#4801/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 4/29 16:31 (190)
そばにいるだけで 35−8 寺嶋公香
★内容
何となく納得できなかった。
(うーん……格好よくない)
最初は着ていく服に悩んでいたのが、帽子やアクセサリーとの組み合わせ、
髪の毛の跳ね具合といった点にまで波及し、ついには自分の目鼻立ちやスタイ
ルに対する不満へと発展した。
(少しでも印象をよくしたい)
髪のカールを手直ししつつ、思う。
香村と久しぶりに会える。もしかしたら二度と機会に恵まれないのではない
かと感じ始めていただけに、気合いも入ろうというもの。
言われた日時に電話した際、心拍数の急上昇を意識しながら呼び出し音を聞
いていた。音が途切れ、電話口に出た香村の声を聞き、夢見心地の気分に拍車
が掛かった。ふわふわした気持ちのまま、香村が完全休日のときに会う約束を
交わしていた。
その約束がもうすぐ実現される。
「ああ、もうっ。時間ないわ」
心残りではあるが、約束の時刻に間に合わなくなっては元も子もない。忙し
い相手が時間を作ってくれたのだ。
(帽子をずっと被っていようかしら)
そんなことを考えつつ、純子は身仕度を済ませた。
「香村君、本当に来てくれてるかな。忙しい人なのに」
つぶやくことで不安が解消されるわけではない。
「失礼のないようにしなさいよ。それと、時間厳守」
「分かってる」
母親の注意を背に受けて、玄関を出た。
とにかく遅刻だけは避けようと、駅までの道を急ぐ。あんまり早足になると
今度は服の乱れが気になるに決まってる。だから短い距離でもバスを使った。
昼前と言うにはまだ早い時刻、五人ほどしか乗客はいない。
「あつ」
帽子を取り、風を顔に送る。
(サングラス掛けて来るといいよなんて言われたけれど、自分はいらないわね。
誰も気付かない)
気が楽でいいと思った。
窓の外を見た。家並みが流れていく。景色が開けた。
惜しい気もあるにはある。
(香村君ほどじゃなくても、人気あった方がいいのかも。それにはたくさん経
験積んで……あ、でも、香村君は目新しいことやりたくて新人の私と共演する
気になったって言ってた)
窓ガラスにうっすらと映る表情が、少し陰った。
しかし、嘆息する暇もなく、バスは駅前にゆるやかに滑り込んだ。運賃を払
って、降り立つと同時に帽子を被る。鏡が欲しかったが、余裕がない。プラッ
トフォームへとにかく急ごう。
歓迎するかのごとくタイミングよく入ってきた列車に乗り、下りるときに少
しでも早いようにとドア近くのシートに座る。座ってから首を曲げ、優先座席
でないことを念のため確かめた。
今日の目的地は、いつも友達と買い物に出たり遊んだりする街ではない。よ
り大きな駅まで、普段の倍ほど揺られて行くことになる。
純子は前方の空席を見つめながら、先ほどの続きを考え始めた。
(いつまでも新人でいるのは不可能だし、将来、香村君と一緒に仕事するチャ
ンスなんてないだろうし……)
発想の転換を図る必要がありそうだ。
(仕事でつながりを持とうと思うのが間違いなのよね。友達になりたいな。学
校の友達みたいに、普通に話せるような)
持って来た琥珀を、ポケットの上からぐっと握りしめる。
(なれるよね)
わずかだけど、勇気が出た。その代わり、駅に近付くに従って、緊張も高ま
ってきているみたい。
軽く握った右拳を胸元に当て、車輌が停止するのを待つ。停まるとき、慣性
の法則で身体がわずかばかり傾いた。
機械の空気圧の音とともに、ドアが開いた。手すりを中心としたコンパスの
ようにして、純子はプラットフォームにぽんと降り、立ち止まることなく走る。
階段を上り下り、自動改札もスムーズにくぐり抜け、南口から出る。すぐ目
の前に広がる噴水目指して駆けた。今となっては遅刻はもうない。少しでも早
く着きたいだけ。
不思議と息は切れていない。高まる期待感と緊張感からか、胸がかすかに上
下する。それを意識しながら、純子は首を巡らせた。やがて、首だけでは足り
なくて、身体ごと四十五度ずつぐらい回転を始めた。
(いない。今、ちょうど十二時よね。やっぱり忙しいのかな。電話してみよう
かしら?)
それはまだ早いと思い止まる。さらに。
(それとも、もしかして、からかわれた……)
唐突に生まれた嫌な想像を、目を瞑り、振り払う。
すると――いつも以上に暗くなった。瞼を通して差し込む明るさが乏しい。
一瞬の後に、何かが両目の上から覆い被せられる。
「きゃ」
* *
信一が玄関に腰を下ろし、靴紐を結び直していると、キッチンにいる母から
問われた。
日曜日、早い昼食を終え、信一は出かけようとしていた。
「時間かけておめかししてたみたいだけれども、友達に会うだけじゃないの?」
「友達だよ」
左の靴をすませて、右に取りかかる。形よく結びたいなと思う。
「そう言えば、聞いてなかったわね。友達って言うのは男の子、女の子?」
「……」
短い間、手がお留守になった。
(参るよ、細かいことを気にするんだからっ。それもこんな土壇場で)
失敗した結び目を無造作にほどきながら、肩越しに振り返った信一。姿は見
えないが、母に向かって大声で返事する。
「分かったよ。女の子。純子ちゃんに会うんだ! もう、これでいい?」
素早く首の向きを戻し、遂に靴紐結びに成功した。
「え?」
「じゃ、行くよ!」
すっくと立ち上がり、吹っ切るようにして歩き出した。ドアのノブに手を掛
け、回す。ドアの開く音に混じって、母の声が何ごとか聞こえる。
「信一? 純子ちゃんなら」
しかとは聞き取れない。どうせまたからかうつもりなんだろう。そう考えて、
相羽は身体を廊下に移すとぶっきらぼうに最後の挨拶を。
「行って来ます! なるべく早く帰るから」
力いっぱい閉めたが、防止装置が付いているので扉は静かに、徐々に閉じら
れる。それでも防音が行き届いた構造故、信一は母の言葉の続きを聞く術を持
たなかった。
「純子ちゃんなら、今日は香村君と会っているはずだけれど……」
* *
人の手で後ろから目隠しされたんだと感覚で分かったが、突然の事態に悲鳴
を小さく上げてしまう。
「だーれだっ」
香村綸の、笑いをこらえ切れていない声が耳元でした。
「……香村君でしょ」
「当たり」
やっと目隠しを外してくれた。即座に振り返ると、サングラスを掛けた香村
の顔があった。今日は薄く紫色がかったレンズ。
「目隠しはドラマで散々やったから、しばらくいいんだけれどな」
純子の返しに、香村はひゃひゃひゃと大声で笑った。オーバーな仕種で手を
打つおまけ付き。おもむろに噴水の縁に腰掛け、笑いが収まるように息を整え
る。
「なるほどねえ。そんなこと考えもしなかった。僕はカップルの待ち合わせで
よくあるやつをしようと思っただけでさ。なかなか止まってくれないから、後
ろに回り込むのに苦労したんだぜ」
「え。それって、私が来るのを待ちかまえていたってこと?」
帽子を直す手をストップし、純子は見下ろす形で尋ねた。
香村は台詞にはせず、縦にかぶりを振った。悪戯らげな笑みが整った顔立ち
に張り付いている。
「ひどい。心配したのに」
「いいじゃない、会えたんだからさ。さあ、時間がもったいないし、お腹空い
たな。涼原さん。君は何食べたい?」
まるで気にしない素振りで香村は立ち上がると、サングラス越しに純子を見
つめてきた。目元、口元、頬……どこを取っても微笑みを漂わせている。返事
を聞かない内に、ゆっくりとだが歩き出してさえいた。
「きゅ、急に聞かれても」
答えながら、純子もやむなく前に歩を進める。相手のペースに巻き込まれて
あたふたしていたが、このときになってどうにか落ち着いてきた。髪や帽子、
服の胸元などに手をやって、身だしなみチェック。
「牛丼屋とかラーメン屋は嫌だろ?」
香村が肩越しに振り返った。ちょうど信号待ち。周囲に人がいないわけじゃ
ない。けれど、サングラスの少年が香村と気付く者はいないようだ。
「ううん」
何でも食べるわ、と続けようとして思い止まった。
(食いしん坊だと思われたらたまんない。またからかわれそうだし)
「そんだけ決めてきて?」
香村は右手で銃の形を作り、純子を指し示してきた。
「君ならどんな服でも着こなせるだろうけど、今日のは特に似合ってるよ。ま
るでファッション誌から抜け出してきたたみたいだ。あ、君はモデル出身だか
らこういう言い方は意味ないか」
自分で言って自分で笑う香村。
信号が青になるが、歩き出すのがいくばくか遅れた。
「だけど、牛丼屋向きじゃないね!」
「あの、私の学校、そういうお店に入れないの」
「何だって?」
ロータリーを行きながら、香村は大声で聞き返してきた。たくさんある植え
込みの小さな花の香りが甘くて凄い。むせ返りそうなほど。
「校則で、生徒だけで入っていいのはファーストフードぐらいなのよ」
「ふうん。何で?」
「分かんないけど、無駄遣いしないように、じゃない?」
香村はまた笑った。今度のは、お腹を抱えて苦しそうに。
「何かおかしい?」
「――無駄遣いしないように、か。傑作」
呼吸を整える香村。歩くのをやめてしまった。
「違うかしら」
「学校の先生が、僕らの財布の中を心配してくれてるわけがない。喫茶店やレ
ストランに入ったら不良になると思ってんのさ」
「あ、そういう意味。それぐらい、私も分かってる」
「話が早いや。じゃ、問題なしだね。実は行き先はもう決めてるんだよ。前に
藤沢サン達と一緒に行ったレストラン、カンドー的な味だったんだ」
「ちょ、ちょっと」
不意に動き出した香村に手を引かれ、純子は慌てて歩き始めた。
「だめよ。レストランなんて」
「何故? ああ、お金の心配してるな? 僕を誰だと思ってるんだ」
「違うの。そんなことより、校則は守らなきゃ」
「ありゃ、固いんだね。わけの分かんない校則でも守るのかい? おかしいぜ」
「お母さんが言ってたわ。ルールに文句があるときは、ルールを破るんじゃな
くて、まず言葉で表しなさいって」
「やれやれ。いいお母さんだ」
肩をすくめると、純子の手を離した香村。
「文句を言おうとしたって、今から君の学校へ戻る時間がないじゃないか。仕
方ない、ファーストフードで我慢しよう。どこがいい? 大して詳しくないん
だ。ハンバーガーかチキンか……おっと、涼原さんはダイエットは?」
よく動く口に感心している純子は、不意の質問に目をぱちくりさせた。
「女優してる子達って、そういうの多いんだよね。うっかり、誘えやしない」
「ふうん? 私は普通にちゃんと食べてる。あっ、加倉井さんもダイエットし
てるのかな。前に夕飯一緒になったでしょ。あのとき思ったんだけど」
「舞美ちゃんはほら、気まぐれなところあるから。がちがちに決心して、さあ
ダイエットするぞっていうタイプじゃない。その時どきの気分で今日は少な目
にしよう、今日は食べていいかなって決めてるのさ」
「そうなんだ?」
――つづく