AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【14】 悠歩


        
#4690/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:15  (196)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【14】 悠歩
★内容
 人に対する思いやりや優しさなど、デニスにしてみれば滑稽でしかない。それ
によって自分が苦しくなるとしたならなおのこと、愚の極みとしか言いようがな
い。
 一食ぶんをデニスに与え、残った一食を互いに譲り合う。そんな二人がおかし
かった。
「くくっ、は、ははははっ」
 堪えきれなくなった笑いが、堰を切ったように溢れ出してしまう。
 気持ちがよかった。
 愚かとしか思いようのない二人を見ていることが。
 だがデニスの笑いは、二人を蔑んでのものではない。
 気持ちのよさは、自分が高みに立ってのものでもない。
 互いが互いを気遣い合う。そんな光景を目にするのは、いつ以来だっただろう。
 忘れていた気持ちがデニスの中に甦る。
「ばかだな、お前らは。それっぽちの食いもんを分けたところで、屁の足しにも
ならねぇだろう」
 芽生えた気持ちを、形には出来ない。長い、スラムでの荒んだ生活がそれをデ
ニスに許さない。吐き出される言葉は、頭から口へと送られる間に毒を含んでし
まう。
「でも………」
 レナが何かを言おうとする。が、デニスはそれを無視し、さらに言葉を続ける。
「こいつを足して、それを三で割れば、ちっとは食い出もあるだろう」
 そう言って、自分に与えられていた食べ物を、マリィたちの前にあるものと並
べた。



「さっきネスに言ったけど、今夜はここに泊まっていきなよ、ね」
 満腹感を得ることは適わなかったが、それでも何かが充たされた食事が終わる
と、唐突にマリィが言った。
「それとも、どこか他にあてがあるの? 誰か待っている人がいるとか………」
「けっ、そんなもんがあったら、のこのこ着いて来たりするかよ」
 少しずつマリィたちに心を開きつつあるデニスだったが、いまだ口から発せら
れる言葉の乱暴さは変わらない。それ以外の話し方をデニスは知らないのだ。
 しかしデニスの口の悪さは、初めからのことである。出逢ったときより、マリ
ィはまるで気にもせずデニスと接していた。外見上、二人の関係に変化はない。
「だったら、ずっとここで暮らせばいいわ」
 明らかな変化を見せたのはレナだった。もはやデニスに怯える様子はない。マ
リィ以上に元気な声を出し、テーブル上のデニスの手に自分の掌を重ねてきた。
「二階にはネスの他にも、たくさん男の子たちがいるから、デニスも寂しくない
と思うの」
 興奮気味のレナの掌に力が込められた。その温もりに、デニスはどう対応して
いいのか分からず戸惑うばかりだった。早くに工場へ売られ、束縛が解かれた後
も人との関わりを避けて来たデニスは特に異性の、自分への好意的な態度に慣れ
てはいない。
「そんな、うざってえだけだ」(鬱陶しい)
 レナの手を無碍に振り払うことも出来ず、ただ悪びれて見せるのが精一杯だっ
た。
「だいじょうぶよ。ネスには会ったんでしよう? ネスもね、初めはデニスみた
いに恐かったの。『俺は俺のやり方で生きて来たんだ。誰がお前らみたいな弱虫
どもと、一緒にやれるか』なんて言ってたんだよ。だけど、いまは男の子たちの
リーダなんだよ、ネスは。私たち、女の子のことも守ってくれてるんだよ」
 自らの身体を売って糧を得なければならないマリィとは異なり、レナの精神は
実年齢に相応しいものであるようだ。あるいは実年齢以下なのかも知れない。語
り掛ける大きな瞳が、ろうそくの淡い光を受けて、きらきらと輝いていた。そう
考えると、デニスの戸惑いも薄れて行く。
『俺とネスは違う。あんな小者と一緒にするんじゃねえ』
 と、思わず言いそうになったデニスだったが、それはぐっと飲み込むことにし
た。目の前の無垢な瞳に向かって言うのには、あまりにも野暮に思えたのだ。何
よりまだデニス自身もはっきり認識してはいなかったが、彼女らとともに暮らす
ことへ魅力を感じつつあったのだ。
 少し余裕の出来たデニスは、ちらりとマリィの表情を窺った。少し離れてデニ
スとレナのやり取りを見ている彼女は、相変わらず微笑みを絶やしてはいない。
ただそれは先ほどまでのものと若干違っているよう、感じられた。何か本気で笑
い出したいのを、噛み殺しているように見える。
 無邪気なレナに戸惑っていたデニスがおかしいのか、それとも以前のネスを思
い出していたのだろうか。
「いったい、ここには何人の人間がいるんだ?」
「三階に女の子が私たちを含めて八人。下には男の子たちが五人だよ」
 デニスの質問に答えたのはマリィだった。
「一階はお部屋が全部ぼろぼろだから、誰も住んでいないの。それでね、女の子
たちは三階に住んで、男の子たちは悪い人たちが来ても、私たちを守れるように
って、二階に住んでくれてるの」
 言いながらレナが微笑んだ。
 デニスは二つの微笑みを、交互に見比べる。
 その先にあるものを見守るような笑みと、無垢な笑みとを。
 デニスの心は決まっていた。彼女たちの申し出を受け入れることに。
 ただすぐに「うん」とは応えられない。まだそこまで素直になれない。どうし
ても喜んでそれに応じた、と言う形にしたくない。しばらくデニスは思案した。
「デニスには、夢はないの?」
 まだその答えを出せないでいるうちに、マリィが唐突な質問をして来た。
「ゆめ?」
「そう、将来の夢。まさか、一生をこのスラムで過ごそうなんて思ってないでし
ょ。私は、どこか田舎に小さくてもいいから家を建てて、畑仕事をしながらみん
なで暮らせればいいなあ、って思ってるの」
「なんだそりゃ? 夢、って言うならもっとでかいことを考えろよ」
「じゃあ、デニスには大きな夢があるんだね!」
 レナの興奮気味な声で、まだその少女の温もりが手の上に重ねられていること
を思い出す。
 その問いに対する答えは、考えるための時間を必要とはしなかった。
「ラインバルト・デトリックって知ってるか?」
「名前だけなら………絵を描く人でしょ」
 逆にデニスから返した質問に、マリィが即座に答える。
「ああ。昔、戦争が始まる前に活躍した画家だ。この国の誇りさ………ま、もっ
とも俺も本物の絵は見たことないけどな」
 デニスは気がついていない。
 それを語り始めた自分の瞳が、輝き出していることを。
 それまで装っていた不機嫌そうな態度が、跡形なく消えてしまったことを。
「ずっと前に、複製の絵を見ただけだけと、なんかこう、胸が熱くなるって言う
か………すごい気持ちになるんだ。俺もあんな絵を描く、画家になりたい………」
 デニスはふと、ほぼ同じ高さにあったはずのレナの瞳が、いつの間にか自分を
見上げているのに気がついた。レナに握られていたはずの手は、自分の胸で固い
拳を作っていた。マリィの視線の角度も変わっている。
 デトリックの絵について語るうち、デニスは興奮して立ち上がっていたのだ。
 そのことを知って、急に気恥ずかしくなる。
 慌てて座りなおすと、視線をどうしていいのか分からずにそっぽを向いた。顔
が熱くなるのを感じる。
 自分はどうかしている。人に夢を語るなど、いいまでなかったのに。とデニス
は思う。
「素敵な夢だわ。ね、マリィもそう思うでしょう?」
「ええ。それなら、その夢を叶えるためにも、ちゃんと働いたほうがいいと思う
わ。だからそのためにも………」
「ああ、もう分かったよ」
 恥ずかしさをごまかすため、デニスはいかにも面倒臭そうに、致し方ないと言
ったようにまだ答えていない質問に答えを返す。
「そんなことはどうだっていいが、ネスの野郎がリーダーじゃ頼りなくてしょう
がない。俺が、守ってやるよ………お前らを」



 先刻より、雨足が強まったらいし。
 狭い室内に響く音が、一層激しくなった。
 空気も湿気を帯び始め、不快にまとわりつく
「あの頃が、嘘みたいだな」
 どこからか吹き込んで来た風が、ろうそくの炎を揺らす。照らし出されていた
影もゆらめく。
 もともと広くはなかったが、かつては住人全員が集まれば、窮屈だった部屋。
いまは、新しい住人であるルウを加えても、そこに落とされる影はわずかに三つ。
そこにはもう、レナもネスもいない。狭いはずの部屋が、やけに広く感じられる。
 デニスもマリィも、まだ賑やかだった頃の幻影を想い、おし黙ってしまう。
 雨音に支配されかけた空間で、ルウが一心に食事をとる音だけが、辛うじて人
の存在を知らしめている。
 もしいなくなってしまった人々が、スラムを離れ、それぞれの希望に満ちた新
しい暮らしへと旅立って行ったのなら、これほどの寂しさは感じなかっただろう。
そうであれば、デニスもマリィも、彼らの旅立ちを喜んでやれただろう。
 しかしそうではない。
 確かに皆は新しい暮らしのために、このアパートを出て行った。けれどスラム
を離れてはいない。希望に満ちた暮らしを営んでもいない。決して誰も、はっき
りと口にはしないが、一筋の光さえ見えない生活へ、半ば強制的に連れて行かれ
てしまったのだ。
 そしてそれを止めることの出来なかったデニスとマリィは、己の無力さを歯痒
く感じていた。
 二人がそれぞれの想いに耽っていると、いつの間にか部屋を支配するのが雨音
だけとなっていた。
「ん、あ………なあに? ルウ」
 デニスを我に返させたのは、そんなマリィの声だった。
 見ると、食事に手も着けずにいた二人を怪訝に思ったのだろう。心配そうな顔
の少女が、小さな手に握ったパンをマリィへと差し出していた。
「うん、そうだね。デニス、私たちも食事にしましょう」
「ああ」
 その言葉に従い、デニスも食事をとり始めた。
 いつもとは違った柔らかいパン。口に運ぶとバターの香りと、仄かな甘味が広
がる。
「ほらほら、ルウ。こんなにこぼしちゃって………」
 相変わらずマリィは自分が食べることより、ルウの世話をやく方が忙しくなる。
こぼしたパンを拾い集め、バターとミルクで汚れた口の周りを拭いてやる。忙し
ないが、ルウの面倒を見ることが、マリィはとても楽しそうだった。
 アパートに二人きりとなってからは、マリィも気を張りつめることの方が多か
った。頑なに支配下に入ることを拒んだ二人に掛かる、ボルドの圧力は執拗なも
のだったのだ。
 それがルウが現れてからは以前の、いや以前にも増して穏やかなマリィの表情
が見られるようになった。荒んだ暮らしが長く続いた中で、その存在など信じず、
祈りもしなかった神にデニスは初めて感謝してもいいと思っていた。
 マリィがルウの世話をする様子をみていると、デニスの心も和んだ。その光景
がいつまでも続いて欲しいと願った。
「お、そうだ!」
 あることを思いだし、デニスは立ち上がる。
 突然に、しかも大きな声だったので、二人の少女を驚かせてしまったらしい。
丸くなった四つの瞳が、デニスに集まっていた。
「なによ、いきなり。びっくりするじゃない。ねぇ、ルウ」
「へへへへっ、今日将軍のじいさんから、ちょっといいものを手に入れたんだ」
 ニヤリとマリィに笑いかけ、デニスは自分の鞄の中を探す。外から自分の部屋
には戻らず、直接マリィの部屋に来たため、荷物の一切がここにある。
「ほら、これだ」
「えっ、それ………絵の具?」
 あらかた目の前のものを食べ終えてしまった少女へ、マリィは自分のパンを半
分与えながらも、デニスが手にした水彩絵の具の箱を興味深げに見つめた。
「ああ、水彩絵の具ってやつだ。もうほとんど空っぽに近いけどな。無理に絞り
出せば、小さい絵の一枚くらいは描けるだろう」
「よかったじゃない。デニス、いつも言ってたものね。一度でいいから、色の着
いた絵を描いてみたいって」
 マリィが我がことのように笑う。
 マリィからもらった半分のパンにかじりつきながら、ルウも絵の具の箱を見つ
めた。ただ、ルウにはそれが何であるのか、よく分かってはいないらしい。小さ
な首を、ちょこんと横に傾げている。
「それでなにを描くのか決めてるの」
「ああ、決めてる」
「ねえ、なに? あっ、出来上がるまでは秘密なのかしら」
「うん、その方がいいんだけどな。そうも行かないだろう………」
「えっ? どういうこと」
「あの………あのさ」
 途端にデニスは口ごもり始めてしまう。その頼みを、普段の会話と同じように
話そうとは思うのだが、なぜか少し緊張してしまう。
「絵を描くことを、モデルにまで秘密にしておくって、不自然だろう」
「?」
 デニスの言葉を、マリィはまるで理解していなかった。困ったような顔で、デ
ニスの方を見るばかりだった。




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