#525/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HHF ) 87/12/ 2 14:57 (184)
MARUS 《6》 ■ 榊 ■
★内容
「「「混沌とした世界。
上もなく、下もなく。
ただ、暗黒とも言えるような不思議な空間。
それでいて、どこか暖かい。孤独感などは感じもしない。
そう、例えるなら、母胎の中の暖かな空間のような所に、俺は浮かんでいた。
「ど………こ………?」
しっかりと頭が働かない。
全てが曖昧。
周りを見渡そうとするが、思うように体が動かない。
うんうん言いながら、少しずつ周りを見渡す。
どこもかも闇。
一筋の明りさえ落ちていない、まるで深海のような世界。
急に、孤独感、と言うよりも、一人残された子供のような寂しさを感じた。
涙が流れ、子供に退行したような体になり、その小さな手を目に当てる。
「えーん、えーん」
寂しくって、涙が流れてしまう。
17であったはずなのに、体も、心も、まだ甘えたい盛りの7・8才に戻ってしまったような退行感。
「だれか…………いないの?」
泣いてもしょうがないような気がして、顔をあげ、少し歩き出した。
トットットッと歩き出すが、しっ黒の風景が変わるはずもない。
どうしょうもなく、チョコチョコと歩き続けた。
「えーん、えーん………お母ぁさーん」
止まって、再び泣き出すと、前がぽっと明るくなった。
「え?」
泣き顔を上げてみる。
そこには、優しい感じの女性がいた。
誰とも言い難いが、お母さんのような、愛美のような。そんな気がした。
周りが、ぽーと明るくなっていて、幻のように揺らめいている。
触れれば、なくなってしまう様な存在感。
ただ、一人孤独であった自分に支えができように、心は嬉しくてしょうがなくなり、飛びついて行った。
「わ「「「い!」
しかし、その女性はすっと消えてしまい、僕は空をつかんだだけだった。
トットットッと惰性で数歩あるくと、僕は立ち止まった。
「どこ?…………」
きょろきょろ見渡すと、少し向こうにまた同じ様な光が見えた。
トットットッと歩いて行く。
やっぱり、あの女性だ。
やっぱり、嬉しくって、飛びつく。
だけど何も掴めない。彼女はいなくなってしまう。
また見渡すと、今度はかなり遠くにいた。
うんうん言いながら追いかけるが、なかなか追いつかない。
「まってー………まってよー」
だけども、その女性との距離はいっこうに縮まらない。
それどころか、彼女の姿はどんどん遠ざかって行くようにも見えた。
「まってー………ねえ、まってよー」
だが、彼女はとうとう、ただの光となってしまった。
そして、その光が歩いて行くうちにどんどん大きくなっていき、とうとう僕は光に包み込まれた。
「まって!」
目が開いた。
さっきとは違った、しっかりとした実感にやや冷静さを取り戻す。
光に慣れてきた目に、天井の白い壁が入り込んで来た。
足元にある窓からの差し込む太陽の光の反射もあって、かなりきつい光が目を細めさせる。
やっと落ち着き始め、全身の筋肉に対する緊張をといていく。
「夢か…………」
ため息混じりに呟くと、途中でわき腹に激痛が走った。
「つっ!」
右手で本能的にわき腹を押さえた。
しかし、手を当てたその瞬間、何か異物感を手に感じた。
いつもと違う感触。
俺は手をぱっと離し、手で押さえたわき腹を見た。
「包帯………」
包帯と呼べるかどうかは解らないが、どっから取って来たか解らない白い布が腹に巻き付けられていた。
自分でこんな事をした覚えはない。
いったい誰が?
何はともあれ、俺は体を起こした。
そして、ゆっくり周りを見渡す。
整然と机を並べられた、どこかのオフィス内。
全体的に白で作られた清潔な感じのする部屋ではあったが、わずかに〈崩れ〉を見せ、何年も前に作られたような印象を与える。
南側に作られた窓からは太陽が見え、依然と変わらぬ強い光が差し込み、俺の影を床に黒く写していた。
そして、<赤い目をした男>が床に転がっている。
しかし、そこには掛けた覚えのない白いシーツが掛けられていた。
「…………?」
壁にもたれ掛かろうとした俺はさらに、自分がソファーに寝かせられていた事に気付いたが、特に驚きもせず、そのまま柔らかなクッションに背中を任せた。
<いったい誰がこんな事を…………>
考えようとしても、出てくるわけがない。
愛美の死に立ち会ってから見たのは<赤い目をした男>と、死んだ<黒い目の人>だけだ。
俺は、天井の白い壁を見つめ、しばらくぼーっとしていた。
なにも聞こえない静寂な時。
静かな安堵がやがて、頭の中にさっきの夢を再現した。
退行した自分の姿と、暖かな女性。
そして、逃げていく時の悲しさ。
<みんな………いなくなった………>
悲しい、恐ろしい。
その気持ちが夢に現れたのだろう。
あの女性は何を意味したのだろう。
お母さん? 愛美? 友達? 人々? それとも、平和?
小さくなった俺は、それにすがりつきたかった。
淡い光を放つ女性に。
淡い光?
その言葉で俺は、昨日の事を思い出した。
気絶する瞬間にみた、優しい光を発する愛美の姿。
わずかに宙に浮き、体をやや曲げながら目をつぶり、優しき笑顔を見せていた愛美。
その時は、死の瞬間の幻影だと思ったが、いま考えると、かなりしっかりした物だったと思った。
愛美の姿が見えたのは、何故。
やはり、願望が夢に現れたのだろうか。
その疑問と同時に、次々と問題が頭に浮かびだした。
俺は一体これから、どうしていけばいいんだ。
赤い目の男達は一体、何者なんだ?
この<崩れ>の現象は何故?
そして、包帯を巻いてくれた人は誰?
頭が痛くなるほどの疑問の数。
俺はため息をついた。
カタッ…………
殆ど、聞こえるか聞こえないか、小さな音を俺の耳は聞いた。
本能的に、銃はないかと周りを見渡した。
枕元に服と一緒になっていた銃を見つけると掴み、ソファーの後ろに飛び込んだ。
すぐに銃の弾を確かめ、10発入っていることを確認すると、音のしたドアの方向に銃を向けた。
静かに、音を待つ。
カツ……カツ……カツ………カツ……
少し早めのテンポの、軽い足取り。
どうも男の物とは思えなかった。
子供、もしくは女。
おそらくは、この包帯を巻いてくれた人だとは思ったが、俺は依然とソファーの影に隠れていた。
カチャ………ギ「「「「「「!
「あれ?」
女性の声だ。
どこか、聞き覚えのある。
しかし、俺はそんなことは構わず、銃を構えたままソファーから飛び出た。
「きゃ!」
女性は、突然飛び出した俺に驚き、持っていた沢山の缶詰を落としてしまった。
俺は、女性の顔を見た。
赤くない瞳。
しかし、それよりもその顔!
「愛美!」
その女性は、相手が俺だと解ると、嬉しそうな顔で安堵のため息を漏らした。
「ふ「「「「「 良かった。あなたで………」
彼女は緊張した様子を見せず、俺に笑いかけた。
少し長めの、さらっとした髪を背中に流していた。
ちょっと細目だが背もほどほどに高く、可愛らしい。
きれいな黒い瞳に、屈託のない笑顔。
どこか、引かれてしまう所までも、愛美に似ていた。
唖然とし、下ろしかけていた銃をばっと上げ、その女性に向けた。
愛美のはずがない!
「誰だ!」
落とした缶詰を拾っていた、愛美に似た女性は顔を上げ、もう一度俺にその笑顔を見せてくれた。
俺はまた銃を下ろしてしまった。
駆け寄って、抱きつきたいほどの懐かしさを感じたが、必死でそれに耐え、振るえる声でもう一度、聞きなおした。
「だっ、誰だ……」
「『愛美よ』って言ったら喜ぶかな?」
「違うのか………?」
「……………『愛美さん』がどうなったか、あなたが一番よく知ってるはずよ………」
女性は、缶詰を拾い終わると、俺の方に寄ってきた。
「そうだな………」
俺は、しばらく立ちすくんでいた。
しかしその時、ある矛盾に気が付き、その女性に向かって叫んでしまった。
「どうしてそれを知っている!」
彼女はとなりに位置する別のソファーに腰掛けた。
俺も、落ち着いて、ソファーに座った。
彼女は真剣な目で、じっと俺を見返した。
純粋で、静かな瞳。
しばらく、俺達は見つめあった。
彼女は不意に視線をずらし、語り始めた。
ゆっくり、静かに。
なにか、昔の物語でも語るように。