#432/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/08/16 22:53 (200)
対決の場 34 永山
★内容
友人の台詞に、遠山は無言で首肯した。確かに、早まった結論に飛び付こう
としていたかもしれない。
反省すると同時に、早々に復活の兆しを見せる近野を、頼もしく思った。
そんな相手をそろそろ休ませるべく、労いの言葉を掛けようとした遠山だっ
たが、先に近野が口を開いた。
「混乱させついでに、もう一つだけ言わせてくれ」
「何だ。まだ何かあるのか」
微苦笑混じりに応じると、近野にも同じような表情が移った。
「もしも襲撃者の抱えた頭部が造り物だとすれば、一挙に面城犯人説が現実味
を帯びてくる」
「どうして?」
さっき喋った話とまるで反対じゃないか。どういうつもりだ。混乱しない内
に答を聞こうと、近野を促すほかない。
「顔を俺にそっくり似せ、いかにも本物めいた人の頭部をこしらえるのは、芸
術家の面城にお似合いの作業に思えてならないんだがね」
遠山と嶺澤は、犯人の痕跡を求めて冷凍庫に立ち入った。
頭部を失ったあの遺体が誰なのかも気になるところだが、今は手の着けよう
がない。応援部隊の到着まで、可能な限りの保存に務めるばかりだ。とは言え、
臨時の船が島に来るとしても、早くて今日の午後になるだろう。通信の断絶を
訝しんだ大場警視らが事態を察した上で、いかなる決断を下すかにかかってい
る。
「全員の安全を考えると、手早く片付けたいが、そうも行かないようだ」
遠山は這い蹲った姿勢から立ち上がり、腰を伸ばした。冷凍庫内は二人で調
べるには広く、また死角も多かった。
「私は閉じ込められやしないか、その方が心配です」
扉を振り返った嶺澤は、借り物の厚着姿で動きづらそうにしている。
吉浦から鍵を預かっており、外から施錠できるはずがないのだが、もしも犯
人が密かに合鍵を作っていたら……と考えると、一〇〇パーセントの保証はな
い。
「つまり、ヂエの言葉を信じる、と」
「ええ。願望も入っていますが、これまでのヂエのパズルへの執着ぶりからし
て、『最後の犠牲者』を助けたという言葉を、信じていい気がします」
遠山自身、そう願いたかった。ヂエが「最後」と表現したからには、これ以
上の殺人は起きない……楽観的に過ぎるだろうか。引っかかりを覚えるとすれ
ば、近野の身代わりのように誰かが殺された事実。この殺人は、パズルによる
予告がなかった。
この疑問を遠山が挙げると、嶺澤は一度首を捻ってから、考え考え、話し始
める。
「突飛もない見方だと笑われるかもしれませんが、あとで他の遺体を確認して
みますか」
「うん? 分かるように言ってくれないと」
「島での他の犠牲者の遺体を使い、代用したのではないかという意味です。あ
の首なし遺体は男性でしたから、八坂か伊盛の遺体を密かに運び入れた……」
発言の途中で、嶺澤の声が小さくなる。馬鹿々々しいと感じているようだ。
「運び入れること自体が難しそうだが……我々は今、普通ではない殺人犯を相
手にしている。だから、頭ごなしに否定はしない。まさかとは思うが、あとで
見に行くとしよう」
優先すべきは、この場の捜索だ。身を入れ直し、目を光らせる。
「足跡一つ、ありませんねえ。わざわざ拭いていったとも考えにくいから、外
靴ではなく、スリッパか何かを履いてたんでしょうか」
「雨の中を逃げて行った泥靴じゃなかったのは、ほぼ間違いないな……」
全員の靴を調べれば犯人が分かるかもしれない、という考えが浮かんだ遠山
だが、じきに首を横に振った。今からでは遅すぎるだろう。せめて、今朝の事
件が発生した直後に調べるべきだった。
「それにしても、これでは効率が悪い」
室温に反して発汗を自覚した遠山は、立ち上がって腰を伸ばした。
「吉浦さんを呼んで、見てもらうのはどうだろう。いつもと様子が違うところ
があれば、そこを重点的に調べる」
「一応、容疑者の一人ですが……」
「張り付いていれば大丈夫だ」
遠山が明言すると、嶺澤は一つ頷き、足音を響かせ、冷凍庫から出て行った。
新たな発見が、遠山達を更なる混乱に陥れていた。
肉や魚の林に紛れて、そいつは棚に置かれていた。特段、カムフラージュが
されていた訳ではないので、たとえ吉浦のサポートがなくても、遠山か嶺澤が
早晩見つけていたであろう。
「本当に、間違いないんだね?」
ソファに横たわり、額に濡れ手拭いを載せた麻宮に確認を取る遠山。
彼女は目を開き、片手で手拭いを押さえながら、上半身を僅かに起こした。
「ええ」
疲労しきった声での返事。遠山は気が引けたものの、念押しせずにはいられ
なかった。傍らに跪き、なるべく優しい調子で重ねて尋ねる。
「写真でしか見ていないから、絶対確実とは言えないんじゃないかな」
「直接見て、面城君の首かどうか、確かめろと言うの?」
麻宮は上半身を完全に起こすと、遠山の顔を真っ直ぐに見据えた。
「今は無理でも、あとでそうしてほしい。それに、できれば首から下も……」
「首から下? 何のこと? 冷凍庫にあったのは、頭部だけなんでしょう?」
「身元不明の遺体のことだよ。最初、近野だと勘違いした……」
いくら言葉遣いを取り繕ったところで、話の中身のグロテスクさは隠せない。
虚しかった。
冷凍庫から面城薫の頭部が発見され、その後、伊盛や八坂の遺体が安置され
たまま無事であることも確認できた。首なし遺体と面城薫を結び付けるのは、
自然な連想だろう。
「身体だけを見ても、私に判断は無理よ」
「え? でも」
子供みたいな反応をしてしまった直後、目の下を赤らめ、口を噤む遠山。て
っきり、彼女と面城は男女の関係にあるものとばかり思っていた。それを言葉
にすることはセーブしたものの、麻宮には伝わったらしい。
「前にも言ったような気がするけれど、私は彼に、経済面を含めた環境を整え
る支援をしてきただけ。絵に没頭できる環境のね」
「つまり、なんだ、その、面城を身近に置いて面倒を見ていたのは、一種の投
資でしかなかったと?」
「ええ。それもこれも、死んでしまっては元の木阿弥だけれど……」
では悲しみの表情は、投資の失敗による後悔から出たものなのか? それば
かりとは、にわかには信じがたい。しかし、只今はそんなことに拘泥している
状況にないのも確かだった。
「身体だけを見て、面城かどうかの識別ができる人は、いないのか……」
「恐らくね。彼だって絵を描くだけじゃなく、たまに泳ぎもしたし、お風呂場
で他の男性と一緒になったこともあるでしょう。それでも遺体を見ただけで断
定のできる人はいないんじゃないかしら」
「いや、そういうことだけじゃなく、面城に恋人はいなかったのかい?」
恋人でなくても、肉体関係のある相手がいたのではないか。いなかったのな
ら、こんな島に閉じこもって、男としての性欲をどう発散していたのか。
「そこまで関知していないわ」
返事は素気なかった。だが、遠山はまだ食らいついた。身元確認という目的
からは些か離れてしまうが。
「面城も島から出掛けることはあったよね」
「たまにね。必要な物を自分の目で見て買いたいときや、力のある画商との顔
合わせに。いつも私と一緒だった」
「張り付いていた訳じゃないんだろ? 面城が誰かと個人的に会う余裕ぐらい、
あったんじゃないの?」
「張り付いてはいなかったわ。でも、彼がそんな行動を起こしたことは一度も
なかったって記憶してる」
「……そうか」
ここに到ってあきらめた。面城薫は一般男性とは違っていたようだ。それで
も念のため、他の人達にも尋ねなければと思った。
「もう一つ、質問がある。面城と最後に会ったのは、犯人を除けば君だと思う
んだが」
「多分、そうでしょうね」
「最後に会ったのは何時だった?」
「……角治子さんが遺体で見つかったあと、遠山君が全員に集まるように言っ
たじゃない? あのとき、電話で話したのが最後になるわ。午前二時半になる
かならないか、だったかしら」
遠山も思い出した。角の遺体発見後、面城と会うはずだったのだ。しかし彼
が現れず、こちらから向かおうとした矢先、行方知れずになっていた若林が殺
されて見つかったため、それどころではなくなってしまった。
電話の相手が本当に面城だったのか、あるいは麻宮が面城相手に通話のふり
をしただけという可能性まで思い浮かべた遠山。だが、これは無意味だとすぐ
に気付いた。電話では信憑性が薄いからと、麻宮が面城と実際に会った日時を
問い質したとしても、変わりがない。彼女は一人で面城と会っていたのだから。
極論すれば、死人となった面城と逢瀬を楽しんでいたとしても、誰にも分から
ない。
「そうなると、彼が殺害されたのは大凡、二時半から……八時半の間ぐらいに
なるか」
とりあえず、言っておいた。
もしこれが本土で起きた事件だったら、捜査はさほど難航せず、むしろ容易
なのではないか。そう思わずにいられない。
最新科学捜査の全てでなくていい。死亡推定時刻だけでも手に入れることが
できれば、各人のアリバイを精査することで一挙に進展が見込める。仮に複数
犯だとしても、解決に大きく前進するのは確実だ。それだけに、島に閉じ込め
られた現在の状況が歯痒かった。
「面城薫の経歴を教えてくれ。知り合った経緯も」
「私が今ここでどう答えても、信用できないんじゃなくて? 照会のしようが
ないでしょうし」
「……ヂエがこれまで殺してきたのは、最初の三名を除けば、この俺と関連の
ある人物ばかりらしいんだ。警察としての推理、いや、近野も含めた俺達の推
理を言うと、ヂエは遠山竜虎に何らかの恨みを持っており、対決の場に引きず
り出すために、派手な殺人を三連続でやってのけた」
遠山は客観的に、自らも名で呼ぶことにした。
「思惑通りに遠山が出て来たのを見届けたヂエは、第四の殺人からは遠山と関
連のある人物を犠牲者に選ぶ。八坂、角といった面々は第一〜第三の殺人にお
いて、事件関係者だったというに過ぎないし、姿晶については記憶にないんだ
が」
「面城君も過去に、あなたと何らかの関わりを持っていたんじゃないか、そう
言いたいのね」
「うん、ああ」
麻宮に優しい調子で会話されると、郷愁に駆られるのか、ついつい、返事が
子供っぽくなる。遠山はようやく自覚した。
「どうなんだ? 何か知ってるんじゃないのか」
「あなたの子供だったりして」
「冗談はやめてくれ。第一、年齢を計算しただけで、あり得ないと分かる」
「あり得ないと言い切れる? 面城君は二十三歳ということにしてあるだけで、
本当は未成年、十三、四歳なのよ。中学に通うような年頃の子を囲うんだから、
法律上、ややこしい話にならないように年齢をごまかすのは当然よね」
「馬鹿々々しい。十三歳だとしても、まだ計算が合わない。子供が子供を作っ
たことになってしまうよ」
「人工受精という技術があるわ。小学生の頃には、もうあったんでしょ?」
「……」
口をへの字に結んだ遠山。麻宮の悪ふざけに付き合って、果たして、まとも
に話す価値があるのだろうか。それに、小学生のときから好きだった彼女と、
こんな話題で言葉を交わすのも嫌悪感を覚えた。
「真面目に話をしてるんだ」
「私も大真面目よ。この際だから、ずばり、聞いておこうかしら。修学旅行の
とき、女子の着替えを覗いて、盗み撮りをした人がいたんですって? その写
真が男子の間で出回って、“おかず”になっていたそうだけれど」
「ど、どういう噂なんだよ。それが本当だったら、そのときに先生に訴え出る
なり、男子に詰め寄るなりしていたら、明らかになっていただろうに」
「もし事実なら、関わりのある男子を言いなりにできる……と考えた女子がい
たの。それも、男子が大人になって社会的地位がそこそこ確立された頃合を見
計らって、証拠を突きつければ効果覿面とね」
「……まさか」
奇妙な想像が浮かんだ。麻宮が言うような行動をある女子が取ったならば、
言いなりになる男子がいてもおかしくなく、そいつらは犯行を手伝うよう命じ
られると、背けない……。
(そして、その女子というのは、麻宮さん自身のことかもしれない?)
遠山は急いでかぶりを振ったが、払拭できなかった。麻宮の喋り口調に、す
っかり翻弄されていた。
「そういえば遠山君て、どちらかというとクラスで浮いた存在だったんじゃな
かった?」
「そんなことないさ」
何の理由があって、麻宮はこんな風に話を広げるのか。見当も付かない。
「無視されていたとか、いじめにあっていたという意味じゃないわ。ただ、他
の男子と比べたら、生真面目すぎて、波長が合ってなかった感じに見受けられ
たのだけれど。浮いてたから、盗撮写真の存在も知らなかったとか、あるんじ
ゃないの」
「それはあったかもしれない。だからこそ、今こうして、刑事なんてやってる
んだろう」
――続く