#2907/3137 空中分解2
★タイトル (AZA ) 93/ 2/24 8:15 (183)
Tの殺人 2 永山
★内容
「またですか」
翌日、湯川刑事が現れた。時間は午後三時二十五分。相原克は、酒のせいで
痛みの残る頭を振って、応対に出た。
「いや、昨日はご足労を願ったねえ。ところで君、昨日の晩、八時から十二時
の間、どうしていたね?」
「何です? またアリバイですか?」
「いいから答えて」
「あの後、友達に声をかけて、飲みに行きましたよ。えっと、店の名前は……」
克は昨晩回った店の名前、ついで一緒に歩いた友人の名前を列挙した。
刑事は薄くなりかけた頭を克に向け、メモを取った。
「……なるほどね。ごまかしはききやせんよ。調べれば分かるんだから」
「僕だって、そこまで間抜けじゃありません。正直に言ったまでで。それにし
てもその時間に、何があったのかを教えてくれてもいいんじゃないですかね?」
「そうだな」
少し考える様子の刑事。
「しょうがないな。また殺しがあったんだよ。あんたの親父さんが殺されたの
と状況がそっくりのね」
「は? そっくりと言うと、首を切られた死体が見つかったと」
驚きをなるべく押さえながら、克は言った。
「ああ。それに、あのちょん切られた十字架も転がっていたんだな、側に。で、
これも聞こうと思っていたんだが、この人を知っているかね?」
相原克は、鮮明なスナップ写真を見せられた。眼鏡をした、色白の中年女性
が笑っている。細かな花柄の洋服は紫で、金色のネックレスをかけているのが
分かる。
「いえ、知りませんよ。何て名です?」
湯川刑事は写真を裏返すようにという手つきをした。「遠藤福子」と記して
あった。
「えんどうふくこって読むんですか」
刑事に写真を返しながら、克は聞いた。
「そう。名前も聞いたことはないかね? 例えば親父さんの関係でとか……」
「あいにくですが、親父の人間関係はまるで知らないんですよ」
「そうだろうな。じゃ、病院の方にあたるか……」
「ちょっと。その人が殺された?」
背を向けようとする刑事に、克は急いで声をかける。
「そうだ。今朝、発見されて、やはり名刺からある程度は分かったんだ。十字
架のことはまだ伏せてあるから、同一人物の犯行に違いないんだが。そうだ、
相原君。君は十字架の話を誰にもしてないかね?」
「ええ。吹聴するようなことじゃない」
「結構。これからも、余計な情報は漏らさんでくれたまえ」
刑事は、やや尊大な調子で言い残すと、今度は本当に去って行った。
刑事が伝えてくれた事件は、その日の夕刊に、ある程度の大きさで掲載され
ていた。連続殺人の様相を呈してきたこと、事件に猟奇性があることから言っ
て、もっと大きく扱いたかったかもしれない。だが、それには記事のネタが少
なすぎた。
記事は、午前七時過ぎに出勤途中にゴミを出そうとしていた会社員が近くの
空き地で遺体を発見したこと、被害者は遠藤福子という女性だということ、彼
女がある雑誌の編集長であることぐらいしか伝えていない。後は、前に起きた
相原孝助殺害事件との類似点の列挙で引き伸ばしている感じだ。
月曜が敬老の日だったから、ゴミが多くて、山と積まれたゴミの頂に自分の
家の分を置くと、隣の空き地の方に転がった。それを追っかけてみると遺体を
発見したとは、会社員の弁だった。
「こりゃ、ますます、異常者の犯罪にされちまいそうだ。親父がそんなつまら
ん奴に殺されるとは思えないが」
訝しく思って、克はアドレス帳を繰った。刑事は調べもせずに簡単に答とい
たが、こうなると気になるものだ。
しかし、遠藤福子という名前は見つけられなかった。
気になったままの克は、久しくしていなかった病院への電話をした。受付へ
の番号だ。もう、往診時間は終了しているから、誰も出ないかもしれないが。
「はい、相原病院です。本日の往診……」
「あ、克です。相原克」
「なあんだ、お坊っちゃんですか」
聞き覚えのある看護婦の声。ちょっと年をくった、人懐っこいおばさん看護
婦だ。受付は看護婦が交代でやっているはずだから、この人が当番だったのは
幸運かもしれない。
「お珍しい。何か御用ですか?」
「ちょっとね。今、患者さんの名前って調べられるかな?」
「何です、警察みたいなことを。ひょっとして、遠藤福子さんを捜せって言う
んじゃないでしょうね?」
警察も同じことをやっていたか。克はがっかりした思いになった。
「実はそうなんだ。僕も気になって。親父の事件と関係あるんじゃないかなっ
て思ったからさ」
「まあ、お父さん思いですわねえ。お気を強く持って下さいよ」
看護婦は克のことを誤解していたが、訂正する必要もなかったので、そのま
ま続ける。
「それで、名前はあったのかな?」
「いいえ。遠藤さんなら割とあるんですけどね。遠藤福子はありませんでした。
それでも、警察の方、遠藤さんを全部メモして帰って行きましたけど」
「ふうん。ありがとう。と、もう一つ。気を悪くしないでもらいたいんだけど、
そこの病院で、医療ミスとか手術ミスなんてこと、ない?」
「んまあ! 警察からも同じことを聞かれましたけどね、きっぱり言ってやり
ました。そんなことは一切、ありませんと」
「本当に?」
「ええ。嘘だとおっしゃいますか?」
克が知っているこの看護婦は、とても嘘をつくような人間には見えなかった。
「いや。気を悪くしたのなら、すみません。どうもありがとう」
「いえ、別に構いやしませんけれど」
「遅くまでご苦労さまです。じゃ」
「坊っちゃんにそんなに気を……」
克は、自分が下手に出たもので恐縮している相手の言葉を最後まで聞くこと
なく、受話器を戻した。
「ミスはなし、か。くそ、何だったかな。小さい頃に聞いただけだから、思い
出せない。何かずる賢いことをやっていたはずだが」
記憶を辿ろうとした克だったが、それも途中でやめた。
「ま、いいか。これが直接、今度の事件に関係あるとは限らんし。今は、親父
と遠藤福子を結ぶ線を考えるのが先決だな。だが……」
ここでまた思考が止まる。
警察は来院者の中にあった「遠藤」と今度の被害者が、血縁関係にあるので
はと考え、動いているようだ。が、どうも外れているような気がする。仮にあ
ったとして、医者を殺した次に患者の血縁者を殺すのは、一見つながりがある
ようで、実は支離滅裂ではないか。
無理にでも考えてみると……。親父が手術ミスで誰かを死なせたとする(あ
の看護婦の証言から、これも可能性は薄そうだが)。遺族からの声を金で押え
込むが、納得しない人間がいた。その人間が、まずミスを犯した医者を殺し、
次に金で折り合ってしまった身内を殺して……。
どうもすっきりしない。もし、こんな状況があったとしても、殺すことはな
い。親父なりウチの病院なりを告発すればいいのだから。金を受け取った格好
になっているので、それはできないと考えたのだろうか? どうもうまくない。
相原克の思考は空転を繰り返すばかりであった。
彼の空転は、二日後の刑事の来訪により、終点を迎えた。
「君のアリバイ、成立したよ」
湯川刑事は、今までにない笑みを浮かべていた。
「疑って悪かったね。妹さんの方もちゃんとアリバイがあったし、よかったよ
かった」
それからしばらく、空虚な笑いが場を支配した。
「……それで、犯人の目星はどうなんですか?」
「それを言われると辛いのだよ。遠藤福子の線も追っているが、うまく進んど
らん」
「ウチの病院で、遠藤姓の人をリストアップして行ったようですが、どうだっ
たんです?」
「そんなこと、知っているのかね。しょうがないな。空振りだった。患者の中
に、遠藤福子と関係ある人物はいなかった。逆にね、遠藤福子の知人で相原病
院に絡んでいる人物も調べたんだが、いなかったんだよ」
後半、吐き捨てるように刑事は言った。
「僕には病院の人は、病院内の悪い点はなかったとしか言ってくれない。警察
が調べても、何も出てきませんか?」
「こちらが聞きたいぐらいだね。何も出てこない。今後は、経営面の方にメス
を入れさせてもらうつもりだ。おっと、口が滑ったかな」
「僕は言いませんよ。もっとも、もう秘密裏に調べてるんだろうけど」
「分かってるねえ」
「お世辞はいいです。それより、遠藤福子ってどんな人なんで?」
「遠慮がないな。ま、今日はこっちに弱味もある。
遠藤福子、四十六才。えーっと何だ、ローティーン女性雑誌『ミスズ』の編
集長をやっていた。編集者内での評判は、まあ普通。厳しいことは厳しいが、
面倒見のいい人だったらしい。雑誌が売れるためなら、何でもするってとこも
あった」
「ははあ、雑誌編集ってのは、そういう類のでしたか。どっかの写真週刊誌み
たいに、トラブルを起こしたことは?」
「まだ調べ始めたばかりだが、ないようだ。少なくとも、目立つようなのはな
い」
「ローティーンとは、どのぐらいの年齢を対象にしてるんですか?」
「私も知らなかったんだが、ローティーンって十代前半なんだってなあ」
「いや、それは分かってますから、具体的な読者の年齢想を」
「そうだな、そんなに詳しくは聞いとらんが、やはり十代前半……つまり、小
学校の四年生ぐらいから中学三年ぐらいまでじゃなかったかな」
「じゃあ、トラブルも起きそうにないですねえ。内容はやっぱり、少女漫画と
か占いとか芸能人とか?」
「そんなとこだったな。年寄りには理解できんよ、ああいうのは」
ため息混じりになる刑事。
克は質問の方向を転じた。
「死亡推定時刻、正確なとこは出ました?」
「午後九時から十一時までに狭まった。この時間に犯人が犯行をしてくれたお
かげで、我々は回り道をしなくてすんだ訳だ」
刑事は自嘲気味に言った。
「僕にとってもね。それで、首はまだ見つかってないんですか?」
「ああ、どちらもまだだ。すまないことだと思っている。火葬のやり直しもし
なくちゃならんしな」
「殺され方はどうだったんです? これも一致してたんですか?」
「いや、今度は絞殺じゃないのは確かだ。身体には外傷が見あたらなかったの
で、頭部に衝撃を加えられて絶命したんじゃないかと見とる。そして、死んだ
後に首を切断されている。凶器は見つかってない」
「殺されるまでの遠藤福子の行動は? 分かっている範囲で……」
「午後七時までは、編集室ってとこにいたらしい。これは複数の人間の証言が
あって確かだ。言い忘れていたが、独り者なんだ、被害者は。だから、この後、
晩飯を食べにファミリーレストランに足を運んだらしい。これは彼女がタクシ
ーに乗り込むまでを見送っていた社員の証言。一人でレストランに行った訳で、
確実な証人はいないんだ」
「部下の人もおごってもらえばよかったのに」
「そうもいくまい。で、そのレストランでの聞込みで、遠藤福子が食事したの
は間違いないようだ。一応、遠藤福子の行き着けの店だったらしいしな。来た
のが七時半頃で、出たのが八時半頃。この後の行動は不明。普通なら、タクシ
ーで自宅に直行するもんだろうが、その前に犯人に捕まったのかもしれん」
「そうですか。タクシーに乗る前に犯人と出会ったとしたら、犯人の方は相手
が遠藤福子だと知っていたのかもしれない。また、被害者も犯人の顔を知って
いたのかもしれない。そうでないと、レストランの近くで騒ぎになったはずで
しょう?」
「そうだな。まあ、まだ、どっちとも言えない状況さね。全力で事件解決に尽
力するから、この前のことは忘れてほしい」
「そんなに気にしちゃいません」
「それはよかった。じゃ、そろそろ復帰しないと。喋りが過ぎたかもしれんね。
では、失礼するよ」
刑事はきびすを返し、外に出て行った。
−続く