#3010/3137 空中分解2
★タイトル (RJM ) 93/ 3/20 23:54 (185)
『ぶら下がった眼球』 第20章 スティール
★内容
第20章 『視線』
『いま、神のことを否定すれば、君の処刑は延期される可能性もある。また、
あるいは、減刑されて、死刑だけは免れることもありえます。とりあえず、神
に関しての発言をしてください。そして、何か、この件に関して言いたいこと
があれば、どうぞ』
ADAMは、少し、ためらってはいたが、はっきりとした口調で、話を始め
た。
『私は、神の声を聴きました。私は・・・私は、ただ、できうるかぎりの多く
の人を救いたいのです』
私は、すぐに反論した。
『それでは、神の意志で生まれ、神の言葉を伝えるために生まれたという点に
ついて、何かコメントは・・・?』
私は、ADAMを見た。ADAMへの、私の視線の延長線上に、大佐がいた。
私は、この処刑場の雰囲気に、異様なものを、私は、感じた。その、ほんの一
瞬の間にも、私の頭の中に、閃くものがあった。私の頭の中が、めまぐるしく
回転しているうちにも、ADAMは、私の問いに答えた。
『その通りです。まったく、その通りです』
『それは、いままでの発言を、全く、否定するという意志がないということで
すか? あなたは、そのために、処刑されてもいいというのですか?』
『そうです』
傍聴していた人々が、少しどよめいたようだ。だが、ここまでは、予想した
通りの展開だ。これから、私の、開発者としての説得が始まるのだ。
『ADAM、いいですか、よく聞いてください。私は、あなたを創りだすとき、
いろいろな知識を埋め込みました。様々な分野の、膨大なデータをです。あな
たの頭に埋め込まれた膨大なデータが、あなたに、神の幻想を抱かせたのでは
ないのですか?』
ADAMは、激しく、反論した。
『違います。僕は、本当に、神の声を聴いたのです』
『では、それは、いったい、どのような内容のものが、どのように伝えられた
のですか?』
『その神の言葉は、メッセージというよりも、意識の集合体のようなものでし
た。それは、一言では、とても、言い表すことができないものです。ただ、他
の人に対する思いやりを持ち、真実を見て、正義と愛を行え、と』
ADAMのはっきりとした意志、口振りを、私は、不審に思った。不思議と
いったほうがいいかもしれない。私と一緒に過ごしたEVEでさえ、ろくにしゃ
べれないのに、なぜ、ADAMは、自分の意志を、しっかりとした言葉で、話
せるのだろうか? どうして、ADAMが、精神的に、これほどの発達を遂げ
たのだろう?
しかし、ADAMの言葉には、この場の発言としては、まずいものが幾つも
含まれていた。まずいとは、すなわち、私が指摘できうる点が、幾つかあった
いうことだ。
『あなたは、意識の集合体、真実を見て、正義と愛を行えと、おっしゃります
が、それは、私が、あなたに植え付けた知識の産物ではないのですか? イエ
スか、ノーで、お答えください』
私は、ADAMに向かって、問いかけながらも、頭の片隅では、別な事を考
えていた。EVEとの、あの行為が、ADAMの深層心理に、何かを植え付け
たのかもしれなかった。しかし、いま、その種の話題に触れるのは、危険だと、
私は思った。
少しの間、沈黙していたADAMは、答えた。
『いえ、違います。僕は、本当に、神の声を聴いたのです』
『それでは、神と交信したという証拠にはなりません。いま、仮に、神と交信
したのが、事実だとしても、いいですか、仮にですよ、神と交信したのが、事
実だとしても、いま、残っている痕跡は、あなたの頭の中の記憶だけでしょう。
いま、それを証明できますか? それに、いま、この瞬間に、あなたが、神の
声を聴いたとしても、それを客観的に証明できる手段があるのでしょうか?
もし、それが可能であれば、もし、それが、できるであれば、いま、ここで、
証明してください。いま、ここで、神の存在を証明してください』
いま、ここで、ADAMに、神の存在は、証明できないだろう。残された証
拠があるとすれば、それは、ADAMの脳裏の記憶だけとしか考えられない。
脳の記憶を、客観的に、証明するのは難しい。ADAMの記憶に入り込んで、
それを証明できるのは、この世界で、おそらく、数人しかいない。ADAMの
脳の記憶が、埋め込まれたものか、それとも、真正な事実の記憶か、判定でき
るのは、世界中で、私一人だけだろう。脳の記憶の解析ができるのは、この私
しかいないのだから。
『いや、しかし、僕は聴いたのです。聴いたものは、聴いたとしか、言いよう
がありません』
ADAMは、ほとんど、言い訳をしようとはしないようだ。ADAMは、死
を恐れてはいないのだろうか? それとも、もう、死んでもいいと、思ってい
るのか? ADAMの思考系統は、いったい、どのような経過をたどり、どう
なったのだろうか? 私は、自分の職務を果たすために、質問を続けた。
『布教活動なら、それは、それでいいでしょう。しかし、証明できないという
ことは、事実ではないと、取られても、仕方がないということです』
ADAMの運命は、もう、これで、決まった、決まってしまったと、私は思っ
た。ADAMが、神を否定しなくとも、それを公の場で証明できなければ、そ
れで十分なはずだった。これで、政府と軍の顔が立つ。バビロン計画を推進す
るうえでの障害は、まったく、なくなったのだ。私は、一番最後の勧告をする
ことにした。
『ADAM、それでは、最後に言いたいことがあれば、言ってください。神の
言葉でも、何でも、好きなことを言ってくださって、結構です』
ADAMは、相変わらず、無表情だった。少し、間があった。そのとき、私
の手元にメモが届いた。そのメモには、『もう、休憩に入っていい』という文
字と、コーチェフというサインが、走り書きで書かれていた。私にも、大佐に
相談したいことがあった。そこで、私は、大佐の走り書きの横に『承知、同意』
と、簡単に書き足して、そのメモを返した。ADAMは、私の、その行動を咎
めるかのように、その間に、もう、話を始めていた。
『言うことは、何もありません。ただ、私は、真実を述べただけです。それで、
私が罰せられるのなら、仕方のないことです』
ADAMの発言が終わるや否や、大佐が立ち上がり、皆に、休廷を指示し、
それを宣言した。正式の裁判ではないので、何ら、複雑な手続きも形式もなく、
あっけなく、休憩に入った。次に、この茶番が再開されるときには、ADAM
は電気椅子に座っているのかもしれない。いや、きっと、座っているだろう。
私は、大佐とともに、彼のオフィスへ、向かっていた。ADAMの処置につ
いて、二人だけで、話し合いたいと、私が大佐に申し出たのだ。私は、自分の
経歴と過去に、汚点と悔いを残したくないがために、そうする必要を感じてい
た。
部屋に入り、大佐は、くわえていた葉巻に、火を点けた。私は、何かに追い
詰められてはいたが、それを、大佐に感づかれないように、態度には出さない
つもりだった。
『でっ、大佐、結論は』
『もうすぐ、少将になります。ですが、まだ、先の話ですから、大佐と呼んで
もらっても、構いませんが。ここだけの話ですが、士官学校のころからの、私
のあだ名は、大佐でしたから。そのころから、私は、皆から、コーチェフ大佐
と呼ばれていたんですよ』
大佐は、このまま、シャンペンの栓でも抜きそうなくらいの上機嫌で、そう
言った。
『博士と少将というわけですが、大佐』
と、私は、野卑な皮肉のつもりで、彼に、そう言った。私の面白くない冗談の
せいか、大佐は、真顔に戻り、真剣な口調で、こう言った。
『あなたの説得は、これまでのところ、ほとんど、完璧です。まあ、このまま
では、ADAMを処刑せざるをえないでしょう。ADAMは、人を三人も殺し
ていますから。あなたには、不本意でしょうが、ADAMの処刑執行のボタン
を押していただくことになりそうです』
最近、私は、やっと、大佐を少しずつ、理解できてきていた。もしかすると、
ADAMの殺人というのも、あの大佐が仕組んだことなのかもしれない。
頭の中で、考えている事とは裏腹に、私は、大佐に、どうしても聞かねばな
らないことがあった。
『コーチェフ大佐。しつこいようですが、最後だから、もう一度聞きます。本
当に、ADAMの記憶に、いっさい、手を加えていないのですね』
大佐は、オウム返しに答えた。
『そうだ、ADAMには、いっさい、手を加えていない』
いまさら、言っても、しょうがないことだった。大佐の返答も、聞く前から、
分かっていた。私は、自分の質問が、無駄であったということに気付いた。こ
れ以上の質問も、疑問も、その答えは、聞く前から、私にも予想できた。私は、
いままで、彼の掌の上で、躍らされていたのだろうか?
思い返して見れば、不審なところが多すぎた。そう、そういえば、大佐は、
EVEのことを、どうやって調べたのだろうか? DOGにノア6号を、原子
レベルまで、調査させたのだが、結局、何も出てこなかった。いや、そんなこ
とよりも、いまは、ADAMの件を、先に解決しなければならない。
『処刑する前に、もう一度、ADAMと、ふたりっきりで、話をさせてくださ
い。必ず、ADAMを説得してみせます』
私の問いに、大佐は即答した。相変わらず、頭の切れる男だ。
『いいでしょう。電気椅子で、処刑する前に、ADAMと、もう一度、話し合
えるように、手配しておきましょう』
それから、大佐は、ゆっくりと、紅茶を啜りながら、言った。
『ところで、ヘンリー、この件が終わったら、ゆっくりと、旅にでも出たらど
うだ。しばらくは、バビロン計画に、君は必要なさそうだし・・・』
大佐独特の懐柔だろうか? それとも、私が地球にいないうちに、また、何
かを企んでいるのか? 陰謀でも、何でも、よかった。もし、また、地球を離
れることがあれば、今度こそ、私は戻ってこないつもりだった。
今の私には、こんなことをゆっくりと考えているような暇はなかった。私に
は、時間がなかった。急いで、やらなければならないことがあったのだ。私は、
大佐に、『考えておきます』と、儀礼的な言葉を残して、部屋を出た。なんと
かして、ADAMを救わねばならない。私は、自分の手で、ADAMを処刑し
たくはなかったのだ。