#2991/3137 空中分解2
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『ぶら下がった眼球』 第18章 スティール
★内容
第18章 『悪夢』
私は、ADAMの処刑が行われることが予定されている部屋にいた。
ADAMは、大佐が所長をやっている、この地表の研究所で、明日、処
刑されることになっていた。その前に、形式的な裁判をすることにはなっ
ていたが、これは、あくまで、形式的なものだった。まともな裁判であ
れば、事前に、処刑の手筈の打ち合わせなどがあるわけがなかった。
私の左後方には、コーチェフ大佐が立っていた。私は、大佐と、AD
AMの裁判と処刑の手筈の打ち合わせをするために、ここにいたのだ。
もっとも、打ち合わせといっても、実態は、大佐の、一方的な説明であっ
たのだが。私の後ろに立っていたコーチェフ大佐は、私に向け、言った。
『もう、そろそろ、本当のことを言ってくれませんか、博士』
『本当のこと? いったい、何のことだ?』
『とぼけちゃ、いけませんよ、博士。ADAMの記憶操作のことですよ』
ADAMの脳に、神の存在の細工をしたのが、私だと、コーチェフ大
佐は、まだ、疑っているのだろうか? 私は、大佐の方に、自分の体を
向けて、叫んだ。私の、この叫びは、自分の手で、ADAMの処刑を執
行しなければならないという、緊張感が、引き起こしたものなのだろう。
『私は、何もしていない。ADAMの体には、なんの細工もしていない。
私がそんなことをして、どうなると言うんだ』
『まあ、いいでしょう。あなたが、何をしようが自由です。ただ、バビ
ロン計画の邪魔をするものを、自分は容赦しませんよ』
大佐の目が、一瞬光った。光ったのは、ほんの一瞬のことで、次の瞬
間には、すぐ、元の大佐の顔に戻り、彼は、話を、打ち合わせに戻した。
『そう、できれば、ADAMに、神のことを否定させてください』
『いまさら、否定させてどうなるんですか』
『もし、ADAMが否定してくれれば、ADAMの処刑を延期すること
ができます。ことによると、ADAMを処刑せずに済むかもしれません。
我々は、ADAMが、神との接触の事実の否定を頑強に拒んでいるため
に、彼を処刑せざるを得なくなったのです。ADAMの目の前で、彼の
電気椅子のボタン押したくなかったら、頑張って、ADAMを説得する
ことですな。期待してますよ、博士』
『わかった、頑張るよ、大佐』
精神的な苦痛に苛まれ、私は、自分の運命を呪いながら、酒をあおっ
た。
大佐は、演説をしていて、大勢の、主に若年層の人々が、それに聴き
入っていた。大佐が使っていた演説台は、紋章入りの大理石でできてい
る、とても立派なもので、聴衆は、大佐のことを、あたかも、神のよう
に崇拝しているようだ。それは、大佐の演説が、とても情熱的で、魅惑
的なものだったためであろう。
『諸君、目を開いて、現在の情勢を見て、考えてほしい、憂慮してほし
い。いま、何が真実で、何が真実でないかを。そして、自分自身が、い
ま、何をすべきかを。そして、何が正しく、何がそうでないかを。ここ
何十年かの間に、出生率が激減している。いま、この瞬間も、人類は少
しずつ、少しずつ、滅亡に向かっている』
大佐の熱狂的な演説は、聴衆をも熱狂させていた。大佐の体、という
よりも、その姿が、少しずつ、少しずつ、大きくなっていくような錯覚
を、私は感じていた。
『この会場に、お集まりのみなさんは、もう理解されているでしょうが、
この世界は、現実の要素、世の中のあらゆる要素が絡み合って、すべて
が形成されています。私は、いま、バビロン計画の責任者で、日夜、計
画の推進に奮闘しています。しかし、私個人が、たった一人で、バビロ
ン計画を推し進めても、その力には、おのずと、限界があります。もち
ろん、私は、自分の推し進めているバビロン計画が、必ずしも、正しい
とは言いません。私が、言いたいのは、私個人の問題ではなく、みなさ
ん自身のことです。よく、考えてみてください。世の中の、解決しなけ
ればならない問題は、人口減少の問題だけではありません。自然の環境
や植民地、そして、政治の問題など、たくさんの問題を思い浮かべるこ
とができるはずです。ここで、考えてほしいのは、いま現在、みなさん
が何をすべきかということです。バビロン計画が、必ずしも正しくない
のと同じように、世の中で行われていることも、必ずしも正しくはない
はずです。既存の観念や現在の様々な事象は、みな、正しいのでしょう
か。いまの世の中で行われていることは、すべて、正義の真実でしょう
か。私が、みなさんに訴えたいのは、みなさんの物の考え方や、みなさ
んの毎日の生活に対する態度や姿勢です。例えば、みなさんが、いまま
で選挙権を行使して、何が変わったのでしょうか。いやっ、人類が何十
年何百年も、選挙権を行使してきて、いったい、何が変わったのでしょ
うか。実際には、現実に、何も、何ひとつとして変わっていないのです。
現在の候補の誰かが当選して、そして、誰かが落選しても、ほんとうは、
何も変わらないのです。要するに、みなさんが、いくら選挙権を行使し
ようと、現実には、我々の未来は、何も変わっていないのです。いま、
候補者の誰かが当選して、その他の候補が落選して、何が変わるのでしょ
うか。みなさんが選挙で投票し、何かを選択し、それで、何かが変わる
でしょうか。そんなものは、候補者が選挙中に、みなさんに植え付けた
でたらめなのではないでしょうか。
私がみなさんに訴えたいのは、選挙制度の改革の話ではありません。
確かに、古代ローマで行われていた、市民全員参加の議会制度は素晴ら
しい、とても、素晴らしいものでした。本当は、このような制度が理想
なのですが、たいへん残念なことに、いまは、そのようなことは不可能
です。個人個人に端末をひとつずつ持たせて、意見を集約しても、我々
に、良い結果をもたらすことはないでしょう。なぜならば、政府とその
行政機関というものが存在し、それらの機関が、その意見をいつのまに
か操って、政府に都合の良いものに変えてしまうからです。
私が本当に言いたいのは、みなさん一人一人が、いま、何をすべきか
ということです。選挙のときに、選挙権を行使するだけで、後の期間は、
何もせず、政府やその他の行政機関に任せておいて、それでいいのでしょ
うか。それで、個人が、誰でも持っているはずの責任・人類全体と我々
の社会が、いずれ到達する未来と、それに対する自分自身の責任は、ど
こに行ってしまうのでしょうか。いまの政府や行政機関に、それらの責
任を負ってくれる能力があるでしょうか。私たちは、その自分の責任を、
選挙を通して、誰かになすりつけて、普段は、何かと理由や理屈をつけ
て、実際には、何もしていないのではないでしょうか。
みなさんに、私は問いたい。自分が、何をすべきかを。いままで、改
善されない問題は、言うまでもなく、私たちにとって、お互いに共通の
責任がある問題なのです。私たちが、いま、なすべきことはなんでしょ
うか。そう、それは、みなさんが、自分自身で、何らかの努力をするこ
とです。人口減少の問題、環境汚染の問題、植民地等の問題は、います
ぐ、解決できる問題ではありません。みなさん一人一人が考えて、努力
することによってのみ、解決可能な問題なのです。
人口減少に対する対策は、政府主導で進められましたが、途中で投げ
出され、中断されていました。私は、みなさんと同じように、この問題
を憂い、悩んだ末に、勇気を持って、この問題に取り組みました。それ
が、いま、私が推進している、人口減少対策としてのバビロン計画です。
バビロン計画で作り出された、ADAM型、MARIA型の男女両タイ
プは、人口減少の歯止めとして、きっと、役に立つことと、思います。
彼らは、軍へは戦闘用として、また、民間へは様々な民生用として、頒
布されています。
出生率の減少の原因が、いったい何なのかは、いまのところ、わかっ
ていません。ただ、単に、人間の活力が衰えただけでしょうか。生殖行
為とは、文字どおり、生殖の為の行いです。その生殖に対する、欲望自
体が衰えたのでしょうか? 世間では、人口減少の有力な原因として、
そのような風評が、なされています。はたして、そうでしょうか? 民
生用のADAM型、MARIA型は、おそらく、そのほとんどが、生殖
行為のために使われるでしょう。そのADAM型、MARIA型が、大
量に出荷されるということは、人間の活力が、まだ、衰えてはいないと
いうことです。現在のところ、我々は、いわゆる犯罪のための利用を許
していません。売春その他の行為は、取り締まる方針です。また、AD
AM型、MARIA型を入手する人が、残虐な性向にあるかどうか、犯
罪歴や心理テストなどで、調べています。ここまで、我々が努力をして
も、倫理上の理由から反対している輩もいます。人類がどうなろうと、
倫理と正義を守るべきだというのは、それはそれで立派な態度かもしれ
ません。しかし、出生率が、死亡率の十分の一か、二十分の一にまで、
落ちてきている、いま、そのようなことを言っていてもいいのでしょう
か。このまま、出生率が下がり続ければ、何十年か先には、我々人類の
人口は、必ず、十分の一以下に減ります。それから、対策を講じても、
もう遅いのです。私は、バビロン計画の最高責任者として、はっきりと
言います。全体の利益は、少数の利益に優先するのです。そもそも、バ
ビロン計画は、高度な人類愛を持ったスタッフが、崇高な精神をもとに
進めてきた計画です。このバビロン計画に着手した目的は・・・』
大佐は、突然口ごもり、何も言えなくなった。
その瞬間、時間が止まり、私の見ている映像は、ゆっくりと反転しだ
した。その映像は、百八十度転回した。私の視点は、いつのまにか、変
化して、私の目に映る映像は、熱狂している聴衆の姿に変わった。聴衆
は、みな、私を見ていた。射すような視線で、みんな、じっと、私を見
ていた。私を見据えていた。私は、話し始めた。私は、話さねばならな
かったのだ。
『この計画の目的は、決して・・・わたしが、・・・EVEを・・・抱
くためでなく・・・人類の未来と、・・・純粋な・・・探求心の、・・・
ですから・・・決して、自分の・・・欲望を・・・満たすためでなく・・
・』
私は、跳び起きた。夢から醒めた。私は、夢を見ていたのだ。体が汗
まみれになり、息が苦しかった。重苦しい悪夢だった。私は、気付いた。
もう、朝だったということに。今日は、私が、ADAMを処刑しなけれ
ばならない日だった。