#455/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/10/19 18:28 (197)
対決の場 38 永山
★内容
「遠山警部が――」
「君、“警部”と付けるのはやめたまえ。現在は、一容疑者だ」
「はい。遠山竜虎が軟禁されていたと主張する部屋は、建築家でグルメとして
も知られる見開利文(けんかいとしふみ)の自宅マンションです。厨房の一角
に、室温でも問題のない食材を保管しておく直方体の穴がありまして、そこに
押し込まれていた見開氏の遺体からは、弾丸が一発、摘出されました。遠山竜
虎が所持していた銃から発射されたものと見て、矛盾ありません。一方、身柄
確保された段階での遠山竜虎の着衣から、硝煙反応が出ています」
「動機は」
「まだ断定できるものはありませんが、注目すべき事実が出て来ています。見
開氏は雅浪島に建つ館と屋敷の設計及び建築に、主体的に関わっています。自
宅マンションの厨房と、島の館の地下厨房とがそっくりなのも、そのせいであ
るとされています」
「らしいな。麻宮家の雇った調理人が、見開氏の厨房をよく知っていて、同じ
ような造りにしてくれるよう、要望したと聞いている」
「ええ。それでですね、館及び屋敷の図面というか青写真を、見開氏は保管し
ていたそうです。その図面が事件後、消えている。遠山竜虎が処分したという
推測が、成り立つかもしれません」
「焦れったい言い種だ。では、遠山が図面を欲しがる理由は何だ?」
「雅浪島の館と屋敷、それぞれの地下には、地下室や通路がありまして」
「忍者屋敷か」
「いえ、そういうのではなく、有望な画家にアトリエ兼住居として与えたり、
島を訪れる宿泊客のために出す料理の調理場及び食糧倉庫としたり、あるいは
何らかの災害発生時に、地下から迅速に脱出するための経路であったりと」
「真面目に説明しなくても、忍者屋敷でないことぐらい、前もって聞いている。
つまり、何だ? 図面を処分することで、遠山にメリットがあるのか」
「遠山竜虎逮捕後に、改めて島に渡り、地下の構造を念入りに調査したところ、
麻宮家の屋敷地下を走る通路の壁面には、隠し扉があり、そこから別の通路が
宿泊施設たる館の地下へ延びていると判明したのです。麻宮のお嬢さんに確認
をしたところ、その通路の存在自体は知っていました。館の地下から地上へ、
あるいは屋敷の地下から地上へ出られなくなった場合に備え、もう片方の建物
の地下に移って、脱出できるようにしておくためだとか。長らく使っていなか
ったそうです」
「その通路の存在を知った遠山が、雅浪島での犯行に利用した訳か」
「どのように利用したのか、具体的な全体像はまだ分かっていませんが……図
面を処分する理由として考えられるのは、それくらいかと」
「逆説的だな。結論が先にある感じだ」
「たとえば、近野氏が襲われた件で、部屋に頭部のない遺体、恐らく面城氏の
遺体が運び込まれていましたが、その際に地下通路が使われた可能性が……」
「頭の中で推理を組み立てる分にはそれでもかまわんが、立件にはもっと確実
な証拠がいる。今のままではせいぜい、見開氏殺害と、島で死んだ何人かの遺
体に、ピストルをぶち込んだことしか立件できまい」
「島からの定時連絡が途絶え、不審に思った我々は、二日目――遠山達が島に
渡ってから二日目の午後三時過ぎ、雅浪島に接近しました。エンジントラブル
を装って船から島へ呼び掛けた上で、上陸したところ、遠山竜虎だけがいませ
んでした。嶺澤刑事の話では、遠山は屋敷側の地下通路の探索中に、姿が見当
たらなくなったとのこと。隠し扉を通じて、身を隠したと考えられます」
「そんなことをしても、怪しまれるだけだと思うが」
「善良な刑事として振る舞っていたが、我々が乗り込んで来るので、最早これ
までと、仮面を脱ぎ捨てたんだと解釈する者もいます。個人的には、この見方
には賛成しかねるのですが」
「ふむ。一応、その個人的意見を聞いておこう」
「遠山竜虎が犯人なら、尻尾をちらつかせるのが早すぎる気がします。彼は確
かに、いくつかの物証を残していますが、いずれも一見しただけで白黒を下せ
るものではありません。科学捜査の結果が出るのは、本土に戻ってしばらくし
てからです。つまり、我々と一緒に島内の捜査に加わり、船で堂々と島を離れ、
潮時を見て姿を眩ます――この方が、よっぽど楽だったはず。秘密の通路に身
を隠し、隙を見て船内に紛れ込むというのでは、リスクが大きいような……」
「なるほど。しかし実際は、遠山は島を出て、見開氏のマンションに現れた。
我々の捜査の網が、ざるだったのかね」
「それは……当時は、遠山自身が被害者である可能性も考慮せねばなりません
でした。殺されたが遺体は見つからない、という思い込みが、油断を生んだか
もしれません」
「おや。さっき聞いた、君の個人的意見と相反するようなことを言う」
「……正直な気持ちを申しますと、私はまだどっちつかずの宙ぶらりんです。
遠山警部が――敢えて警部と付けますが――こんな馬鹿げた凶行に走ったとは、
到底信じられない」
「動機の全体解明がまだなのだから、それも当然では?」
「動機を推測するにしても、常軌を逸した絵を描くことになってしまいます。
初恋相手の麻宮レミを犯人に仕立てた上で助け出し、白馬の王子を気取りたか
っただの、小さい頃からのライバルだった近野創真に対決を挑んだだの、その
前段階で図面を奪うために建築家を巻き込むだの……仮に、それ自体が動機に
なると認めたとしても、無関係な人間を多数殺害することにつながるとは、と
ても思えなくて。せいぜい、伊盛から逆恨みされていたぐらいで、これとて、
殺しの動機には弱い」
「過去の事件を振り返るまでもなく、常軌を逸したように見える殺しの動機も
あるからな。反証にはならん」
「はあ」
「第一、遠山が犯人でないとしたら、誰だと言うんだね」
「分かりません。島で生き残った中の誰かかもしれませんし、未知の人物かも
しれません。ただ、遠山警部に濡れ衣を着せる細工は、案外簡単にできるよう
な気がするんです」
「拳銃を奪って、代わりに撃つということだろう? 遠山もそう主張している
そうだな。硝煙反応があったのは、意識をなくしている間に、真犯人が手に拳
銃を握らせて、撃ったのだと」
「矛盾はしません。完全に否定できるんでしょうか。それに、少なくとも、若
柴刑事が殺された犯行は、遠山警部にはなし得ないのではないかと」
「ああ、あれなら、別の報告が上がってきている。若柴刑事の身体から、睡眠
薬が出たそうだ。遠山は恐らく、若柴刑事を強い薬で意識朦朧にし、夜の屋外
に放置しておいた。その後、タイミングを計り、数人の証人とともに館を出て、
屋敷に向かう途上で、若柴刑事を発見したように装う。一番に駆け寄り、隠し
持っていた凶器で首から肩口にかけて、斬りつけた。早業だな」
「凶器が未発見ですが……」
「たとえば、船で島から本土に渡る間に、そっと海に投げ込めば、残念ながら
見つけようがない」
「他の凶器……銃も捨てるのが道理かと」
「刑事が銃を紛失してはまずいからだろう」
「お言葉ですが、すでに疑われているのが分かり切っているのに、銃を身近に
置こうとするものでしょうか」
「ふ……ん」
「不可解なことはまだあります。若柴刑事の銃の行方です。遠山警部の主張で
は、ヂエが奪った後、発射したことになっています。事実、弾痕や弾が見つか
りました。私が疑問に感じるのは、遠山警部が本当に犯人なら、わざわざ自分
の銃を使わずとも、若柴刑事の銃を使えばよかったのではないか、と。もしも
そうしていたのなら、遠山警部の犯行を示す物証は一挙に減る。我々の上陸に
備えて身を隠す必要もなかった。これだけのメリットがあるのに、敢えて自分
の銃を使うのは、説明が付きません」
「私だって、警察の人間が犯人であってほしくはない。だから、君の言う推理
を反論として採用したいのは山々だ。だが、全ては証拠で決まる。推理はいく
ら筋道が通っていようとも、『裏を掻いたつもりなんだろう』の一言で、ぐら
つくのだよ」
「たとえ証拠がなくても、遠山警部には犯行が不可能だったということを示せ
ば、有効な反証になりはしませんか」
「若柴刑事が殺された件は、さっき説明したはずだ」
「違います。木津駅での一連の動きです。駅に現れた男が、駅員にPHSを渡
して立ち去っています。その人物が遠山警部であることは絶対にあり得ません。
伊賀上野で地元の警察関係者とともに、捜査方針を話し合っていたのですから」
「犯人だったとは限らないんじゃないか。純然たる第三者が、拾得物を届けた
に過ぎないのかもしれない。そうでないとしても、共犯の可能性を排除できま
い」
「では、遠山警部が木津駅を訪れているときに、問題のPHSに電話が掛かっ
てきたのも、共犯の仕業と? 影も形も掴めていないのが、現状ですが」
「詳しくは知らんが、最近は、パソコンで予めプログラムしておけば、任意の
時刻に任意の番号へ、自動的に掛けることができるそうじゃないか」
「遠山警部に、そこまでの知識がありますかね。自宅を捜索した際にも、パソ
コンこそありましたが、電話を自動的に掛けるような細工は確認できていませ
ん。そもそも、ネットとも電話機とも接続されていなかったんですよ。遠山警
部にしてみれば、雅浪島に渡って長期戦も覚悟していたのだから、取り外して
行くのは当然となるでしょうし」
「しかしだね……っと、そのまま待っていてくれ。――もしもし。大場だが、
何だ? ……ふん……ふん……そうか。分かった。引き続き、やってくれたま
え。――被害者とのつながりが、徐々に判明してきたようだ」
「と言いますと?」
「姿晶は以前、建築関係の事務所に勤めていたという話だったね? 見開氏の
事務所だったよ」
「……つまり、姿晶が殺害されたのも、図面絡み?」
「そう考えられる。詳しい調べはこれからになる。もう一人、一連の事件の最
初の犠牲者である練馬政弘についてだ。派遣会社勤務の彼は、雅浪島での建築
に駆り出された労働者全員に関する資料を、保管する立場にあったらしい。彼
自身は、建築当時は社会人ですらなく、全くの無関係なんだが、その資料を扱
ったがために、今度の事件に巻き込まれたという線が出て来た訳だ」
「動機の解明は進みつつある、ですか。しかし、図面に絡む動機は、誰が犯人
であろうとも当てはまります。遠山警部が犯人かどうかは、また別問題で」
「だったら、別の容疑者を引っ張ってくることだ。ただし、遠山竜虎に対する
取り調べも、並行して続ける。捜査方針に口出ししたくないが、君のは私情が
入りすぎじゃないかね。今後もそんな調子だと、捜査から外されることもある
と覚悟してもらわないといかん」
「……分かりました。失礼します」
その日は季節の変わり目だったのか、朝から急に冷え込んだ。曇りがちな天
気とも相俟って、昼を過ぎても薄ら寒い。ビルの谷間を時折、冷たい風が浚っ
ていった。
嶺澤は、指定された喫茶店のドアをくぐると、ウェイトレスの案内を断り、
相手の姿を探した。窓から離れた、奥のテーブルに横顔を見つける。
(……あれか。随分とやつれたというか、険しい面相になったものだ)
一つ、嘆息してから、足を向ける。閑散とした店内に、他に客の姿はない。
待ち合わせ相手の斜め後ろに立つと、声を掛けた。
「張り込みじゃあるまいし、入ってきたときに、気付いて、手を振ってくれて
もいいんじゃないですかね?」
「――ああ。よく来てくれたね。ありがとう」
短い挨拶を交わしてから、真向かいに座る。脱いだコートを丸めて横の椅子
に置く。相手も同じようにしていたのが分かった。
ウェイトレスが注文を取りに来て、次にコーヒーを運んでくるまで、二人の
間で交わされる会話は、皆無に近かった。ウェイトレスが立ち去ってから、よ
うやく始める。
「さて、用件は何ですかね、遠山サン?」
嶺澤は、かつての上司を相手に、慇懃無礼な口調で尋ねた。尤も、用件につ
いては分かっている。再三に渡る電話での懇願に根負けした形で、貴重な休日
を潰してまで、こうしてのこのこ出て来たのは、彼自身にも多少の負い目があ
るためかもしれない。
「電話で伝えた通り、ヂエの事件の捜査が現在、どうなっているのかを、詳し
く知りたい」
顎の輪郭に沿って髭を蓄えた遠山は、テーブルの上に両腕をつくと、身を乗
り出した。そして頭を下げる。
「頼む、嶺澤さん」
「あのねえ。この前から言っているだろう、無理だって。今の私の立場では、
捜査に加わるなんて夢のまた夢」
遠山が面を起こすのを待たずに、嶺澤は自らの顔の前で手を振った。その気
配を感じ取ったのかどうか、遠山がまなじりを決し、肯定的な返事を引き出そ
うとしてくる。
「だが、警察の中に身を置いてるには違いないんだから、何かと聞こえてくる
ものもあるんじゃ?」
ボリュームは低いが、必死さの伝わってくる口吻だ。嶺澤は、ここに来たこ
とを若干後悔しつつ、口を開く。
「仮に情報が耳に入ったとしたって、おいそれと漏らす訳には行かない。万が
一、上に知られたら、今よりも悪い立場になる。分かるだろう? 確かに、お
まえさんには世話になったが、こっちも世話をしたつもりだ。貸し借りなし、
恩に着せられることはないと思うがね」
「そこを何とか。頼む」
おまえさんと呼ばれたことを気にする様子もなく、再び頭を下げる遠山。
だが、嶺澤とて、簡単に情に流されるほど、楽な暮らしを送っていない。悪
態も出て来ようというもの。
「しつこいねえ、おまえさんも。こっちはうんざりしてるんだ。おまえさんに
べったりだったおかげで、痛くもない腹を探られた上、今は閑職だ。まあ、実
質的にくびになったおまえさんよりは、いくらかましだが」
――続く