#4774/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 2/27 17:28 (191)
そばにいるだけで 33−4 寺嶋公香
★内容
事務所の奥の隅には来客用のスペースが設けられている。可動式の壁に囲ま
れた空間内に、大人三人と子供二人。
「がっかりだなあ」
純子の返事に、香村は眉をへの字に下げた。テーブル上空まで乗り出してい
た上半身を引っ込め、ふんぞり返ると足を組む。
(テレビで見るよりも子供っぽいんだ? それとも、これも演技?)
純子は頭の片隅でそんなことを考えつつ、別の部分では焦っていた。相手が
雲の上の人であろうとなかろうと、こうして知り合ったのだ。嫌われたくはな
い。
「いい返事が聞けると信じて、わざわざ来たのに」
顔を天井に向け、首を右、左とゆっくり動かしている。
「何がいけませんか」
マネージャーの藤沢の指先が先程来、手帳の片隅を繰り返しこする。癖らし
く、そこの部分だけ傷みが激しい。
「ですから、他の方に失礼のない演技をする自信がありません、と」
さっきの返事の一部を復唱する純子。
「練習時間をたくさんいただけるなら話は別ですが、今のままだと迷惑を掛け
るばかりになってしまうと思うんです」
「最初から分かり切ったことですよ、そんなもの」
「でも」
「そんなもの」の一言で片付けられないんじゃあ……と疑問に感じる。
しかし藤沢は止まることなしに言葉をつなげる。
「もうね、時間がなかったので、あらゆる方面のOKを取り付けたあとなんで
すよ。手前勝手だとは承知の上で、ぜひともお引き受けください。頼みます」
大の大人から頭を下げられ、純子は途方に暮れた。助けを求めて、隣の母親
に顔を向ける。
だが、母は首をすくめただけだった。口出しするのは話におかしな点があっ
たときだけというのが基本姿勢なだけに、今も純子の自由意志に任せるつもり
に違いない。
純子は内心で嘆息しながら、もう一人の付き添い、相羽の母に目を合わせた。
付き添いと言うよりも、立会人とした方が適切かもしれない。
相羽の母は軽くうなずき、藤沢へと向き直った。
「この子が出たくないと言っているものを、曲げるつもりはありません」
「しかし、またとないチャンスでしょう。将来、タレントとして売り出すつも
りがおありなら」
藤沢は胸を反らし、強い口調で言い切った。引くに引けない事情もあろうが、
高所から物を言っているようなところが見え隠れする。
「……タレントのことは、私自身は考えておりません」
言葉を選んだ相羽の母。苦心の跡が感じられる。
「モデル一本でやると? 言っちゃあ何ですが」
言葉を途切れさせた藤沢。一旦唇を嘗め、逡巡するかのように視線をさまよ
わせたあと、純子に話し掛けてきた。
「少し、僕らだけで話がしたいんだけど、席を外してくれるかな」
純子が答えるよりも早く、相羽の母が反応した。
「何故です?」
「子供の前では話しにくいことも色々あるでしょう。それですよ。ちょうどい
いから、席を外してもらう間、香村とお喋りしてもらいましょう。会話してお
互いのことを知ったら、気持ちも変化するかもしれないよね」
最後のフレーズは、再び純子に向けてのもの。
純子は、相羽の母の反応が気になったが、最終的には場を離れることを受け
入れた。
「それじゃ、行こう」
純子よりも早くに立ち上がった香村が、手を差し伸べてきた。
会ったのが今日で二度目。厚かましい気がしたので遠慮し、自分で席を立つ
と、ソファの後ろに回って純子は外へ出た。
「待ってよ。話しよう」
香村があっという間に追い付く。凡人ならあたふたとしたみっともない動作
になりそうなものなのに、この少年俳優は格好よさがにじみ出ていた。脚本に
従って動いているのかと錯覚してしまいそう。
「どこか二人きりで座れる場所、ないかな」
歩きながら横に並ぶと、小首を傾げる香村。ここは純子の所属する事務所の
一室で、当然香村は本日初めて足を踏み入れたことになる。
「部屋ならたくさんあるけれど、勝手に使えないから」
説明しながら、純子は口に冷凍スプレーを吹き付けられでもしたような喋り
にくさを感じた。さっきもそうだったが、二人になったらなおさら、相手が有
名芸能人だと意識してしまう。
(どんな言葉遣いをすればいいの? 同い年だからって、馴れ馴れしくしたら
失礼な気もする……)
呼び掛け一つ取っても詰まってしまう。
富井らとのお喋りで話題に上がったときは、呼び捨てにするか、カムリンと
愛称で呼ぶかしていたが、顔を合わせた状態ではそうも行くまい。
(友達はみんな、香村綸は気さくで話し易そうなんて言ってたけれど、それっ
て外れてると思うわ)
口を閉ざした代わりに、目はしっかり動かしていた。部屋の外、廊下にある
横長の椅子が空いている。純子は向かって右、香村は左に座った。二人の間は
五十センチは開いていた。
「ねえ。君は僕をどれだけ見てくれてる?」
片腕をつき、唐突に始めた香村。
「ドラマや映画を、ということですか」
「あのさ、もっとざっくばらんに話そうよ。呼び方ぐらい『君』付けでかまわ
ないけどね、涼原さん?」
「は……い。香村君」
初対面のときを思い出しつつ、懸命に話そうとするけれど、ゼリーの中を泳
いでいるみたいに息苦しい感じがしてままならない。
(ファンとして会うんだったら、はしゃいでいれば済むのに。仕事がらみで近
付くなんて、精神的によくないよ)
香村は自分の髪をいじった。わらくずをついばむ小鳥のごとく忙しない。
「だめだなあ。気分転換にどっか行こうか」
「そんな。ここを出るわけにいかない……」
「建物から出なけりゃ大丈夫っしょ。広いし、ちょっとした探険だな」
香村は両足を水平になるまで振り上げると、勢いよく立ち上がった。スーツ
が翻る。
「よっ、と」
純子を見下ろしてくると、質問してきた。
「サングラス、掛けた方がいいかな」
「え?」
「このビル、一般人も出入りするの? だとしたら、騒がれたくないからね」
「フロアによっては、普通の事務所も入っているはずだから……」
「じゃ」
懐からサングラスを取り出した香村。以前と違い、安物の水中眼鏡のような
丸っこく青いレンズだ。
「君はまだしなくていいの?」
純子は黙って首を左右に振った。
香村も無言でうなずくと、先に歩き始めた。
「藤沢さん達に言った方が」
「子供じゃあるまいし、言わなくていいって。用があったら、向こうが探しに
来るさ」
秋の虫にも負けない軽やかな笑い声を残し、香村の背中が小さくなっていく。
純子は仕方なく追いかけた。
「よく知らないくせして、どこ行くのよ」
「どこでもいいじゃん。僕らのゴールに地名があるとは限らない、だよ」
「それ……『天使は青ざめた』の台詞」
純子の指摘に、香村は手を叩いて喜んだ。
「見てくれてたんだ。はっきり聞くけど、君は香村綸のファン?」
エレベーターのボタンの前で立ち止まり、香村はあっけらかんと尋ねてきた。
(何てストレート! 否定できるはずないじゃないの)
純子も立ち止まった。外へ出ないよう、上を目指すことにする。
「ファンと呼べるかどうか分かんない。けれど、友達みんなと話題にしたり、
映画を観に行ったりしたわ」
「ふうん。会ってみての感想は?」
エレベーターが到着した。箱の中が無人だったのは、幸いとすべきだろう。
乗り込みながら答える純子。
「予想とだいぶ違う」
「――何階?」
「え? あ、一番上にしましょ。屋上でも何でもいいから」
「何だ、屋上ならサングラス不要だね」
口元だけで笑って、ボタンを押した香村。
「予想と違うって、どういう風に?」
「テレビなんかで観てるより、ずっと普通に見える。普通の中学生」
むしろ幼くさえ時折感じられたが、そこまでは口にしないでおく。
香村は今度は声を立てて笑った。それも「ははは」ではなく、「ひひひ」と
甲高く聞こえる。
「僕だって人間だからな」
「分かってるけれど、もっと大人びた人と思っていたのよ」
全身に変な力が掛かり、最上階に着いたと知れた。
廊下に飛び出すと、他のフロアと違ってあまりスペースはなく、部屋は三つ
確認できたにとどまった。二つは空き部屋で、一つは宅建事務所と戸口のガラ
スに刻印されてある。
「何にもないな。あ、自動販売機」
香村は遠足に来た小学生並みにはしゃいでいた。ポケットに手を突っ込んで
から、「しまった」とつぶやく。
「財布、預けたままだ」
「これぐらいなら」
純子がロングスカートの脇に手をやるのへ、香村は両手と首を振る。
「飲みたいわけじゃないの。暇つぶしさ」
「はあ」
間の抜けた返事をしてしまった純子の横を、肩で風切るようにすり抜けた香
村。そのまま屋上に通じるドアへと向かった。ノブを掴んで揺さぶっている。
「今日は全然ついていない」
屋上に出るのをあきらめた香村は一度、肩を大きく上下させた。
「君の喋り方が普通っぽくなってきたから、いいや」
「……どうして私なんかを共演者に選んだの」
「一目惚れ、と言っても信じないだろうな。ファッション誌を飾る君に目を留
めたのは事実だよ。一人だけ輝きが違うってやつさ」
純子は二の句を継げられなかった。度の過ぎた冗談と思った。
「演技力とか経験、それに人気。そういうのは考えなかったの?」
「プロデューサーみたいなこと言うんだ?」
かみ殺した笑い声が漏れ聞こえた。
「僕自身がやってて面白さを感じたかったのさ。同じ世代の女優って何回も共
演した人ばっかで、慣れちゃってね。新しい人と新しいことやりたくてたまら
なかった。今度のドラマもヒロイン候補決まりかけてたんだけど、僕が言って
変えてもらったんだ」
「あの。最初に決まっていた人って、誰?」
興味が湧いた。
(その人と比べて、私が段違いに劣っているってことをはっきりさせたら、う
まく断れるかも)
そんな期待をしてしまうのも仕方ない。
「舞美ちゃんさ」
「舞美ちゃんて……」
「下で言っても通じないんだ? あの加倉井舞美だよ。女の子には人気なかっ
たっけか?」
「……い、いえ」
純子は否定の答を返した。しかし上の空だ。
一度だけ会ったことのある加倉井の言動が、ポラロイド写真に浮かび上がる
絵のように鮮明に思い出される。確かに印象はよくないが、タレントとしての
実力は評判が高い。
「加倉井さんでいいじゃないですか」
無意識に丁寧な話し方に戻した純子へ、香村は首をすくめた。
「さっき言ったように、慣れすぎて面白くないの。それに舞美ちゃんはこの役
のイメージに合わないよ」
「あの人は何でもこなせるように思えるけれど」
「イメージさ、イメージ。ついでに言えば、彼女、顔の出ない役を嫌ったんだ。
ははははは! 普通、そうだよね」
よく通る声が響き渡る。残響がやまぬ内に、香村はさらりと言った。
「でも、スケジュール押さえてたから、舞美ちゃんも出るんだよ。脇役で。悪
いことしちゃったな」
身体を折って笑う香村だが、純子の方はそれどころでない。
(加倉井さんも出る? 一年前のこと、覚えられてたらどんな顔をして会えば
いいのやら……絶対に断らなきゃ!)
――つづく