AWC そばにいるだけで 32−9   寺嶋公香


        
#4759/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/ 1/31   3:34  (200)
そばにいるだけで 32−9   寺嶋公香
★内容

 机の上に鏡を立て、両肘をついて覗き込む。
(夢じゃない)
 数日前のことが脳裏に蘇り、最新映画の予告みたいな色鮮やかさで流れてい
った。そう、ドラマ出演の話。
 一度はうなずいた純子だったが、結局のところ、返事は先延ばしにさせても
らっていた。可能な限り早く話を進めたいからと、猶予期間はぎりぎり延ばし
てもらって二月十一日までと区切られた。
「承諾してもらえないとなると、僕らは困ってしまうんだ」
 そんなことまで言われたが、さすがにおいそれと引き受けられる類の話では
なかった。
(うまいこと言うのよねぇ)
 藤沢とか言うマネージャーの、口のうまさを思い出す。
 −−演技は素人っぽくてもいい。その方が新鮮だから。
 −−身長の釣り合いも丁度いい感じだし。ほら、並んでみれば、前からのカ
ップルみたい。
 −−香村綸のファン? だったら、いいじゃない。お望みなら、彼とのツー
ショットシーンを増やそう。
(別に、特にファンていうわけじゃなかったのに……)
 ほんのり、頬に紅が差す。
(間近で見たせいかな)
 香村綸は、これまで何本も映画に出ていた。と言ってもそれは端役も含めて
の話で、大きな役で出演したのは三作。内二つが主演。最近の人気上昇ぶりが
窺える。
 判断の参考にしたいとして、今度ガイアプロ主体で撮るドラマ――テレビで
放映したあとソフトを売り出すという――のストーリーについて、かいつまん
で聞かせてもらった。全てを説明してもらえないのは、現時点で企画を漏らさ
れると困るから、という話である。
(当たり前かもしれないけど、格好いい)
 クラスでも、主に女子がよく話題にしている。雲の上の人と言うよりもむし
ろ、自分達と同年代の身近なスター。そんな具合に。
 だけど、同じ画面の中に並ぶとなると、とても気楽になんてしてられない。
「何で、私なんか」
 愚痴が口をついて出た。
(同じ年齢の女優ぐらい、他にいっぱいいるじゃない。それなのに、全然経験
のない自分を選ぶなんて、どうかしてるわ)
 経験がないという点は相手側に笑って否定されていた。
 相羽の母も純子の母も、例の推理劇での台詞覚えの早さを口にしてしまった
のもまずかった。
 それをガイアプロの藤沢は、
「それなら、さほどレッスンしなくても大丈夫ですね」
 と来た。真に受けたわけではあるまい。話を進めるのに都合のいいよう、真
に受けてみせたと解釈すべき。
(台詞を覚えるだけなら、ロボットにだってできるわよっ。演技ができないっ
て言ったのに)
 話はドラマの粗筋に戻ってくる。
 中学生の少女が目を悪くして入院する。手術しなければ見えなくなる危険性
が高いのだが、成功率は七割弱。手術を恐がる少女。周囲の説得も奏効せず、
数日が経過した。街の広場では祭りが催され、病院へもにぎやかな歓声が遠く
に届く。夕方、少女の病室へ一人の少年が迷い込む。風邪で喉を痛めて診察を
受けに来た、その帰りだという。耳障りながらがら声だったが、祭りのことや
自分の失敗談、それに夢を語り、ぶっきらぼうな中にも優しく少女を励まして
くれた。
 以後、何度も忍んでくる少年に励まされ、少年の顔を見られるようになる約
束をし、少女は手術を受けると決心。
 手術は無事成功したが、少年とはそれっきり会えないでいた。
 一年ほどが過ぎたある日、少女は少年の声を聞く。テレビから聞こえたもの
だった。がらがら声ではなくなっていたけれど、少女には確信があった。一年
前、駆け出しのアイドルだった少年は、確実に大きくなっていた−−ストーリ
ーの大枠はこんな感じだそうだ。
 純子が演じる(かもしれない)女の子は、ほぼ全編に渡って包帯で目隠しし
た状態にあり、少々ぎこちない言動をしても問題ない。加えて、共演者を見て
緊張することもないだろう。だから素人っぽい演技でぴったり。あとは撮影を
進める内に慣れてくれればいいという。
(今度もまた素顔を出さないのは都合いいんだけれど。いつまで経っても慣れ
なかったら、どうするつもりなんだろ?)
 学芸会のときを軽く見るわけではないが、どう考えても、今度の話は大きす
ぎる。引き受けておいてできませんでしたでは、かける迷惑の規模が違う。
(遊びでなら喜んで……でもないわね。何事も経験として、引き受ける勇気が
出るかもしれないけれど。こればかりは洒落になんない)
 やっぱり断ろう。決めた。

 足音が静かだった廊下によく響く。日誌と教室の鍵を職員室に返すと、純子
は心持ち駆け足になって昇降口へ急いだ。
(ドラマの話は断るつもりなのに、演技のことを基礎から教えてもらうのは面
白くてたまらない。ほんと勝手ね、自分)
 レッスン場へ余裕を持って到着したい。時間はたっぷりあるが、走って行け
ばちょうどいい具合のバスに間に合う。
 が、その願いはあっさり断たれてしまった。
「涼原さん。いいところで会えた」
 耳慣れないが、聞き覚えはある声が右斜め後ろから聞こえる。純子は立ち止
まるのと振り返るのとを同時に行った。
「……あ、北村さん」
 思い出して、軽く礼をする純子。
「二ヶ月ぶりぐらいですね。いいところで会えたって、どういう」
「その前に、時間はいいかい?」
「えっと……」
 外の景色を見て、少々悩む純子。
(ま、いいか。始まるまでに着けば)
 バスを遅らせることにして、純子はうなずきを返した。
「三十分ぐらいならかまいません。何でしょうか? 北村さんが校内で声を掛
けてくるなんて珍しいから驚いちゃった」
「んふふ、ごめんよ。三十分か。うーん、仕方ない。じゃ、場所の移動はあき
らめるとしよう」
 そう言うと北村は首を巡らせやがて首肯し、直方体の形をした傘立ての方へ
歩き出す。その角に腰を下ろした。
「君も座れば? ああ、女の子はこんなところには座らないか」
「そんなこともありませんけど……。ご用件は」
 北村のすぐ右に立ち、純子は尋ねた。
「昨日ね、合格発表があったんだ」
「高校のですか? 北村さんは私立でしたっけ」
「そうだよ。で、まあ、無事合格した」
「おめでとうございます。よかった。私もあやかりたいなぁ、来年」
 鞄を脇に挟み、小さく拍手する。
 北村は照れ笑いめいたものを顔に出しつつ、眼鏡を押し上げた。手で顔を覆
い隠したかったのかもしれない。
「高校に合格したら言おうと心に決めたことがあってね。涼原さん。君には今、
付き合っている男がいるのかな?」
「……え? な、何です、薮から棒に」
 学生鞄を腕からすり抜けた。取り落としそうになったのを、身をよじり、し
ゃがみ込むことで腕と身体の間に鞄を挟み込み、どうにか免れる。そのままの
体勢で顔だけ起こした。
 北村は手助けする風でもなく、笑みを作りながら言葉を重ねた。
「いるのかい?」
「い、い、いません」
 耳や目の下辺りが熱く赤らむのを自覚し、純子はうつむき気味になりながら
立ち上がった。
「では、好きな相手はいるんだろうか? 教えてほしい」
「いるような、いないような……って、どうして答えなくちゃいけないんでし
ょうかっ」
「いないんだったら、名乗りを上げたいと思ってね」
「……」
 思考停止。純子は唇をぎゅっと噛み、目をしっかり見開いた。
 生まれた静寂に、北村は戸惑いを露にする。急いだ口ぶりで言葉をつなげた。
「だから、つまり涼原さん。僕と付き合ってくれませんか」
 北村もまたすっくと立ち上がると、鞄を持っていない方の手を差し出してき
た。手の平を上に向け、返事を求めるような仕種だ。
「っていうことなんだけど……聞こえた?」
「は、はいっ」
 声が裏返しになっている。純子は慌て気味に咳払いをし、声を戻そうとする
が逆効果。本格的に咳き込んでしまった。
「大丈夫かい?」
「はぁ……。北村さん、私をからかってるんですよね」
「とんでもない、大真面目。卒業までに伝えようと誓っていた。受験勉強のと
きは、君のことを頭から消し去るのに苦労したよ。合格できてやっと肩の荷が
降ろせて、一刻も早く君に会いたかった。会って、僕の気持ちを伝えたかった」
 神経質なまでに速い回転だったけれど熱っぽい語り口調。気圧され、純子は
二歩、後ずさった。よろけそうになるのは、後ろ向きに歩いたせいというより
も、頭がパニックを起こしているから。
「返事を聞かせてくれないかな」
 北村の物腰は自信に満ちたと言うよりも、無理をして自信を持とうとしてい
るように聞こえた。じんわりと歩を進め、純子との距離を再び縮めてくる。
「私、北村さんのこと、委員会以外ではよく知りませんし」
「知ってもらうために付き合い始めようと言ってるんじゃないか。無論、僕も
君のことをもっとよく知りたい」
 その言葉に、
(じゃあ、気が合わないと分かったら、お付き合いをすぐストップしてもいい
んですね?)
 と反応しそうになった純子。だけど、先輩にそんな問い掛けはできない。
 他に言うべきことが見つけられず、かといってこの場から逃げ出すわけにも
いかない。純子は目線を相手から完全に外し、床を見つめた。
「さっき、好きな奴が『いるような、いないような』と言ったね。そいつのこ
とを考えてるの?」
 純子は何も言わず、何の身振りも示さなかった。
 しばらく待った北村はしびれを切らしたか、腕を大きく広げ、深呼吸するよ
うな仕種をした。
「いきなりこんなことを聞いて、悪いとは思う。僕はせっかちな方だけど、待
つ。つまり、返事はじっくり考えてくれたあとでいい」
 台詞が途切れ、純子がふっと気付くと、目の前に北村の右手が来ていた。純
子に顔を起こしてもらいたかったらしい。が、実際にはその指先が頬や顎に触
れることはなく、純子自ら面を上げた。
「あの……」
「そうだなあ、来月の十四日。バレンタインデーの放課後にでも答をくれるか
い? 僕との付き合いにOKならチョコレートを渡してほしい。だめなら……
ま、それっきりだ。どうだろう、こんなのは?」
「それはその……わ、分かりました。返事はその日に」
 すぐさま断るという考えよりも、現在置かれている状況から抜け出したい気
持ちが優った。年上からの告白を直接断るには、純子は何の術も持ち合わせて
いなかった、ということなのかもしれない。
「いい返事を期待しているよ。よく考えてみて」
 敬礼のようなポーズから、気障な動作で、揃えた右手の人差し指と中指を純
子へと向ける北村。同時にウィンクまで送ってきた。それから悠然と、しかし
足取りは軽く、外へと去っていく。
 しばらくぼうっとしていた純子は、どこからか潜り込んできた風に身を震わ
せ、ようやく意識をはっきりさせた。そして周囲へきょろきょろと首を向け、
北村の姿が見えなくなったのを確認。
 片手を顔に当て、かすかに乱れていた息を整える。
「……びっ……くりした」
 思わず言葉がこぼれた。
 こんな気持ちに陥るのは、多分、あのとき以来。
(清水から言われたときとおんなじ……ううん、もっとどきどきしたかも)
 頭の中では色々なことを考えている。それでも純子は、のろのろと動き出し
て、自分の下駄箱へ向かった。
 蓋を開けて、靴を取り、床に落とす。ちょっと散らばった左右を、腰を曲げ
て指先で揃え直す。そのついでに上履きを脱ぐと、入れ替えに下駄箱へ。普段
より時間をかけて右、左と外靴を履いた。踵をきゅっ。
(いい人と思うけれど)
 重たく感じられるドアを押し、戸口をくぐり抜けながら、首を振った純子。
(委員会でしか知らないし、全然考えてもみなかったから。……でも、北村さ
んの言う通り、いきなりじゃなく、きちんと考えてから結論を出すべきかなぁ)
 迷い悩んでいると、先ほどの告白の言葉が再生されて、脳内に響く気がした。
 当然のように、顔全体が火照ってきた。それを冬の風が冷やしていく。
 感情の乱れは残るものの、その揺れる波形は収束しつつあった。
 頭を冷やし、充分に冷静になれた時点で、純子ははたと思い起こした。
 時間的余裕はあっさり押し流されていた。
「遅刻?!」
 いや、ぎりぎり間に合いそうだ。
 走ろう。突然生まれた悩み事を、せめて今一時でも忘れるためにも。

−−『そばにいるだけで 32』おわり




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE