#5315/5495 長編
★タイトル (CWM ) 00/12/06 22:20 (164)
天空のワルキューレ(後編)D つきかげ
★内容
天空城の森は、太古の静けさを纏っている。その神々が地上にいた古き世界の気配
を漂わす森の中を、無言で巨人が歩いてゆく。フレヤであった。
真白き巨人は森の最深部へと入り込んでゆく。そこには、ひときわ大きな木が聳え
ている。それ自体が小さな山を形成しているような巨木であった。
もし、その木をトラウスの神官が見たとしたら、それがまぎれもなくユグドラシル
と同じ性質を持つ木であることを知り、驚くだろう。トラウスの象徴ともいえる聖樹
ユグドラシルは、黄金の林檎の力を吸収し封印することができる樹木であった。
フレヤは、おそらく自らを封印する力を持つ木の根元に来たことになる。その表情
からは相変わらず何も読みとることができず、夢見る者のように慈母の笑みを口元へ
貼り付けていた。
巨木の根元で影が蠢く。そこは昼間でも昏く、影が澱んだ場所である。その影の中
でもより濃厚で凶悪な気配を纏った闇が立ち上がってきた。その闇の中に墜ちた凶星
のような、二つの光が灯る。
闇は影の中から歩み出してきた。輝く黄金の瞳を持つ魔族の狂王ガルンである。ガ
ルンは木漏れ日の中にその姿を晒す。フレヤは歩みを止め、ガルンを見つめていた。
ガルンは満足げな笑みを見せる。
「やはりここへきたか、フレヤ。おまえが自由になる為にはこの樹を破壊する必要が
ある。ユグドラシルの投影ともいえるこの樹こそ、今のおまえをコントロールしうる
唯一の存在だからな」
ガルンの言葉にフレヤは反応を見せることなく、ただ薄く微笑むのみであった。魔
族の狂王は、邪悪な笑みを深める。
「剣を抜いてみるがいい、巨人。おれとこの樹を、破壊してみせろ」
フレヤの動きは人間の把握できる速度を超えていた。それでもガルンは魔族であり、
神速の領域であっても把握できる能力がある。そのガルンですら、フレヤの剣は一瞬
の閃光にしか見えなかった。
ごおっ、と風が鳴る。フレヤの動きによって小規模な竜巻が発生していた。樹の枝
がゆれ、軋み音が響く。
ガルンはフレヤの剣によって、樹の幹に磔にされていた。剣の突き立てられた樹の
幹には、巨大な亀裂が走っている。
風が去っていった。静寂が戻る。ガルンは串刺しにされた状態でフレヤを見上げた。
その姿は人の形態をとってはいたが、巨人は既に人と呼べる存在では無くなっている。
凶暴なまでに大きな力が動きだそうとしているのを、感じた。
それは、突然起こる。フレヤの瞳が一瞬黄金に輝いた。同時に、剣が凄まじい超振
動をおこす。
樹が悲鳴をあげた。全ての枝が小刻みに震え、幹は振動のため無数の亀裂を走らせ
てゆく。
それは、大きな獣がのたうつ様を思わせた。地面も揺れ、根が大蛇のように地上を
這い回る。
ガルンの身体は、振動のため人間の形態を保つことができなくなっていた。その姿
は次第に球形へと変化してゆく。そして剣の放つ超振動が極限にまで高まった時、ガ
ルンの変化した漆黒の球体が炸裂した。
ガルンの身体を形成していたメタルギミックスライムは、黒い霧状の存在となり宙
に浮く。それは生きて、意志を持った闇である。その生きた闇は、フレヤへ襲いかか
った。
フレヤの真白き身体が、切り取られた闇夜のようなガルンの霧に覆われる。超振動
は止まった。
静寂が戻る。そして、フレヤを覆った闇が収束してゆく。
闇は、巨人の形態を取った。立ち上がった巨大な闇と化したフレヤはゆっくりと、
剣を納める。
純白であった鎧もマントも、深き冥界の闇のような黒い色に染められていた。そし
てその肌も、魔族と同様の闇色と化している。
瞳が光を放つ。それは、ガルンとおなじ黄金の瞳であった。その奥にはガルンの持
つ、凶暴な思念が潜んでいる。そして、黄金の炎のような金髪が闇の中から浮き出て
きた。
フレヤの顔から慈母の笑みが消えた。替わりにガルンが浮かべていた、破壊に飢え
た獣の笑みが現れる。
深い海の底が持つ静寂に満たされた、天空城の空中庭園。その麻薬を吸引したもの
が見る幻覚のように鮮やかな色彩の花々で満たされた空間に、老賢者の静けさを纏っ
た少年の姿を持つ魔導師マグナスが佇んでいる。そして、その傍らには冥界の使者の
ような黒衣のロキが立っていた。
二人の見下ろしているのは、水鏡である。その水鏡には、星無き夜空を纏ったよう
に漆黒の姿となったフレヤが写っていた。暗黒の宇宙を僕としたような姿の巨人は、
水鏡のなから凶暴な笑みを投げかけている。
マグナスは、ふと空を見上げた。その瞳が紺碧の空の中に見いだしたのは、龍の幼
生である。既に死体と化した龍の幼生は、魔族の女王であるヴェリンダの魔力によっ
て操られていた。
ブラックソウルとヴェリンダを背に乗せた龍の幼生は、悠然とマグナスの前へと舞
い降りる。マグナスは微かに笑みを浮かべてその様を見ていた。
狼の笑みを浮かべ、ブラックソウルはマグナスの前に立つ。ブラックソウルはどこ
か楽しげに黒い目を光らせながら、一礼をした。
「お招きにより参上させてもらったよ、マグナス殿。もっとも」
ブラックソウルは黒曜石の輝きをもつ瞳に、嘲りの色を浮かべて水鏡をのぞき込ん
だ。
「我らを招いた本人は、ここにいないようだ」
マグナスは老いた者が持つ静寂を纏ったまま、水鏡を示す。
「ご心配なく、今ガルンが挨拶にまいります」
水鏡は黒い墨をたらしたように、闇に閉ざされてゆく。そしてその闇は、水鏡の中
から立ち上がった。
黒い水の柱は、闇水晶の彫像のようにきらきらとした輝きを放ちながら、魔族の姿
を形どり始める。最後に、地上へ墜ちた星のような金色の光が二つ灯り、ガルンの姿
が完成した。
『待ち侘びたぞ、ヴェリンダ。しかしいいタイミングでおれのもとへ来た』
ガルンの姿をとった闇色の水は、泡立つ音のような声で語りかけてくる。ヴェリン
ダは、闇色の美貌に薄く笑みを浮かべ応えた。
「そのようだな」
『今、おれの手中に死せる女神の娘というべき巨人がおり、また、死せる女神の心臓
である黄金の林檎がある』
ガルンの両の瞳は、狂気の夜を支配する月が放つ光を宿しはじめた。
『おれとともに来い、ヴェリンダ。そうすればおまえの弟ヴァルラを解き放つ。そし
て、アルケミアはヴァルラにくれてやる。おれとおまえは人間どもの住む中原を支配
しよう』
ヴェリンダは、表情を変えない。ガルンは吠えるように言葉を続ける。
『なんならおまえのお気に入りのその人間を、王にしてやってもいい。おれたちで、
中原を人間どもの血で紅く染めよう。大地に血の海を造ろう。死体の山を築こう。幾
万もの怒り、幾万もの絶望、幾万もの呪詛で大地を満たそう。恐怖と狂気による戦い
を、地上に満ち溢れさそう』
ヴェリンダは、薄く笑ったまま言った。
「神々の約定に背くというのか」
『そうだ。古にヌース神とグーヌ神がとりきめた、人間の手で黄金の林檎を天上へ返
させるという約定。それはおれの手に黄金の林檎がある以上、無意味だ』
ガルンの姿をした漆黒の彫像は、水でできた拳をつきだす。漆黒の滴がしたたり落
ちた。
『かつてはラフレールの裏切りによって、おれの夢は潰えた。しかし、ラフレールは
再びおれの味方だ。もうおれを阻止するものはない。人間を、あの白い家畜どもを踏
みにじり、もう一度ヌース神とその僕である天使どもと戦う』
ヴェリンダは冷静に言った。
「ヌース神に滅ぼされるのが、おまえの望みか?」
『馬鹿をいえ』
ガルンの瞳は狂おしく光る。
『おれは巨人を手にいれた。黄金の林檎と一体化した巨人。その力をもってすればヌ
ース神であっても滅ぼすことができる。おれにはそれが判る』
ヴェリンダは嘲るようにいった。
「いずれにせよ、おまえのもとへ行くつもりは無い」
『なぜだ』
ガルンは狂ったように叫ぶ。
『なぜおまえは家畜とともに生きる。おまえとて魔族だ。狂乱と破壊、絶望と死を愛
する魔族のはずだ。なぜおまえは』
ヴェリンダは静かに答える。
「私の望み、いや、私とブラックソウルの為そうとしていることを、教えてやろう」
ヴェリンダは、厳かといってもいい口調で語り始める。
「ヌース神を滅ぼしたとしても、その父であるサトス神がいる。双子の神であるヌー
ス神とグーヌ神を産んだ女神であり、この宇宙の外から侵入してきた存在であるフラ
イア神を殺した死の神、サトス。そしてさらにサトス神の父である宇宙神マクスル。
そのマクスルは絶対者クラッグスの投影にすぎない。いいか、ヌース神は宇宙の最下
層の神だ。この我らの世界は、宇宙の最も深く昏い地の底に造られた牢獄なのだ。上
位階層は、ヌース神やグーヌ神とは較べものにならないような強大で、果てしない存
在が支配している」
ガルンはヴェリンダの言おうとしていることに気がついたらしく、凍り付いたよう
に動きを止めている。
「我々の次元界とは比較にならない強大で果てしのない上位世界。そこにはより高度
な知生体が存在し、我らの想像を超えた高度で完成された文明が存在するともいう。
おそらく我々にとって人間が家畜であるように、上位世界の存在からすれば我々もま
た家畜同然なのだろう。そんなことが許せるか、ガルン?」
『そんな、しかし、』
ガルンは言いよどむ。ヴェリンダは冷静に言葉を続ける。
「私の望みは上位世界の最上位に存在し、この宇宙そのものといってもいい絶対者ク
ラッグスを滅ぼすことにある」
ガルンは苦しげに言った。
『こ、この宇宙を滅ぼすというのか?』
ヴェリンダは嘲るような笑みを浮かべたまま言った。
「そうだ。私とブラックソウルの望みはこの宇宙を破壊し尽くし、その向こう側、つ
まりフライア神が存在していたであろう、宇宙の外へゆくことだ」
ガルンは呻くような声をあげる。
『できる訳がない、そんなことが』「できるさ」
ブラックソウルは楽しそうに、割ってはいる。
「あんただって、いや、あんたこそ本当はよく判っているはずだ。黄金の林檎の力を
使えば、それができるということを」
ガルンは沈黙した。ブラックソウルはとても楽しげに微笑む。
「さあ、もうあんたにはその黄金の林檎は不要のものだろう。ヴェリンダとの愛の王
国が造れないのなら、あんたは存在する意味すらない。おれに黄金の林檎を渡せ」
ガルンは静かに言った。
『おれのせいなのか、ヴェリンダ』「さあな」
ヴェリンダは薄く笑みを浮かべて応える。
「しかしもし、父を殺され全ての魔法が作動しない世界デルファイに幽閉された状況
でなければ、ブラックソウルに宇宙の外へゆくという望みを聞かされたとしても相手
にはしなかったろうよ。そういう意味ではおまえに感謝してもいいぞ、『狂王』ガル
ン」
ガルンはひどく落ち着いた声で言った。
『おまえを殺す、ヴェリンダ』
ガルンは悽愴な気配を漂わせながら、言葉を続けるる『おまえに宇宙を破壊させる
つもりはない、ヴェリンダ。おれがおまえを殺す』
ガルンの姿をしていた黒い水は、突然崩れ落ちる。