#2985/3137 空中分解2
★タイトル (KCF ) 93/ 3/13 15: 7 (186)
掲示板(BBS)最高傑作集33
★内容
(すぐ前の「掲示板(BBS)最高傑作集32」からの続き)
このままずるずると行ってしまうところでしたが、チャックを下ろしたため股
間部が急に冷え込んできて、私はハッと我に帰ったのです。
「私はキリスト教徒じゃない!」
まあ、たとえキリスト教徒であってもそのモロッコ人の自分勝手な解釈に従う
義務はないのです。
その時また、別の諺が私の頭に浮かんできました。
" Nothing ventured, nothig gained. "
「虎穴に入らずんば虎児を得ず。」
この諺を聞くと私はいつも高校の国語の授業を思い出します。
ある日、先生が翌日までに自分で考えた諺を作ってこいと生徒に宿題を出しま
した。
翌日、私の親友Nは、自作の諺
「ケツの穴に手を入れずんばウンコを得ず。」
を授業中にみんなの前で発表し、先生からおもいっきり殴られていました。
この話は高校のクラス会や同窓会が開かれると必ず話題に上ります。
つい先日あったクラス会でも、Nを殴った国語の先生がその話題について話し
てくれました。
先生は、「ケツの穴に手を入れなくてもウンコは出せる。」と、あの時なぜN
を殴ったかを説明してくれました。
こんな事はどうでもいいのですが、とにかく「虎穴の諺」が、バスの中でモロ
ッコ人のホモに誘惑されているとき私の頭に浮かんだのです。
「虎穴には入らずんば」は「危険をおかさなければ」という意味なので、この
場合は「ヨーロッパに入らなければ」ではなく、「チャックを下ろさなければ」
になります。
「虎児を得ず」の解釈は少し難しいです。「虎児を得ず」の「虎児」とは「虎
の子」つまり「非常に大切なもの」を意味します。従って、「虎児を得ず」は
「非常に大切なものが手に入らない。」ということです。
バスの中でモロッコ人のホモに誘惑された状況を考えてみましょう。みなさん
は、このような状況での「虎児を得ず」の「虎児」は何を意味するかわかります
か。ほとんどの人は「虎穴の中に虎児がいる」という観点から、「虎児」はチャ
ックの中にある股間部の「非常に大切なもの」を連想したことと思います。
しかし、残念ながら違います。「チャックを下ろす」のは私なのです。私は、
自分のチャックの中にある股間部の「非常に大切なもの」がほしいわけではあり
ません。これがほしいのはモロッコ人のホモなのです。この諺は私の頭に思い浮
かんだのであって、モロッコ人のホモが思い付いたのではありません。
もうおわかりですね。
そうです。
この場合の「虎児」は「快感」になります。
私は、さんざん悩んだのですが、やっぱり逃げることにしました。
私はバスの運転手の所へダッシュして、「ここで降ろしてくれー!」と叫びま
した。運転手はすぐにバスを止め、ドアを開けてくれたため私はバスから降りる
ことができました。
バスはすぐに走り去り、私は「よかった。」と叫び、大きくため息をつきまし
た。しかし、もしかしたら「虎児」を得ることができたかもしれないという後悔
の念があったためか、100%安堵のため息ではありませんでした。
でも少なくとも身の安全だけは確保されたので、「これでよかったのかもしれ
ない。」とつぶやこうとした瞬間、あのモロッコ人のホモが私の後ろから声をか
けてきました。彼は後ろのドアからバスを降りたらしいのです。
私はすぐに逃げました。どこへという当てもなく、がむしゃらに走りました。
しかし、彼は追いかけてきました。私は学生時代に陸上部に席を置いたことが
あり(1カ月で辞めた)、脚には自信があったのですが、さすがは陸上中距離の
世界チャンピオン、サイド・アウイータを産んだ国モロッコ出身のホモ。しぶと
く私を追ってきました。
30分ほど走った後、私は力尽き、とうとう止まってしまいました。私が膝に
両手を当て休んでいると、後ろから私を追っていたモロッコ人のホモは見る見る
うちに私に近づいてきました。
彼は体力を温存しながら走っていたらしく、ここぞとばかりにスピードを上げ、
難なく私を追い抜いて行きました。
私にも1カ月といえども陸上部に在籍したというプライドがあり、「負けてな
るものか!」と歯を食いしばって再び走りだしました。しかしながら、もはや私
には彼に追いつく力などなく、やがては彼を見失ってしまいました。私の目から
は大粒の涙がとめどもなく流れてきました。
悔し涙でした。
私は今までの人生で涙など流したことはほとんどなかったのに。
高校時代に親友が交通事故で突然亡くなったと聞かされた時ですら私は泣きも
しませんでした。最後に私が涙を流したのはおそらく、親友が交通事故にあう3
日前、その親友に縄で体をしばってもらい、むちで叩かれ、快感が全身を駆け巡
ったときだったように記憶しています。
やがて、涙が乾き、股間が異常に寒いことに気付きました。
チャックが開いていたからです。
私はなぜチャックが開いていたかなかなか思い出すことができませんでした。
いずれにせよ、男がズボンのチャックを開けたままでいるというのはみっともな
いことです。
小学校時代に学校でこんなところを友達に見つかったら、「○○ちゃんの社会
の窓が開いてるー!」と周りの人に聞こえるような声で指摘されたことでしょう。
中学校ならば、生徒は少しは大人になっているのでそれほど幼稚なことを言う
者はおらず、せいぜい「おまえ、前が開いてるぞ!」と女の子の前で指摘され、
恥をかいたことでしょう。
高校になると、生徒は人を思いやる気持ちを持つようになっているはずで、周
りの人に気付かれないよう、自分のチャックを指さし、言葉ではなくジェスチャ
ーで「君のチャック、開いてるよ。」と教えてくれたことでしょう。しかし、親
切に教えてくれた人は、チャックが開いていた人が下校したのを見計らって放送
室に行き、「みなさん。3年A組の○○君は高校生にもなって社会の窓を開けて
いました。」と全校放送を行ったことでしょう。
大学にでもなれば、「アプローチしやすくて手っ取り早い」と、なんだかよく
訳のわからないことをクラスメイトの女子大生に言われたことでしょう。
私は小学校、中学校まではよかったのですが、高校から間違った学校に行って
しまったと改めて人生の失敗を悔やみました。
私がチャックを下ろしたのは、モロッコ人のホモにだまされそうになったため
だと思い出すまで、30分もかかりませんでした。
でも、あのモロッコ人は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。あの人は私
を追っかけていたはずです。でも、彼を振り切る(「振り切られた」かもしれな
い)ことができたのでそんなことは私にとってはもうどうでもよかったのです。
しかし、あれほど長い間当てもなく走ってしまったため、私はその時どこにい
るのかがまったく分からなくなっていました。そこはもう山の中で人家がまった
く見あたりません。そういえば、バスを降りたところから走り始めて10分ほど
は車が走っているのをよく見けたのですが、その後はまったく見かけなくなって
いたことを思い出しました。
夜がさらに更けてきて、寒さが私の肌を突き刺し始めました。これは大変なこ
とになってしまいました。
やがて「凍死」という言葉が私の頭にちらつき始めました。
その時の私は日本を長いこと離れており、手紙など書かなかったものだから、
たくさんの漢字を忘れてしまっていました。そんなわけだから、私の頭にちらつ
き始めたという言葉は、実を言うと「凍死」の2文字ではなく、「とうし」の3
文字だったのです。
頭にちらついている文字が平仮名では情けないので、私は必死に漢字を思い出
そうと頭をひねりました。しかしどうしても思い出すことができません。
仕方がないので私は、いつも持ち歩いていた漢字辞典をひき、「凍死」の文字
を見つけ出し、頭にちらついていた「とうし」を「凍死」に変えました。
辞書をひいた後の私の左右の手は凍傷にかかっていました。手がこんなわけだ
から、開いたままのズボンのチャックを閉めることすらできません。
このまま本当に凍死してしまい、数日後に通りがかった人に冷凍になった私の
死体を発見された時にズボンのチャックが下がっているなんて嫌です。
その時でした。1台の車がこっちへ向かって走ってきたのです。
私は思わずガッツポーズをしてしまったのですが、手が凍傷にかかっていたた
め拳を握ることができず、ガッツポーズというよりは、昔、谷敬とかいう漫才師
がやっていた「ガチョーン」とかいうポーズに近かったと思います。
やがて、車の運転手は私に気付き、スピードを緩めました。私は世界共通のヒ
ッチハイクのポーズ(道の端に立ち、横に右手を出し、親指だけ一本ピンと立て
て他の指は握ったままにする)を必死にやったのですが、手が凍傷にかかってい
たためやっぱり谷敬の「ガチョーン」になってしまいました。
谷敬のこのギャグはかなり古いので、日本でも分かる人は少ないというのに、
ましてやチューリッヒ郊外の山中を夜中に車で走っているスイス人がわかるはず
がありません。そんなわけだから、車に乗っていた運転手は、「こんな所で、こ
いつはいったい何をやっているのだ!」という唖然とした表情を浮かべ、アクセ
ルを全開にしてものすごい勢いで走り去ってしまいました。
「畜生!スイス人のやろう!」と私は思わず叫んでしまいましたが、よく考え
ると無理もないことです。こんな寒い日の夜遅く、人影もない山中で、ズボンの
チャックが開いたまま、よく訳の分からないポーズをしている東洋人を、誰が車
を止めて乗せてくれましょうか。
先ほどまで頭にちらついていた「凍死」の文字が頭の周りにさんさんと輝き始
めたとき、「こりゃいよいよだめか。」と私はついに観念しました。
と、そのとき、あのモロッコのホモがこっちにやって来たのです。
私はもう逃げる気力すらなく、「どうでも好きなようにしてくれ!」と開き直
りました。彼は再び私の股間に手を伸ばしてきたのですが、彼の手も凍傷にかか
ってしまっているらしく、やっぱり谷敬の「ガチョーン」でした。
そんなわけだから、彼も完全にあきらめ、「とにかく市内まで無事に帰ること
が先決だ。」と、含みを残した表現でありますが、二人で協力して凍死せずに宿
まで帰ることを提案してきました。
やがて、再び車がこちらに向かってきたので、今度は二人で必死になってヒッ
チハイクのポーズをしました。
今度のスイス人ドライバーは、「あ! 東洋人とアフリカ人が二人して谷敬の
『ガチョーン』をやっている。これは何か重大なことがあったに違いない。」と
分かってくれ、車を止めてくれました。
運転手はコートを羽織り、車から降りてきて、「大丈夫ですか。いったいどう
したのですか。」と私たちにやさしく声をかけてきました。私は今までに起こっ
たことをありのままに詳しく説明し、二人とも凍死しそうなので車に乗せてくれ
と、その運転手に頼みました。しかし、私の説明の仕方が悪かったのか、その運
転手は「チェスから始まる世界大戦」や「キリスト教の教え」の部分で首をかし
げ、私が「虎児」の解説を終えると同時に、車に一人で乗り込み、私たちを置き
去りにして走り出そうとしました。
しかし、モロッコ人のホモがその運転手に駆け寄り、「この人が言いたかった
ことは、要するに私たちを市内まで車に乗せてくださいという意味です。」と言
って、私に助け船を出してくれました。
「このモロッコ人はいいが、この日本人はよくわからない。」という露骨な表情
ではありましたが、そのスイス人ドライバーは私たち二人を乗せてチューリッヒ
中央駅まで乗せてくれました。
車の中でモロッコ人のホモと私は、思わず「助かったー!」と叫びながら手を
相手の首に回して抱き合ってしまったのですが、手は相変わらず谷敬の「ガチョ
ーン」でした。
終わり
○コメント
私はその後ヨーロッパへはソウル経由でなく、カサブランカ経由で行ってます。
これで終わりです。掲示板(BBS)最高傑作集34をお楽しみに。