AWC 『いっぱいのかけそば』        YOUNG


        
#1591/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (BWA     )  89/ 6/ 2   2:14  (143)
『いっぱいのかけそば』        YOUNG
★内容

その年の暮れ。北海亭の前には異様な光景がみられた。
大晦日を3日後にひかえた店先に、色とりどりのテントが張られ、10人あまりの記
者とおぼしき男たちが寝袋にくるまって陣取っているのである。その中央、店の真正
面にどっかと座りこんだ男の腕章には「週刊文秋」の文字が見てとれる。男は、使命
感に燃えた顔つきで、黙々とカメラのレンズをみがいていた。
北海亭の主人が文句を言おうと出てきたが、カメラを向けられると何も言えなくなっ
てしまい、その無愛想な顔をさらにしかめて、しぶしぶ引っ込んでいった。

異変は半年前から日本中に起きていた。あらゆるスーパーマーケットや小売り店から
「そば玉」が消え、新聞はこぞってそれを記事にした。あるメーカーから発売された
「いっぱいのかけそば」という名のインスタントカップそばは、店頭に並ぶ間もなく
売れていき、「いっぱいのかけそば1.5倍(3人前)」の初出荷時には、工場にト
ラックで乗りつけた問屋どうしで製品の奪いあいがおきるほどの騒ぎとなったが、「
いっぱいのかけそば1.25倍」の発売が伝えられる頃には、メーカーの生産体制が
ととのっていたため、さほどの混乱は招かずにすんだ。日本中のいたるところで、そ
ば屋は「北海亭」あるいは商標の関係から「北海庵」「北海家」「北海館」「北海楼」
「北海閣」などと名を変え、ラーメン屋の多くは「かけそばあります」の貼り紙を掲
げた。駅の立ち喰いそば屋は、これ幸いとかけそば一本にメニューをしぼったが、天
ぷら納入業者と鶏卵生産農家がそれに反対し、国会議事堂前で連日デモを行った。
国民はそばに酔っていた。ファミリーレストランのメニューにかけそばが加えられ、
大手ハンバーガーチェーンが売り出した「そばバーガー」のCMが間断なく放映され
るまでに至っても、不思議に思うものは誰もいなかった。

きっかけが何であったのか、今となってははっきりしない。半年前、テレビ・ラジオ・
新聞・雑誌などあらゆるメディアで、ほぼ同時期に「一杯のかけそば」という話がと
りあげられた「「はっきりしているのは、これだけである。その後、かけそばを注文
する人が増えはじめたのに気づいた「そば店経営者」の投書が新聞に載り、あるテレ
ビ局がドラマ化して高視聴率をとり、トレーニングウェア姿で歌う兄弟デュオの「お
そば屋さんになりたい!」がベストテンに顔を出す頃になると、人々の間にそば熱が
かなり蔓延していた。すべての要因は複雑に絡みあい、たがいに影響を与えながら、
日本中を巻きこんでいったのだ。

当初、創作だと思われていたこの話に、実はモデルがいると分かったのは、ある写真
週刊誌の記者によってである。彼は、5ヶ月にわたる地道な調査によって母子をみつ
けだしたのだが、特ダネをつかんだ喜びのあまりか、実名で報道してしまった。さぁ、
黙っていないのがワイドショー番組のレポーターたちである。母親のところへおしか
けて、連日連夜の取材攻勢。プロデューサー連中の巧みな口車にのせられてか、精も
根も使いはたしてか、頑なに拒みつづけていた母親も、ついには「1度だけ」の約束
で出演を承諾してしまった。

12月31日の昼すぎ、母親を気づかいながら、青年は千歳空港に降りたった。京都
の銀行に勤める弟、淳である。彼は、なにごとか自分に言い聞かせるように頷くと、
大きく息をして歩きだした。ロビーは報道陣に占領されていた。淳と母親が現れると、
いっせいにフラッシュが閃き、何本ものマイクが突き出される。人垣の間から兄が歩
み出ると、淳は安堵をおぼえた。兄弟は目顔で会話した。
(兄さん、たいへんなことになっちゃったね)
(いいじゃないか、これっきりなんだから。それより、母さんを守ってあげたか?)
(大丈夫だよ。すこし疲れてるみたいだけど)
淳の、泣き笑いのような困り顔をアップでとらえた映像に、レポーターは
「1年ぶりの兄弟再会に、弟さんは、うれしさのあまり涙ぐんでいます!」
とコメントをつけた。

同じ頃、北海亭は戦場と化していた。店の前には、順番待ちの客が2kmもの列をつ
くっていたし、電話は、受話器を置く間もないほど鳴りつづけていた。
「はい北海亭! 5人前! 毎度ありがとうございます!」
電話係のパート従業員は、注文を聞き返す必要がなかった。みんな「かけ」に決まっ
ているのだ。彼女は次の電話を受けながら、壁に貼られた模造紙に「正」の字をひと
つ書き加えた。
主人は、眉根を寄せた凄まじい形相で、際限なく増えつづける「正」の字をにらみつ
け、腕のしびれをものともせずに、そばをゆでつづけている。熱気のため赤くなった
その顔は、思わず銘を入れたくなるような仁王像そのものだった。
店内は混みあっていたが、誰も2番テーブルに座ろうとはしなかった。「予約席」の
札など見当たらないのに「「だ。おかみさんが案内しても、みな一様に無言のまま首
を横に振って、にっこりと微笑むだけである。親に何と言い聞かされたか、待ちくた
びれて泣いていた子供でさえ、かぶりを振る。
いつまでたっても引きそうにない客の波と、所在無げに置かれたテーブルとを交互に
見ながら、おかみさんは大きくため息をついた。

時計の針は10時20分を指していた。最後の客を送り出した北海亭の夫婦は、その
まま床に座りこんでしまった。6時すぎに、なおも増えつづける客の列を「ここまで」
と限って、今ようやくそれを果たしたのである。しかし、店内は静かになるどころか、
かえって騒がしくなっていた。待機していたテレビ局のスタッフが、中継の準備をは
じめたのである。器材のふれあう音が、夫婦の頭上を幾度となく通りすぎていく。そ
こに、プロデューサーに連れられた母子が入ってきた。再会を喜びあういとまもあら
ばこそ、無情の声が割って入る。
「じゃ、さっそくリハーサルいきますから。あ、台本は変更なしっていうことで」
夫婦と母子5人は顔を見合わせ、無言のうちになぐさめあった。
「村チャン、回線オッケー? おい山田、それワラって。あ、照明もっとさぁ………」

あと数十分で年が明けようとしている。どこからか聞こえてくる除夜の鐘。
「おかあさん、『ゆく年くる年』はじまったよ」
少年が、こたつ板に片頬をつけてテレビを見たまま、台所にいる母親を呼ぶ。
「は〜い、いま行くからね」
母親は、2つのインスタントカップそばを手にして、こたつに戻ってきた。父親の姿
はない。テレビではアイドル歌手がなにやら早口でしゃべっていた。
「ごらんください! ここには、なんと1万食ものおそばが用意されてるんです。こ
れは、日本蕎麦普及振興協議連絡連合会のご厚意によって、あの当時の値段「「15
0円でみなさんに提供されてるんですねぇ。そして、チャリティということで、今日
あつまったお金は、ぜんぶ交通遺児進学援助協力基金財団のほうに寄付されることに
なっています。では、食べてる方に、ちょっとお話をうかがってみましょう。どうで
すか? お味のほうは。あ、学生さんですか? 『一杯のかけそば』ってお話、どう
思います?」
笛吹きケトルが母親を呼んでいる。

「あと3分です。準備はいいですか?」
北海亭の入口の外で、3人は待機させられていた。アシスタントディレクターの合図
によって、母親を先頭に2人の息子たちが入っていく段取りになっている。ディレク
ターの問いかけに、母親は黙ってうなずいた。
(やはりお断りするんだった………)
そんな気持ちを察してか、兄弟の表情も曇りがちだった。2人は、どちらからともな
く、安心させ、勇気づけるように母親の肩に手をおいた。

こたつに両肘をついたまま、その若い母親は泣いていた。少年が心配そうに振り返る。
テレビからは、静かなクラシックの曲をバックに、「一杯のかけそば」を朗読する声
がながれている。半年ほどの間に何十回となく聞かされてきた話なのに、そのたびに
泣けてしまうのは、なぜなの。彼女は鼻をすすりあげると、口にくわえたまま半ばで
たれさがっていたそばの後半部をすすりこみにかかった。

母親の表情は堅かった。おかみさんが3人前のそばを運んできた時、一瞬ゆるんだそ
の顔も、テレビカメラを意識すればするほど強ばってしまう。だいいち、全国の人々
に注視されていれば、なにものどを通るはずがない。
インタビュアーが語りかけてくる。しかし彼女は、ただ
「はい………」
と応えるだけだった。
ディレクターが身振りで、「しゃべれ」と急きたてる。母親は、あらかじめ考えてい
た言葉が何ひとつ出てこないことに苛立っていた。自分たち母子は、あたりまえに
生きてきたこと。苦労はあったけれども、人さまにお聞かせするような話ではないと
いうこと。どうか、これからはそっとしておいてほしいこと………。
そこまで考えて、彼女はふと顔をあげ、息子たちの顔をみつめた。涙が知らずにあふ
れてきた。どうして私は、全国の人々が見ているなかで、こんな思いをしてまで、そ
ばを食べなければいけないのだろう。女手ひとつで子供を育てあげた立派なご婦人は
日本中に大勢いるだろうに、どうして私たち母子だけが、笹を食べるパンダのように
見世物にならなくてはいけないのだろう。
情けなかった。母親は鳴咽し、肩をふるわせ、声をあげて泣いた。息子たちも泣いた。
母親の心情が痛いほどわかるだけに泣いた。みっともないとは思わなかった。ブラウ
ン管の中で、そばをすすっている自分を思って泣いた。北海亭の夫婦も泣いた。母子
の思いを目の前に泣いた。母子をテレビにひっぱり出す場を提供してしまった後悔に
泣いた。日本中の人々が泣いた。母子が苦労を偲んで泣いているものだと勘違いして
泣いた。北海亭の夫婦が母子との再会を喜んでいると勘違いして泣いた。
その年は涙に暮れた。

「おかあさん、ぼく、おそば屋さんになろうかな」
少年は、涙でぼろぼろになった母親の顔を見上げながら言った。
「バカなこと言わないで。ウチはちゃんとお父さんがいるんだから、いい学校出て、
偉くなってちょうだい。なんのためにお父さんが単身赴任してると思ってるの。だい
たいあの兄弟だって、おそば屋さんじゃなくて、銀行員とお医者さんになったでしょ」

年明け早々、「ゆく年くる年」の視聴率が発表された。97.2パーセントという数
字は驚異的だったが、それにも増して驚くべき数字は、大晦日1日のそばの消費量だっ
た。4億5000万食「「国民1人あたり4杯ずつ食べた計算になる。
そばがいっぱい。
                           (完)




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