#2088/3617 ◇フレッシュボイス2
★タイトル (AZA ) 22/01/26 20:21 ( 26)
めがてん 永山
★内容
昔、個人用のノートPCとしてVAIOを使っていたのと、電子書籍のリーダースト
アを今利用している関係で、ソニーの電子メールを受信購読してる。
この前来たメールのタイトルが、『お好みのグラビアは見つかりましたか』と読め
て、目が一瞬、点になった。
お察しかと思いますが、『お好みのブラビアは見つかりましたか』を見間違えてしま
った。(^^;
この手の話のあるあるネタだと、アイドル始球式を報じる見出し「ノーバン」と「
ノーパン」とか、TバックとTバックとTパックとか、下ネタが多い気がする。
目が点になるで思い出した。
小説で、一人称視点を採った描写のとき、「私は赤面した」とか「顔面蒼白になっ
た」という記述は避けるべきだ、という論がありますよね。“私”自身が赤面している
かどうかなんて、鏡などで確認しない限り分からないのだから、断定してはいけない、
という理屈。まあ理屈は通っているので、自分も気付いた範囲でこの手の断定した描写
はしないようにしているのですが、では「目が点になる」はどうなるのでしょう? 赤
面や顔面蒼白と同様、本当に目が点になっているかどうかは、簡単には分からない。け
れども、そもそも「目が点になる」は比喩的な表現なのではないか。いや、驚いたとき
は本当に目が小さく点のようになるんだ云々と話は続き、よく分からなくなってしま
う。(^_^;)
それよりも、「私は赤面した」とさらりと描写しておいて、その部屋には実は大きな
鏡が設置されていることを示唆していたのだ、という伏線に使えないかと考えている。
ではでは。