AWC 『ぶら下がった眼球』 第十五章  スティール


        
#2957/3137 空中分解2
★タイトル (RJM     )  93/ 3/ 8  23:24  (129)
『ぶら下がった眼球』 第十五章  スティール
★内容

                第十五章 『逃避行』

 また、数日が過ぎた。私は、EVEとともに、日々を過ごしていた。平和であ
り、また、幸福だったと思う。しかし、それらの日々が、退屈だったのか、充実
していたのかは、私には、よくわからなかった。

 私は、EVEと一緒に寝ていた。そんなときに、その知らせは届いた。電子電
話のベルが鳴り響き、その音が、私を冥府の世界から、引き戻したのだ。私は、
半分は寝たままで、フックを上げた。

 私の左の耳元で、大佐の声がした。それは、紛れもなく、大佐の声だった。

『ああ、こちら、コーチェフです。緊急連絡です。いますぐ、お逃げください。
ADAMが、監視している者を殺して、戦闘機で脱走しました。ADAMは、そ
ちらに向かっているかもしれません』

 そうだ。そういえば、私は、まだ、ADAMの記憶を消していなかったのだ。
といっても、このノア六号でしか、ADAMの記憶を消せなかっただろうが。そ
れに、問題はもうひとつあった、こんなに時間がたってしまうと、あの記憶は、
もう、ADAMの深層心理になってしまっているかもしれなかった。もしも、そ
うであれば、ADAMの記憶を消すのが、難しくなる。消去した記憶の隙間に、
架空の記憶を埋めなければ、人格の崩壊や発狂がおこる危険があった。

『だっそう、脱走ですか』
『だっ、そうです』

『それにしても、なぜ、ADAMは戦闘機に乗ることができたんでしょうか?』

『いや、それは、軍の機密に関することですから』

『機密にするという、何か法的な根拠があるんですか?』
『いえ、それは、自分の個人的な判断ですから、どうしても知りたければ、サン
ディー法に基づいた手続きをとって、軍に、関係書類の公開の申請をしてくださ
い』

 私は、そういう意味で聞いたのではなかった。ADAMが、戦闘機を操縦でき
ること自体が、おかしな話だった。大佐は、明らかに、話をはぐらかしていた。
まあ、嘘をつくよりは、軍人らしい誠実さであり、少しはましだとは、私は思っ
たのだが。

 とにかく、私は、大佐から、もっと詳しい事情を聞いた。ADAMが逃げたの
が事実であれば、緊急事態には違いなかった。大佐の話によれば、ADAMは、
監視していた兵士を三人も殺して、逃走したということだった。軍の予想では、
植民星に逃げるか、それとも、私のノア六号に向かうか、そのふたつが、有力だ
ということだった。きっと、軍の連中は、ADAMの行き先を賭けの対象にして
いることだろう。

 あまりに、突然のことで、私の頭は混乱し、私は返答できず、ただ、大佐の言
葉を聴いていただけだった。私は、これから、どうすればいいのか、見当もつか
ず、まったくわからなかった。結論を出し兼ねていた。
 それを見兼ねたというわけではないようだが、大佐が、私にいくつかの案を提
示してくれた。

『対策会議で、討議した結果、軍属警察のマニュアルを準用することになりまし
た。準用されるのは、犯罪者に狙われたケースの対処マニュアルです。こういう
場合、三種類の法的な救済を受けることが可能です。あなたには、三つの選択枝
が与えられ、その中から、好きなものを選ぶことが出来、また、拒否することも
出来ます』
 どうやら、大佐は、マニュアルを棒読みしているようだ。少なくとも、私には、
そう、感じられた。

『ひとつめは、あなたが、ノアから非難するという手。この場合は、軍の保護下
に入るか、入らないかはあなたの自由です。それから、ふたつめは、ノア六号に
護衛を張り付ける手。これは、あなたも、よくご存じの軍属警察、いわゆるMP
をやってもらいます。軍属警察といっても、拳銃ライフルなどの小火器だけでな
く、重機関砲や高射砲などの装備も持っていて、宇宙空間の護衛としては、おそ
らく最高のスタッフでしょう。そして、最後のみっつめは、ノア六号ごと、宇宙
旅行という形で逃亡する手。まっ、これは、どの船でも構いませんが。それから、
費用の点ですが、護衛を派遣する費用、それから、宇宙船の燃料やあなたが身を
隠すための費用は、軍が負担します。その他の費用、今回の事件による損失の補
償などがあれば、別途、申請してください。以上の件は、三つとも、会議で、上
層部の承認を得ました。その外にも、提案があれば、上と相談して、検討します』


 大佐は、そこで、黙った。私の返答を待っているようだった。大佐は、私をせ
かすように言った。

『どうしますか? ヘンリー』

 私の体調は思わしくなく、そのせいか、私の頭は、ぼやけていた。私は、後で
返事をすると言って、電子電話を切った。私は、EVEに煎れてもらったコーヒ
ーを飲みながら、思案した。今の私には、EVEがいた。EVEが一言でも口を
聞いたら、EVEの正体がばれてしまう危険性があった。それを考えると、ひと
つめとふたつめの案には、少し難があった。私とEVEの二人には、結局、みっ
つめの案しか、残された道はないようだった。
 ADAMは、今すぐにでも、ここに現れるかもしれなかった。ADAMが、こ
こに現れる動機は、いくらでもあった。
 ADAMは、自分を創った私を恨んで、私を殺しに。それとも、私に助けを求
めに。いやっ、そんなことではなく、EVEに逢いに来るのかもしれない。AD
AMは、きっと、EVEのことを・・・。私は、EVEを失うかもしれない。A
DAMにEVEを抱かせたことを、私は後悔していた。あのときは、まだ、私は
EVEに対する愛の深さに気付いていなかったのだ。科学者としての本能と、人
類の危機に対する使命感のようなものが、私に、あのような行為を示唆させたの
だ。だが、いま、バビロン計画は、私の手を離れ、大佐のもとに戻った、いまは、
私は、そのことを悔やんでいた。
 そう考えたら、急に、気分が悪くなった。が、逆に、頭だけは冴えてきて、精
彩を帯びてきたようだった。私の心には、ADAMに対する憎しみや怒りが芽生
え、それは、急速に膨れて、大きく、強くなった。ADAMに対する、低俗で、
ネガティブな感情が、私の心に満ちて、私を何かに駆り立てた。私は、ノア六号
を衛星軌道から外すために、封印されていた操縦室のドアを開けた。宇宙の、誰
もいないような辺境に向かおうと、私は決めた。
 それでなくとも、今の私は、心身とも衰弱していて、休養が必要だった。しば
らく、静養を兼ねた旅に出るのもいいかもしれない。正直言って、私は、EVE
とふたりっきりで、暮らしてみたかった。避難するのが先決で、大佐への報告は、
事後で十分のはずだった。
 私は、衛星軌道を外れて、宇宙に飛び出すためのコースを設定し、それをコン
ピューターに指示した。行き先は、とりあえず辺境に決めておいた。
 ノア六号の内部の点灯火が、クリスマス・ツリーか、結婚式のシャンデリアの
ように輝いた。ノア六号の所有者の私も、初めて見る光景だった。あまりに華麗
で荘厳な、その光景に、私は微笑んだ。点灯火に魅かれて、EVEも、いつのま
にか、隣に来ていた。EVEも喜んで、微笑んだ。

 私は、EVEに言った。
『EVE、僕たちは、これから、宇宙の辺境に旅立つんだ。何か、持っていきた
い物は?』
『EVE、何もいらない。EVE、いま、うれしい、とっても、うれしい』

 私は、EVEの顔を、まじまじと見つめた。EVEは、さらに続けて、言った。


『EVE、声を出して、しゃべれることがうれしい。自分の気持ちをしゃべれる
ことがうれしい』
と、EVEは顔を真っ赤にしながら、たどたどしく、言った。

 こうして、EVEと私は、あてのない旅に出た。いつ、帰って来れるだろうか
? しかし、EVEと一緒なら、このまま、帰って来れなくてもいいと、私は思っ
た。





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