#259/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (YHB ) 87/ 8/12 23: 6 ( 50)
リレーB>第7回 洞窟 COTTEN
★内容
西へと向かう僕は前方に浮かぶものを見つけて唖然とした。
「あ、あ、あの山に登るのか?!」
「そりゃ、まーそういうことになりますやろな。」
ジャンさんはコンパスを見ながら平然とそう言い切った。恥しい話だが僕はコンパス
のひとつさえ持って来ていなかった。ジャンさんはさすがに元エリートだけあって(か
わいそうに!)その辺は用意周到である。コンパス等を駆使して優秀なナビゲーターを
つとめてくれていた。
「しかし・・・五千メートルはゆうにあるだろうな・・・・。」
僕はあきらめにも似た気持ちでそうつぶやいた。
「そんなこと、ゆわはりましたかて、ほかにどないな方法がありますねん?」
そのとおりである。僕はジャンさんから手渡されたコンパスを見て、ため息を
ついた。コンパスの指す西の方向にはどっかりとその山が腰を据えている。迂回して
行くにも両隣、そのまた隣にも八千メートルはあろうと思われる山々がそびえ
たっている。避けて通ることは不可能だった。避けて通れたとしてもその山の上に
手がかりがないという保証はなにもない。
登らなければ−−。
僕は二度目のため息をついた。
「いくしか・・・ないだろうな・・・。」
「そうでっしゃろ、そうでっしゃろ。」
ジャンさんはコンパスを受け取ると喜々として、(スキップをしかねない程の
はしゃぎようで)歩きだした。
−−いったいどういう神経をしているんだ?
はりきっていた。進めば進む程生き生きしてくるようだ。
−−まさか、仕事なくしておかしくなったんじゃあるまいな?
額に落ちる汗を拭いながら僕は心の中で悪態をついていた。八つ当りであることは
自分でも重々承知していたが、そんなことでも考えていなければ疲弊と焦燥のまじった
この気持ち押さえられそうになかった。
啓子。今頃何処で何をしているのだろうか−−。
チベットの自然。それはまさに雄大そのものであった。近付けば近付く程その雄姿を
際だたせ僕を威圧する。眼前に迫った巨体を前に、僕は彼が愛したチベットの自然を、
チベットの自然に魅せられた彼を、そして啓子が愛した彼を、彼が愛した啓子を
憎んだ。絵描きの彼はこの土地を愛し訪れて姿を消した。そしてその後を追った啓子を
もそれは消し去った。虚像だった。この土地も、彼も、啓子も・・。求めても求めても
むくわれない。つかみどころのない幻影に何度も何度もぶつかって・・なにも
残らない。残ったのは虚しさだけ。
僕は、いつのまにか泣いていた。
ジャンさんはなにも言わなかった。
そして優しく僕の肩をたたいた。
「さ、もうすぐそこでっせ。がんばがんば。」
僕等は歩く。悲嘆にくれる僕を現実に引き戻したのは、ジャンさんのはりあげた大声
だった。
「こりゃーたまげた! 芳岡はん、ありゃ洞窟やおまへんか?!」
山の麓にぽっかりと開いた洞窟。僕は手紙の中の言葉を思い出していた。
穴−−洞窟−−−。
僕とジャンさんは顔を見合わせるとうなずきあった。
「”鬼門の門”。」
僕はつぶやいた。背中に冷たいものが走った。
<つづく>