#3068/3137 空中分解2
★タイトル (HBJ ) 93/ 4/ 6 17:14 ( 78)
『気分次第で責めないで』6−2<コウ
★内容
「俺もこの前、似た様な体験をしたよ。先週の木曜だったかな?武って、要領が悪
いでしょ?明日納品だというのに、マニュアルの製本も出来てなくて、それで、俺
が手伝ってやったんだけれども、そうしたら徹夜になってしまって、次の日の午前
中ぐらいまでかかったんだけれども、代わりに三連休をもらって、その帰りの出来
事だったのだけれども、そういう時って、すごく解放された気分になって、アルト
660で、ぶっ飛ばしていたら、気持ちが良かったなあ。徹夜明けだと、普段、ど
うでもいい様な景色も、綺麗に見えたりするんだよね。それは、まあ、マラソンの
後には水が美味しいのと同じ生理学だと思うけれども。それで、インパネの時計を
見たら、十二時になろうとしていたんだ。俺は、お昼の時報を聞きたくなって、ラ
ジオのスイッチを入れたら、タイム・アト・トーン・トゥエルブ・ヌーンと、FE
Nのアナウンサーが言って、俺は、すごく解放された気分になって、ああああ、い
い気持ち、完全なる自由だ、こんな時には、午後の予定を考える、妹とテニスをし
ようかなあ?とか、小林とゴルフの打ちっ放しに行くのもいいなあ?とか、色々考
えていて、ルーム・ミラーで、自分の顔のクールな表情を練習しながら、すっかり
と、うっとりした気分に浸っていたら、突然、ヒューン、ヒューンというサイレン
が迫って来て、何だっ?と思ってミラーを向けると、白バイが追っかけて来るじゃ
あないか。くつろいだ気分に、バリバリバリと亀裂が入って、俺は、いっぺんに青
くなったよ。慌てて、エンジン・ブレーキをかけたけれども、遅かった。白バイか
ら降りてきたお巡りは、ハーフ・トーンのサングラスをかけていたけれども、あれ
は、絶対に、元暴走族に違いないな。お巡りは、無言で、違反キップを切っていて
、俺も、しょうがないから、諦めて、ハンドルにもたれながら、ついてねえや、こ
れで残業手当もパーだ、と思っていたら、黒いタクシーが、ものすごいスピードで
、俺のアルト660をかすめて行くじゃあないか!あれは捕まえないんですか?と
俺はお巡りに言ったら、午前中はお前で終わりだよ、とお巡りは言ったんだ。そう
言ってから、俺の顔を見て、ニッ!っと笑った、ニッ!っと笑いやがった、笑う警
官だ!それでも、その時には、文句は言わないで、そのかわり、という訳でもない
のだけれども、月曜日に、岩田に、ちょっと愚痴ったら、そうしたら、あいつ、俺
の事をガキだと言うんだ。法律は理論の世界だから、理論と感情を一緒にして、警
官が気に入らないから罰金を払わない、っていうのはガキだと言うんだ。岩田は全
く解ってない。俺が気に入らないのはお巡りではなくて、お巡りの気分なんだよね
。お巡りが、その時の気分で、捕まえたり捕まえなかったりする事が気に入らない
んだよね。だからこそ文句を言わなかった訳だ。もし文句を言って、見逃してくれ
たら、演技の上手い奴が得をする事になるし、それこそ、お巡りの気分で、こっち
の運命が左右されるという事になっちゃって、それは全く気に入らない事だと思わ
ない?岩田は、頭良さそうな顔をして、何にも解ってないんだ。これはもう『罪と
罰』の問題だと、俺は思うね。人間に人間を裁く権利があるのか?という問題だよ
。今回の連合赤軍の永田の死刑判決だって、俺は気に入らないし、旧東ドイツの国
境警備隊が裁かれる場合に、「そんな事をしたら、世界中の兵隊が裁かれないとい
けない」と言うと、「時代や状況の責任にしてはいけない」と、テレビの文化人は
言う。戦中の満州においても、日本兵が、中国人の子供を空中に放り投げて銃剣で
田楽刺しに刺した、とか、中国人の妊婦の腹を裂いてみた、とか、そういう残酷な
事をする兵隊は、元々は田舎の農家の次男三男であって、内地では馬鹿にされたて
いた百姓であって、その時にたまりにたまったルサンチマンが、天皇の兵隊になっ
た満州で爆発したのだから、個人の問題であって、時代や国家のせいにしてはいけ
ない、という吉本先生の意見は、一見正しいと思うのだけれども、だけれども、だ
ぜ、もし全てが個人の責任だと言うなら、最高裁にしろGHQにしろ、裁判官は個
人の責任によって裁くのか、って事にならない?そんなのは、冗談じゃない!裁判
官の個人的な情状酌量というもの程、気に入らないものはない。それだったら、法
廷で演技の上手い奴程、刑が軽くなっちゃうじゃないか。それとも、裁判官が、た
またまその日に便秘の気配があったので、無期懲役が死刑になったりする事だって
あるかも知れない。情状酌量の余地なんてあったら駄目だ。裁判官の、気分次第、
さじ加減で、刑が変更されたら駄目だ。俺が言うとアホ臭く聞こえるかも知れない
けれども、ムルソーも、裁判官がパンツをはいているのが気に入らない、と言って
いるじゃないか!」
気が付いたら、肩で息をしていた。
俺は、どうも自分で自分の感情を高めてしまう傾向がある。それで、話しが、どん
どん、どんどん、尻取りをしているみたいに、芋蔓式に、ズレて行って、一体、そ
もそもは、何の話しをしていたのだか、自分で喋っていて自分で分からなくなる。
思い出してみても、後半は、特にズレていた様な気がする。
花田さんは、うつむいて、腕時計のガラスを綺麗な指で擦っていた。
「なんか、退屈させちゃった?」と俺が言った。
「そんな事ないわ」と花田さん。「十分に聞き応えのある話しだったわ」
「本当?」と俺。
「本当よ」
「本当に本当?」
「どうして?」と言うと、花田さんは微笑した。矯正針金まで可愛い。
「だって、時計ばかり見ているもの」と俺は、しゅんとして言った。
「私、家がうるさいから」
そうだ、この人は、そこいらのイケイケギャルとは違うのだ。ジュリアナで扇子を
振っているアーパーとは訳が違うのだ。こういう人の場合には、オーソドックスな
展開を心がけなくてはいけない。
「映画にでも、行かない?」と俺は、突然、言った。
「今晩?」
「いやいや、今日ではなくて、今度の土曜にでも」
「そうねえ」と言って、花田さんはうつむいた。「母に聞いてみないと」