AWC 長篇散文詩 魔の満月9   直江屋緑字斎


        
#200/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (QJJ     )  87/ 6/ 7  14:20  (175)
長篇散文詩 魔の満月9   直江屋緑字斎
★内容
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     長篇散文詩 魔の満月    直江屋緑字斎
              昭和52年9月書肆山田刊 改訂版
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友よ  兄弟  またしても邪魔をするか  時の器に旨酒を注げ
坊主に習った飲酒法で世界の涯まで肥大する  おお因果の正理を
無視する幻惑  下駄を履かせて小鰭(こはだ)の鮨でも売らせた
い  壁に吊られた死の舞踏の沁(しみ)るような髑髏(どくろ)
の頤(おとがい)  物質の胎内を巡る底知れぬ小径  地球は悪
名高いお前の懐中時計だ  斧(おの)で天地を開く  五色の石
を煉(ね)って箭(や)を作る  木を穿(うが)って焔(ほの
お)を生む  混沌は束の間に鑿(うが)たれ死をもってて汝らを
造物する  詩人は墨に塗れた手で女を愛す  心中に失敗して青
春に悔なし  夜々同じ道を辿(たど)るのは結婚生活第一の苦行
公園に通じる坂から白楊(はこやなぎ)の樹上に座す膿んだ満月を
見る  血の味が罩(こ)められた光は闇夜と媾(まぐわ)い 牙
の生えた鏡が熱い息を吐く  四つの門歯と十二の臼歯(きゅう
し)をもつ獣の大移動  屁(へ)を放(ひ)る美女たちよ  大
量の海葱(かいそう)を用意しろ  佞奸(ねいかん)な奴腹の血
球を溶かし 都市の睡りを守るのだ  窖(あなぐら)から蜉蝣
(かげろう)のように頼りなげな若者がふわふわと浮かび上がる
爽(さわ)やかな冷気を吸い込むと精気を取り戻す  白銀の野中
に黄金のサンダルが眩(まばゆ)い  エルドレは迷宮の地下深く
で注がれた毒気をすっかり払い落とす  大きく欠伸をして躯(か
らだ)中の関節から小気味よい音を響かせる  階段を駈(か)け
昇るように中宇を自在に闊歩(かっぽ)する  肌色のコスティを
結えた大鷲の短剣 あの緋の扉を守護する衛士から頂戴(ちょうだ
い)した宝剣を求めて  青い巌に深々と刺さっている剣を渾身
(こんしん)の力を罩(こ)めて引き抜く  おお このとき眩暈
(げんうん)はいかなる事態をもたらすのだろう  ナイフ捌(さ
ば)きの巧みな男には特典が与えられる  アルカナの鍵は古来よ
り武の器である  貴婦人たちが両手両足を括られた囚人の股間に
貌を埋める  綺麗(きれい)な咽喉(のど)がひくひく動く
熟した舌が快い  長い舌に巻かれて何本もの男根が聳(そそ)り
立つ  黍畑(きびばたけ)で刃物を縦横無尽に揮(ふる)うと寸
秒の間をおいて植物が落下する  刑を執行するナイフ使いは気取
った仕種で技を開陳する  よく研磨された業物の餌食(えじき)
となって茎が辷(すべ)り落ちる  男は女どもの羨望(せんぼ
う)を一身に浴びるのである  エルドレはハンプトン宮の出口
いや海洋への入口が凄じい土砂崩れとともに塞(とざ)されたのを
知る  剣が鍵であるならば 扉だけではなく海の彼方も事件簿か
ら抹消(まっしょう)されているに違いない  物質の記憶は時と
ともにある  エルドレはコスティを用いて黄金の剣を佩(はい)
すると大空へ舞い上がる  明るく澄んだ青い空  闇より出しサ
ンダルの魔力はエルドレを高空へ嚮導(きょうどう)する代償に躯
(からだ)の色素を脱き取ってゆく  蒼白な半透明の皮膚からお
もむろに骨格と筋繊維が現れる  おびただしい疲労が押し寄せる
六つの支脈に伸びる山巒(さんらん)の裾野(すその)までをも見
霽(みはるか)しながら エルドレは眩暈(げんうん)する  あ
あエレーア  我が愛しの妹よ  幼気(いたいけ)盛りのエレア
はあの時に王妃にしてラドル最高の巫女(ふじょ)になることを定
められた  “謳(うた)え聖なる頌歌(しょうか)を  選ばれ
たる者よ  万物の源と終は結ばれる  愛でよ母なる黝(かぐろ
き)き生命を  選ばれたる者よ  汝の始元を識り我らと媾(ま
ぐわ)うのだ  穢(けが)れなき今こそ”  聖地ラドルの大神
殿の深窓  奥津城(おくつき)のような時じくの部屋に祀(ま
つ)られた聖言  何という不吉な呪詛(じゅそ)よ  少年のエ
ルドレは妹を連れ 夜を友として神殿に潜入する  王国の中枢に
匿(かく)された秘密に魅かれ  通り道の至る所に黄燐(おうり
ん)製剤やシリロシッドが仕掛けられている  オランダ人の船長
が僅(わず)か五秒間で少女に滅多突きされる  贋札(にせさ
つ)作りで千里の彼方にいる奴を身代りにする  罠(わな)は衍
文(えんぶん)のごとく闖入者(ちんにゅうしゃ)には苛烈である
警戒堅固な館を影と隙(すき)を味方に探訪するのはたまらなく幸
福な一時である  少年は衛士の欠伸に合わせて門扉の蔭(かげ)
に躍り込む  巡回する跫音(あしおと)に歩調を揃えて入り組ん
だ廻廊(かいろう)を進む  蝋燭(ろうそく)を継ぎ足そうとし
てできた老僧の長い影に紛れて拝殿を横切る  聖地ラドルの王で
あるオルリー公のガウンの下にすら潜り込んだのである  少年の
興奮は如何許(いかばか)りであろう  欣喜雀躍(きんきじゃく
やく)しながら冒険は進められる  幼い妹はいつの間にか姿を消
す  遊び疲れて神殿を出た頃には妹など忘却の藻屑(もくず)だ
妹なぞ最初からいなかったのである  エルドレが成人しボウの茵
(しとね)の中で想起する日までは  兄の後を必死で追い駈
(か)けていた少女もいささか退屈気味だ  ふらふら徘徊(はい
かい)しながらボウの叢(くさむら)が奏でる祭りの旋律を口遊
(くちずさ)む  哀婉(あいえん)な調べは建物全体に共鳴して
ゆく  透き通るような清楚なソプラノ  その歌声に和するよう
な別の旋律が聴こえる  甲高い動物の鳴き声である  ぞくぞく
する艶(なまめ)かしい響き  何というポリフォニー  幼気な
少女はその不思議な魅惑に誘われる  とうとう音の発する所に辿
(たど)り着く  大きな部屋の中に真っ黒な象が後ろ向きに横た
わっている  尻から燦(きらめ)く液体を滴らせ  胸ときめか
すような甘美な匂いが充溢(じゅういつ)する  いかなる没薬
(もつやく)の効果であろう  少女は歩み寄ると象の尻に貌を埋
め その柔らかな中心に接吻(せっぷん)する  白百合に頬寄せ
るかのごとく  恍惚(こうこつ)の媚態(びたい)を満面に湛
(たた)え 母なる象の双眸(そうぼう)はとろけそうだ  両性
具有の美神の像の前で拝跪(はいき)していたラドルの王は その
神秘なる箇所(かしょ)が輪廻(りんね)を示しているのに気づく
と 聖言を想起し 長いガウンを靡(なび)かせ周章(あわて)て
象の部屋に赴く  おおエレーア  迷子は神々の申し子である
白い腕の美わしき乙女に成長するまで少女は神々の館に封ぜられる
時の中に記憶が蔵(しま)われると物質はさらに耀(かがや)きを
増す  酔漢はパンツ一枚で春宵の海原に飛び込む  女が通ると
やたらウインクする  紋は菊花ではなく葵(あおい)であった
だからといって緑茶をひっきりなしに啜(すす)るべきではない
躯(からだ)の深さは底無しだ  小色の一つも稼いでおこう
磁石が鉄を引くのは自然の感応ではなく肉体的特性である  航海
日誌が紛失する  虎の首をもち龍の足をもち蛇の眉と蛟竜(こう
りゅう)の眼をもつ母性よ  宇宙の卵を喰ってしまえ  生樹の
実は千年の生命を賦されているが毒蛇の一舐(ひとねぶり)で死樹
の実となる  腹下しの妙薬には鸚鵡(おうむ)の首が最適だ
エルドレの朦朧(もうろう)状態も聖なる肌サドラの効用によって
完治する  何という活力の源であろう  とはいえエルドレの躯
(からだ)は陽炎のように透明になり真綿のごとく軽くなっている
頭の芯に力を罩(こ)めて眼を開こう エルドレよ  星型をした
下界の中央に円形の広野がある  骸骨の踊りと称ばれる場所は白
雪の乱反射で赫奕(かくえき)としている  まさに銀で箔(は
く)された一枚の紙  エルドレの注意を喚起するのは青い巌の右
手の谷底に蠢(うごめ)く厖大(ぼうだい)な数の黒い小動物であ
る  エルドレは羽毛のようにひらひらと舞い降りると彼らの上に
仰臥(ぎょうが)する  鼠(ねずみ)の群は烏夜玉(ぬばたま)
の闇を垣間見させる狭い洞窟(どうくつ)へとエルドレを運んでゆ
く  食欲と性欲だけが人生最大の目的である族(うから)  聴
覚と味覚のみに鋭敏な感覚を有する輩  黒やコルク色や薄茶や代
赭色(たいしゃいろ)の尻尾を生やした悪意の生き物  鼠(ねず
み)どもは最初エルドレの躯(からだ)を舐(な)め回していたが
その肌がとても好みにそぐわぬと悟って齧(かじ)ることもない
エルドレを重荷とも感じないで背に乗せて進む  だいたいにして
鈍なのである  鼠(ねずみ)どものトンネルは細く長い  エル
ドレの躯(からだ)はその径に応じて伸縮する  消化器の蠕動
(ぜんどう)のように  暗闇に馴(な)れて通路の壁を見回すと
怪異な光をほとんどその内部から発する幾多の金属を認めることが
できる  磁鉄鉱と黄鉄鉱  柘榴(ざくろ)石と風信子石  硫
黄と珊瑚(さんご)  碧(みどり)石とゴム脂  縞瑪瑙(しま
めのう)と蜜  密陀僧とクラディアノン  硝子と白い衍文(え
んぶん)  おお七つの星と七つの塩よ  エルドレは 穴に沿っ
て一条の帯となっている部分が帯緑色の軟らかな含水珪酸(けいさ
ん)マグネシウムの鉱物でできているのを知る  山奥の濛気(も
うき)の烟(けぶ)る都市の一角で物産展示即売会が催される
微光に包まれた公民館の周囲に見世物小屋が並んでいる  老紳士
が若い女を連れてオペラグラスを覗いている  貝細工の人形を手
に取る太った医者  小学生の一団が曲芸の天幕の中に消える
公民館の中では弁髪の山師が怪し気な支那語を織り混ぜ下手物を売
る  垂涎(すいぜん)の的となっているのはこの高価な珍味であ
る  ありとある果汁を沁(し)み込ませた熊の掌  百の肉汁を
呑み込んだ豹の胎  笹の実の香りを発する虎の膝  いかな水と
も馴染(なじ)む脂に充たされた象の鼻  歯触りの極ともいうべ
き鹿の腱(けん)と素晴しい滋味に富むその陰茎  バターよりも
柔らかで(ほうじゅん)芳醇な駱駝(らくだ)の瘤(こぶ)  深
山の霊気を宿した猿の頭そっくりの茸(きのこ)  七つの材料を
種にした豪華な料理で片田舎の町は賑わう  食事に金と手間を惜
しむ奴は肉の恐さを知らぬ下司だ  下戸と下司には用はない
年増盛りが小皺(こじわ)を作って肌触りがいいのよと滑石ででき
た灰皿を買って呉れる  ぬけてはいけぬが妙にごつごつした外套
(がいとう)を見立てた少女もいる  窖(あなぐら)は湿気を帯
び地面がぬめるように軟らかくなる  呑み込まれるように地下の
さらに底へと沈んでゆく  噎(む)せるような澱(よど)んだ古
い風の溜り場  ぽっかり開いた墓地の記念写真よ  未熟児網膜
症の患者が電気鋸(のこぎり)で殺害される  絵端書の片隅には
唇の跡が残される  坤軸(こんじく)は広い空洞になっていて漆
黒(しっこく)の空さえ宿る  魂を毒するような重たい濛気(も
うき)が篭(こも)っている  数万の鼠群(そぐん)はひんやり
冷たい地面にエルドレを残すと 泥水のように何処かへ四散してゆ
く  エルドレは横たわったまま地下の空を眺める  緩やかに彎
曲(わんきょく)する壁が繞(めぐ)らされている  天を摩す岩
肌に貼り付くように巨大な像が左右上下に涯しなく 幾百体と彫ら
れている  エルドレの躯(からだ)の数十倍に匹敵する貌を見る
と そのどれもが半眼微笑の不気味な表情でエルドレを見ている
描かれた薄地の衣紋は生命を帯びたように巻きつき 巨像の量塊感
をより強調している  彫像は多くが胡坐(あぐら)の姿勢で臍
(へそ)の辺りで印契を結ぶ  彫り抜かれた背後の壁には曼陀羅
(まんだら)や古代の人々の行列が繊細秀麗な線描のように平浮彫
になっている  これらはいかなる粉本なのだろう  エルドレを
見下ろす巨像は視界の途切れる辺りで闇に没する  天まで続く岩
壁に重なる異様な貌の群  鈴生りの仮面よ  エルドレは天の中
枢を仰ぐ  遠い闇の彼方に名状し難い不気味な月が静脈血のよう
な光を吐いている  エルドレはその天体に我が故郷ラドルの死の
姿を見る  霧さえ含むような満月の陰惨な光が巨像たちの貌を妖
しく照らす  物質の内部を許多(あまた)の観客の貌が掠(か
す)める  不幸の因は早急に摘み採らねばならない  だが聖言
に違背するならば不幸の骨髄に達するであろう  (つづく)




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