AWC 天使の名探偵  3   永山


        
#5343/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/12/24  01:38  (191)
天使の名探偵  3   永山
★内容

 答えた直後、くすくす笑い始めた荻崎。香苗の両目が、戸惑いの色を帯びて、
徐々に見開かれる。
「そのような感想は、浮かびもしませんでしたよ。香苗さんが面白い見方をす
るから、つい、笑ってしまいました」
「ほ、本当に?」
「ええ、本当です。もちろん、あなたが教会を、こっそり見に来る理由には、
思いを馳せましたがね」
 神父は香苗からじょうろを受け取り、片付けた。香苗は、その大きな背中に
向かって、早口で抗弁した。
「こっそりというつもりは、全然ないんです」
「でしょうね。敷居が高いと感じている? いや、それもおかしいか。今、こ
うして普通に話しているんだから」
 教会の建物内へ通じる勝手口を開け、招き入れるポーズをした荻崎。香苗は
多少ためらいを覚えながらも、結局、中に入ることを選んだ。何もこれが始め
てではないのだが、最前のやり取りのおかげで、何やら気恥ずかしい。
「その、用事がないのに、押し掛けてきたら、迷惑かなと思って。それで、外
から神父さんを見つけて、忙しそうだったら、黙って帰ることにしてたんです。
今日は、少し、お暇がありそうに見えたから……」
 語尾を濁し、反応を窺う。ドアを閉じた荻崎神父は、振り返ってから、物分
かりよい笑みをたたえた。
「なるほど、なるほど。分かりました。でも、次からは、そんな遠慮は全く無
用です。神様の顔色を窺う必要はありませんから」
 言い終えて、今度は声を立てて笑う。香苗もつられて笑った。気分が晴れや
かになる。
「あ、あの、他にお手伝いすることはありませんか? 何でもします」
「うーん。やらなければいけないことはたくさんあるのですが、あなたにお手
伝いさせる訳には」
「いえ、いいんです。初対面のときからミサに招いてくれたお礼、ということ
にしておいてください」
「それではという意味ではありませんが、今日は、この部屋だけでも掃除をし
ようかと考えていたのです。ところが朝方、少し膝の関節を痛めて、億劫にな
っていました……が、香苗さんが手伝ってくれたら、随分と楽になるでしょう」
「分かりました」
 香苗は元気のよい返事とともに、腕捲くりをした。暖房のない部屋だけに、
肌寒くはあるけれども、動いている内に温もるだろう。
「そんなに張り切らなくてもいいですよ。整理をして、ほうきとぞうきん掛け
をする程度で済みます。済ませます、と言うべきでしょうか。ははは」
 掃除はまず、散らかった室内の片づけから始まった。このあとのぞうきん掛
けの邪魔になる大きな物を、一時的に礼拝堂の方へ持ち出す。とは言え、大し
た数ではない。
 香苗は、一際目立つ、大きな段ボール箱を抱えて運んだ。
「荻崎さん。これは、何です? 前来たとき、こんなのなかった」
「――ああ、それは今日持って来てもらった物ですよ」
 椅子に腰掛けたまま、燭台磨きをする荻崎は、香苗の方を振り向いた。
「意外と重たいんですけど、何が入ってるんですか?」
「ミサに関係ある物が入っていて……まあ、秘密にするようなことでもないか
ら言いましょう。キーホルダーです」
「ミサでキーホルダーを何に……」
 首を傾げる香苗に、神父は頬を緩めた。
「難しく考えない。来られた方皆さんに、お配りするための物です」
「ふうん。神父さんからのプレゼント、ですね?」
 声を弾ませる香苗。また楽しみが増えた。
「私からのではなく、浄財を使わせていただいた、せめてものお返し、という
位置づけかなあ。小さなお子さん達は特に喜ぶし、大人でもお守りとして大事
にしてくださる。あのときの笑顔を見ると、私としてもとても嬉しくなるんで
すよね」
「私も、早く見てみたいな」
「……開けてみる?」
 荻崎の囁きに、香苗は段ボール箱を封じるガムテープを凝視した。そしてふ
っと力を抜き、首を横に振る。
「当日までの楽しみにします」
「それはよかった。実は、私もそのつもりでした」
 しばし手を休め、笑い合った。
「ミサに来られないという方には、あらかじめ渡す場合もあるのですけれどね。
やはり、こういう物は当日受け取った方がいいんじゃないかと」
「やっぱり、そうですよね。そうに決まってます」
 同感であることに、また嬉しくなる。作業ははかどった。
 十五分強をかけて、小部屋の掃除は念入りに行われた。ぴかぴかになった、
とは言い難いが、部屋が明るくなり、さっぱりしたのは事実である。
「段ボール、どこに仕舞っておきましょう?」
 荷物を戻していくと、最後に残ったのが、例のキーホルダーのつまった段ボ
ール箱だった。
「棚の上に、上げてもらえますか」
 指示通りにすべく、箱を持ち上げる香苗。教室の掃除では、こんな力仕事を
したことはなかった。
「……っと。棚の上に置くには、ちょっと嵩があるみたいですよ」
 箱がつかえている。香苗は胸元で抱え直し、床に置いた。
「そうですか? 仕方がないですね。まあ、あそこに置くと、私が降ろせなく
なるから、やめて置きなさいという啓示なんでしょう。それでは、と……」
 にこにこしながら、室内を見回す荻崎。やがて、一方向に定めた。
「机の下が、ちょうどよさそうな感じです。入れてみてくれますか」
「はいはい」
 押し込むと、段ボール箱は机の下の空間に、余裕を残して収まった。椅子に
座って、足を置くスペースも何とかある。
「これでいいですか?」
「はい、結構ですよ。今日はここまでにして、お茶を入れましょう。ご苦労様
でした」
 と言って、荻崎は湯飲み二つと急須を用意し、急須の方にお茶っ葉を投じた。
電気ポットのお湯を注ぎ、香苗の返事を待たずに、お茶の色づきを待つ。
「いただき物のお菓子があります。一緒に食べませんか? ダイエットをして
いるのでしたら、無理強いいたしません」
 冗談めかして言う荻崎は、香苗にとってちょっと珍しい。微笑ましくなって、
厚意を受けることにした。
「あ、じゃあ、少しだけ」
 お菓子を前に、荻崎は数言唱えながら、十字を切る仕種をし、最後に日本式
に合掌した。
「神仏合体という感じですね」
「ああ、これは他の方達と外食をした際、私が普通にいただきますをすると、
奇異の目で見られましてね。私としては、気を遣って長いお祈りをやめて、日
本の風習に倣ったつもりだったのに。それをきっかけにこういうスタイルをし
始めたら、今では癖になってしまいました」
 本当なのかどうか分からない。今日は神父さん、冗談を言いたい日なのかし
ら、とさえ思った香苗である。
「そんなごちゃ混ぜにして、神様は怒りません?」
「神は心が広いんです。こんなことで、怒ったりしないんです。あははは」
 香苗は笑って聞き流そうとした。だが、湯飲みからお茶を一口飲むと同時に、
一つ、引っかかりを覚えた。ついでに聞いておく。
「……あの。私、本で読んだんですけど、神様って、結構人間的じゃありませ
んか? 嫉妬したり騙したり、人を必要以上にきつく罰したり」
「ははは、色んな国の色んな神様が、いっしょくたになっているようですね。
確かに、その通りです。人間らしい、感情的な神々。親しみやすさと崇高さを、
同時に表したものと言えるかもしれません。ただ、根っこにあるのは同じでは
ありませんか。救いを求めている人々に、あまねく手を差し伸べる。悔い改め
ない者には、罰を」
 神父の話に、途中まではうなずけていた香苗だったが、最後に来て反発を覚
えた。覚えざるを得なかったと言ってもいい。
「それはじゃあ、悪くない人には、神様のご加護がある、という意味ですか」
「そうあるべきだと、信じています」
「でも、現実はそうじゃありません」
「残念ながら、そうかもしれません。神は本来、全てを見つめているものです
が、世間が乱れてくると、行き届かないことも起こってしまう。――香苗さん、
あなたの経験を聞かせてもらえますか。私でも、何かできるかもしれませんよ」
 見透かした風に、荻崎は言い、手の甲を下に向けて、促してきた。
 いつもなら、香苗は素直に話していただろう。しかし、現時点に限って言え
ば状況が違った。先ほどの反発心に加えて、たった今の、全てを分かり切った
ような神父の言動が、香苗を一瞬の内に頑なにさせた。
「ごちそうさまでした。時間がないので、これで失礼します」
 席を立ち、最低限の礼儀を尽くすつもりで頭を下げると、香苗は扉を押し開
け、出て行った。教会からも足早に遠ざかる。
 火事で両親を亡くし、妹達と離ればなれになった彼女にとって、冷静なまま
話せるようになるのには、まだ早いのかもしれない。

「ごめんね、浩樹」
「何謝ってるんだよ」
 弟は元々いないけれど、もしもいれば、きっとこんな感じになるのかな。妹
とは違う意味で、かわいい――香苗の頭の中を、そんな思いがよぎる。
 浩樹は数歩前を、力強い足取りでぐんぐん進む。たった今、同い年の香苗か
ら子供扱いされたことなんて、つゆとも知らずに。
「だって、最初の約束よりも、遅くなってしまったわ。私、なかなか都合がつ
かなくて」
「その言葉は、先週の今日、聞いた。気にすることないって。元々、俺の方か
ら頼んだことなんだからな。感謝してるよ」
「それならいいんだけれど」
 喋りながらでも、歩く速度は落ちない。真っ直ぐに目指すのは、この町で一
番大きなショッピングモール。まだ距離はあるのに、早くもジングルベルの音
が耳に届いた。
「楽しそうね、浩樹」
 浩樹の背中に声を掛ける。途端に振り返った。
「な、何を言ってるんだよ、全く。俺の顔を見たのなら、まだしも」
「足取りが、いつもより弾んでいる感じ」
 香苗は、浩樹の足下を指差した。おろしたばかりの新しい靴を履いているの
は、クリスマスイブまでに慣れるためだろうか。もしこれが当たっているなら、
浩樹は当日、誰かとデートに違いない。
「ばーか。これは弾んでるんじゃなくて、単に急いでるんだよ。女にプレゼン
ト買うなんてこっ恥ずかしいこと、さっさと済ませなくちゃなんないからな」
「そういうことにしておきましょう」
「何にも分かってねえ……」
 大きな動作で前に向き、またも先へ先へと行く浩樹。悪態をつきつつも、香
苗との軽妙な会話を楽しんでいる節があった。
 香苗は五歩ほど小走りをして、追い付くと、小首を傾げ加減に尋ねた。
「もしも、同級生の男子とばったり会ったら、どうするつもり? 言い訳を考
えたとか?」
「そんなことにならないように、こうして遠くまで出て来たんじゃないか」
 確かに、普段の買い物時よりも遠い駅で降り、滅多に行かないデパートを目
指している。
「人の話は、ちゃんと聞きなさい。あくまでも仮に、よ。それに、他の男子だ
って、同じことを考えるかもしれないわよ。お互いに、出くわさないようにす
るために遠くまで来て、結局、顔を合わせてしまう、なんてね」
「確率は物凄く低いと思うぜ」
「あり得ないことではないわ」
 そんなやり取りを展開する内に、目的地であるデパートに入った。白く光る
案内板の前に立つ。一〜八及び地下の各階でどんな物を売っているのかを、ま
とめて記してある。
「……なあ。どこへ行けばいい?」
 並んで案内を見る内に、浩樹がしびれを切らしたように、香苗の肩を指で突
っつきながら聞いてきた。
「自分で決めれば、いいんじゃないかしら」
「だ、だーから。今日の香苗は、俺のアドバイザーだろ。何のために、着いて
きてもらったんだか、それじゃあ分かんなくなるじゃないか」
「ああ、そうだったわね。忘れてた」
「冗談じゃねえや」
 そういう浩樹は、当然、香苗の言葉がジョークだと思ったことだろう。実際
のところ、香苗は本当に、半分方忘れかけていたのだった。浩樹とこうして買
い物に出かける行為が、妹達とのそれとオーバーラップしたためかもしれない。
(今度会うとき、葵や柚花とも、買い物に行けたらいいな。女同士だから、も
っと楽しいかな。買いたい物が重なったりして)
 想像を膨らませていると、浩樹が鋭い調子で言って、水を差した。
「おいっ、早く決めてくれ」

――続く




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