#5287/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/11/30 00:27 (200)
そばにいるだけで 54−7(文化祭編−前) 寺嶋公香
★内容 04/04/11 11:26 修正 第2版
「だったら――どうしたいの」
「分かんない、自分でも。ただ……ただ、どうして同じ相手を好きになっちゃ
ったんだろ……」
「そんなこと、今言われても……しょうがないわよ」
富井と井口のやり取りを、町田は傍観するしかなかった。早々と戦線離脱し
ていたおかげで、気まずい心持ちは軽くてすんだかもしれない。だけど、代わ
りに、立ち入れない領域をこしらえてしまったようでもある。
(ちょっぴり、妬ける気もするな。あそこであきらめずに、もう少しくらい、
相羽君を追いかけてもよかったかも)
昔を思い出して、ふと想像する。かすかな笑みがこぼれた。所詮は過去。意
味のない想像だ。
「純ちゃんに、ちゃんとした恋人ができればいいのに。そうしたら、相羽君も
あきらめるはずよ」
町田が短い空想に耽る間に、富井が突飛な考えを口にした。無論、本人は大
真面目に違いない。
町田は口を開きかけて、やめた。自分一人の胸の内で、真剣に検討してみる。
(確かに、純に男ができれば、事態は違う方向に動くかもしれない。善し悪し
は別にして、だけど。純にしても仕方なしにとは言え、相羽君をふったからに
は、別の相手を見つけようという気が、多少はあるんじゃないかな。……でも、
難しいか。芸能界に関わり持ってるあの子が、この手の話をほとんどしないこ
とを思うと、近い内に新しく好きな相手を見つけるのは、現実的じゃなさそう)
町田はこの考えを脳から放逐した。仮に現実味があったとしても、最善の手
段でないのは明らかだ。
ところが、富井はまだ食い下がっていた。
「琥珀の王子様が今、純ちゃんの前に現れたら、きっと変わると思うんだけど
なぁ……無理かなぁ」
「人捜しを始める気?」
井口が頓狂な声を上げた。それだけ富井の話っぷりや目つきが、真剣味を帯
びていたのだろう。
「それができれば、苦労しないよぉ……」
富井は弱々しく首を左右に振った。町田はその様子を見つめながら、不安が
広まるのを意識した。
(話したの、郁には逆効果だったかしら? 状況を理解できたんだから、これ
以上、こじれることはなさそうだけど)
町田は今日中の決着を放棄した。元々、そこまでうまく行くとは期待してい
ないから、がっかりもしない。
「とりあえず、純のところの文化祭に、みんなで行くでしょう? そのときに
ちょっと考えてみようよ」
いささか力無い台詞で、町田は形ばかりの締めくくりをした。
* *
文化祭が近付いている。
けれど、帰宅部の純子はやることがなくて、その点、暇と言えた。クラスの
みんなが、掲示板がどうの暗幕がこうの、実行委員会に枠の拡大を要求すると
か何とか、盛り上がっているのを見ると、少なからずうらやましい。
(……まだ鳥越君に返事してなかった)
忙しさにかまけて忘れていた。通学路を一人、レッスンへと急ぎながら、頭
をかく。
(でも、今の時季に天文部に入るっていうのもねえ。文化祭だけが目当てみた
いに思われるかも)
気が進まない。それに。
(相羽君たら、いつの間にか、籍だけ天文部に置いてるんだもん。あとから私
が入れるわけないじゃない)
恐らく、鳥越にうまく言われたのだろう。相羽は形の上では、天文部部員に
なっていた。
(何にしても、久仁香や郁江が文化祭に来たとき、相羽君に引き合わせるには、
決まった場所があった方がいいわ。いくら幽霊部員でも、全然手伝わないです
むはずないだろうから、郁江達を天文部に案内すれば、多分、会えるはず)
その間、私はどこにいよう……色々と算段を巡らせる純子だった。
駅まであと数十メートルの地点に来たとき、左後方でクラクションが鳴った。
反射的に振り返ると、見覚えのあるバンが、パン屋の前を発進し、スローペー
スでこちらに近付いてくる。フロントガラスの色の濃さと、夕方という時間帯
が相まって、車内の様子はさっぱり覗けない。
「――鷲宇さん」
不意に思い出し、つぶやいてしまった。急いで口を手のひらで隠し、周辺の
誰にも聞かれなかったことを確かめる。そして純子は左右を見て、道路を横切
った。車のすぐ横、歩道側に立つと、助手席のドアが開く。
「ついでがあったから、迎えに来ましたよ。気付いてくれなかったらどうしよ
うかと不安だったけどね。よかった。さあ、乗って」
饒舌に言って、促してくる鷲宇。純子も心得たもので、すぐ座席に収まり、
ドアを閉める。
「ありがとうございます。助かっちゃった。実は、ちょっと遅れ気味だったか
ら、焦ってたの」
「グッドタイミングだったわけだ。本来なら、常に迎えに行ってあげたいんだ
けれど、以前、話したように――」
「はい。送り迎えをスケジュール化すると、勘のいい記者さんに追跡されて、
私が久住淳だと気付かれかねない、ですよね?」
微笑みかける純子へ、鷲宇は「一言一句、同じじゃないか? 驚嘆すべき記
憶力だ」とおどけた。
レッスンに使っているスタジオへ向かう道すがら、鷲宇は今後の予定につい
て話してくれた。
「――それから、クリスマスイブのことだけど」
この時季、鷲宇と純子の間で用いられる「クリスマスイブ」という単語は、
イコール、ボランティアとしての生演奏だ。純子にとって、去年に続いて二回
目になる。
「今年、どこでライブをやるか、予定が決まった。それについて、君に言って
おかなければならないことがある」
「はい?」
「僕らは、毎年、違う場所を回るのをルールとしているんだ。なるべく多くの
人達に僕らの音楽を聞いてもらって、楽しんでほしいからね。さて、これ、ど
ういう意味か、分かるかな」
唐突な謎かけに、純子の反応は戸惑い気味。ようく考え、答を見つける。
「えっと……あ、あの子にも会えないんですか? 美咲ちゃんに」
鷲宇を通じての話で、彼女は今も入院していると聞いている。快方に向かっ
ているわけではないらしく、むしろ、どちらかと言えば、わずかずつではある
が、悪くなっているとも聞く。
「ルールに従えば、そうなる」
静かに言い放った鷲宇。少しの間、無言のときができた。
「あの、私が個人的に、会いに行くっていうのは、だめでしょうか」
「僕がとやかく言うことではないから、かまわないけれど、その前に、君は久
住淳として会いに行かなければならないんだよ」
「それは、当然です」
それぐらい分かってるとばかり、強い調子で答えた純子。しかし、鷲宇の方
は、いいや、分かってないねと言いたげだった。
「考えてもごらん。久住淳ほどの者が、あの吉川美咲という子だけを見舞いに
行ったら、おかしくないか。何か裏があるんじゃないかと、痛くもない腹を探
られることになる」
「……新曲を持って、お見舞いに行こうと思ってたのに。励ませたらいいと思
ってたんだけれど」
指摘にはうなずけるものがあったが、あきらめきれない。
次に閃いた。せめて贈り物をするくらい、いいのでは。
その考えを聞いてもらおうと、運転席を振り返った矢先、鷲宇が穏やかな口
調で、何気なく告げた。
「ところで、君には隠していたが、今年は特例を作ることにしたんだ」
「え? 何です?」
横を向いたまま、固まってしまう。意味がよく分からなかった。
鷲宇は、そんな純子の表情を視認できたからか、突如、笑い始める。ハンド
ルから片手を離し、口元を押さえた。
「彼女のいるところに、今年も行くことにした」
「本当ですか?」
純子は運転席へ顔を寄せた。手も伸ばし、鷲宇のシートベルトを引っ張り、
揺さぶりそうな勢いだ。
「本当です。無責任なことはできやしない」
「あ、ありがとうございます、鷲宇さん!」
運転中でなければ、鷲宇に飛び付いたかもしれない。
とにかく、クリスマスイブの件を聞いて、気持ちが晴れやかな方に向いた。
これで、今夜のレッスンには存分に打ち込めそう。
* *
一人、教室に残り、帰り支度を急いでいた相羽は、白沼が引き返してきた瞬
間、何となく嫌な予感を抱いた――かもしれない。
「ねえ、相羽君」
ついさっきまで、一緒に学級委員としての仕事をしていた白沼は、相羽との
共同作業が楽しくてたまらない様子で、笑みを絶やさずにいた。今もまだ、そ
の名残がある。
「聞こえてる?」
相羽が返事をためらっていると、白沼は後ろから肩をぽんと叩いてきた。振
り向かずに、「ああ、ごめん」と応じた。今頃になって、ようやく鞄の中身の
整理がついた。
「文化祭のことなんだけれど、相羽君、天文部に入ったんだったわよね」
「つい最近だけどね」
「部の展示で、何か役目をもらってるのかしら?」
「受け付けをするだけだよ。言わなかったっけ」
「その受け付けは、何時からするの? 教えてよ」
「午前十時から十一時まで一時間と、昼の三時から四時まで一時間」
「まあ。面倒なのね、二回に分けてだなんて」
眉間にしわを軽く作った白沼。受け付けのローテーションを組んだ先輩のセ
ンスを疑うわ、とでも言い出しかねない雰囲気。
「根本的に、部員数が少なくてさ。新入部員がこれくらいやらなきゃ、うまく
行かないんだよ」
「そういうものかしら。ま、いいわ。空いてる時間、私と付き合ってよね。二
人で、色々と見に行きましょうよ」
「それは」
相羽が否定的な返答をしかける寸前、白沼は台詞を覆い被せてきた。
「もちろん、私の方はきちんと時間調整しておくから、安心して」
「他の友達と約束しているんだ。だから難しいと思う」
「誰と?」
口調が若干、冷たくなった感じの白沼。目つきも、いや、表情全体も、鋭く
なったように見えなくない。
「誰だっていいだろ」
「涼原さんね? 隠すところを見ると」
「どうしてそうなるんだか……」
頭が痛くなってきそうだ。相羽は実際に、こめかみをもんだ。
白沼はお構いなしに、高めの声で詰問を継続する。腰の両側に手を当て、や
けに強気な態度である。
「そうでなかったら最初に聞いたとき、名前を教えてくれるものでしょ。それ
を友達だなんて、曖昧な言い方して」
何で僕が涼原さん絡みのことを君に隠さなきゃいけないんだ――そう文句を
言いかけた相羽だが、こらえる。本当に隠していたことも、一つか二つ程度な
らあるのを思い出したせいもあった。
「その考え方、少なくとも今回は外れだよ。僕が言った友達ってのは、唐沢を
差してるんだ」
「そんなこと、分かるもんですか。唐沢君がいないこの場では、白黒着かない。
咄嗟に、男友達の名を出しただけかもしれない」
どうしてこう疑り深いんだ? 相羽は今度は慨嘆した。
「信じてもらえないなら、僕はもう答えないよ」
「だって……私、見かけたのよ」
相羽が強く出ると、白沼は声のトーンを落とした。か弱く振る舞う作戦なの
か、たまたまなのかは分からない。
「あなたが涼原さんに頼みごとされてたのを。つい先週のことだわ」
「――ああ、あれは、天文部の受け付けが終わっても、しばらく動かないでい
てと頼まれただけだよ」
「……」
白沼が、腕をわずかに震わせた。完全には納得できていないようだが、口を
つぐんだ。そして、矛先を転じてきた。
「涼原さんの頼みは聞けて、私のは聞けないのね」
「そりゃあ、順番てものがあるから。早い者勝ちにするしかないでしょ」
肩をすくめる相羽。それでも白沼は、食い下がった。
「そうかもしれない、確かに。けれど、好きな子からの頼みだったら、順番が
一番最後でも、どうにかして都合を付けるんじゃないかしら。たとえ無理でも、
その努力はしてみるはずよね」
今度は相羽が口をつぐむ番だった。答は決まっているけれど、口にすれば、
深みにはまりそうで、警戒心が働く。
白沼は顔を一段と近付け、不意に、相羽へ微笑みかけた。
「いいわ。文化祭の間は、あきらめる。その代わり、終わったら、二人きりで
会ってちょうだい」
――つづく