#2914/3137 空中分解2
★タイトル (WJM ) 93/ 2/24 11: 6 (145)
〜LONG LONG AGO〜 (上) /κει
★内容
羽ばたきかたを忘れた
友達に相談すれば嘲笑され
年を問われた
翼なんてあるはず無いって
忘れてしまった想いは
汚されたベールに覆いかぶされ
徐々に弱まっているような気がする
それならば早く
夢は踏みにじられボロ雑巾になり
酸素を取り入れているだけの毎日が
悲しみの年代が僕を支配する前に
自転車で軽快に公園を通るレンガ色の道を滑る。気分はスピードレーサー。
緑の心地よい風を頬にうけ、同じ風は髪をなびかせた。真夏の太陽の下、青々と立ち
尽くす木木。
僕は別段目的があって自転車のペダルを回しているわけでは無かった。
最近のもやもやする雲を晴らすためであったのかも知れない。風を受ければ雲は動く。
現実に疲れていたのだ。心からは煙が仕切り無しに湧き出る。
その中で僕はどうやらむせて苦しんでいるようだ。
そんなに広くはない野球場まで来ると自転車を降りた。近くにあった木製のベンチに
休憩と座る。ひんやりとした冷たさが手とお尻に伝わる。
ここは木陰で涼しい風が吹くとサワサワと陰が動いた。
フウと深呼吸をするとどこからか、さわやかな風が吹いたので思わずもう一度ふうと
息をはいてみた。
両手を組み頭の上で精いっぱい雲を掴む事を想像しながら伸ばす。そして一気に脱力。
蟻が靴の上で忙しげに動いている。
「おいおい」
と僕は呟きアっという間にすねの部分まで昇った蟻にフッと息を吹きかけた。転げ落
ちた蟻は革靴の上に落ちて再び登り始めた。
1匹の蟻の勇敢な行動に僕はその時、妙に心を打たれたのだ。そういう精神状態だっ
た。しかし薄着な服の中に入られるのは嫌なので手で払った。そんなつもりは無かっ
たのに手は蟻を丸く潰した感じを覚えた。
転がり落ちて今度は雑草の中へ。どこに行ったかは分からない。見えない蟻に心の中
で謝り、ただ無事である事を、今元気に動いている事を祈った。
球場では小学生ぐらいの子達が練習をしていてしばらく眺める事にした。ボールに向
かいバットが振られるとよく響く金属音が辺りにこだまする。
真剣な子らの汗ばんだ暑そうな顔。ボールが飛ばされるとそれに向かって走る少年を
すがすがしい思いで眺める反面、暑さが増してきそうだった。
真っ黒に焼けた皮膚と滑り込みによって舞う砂ボコリ。夢がプロ野球ならばぜひ行か
してやりたい。そして大観衆の見守る中ホームランでもうたしてやりたいと思わされ
るほど熱心だった。
この子たちのプロ野球生活などを勝手に想像していると一人の少年がこちらに近づい
てきて
「すみませーん。ボール取ってくださーい」
ちょうど足元に黄ばんだボールが転がってきていて、それは手前に生え繁る草に当た
り停止する。
「よーし」
僕はベンチから立ち上がり身を屈めてしっかりと握りしめると大きく投げた。ボール
はその子の頭上を越えて監督らしき人の所へ転がった。
それでもその子は
「ありがとうございました」
と丁寧に頭を下げた。
またその練習を眺めていると突如後ろから声がした。
「おにーちゃん」
声の方へ振り向くと幼稚園ぐらいの白い服を来た小さく可愛らしい女の子が立ってい
る。辺りを見回しても僕しかいない。
「待ってるんだからね」
意味が分からない僕は自分の鼻を指さす。しかしその幼い女の子は無言の間々僕の目
を見つめる。
大きな瞳に一瞬心臓が驚いたのを感じとれた。余りにもその瞳が不思議な想いに見回
れる神秘的なものだったから。少しの沈黙の後。
「どうしたの?」
その子は反らす事無く僕の目を見つめるだけ。その瞳の奥に地球ではない別な世界が
広がっているよう。吸い込まれそうだった。そして僕はその中に涙をみた。
女の子はまったく動かない。
やがてその瞳は青空を見上げて一度静かに閉じられた。僕が仰いだ空は雲一つ無くと
ても目を開けていられない。
視線を戻すと隣には誰もいなかった。
蝉が一層うるさく鳴き始めて暑い。
僕らは噴水の前のベンチに座っている。
「だからその後すぐ走って消えたんだろ」
茂樹がコーラを飲むのを中断して呆れ口調で言った。そして再度飲み始める。
「いや絶対に消えた」
僕が確信を持った声で言う。
「絶対に消えた」
こうも断固として言い張るのはあの瞳のせいだ。純粋な瞳、可愛らしい幼い子の瞳だ
った事はもちろん、言葉では表現できないが不思議で、神秘的だった。
あのような感じに見回れたのは初めてだ。
コーラを飲み終えた茂樹が面倒うそうに口を開いた。
「考えてみろよ。人が消えるわけないだろ」
沢山の通行人を一べつした後続ける。
「オマエが空を見上げている間に走り去ったんだろ」
中央の噴水が大きく吹き上がった。ハトが一斉に飛び上がる。
幼い子どもが親から渡されたお菓子を与えようとした時だった。
「でも実際消えたんだって」
茂樹はしばらく間をおいた後
「切りがないからこの話はやめ」
とベンチを立ち上がった。
うつむいている僕をみて茂樹が幾分申し訳なさそうに言う。
「忘れろ忘れろ」
今晩も暑さのためか寝つけなかった。最近僕はどうも自分を見失いがちのように思う。
ふと自分の存在が不思議に思えたり、この地球という星が別の世界のように思えたり、
自分は誰かと自問する事がよくあった。
心の中のもやついた雲は焦りというものかもしれない。同僚達に取り残されまいと急
ぐ足は疲れていた。
そして取り残された自分は、もうはい上がる事の出来ない淵に落ちる錯覚を覚えた。
見栄を張る事にさえ疲れていたのかもしれない。
何か現実的ではないものを求めているような気がする。いつのまにか意識は夢の中へ。
空を見上げると雲一つ無い空にまん丸い月がその中の兎がぽわあんと浮いていた。
何処までも続く海。その砂浜に座っている。
聞こえるのは波の音だけ......
押し寄せては帰る波を満月の光で眺めている。水は白くなっては消えてその繰り返し
だった。
「おにーちゃん」
後ろを振り返るとあの子が立っている。
あの子にあった日から何度も繰り返される夢。僕が何かその子に言おうとすると決ま
って目が覚めるのだった。
汗をかいているTシャツの腹の辺りを掴んでバタバタと上半身に風を送った。
昨晩暑さの余りなかなか寝つけず冷水を飲んだ。
その時の氷がベットのすぐ隣に置かれているコップの中で溶けていた。
手を伸ばしてそれを取り上げ一気に飲み干す。と言っても微々たる量。
枕元からステレオのリモコンを取り赤いボタンを押した。スピーカーからは乗りの良
い音楽が軽快に流れ始める。
ボリュームが大きすぎたので慌てて下げる。上半身はそのままで床に無造作に置かれ
てあるジーパンを拾い上げ履いた。
今ごろ時計のベルがけたたましく鳴り響く。ラーメンを食べるため湯を沸かしていた
時だ。今日はいつもよりも早く起きたのだとそれで初めて気付いた。
時計をみると今で8時。
沸騰しそうな湯を横目に見つつ随分と得をした気分を味わいながら
「早起きは3文の得」
と呟きまだしつこく起きろと騒ぐ時計を嘲笑の表情を浮かべてポンと叩く。
シュンと黙り込む時計をみて可愛く思った自分に今日はとても機嫌が良い事を感じた。
窓から見える空はいい天気だ。まだ涼しく、風でカーテンが膨らんだ。