかみ殺すポーズだ。そんな風につまらなさ
そうにしつつも、話はしっかり聞いている様子。
「我々は、犯人が神父殺害後に、キーホルダーをばらまき、放火したものとい
う大前提をここに打ち立てた訳だ。当たり前だが、殺人犯は一刻も早く現場か
ら逃げ出したいはず。なのに、わざわざキーホルダーをばらまいたのには、大
きな理由があったに違いない。多分、そうしなければ、自分が犯人であること
を簡単に知られてしまう何かが。恐らく、指紋」
「刑事さーん、今のは聞き流せないよー。ちょっといい?」
片手を挙げる七井。その姿は、教室の隅っこの席にいる不真面目な生徒と言
った雰囲気だった。
平成刑事が許可すると、七井は姿勢を正して訴え始める。とは言え、その口
ぶりが一朝一夕に直るものではない。
「指紋を付けちまったとしても、拭き取れば済む話じゃないんですかー?」
「さあ、そこだ。犯人は凶器に使った燭台に関しては、ちゃんと拭き取ってい
る。つまり布ようの物はあった。それでもなお、指紋を拭き取れない状況とは
一体どういうことか。現場の状況と考え合わせると、浮かび上がってくるもの
がある。犯人の指紋が付いた物とは、犯人自身のキーホルダー。無論、荻崎神
父が用意した天使のキーホルダーだ。犯人のキーホルダーは大量のキーホルダ
ーに紛れてしまい、見分けられなくなった。それで指紋を拭き取れなくなった
のではないか」
犯人と名指しされたに等しい七井は、身体を浮かしかけた。それを押し止め
るためか、刑事は絶妙の間で言い足す。
「――しかし、これはおかしい。前提はあくまで、キーホルダーをばらまいた
のは犯人の意志によるものとしている。犯人が自分に不利になることをするは
ずがない」
七井が「話が長いんだよ」とつぶやいたが、平成刑事は意に介さぬ風。
「これを解消するには、逆に考えればいい。犯人は自分のキーホルダーを現場
で落とした。そのことに気付きはしたが、どこに落ちたのか発見できない。放
置していたら、証拠になってしまう。そのとき、段ボール箱いっぱいのキーホ
ルダーが目に着いた。あれをばらまけば、自分のキーホルダーだけが注目され
ずに済み、助かるんじゃないかと考えた。しかし、それだけでは不安だったの
か、火を放って、現場を離れた……。以上だ。何か言うことはあるか?」
「何だかんだ言って、結局は俺を犯人にしたいってか?」
吐き捨てると、足を組み、睨みつけるような視線になる七井。その目は刑事
だけでなく、証言をした香苗にも向けられた。
びくりとした香苗だったが、軽く目を伏せ、やり過ごす。
「面白い考え方だと思って、最後まで聞いてたが、所詮はあんたの想像でしょ、
刑事さん?」
「そうだな。今のところ、証拠は掴んでいない」
あっさり認める刑事に、七井は一瞬、気が抜けたように表情を歪めた。次の
言葉を探しているのか、舌なめずりを二度、繰り返してから口を開く。
「何だ。それじゃあ、今日は話だけってことね。ははん。それにさあ、俺は今
もキーホルダーを持ってんだから、犯人じゃないよ。刑事さんの言う通りの状
況だったなら、犯人はキーホルダーを落として、持ってないことになるじゃん」
「ああ、それについては、説明するまでもないと思ったんで省いたが、言わな
きゃ分からんか?」
「……」
「犯人は落として見つからなかった自分のキーホルダーの代わりに、新たな一
個を持ち去ったのさ。数も合う」
「そ、それにしたって、あんたの想像に過ぎない。犯人の奴がキーホルダーを
ただばらまいただけでも、数は合う。俺のキーホルダーは無関係だ」
「関係あるかどうか調べるために、預からせてもらったんだよ。何を調べると
思う? 当然、指紋だよ」
「馬鹿じゃねえの。俺の指紋が付いてて当たり前。俺の物なんだからな」
「君の指紋とは言っておらん」
「え……何だ?」
「無論、君のも調べるが、肝心なのは、付いているはずの他人の指紋さ」
平成刑事は、自分の発言の効果を楽しむかのように、ためを作った。似合わ
ない笑みを口元にたたえ、七井を凝視してから、最後の一撃を。
「荻崎神父の指紋だよ。このキーホルダーは個包装されていなかった。神父は
君に手渡しをしたはずだ。神父の指紋が付いていなければならない。ところが
もし君が犯人で、段ボール箱から新たに一個、拝借したのなら、そいつには荻
崎神父の指紋は付いていない」
苦々しい顔になり、歯ぎしりをする七井。組んでいた足は、いつの間にか解
かれている。
対照的に、刑事は腕を組んで、勝ち誇った。
「どうだ、認めるか」
その矢先、七井の目に笑い皺が宿る。面を起こすと、晴れやかな表情になっ
ていた。
「……あ、そうだ! 俺、キーホルダーをお守りにしてるから、布で磨いたよ。
だから、神父さんの指紋が残ってなんかいない。きれいに拭いたからな」
「……言い逃れできると思っているのか」
舌打ちをする刑事。七井は、目を見開いて、得意そうに述べ立てた。
「だって、事実なんだから、しょうがねえよ。俺の責任じゃない。証拠を見つ
けられなかったのは、警察の力不足さ。もっとも、俺は犯人じゃないんだから、
最初から無駄だったんだけどねえ」
「口から出任せをまくし立てて、切り抜けられるという考えが、甘いと言って
るんだよ、俺は。もう一つ、教えてやろう」
「な、何だよ」
瞬時にして、七井の顔が陰る。目つきにおびえの色が浮かんでいた。
「ばらまいたキーホルダーを、警察が一つ一つ調べることはないと踏んでいた
ようだが、そんな手抜きはしない。正直言うと後回しってことで、放置してあ
ったんだが、こうして指紋に関する疑いが浮上してきたんでな、丁寧に調べた
んだ」
「そんな物、何の役に立つんだよ。指紋は主に脂分でできていて、熱で壊れる
はずだ。あとで調べたんだから、間違いない」
「おっと、今のは失言だな。そんなことを調べてどうする? おまえが犯人だ
からだろ。心配で心配でたまらず、普段行きもしない図書館で調べたか」
「――うるさい!」
最早、顔面が青ざめている七井。声は、やけに甲高くなった。
「人が何調べようが勝手じゃねえか。それに、これは正式な事情聴取じゃない、
ましてや裁判でもない、俺の言葉が証拠になるもんか!」
「よくお勉強したようだが、俺は失言を誘うために喋ってるんじゃないよ。ダ
イヤモンドは高熱に弱く、燃え出すということは知っているか? ところがな、
肉にくるんで炎にさらしたところ、無傷で燃え残ったという実験結果が報告さ
れている。神の思し召しってやつかどうか知らんが、今度の殺人事件でも、そ
れと同じ現象が起きたんだな。悪いことはできないものだ。神父さんの身体の
下にあったキーホルダーは、ほとんど熱の影響を受けずに、そっくりそのまま
残っていたんだ。そいつを調べてみて、驚いたね。きれいな指紋が出たじゃな
いか」
「……」
「誰の指紋か、言わなくても分かるよな」
刑事のこの台詞が、真に最後の一撃となった。七井は両前腕をテーブルに横
たえ、がっくりとうなだれた。
「……俺が、やりました。金は、店の処分品入れに隠してます……」
後に七井が語ったところによると――十一月三十日、教会に洗濯物を届けた
際に、神父に借金を申し入れた。夏に起こした交通事故が尾を引き、困った挙
げ句、賭事で大きく当ててやろう。そのためには少しでも軍資金を集めなけれ
ばという目論見である。神父は「いい加減、ギャンブルはやめるように」と小
言をくれながらも応じ、その上、天使のキーホルダーを渡してくれた。
このとき、七井は小さい頃の記憶を甦らせ、キーホルダーを幸運のお守りだ
と、頭から思い込もうとした。自己暗示を掛けようとしたのかもしれない。
そして迎えた日曜、十二月三日。公営ギャンブルに勇躍臨んだ七井だったが、
裏目裏目の惨敗。用意してきた金を全て失った。荒れた精神状態(本人は曖昧
にしか言わないが、酒も少々入っていたと見える)のまま、車を転がし、乗り
付けた先が夜の教会。閑散とした中、七井は小部屋に神父を訪ねて、難癖を付
けた。こんな天使は何の助けにもならない! 吐き捨てるままに、キーホルダ
ーを床に叩きつけた。そんな彼を、荻崎神父はいつもの調子でなだめ、戒め、
諭した。が、このときの七井には届かず、惨劇につながった……。
「冷や汗物だったらしいじゃないか」
夕方、浩樹が空手の稽古から戻って来て、息を弾ませながら言った。香苗は、
顔を洗う彼に新しいタオルを渡してやりながら、問う。
「誰から聞いたの?」
「平成警部が、俺の携帯に電話してきた。礼を言ってくれたよ。変に猫なで声
で、くすぐったかったけどな」
「浩樹の推理のおかげだから」
「元はと言えば、プレゼント選びのおかげさ。たまたま、相手の持っている髪
留めを買ったのがきっかけ。それにしても、あの推理がぴたりと当たっていた
とは驚いた。結構、快感になりそう」
浩樹が着替えに取り掛かったので、会話が中断する。彼が脱衣所から出て来
るや、再開。香苗はすぐさま訴えた。
「だけど、犯人もしぶとかったのよ。睨みつけてくるし……私、平気なふりを
しているのに耐えられなくなりそうで、恐かった」
「刑事が隣にいたんなら、安心だろうが」
「浩樹みたいに腕っ節が強いかどうか、分からないんだもの。あの刑事さん、
見た目は頼りなさそうだったし」
「おっ。その言葉、言いつけてやろうかな」
「だって、本当よ。推理を話すのだって、メモをちらちら見ながらで、犯人か
ら言い返されて、なかなか決着しなかった」
「やっぱり、俺が直接、七井に言ってやればよかったかな。そして、抵抗する
犯人を蹴りなり投げなりで、昏倒させて……実戦の機会なんて滅多にないから
な。惜しいことした」
「また馬鹿なこと言って……。あの推理を聞いたときは、凄いって感心したの
に、あれは何億分の一かの奇跡だったようね」
「奇跡だとしても、不思議じゃないだろ」
満更でもなさそうな様子の浩樹。逆に香苗は首を傾げた。
「もうすぐクリスマスだぜ。ちっぽけな奇跡の一つや二つ、起こしてくれる」
「……そういう見方もできるわね」
意外な一面を見せられたような気がして、表情がほころぶ。考えてみれば、
事件発生以降、浩樹に支えられてきた。浩樹だけじゃなく、伯母家族みんなに。
以前からそうだったには違いない。でも、強く意識したのは、これが初めて。
「色々と、ありがとうね」
「何だよ……まるで最後みたいに」
「そう聞こえたのなら、付け足すわ……これからもよろしく」
「変なやつ」
「ところで、彼女とはうまく行ってる?」
「……気になるか?」
少なからず意外そうに、目をしばたたかせる浩樹。香苗は元気よく首肯した。
「なるわよ。何しろ、プレゼントについてアドバイスをした身だから、気にな
って気になって」
「ったく。ま、仲よくやってるよ、おかげさまでね。イブかクリスマスに二人
きりってのは、まだ無理だが」
「あら、寂しいのね。だったら、一緒にミサに来ない?」
「ミサって、教会のか」
浩樹が判断に迷う素振りを見せた。香苗が、「妹達と会ってみてよ」と言う
寸前に、返答があった。
「やっぱ、遠慮しとくわ。空手部の忘年会もあるしな」
「そう? じゃあ、来年のお楽しみかな」
「じょーだんじゃない。来年は、芝山と二人きりだよ!」
やたらと大きな声で言い残すと、背を向ける浩樹。歩き始めた彼を見送りな
がら、香苗はしっかりと記憶した。
(彼女の名前、芝山さんて言うのね。今度、学級名簿を見てみようかな)
にやにやしながら、浩樹に呼び掛ける。
「そのとき、また私が選んであげなくちゃいけないのかしら、プレゼント?」
突然、浩樹が振り返る。
「ばーか。今はそんなこと気遣うより、香苗は妹達へのプレゼントに、頭を使
ってやれよ」
一瞬、惚けてしまった。だが、すぐに答える。
「うん、分かったわ!」
――Fin.