AWC alive(6)      佐藤水美


        
#257/1160 ●連載
★タイトル (pot     )  04/04/28  19:07  (140)
alive(6)      佐藤水美
★内容
          6

 陽が、傾いていた。
 瞬と僕は、線路から少し離れたところにある児童公園の中に入った。夕方のせい
か、遊んでいる子供はひとりもいない。
 僕は瞬を水飲み場に連れて行き、手洗い用のカランをひねった。ふたりとも無言
のまま手を洗い、そして交互に水を飲んだ。
 すぐに伯父の家へ帰る気にはなれず、僕は色あせたプラスチックのベンチに腰を
下ろした。瞬も続いて隣に座る。
 背もたれに寄りかかると、肩のあたりが妙に軽いことに気づいた。パニックに陥
ったとき、鞄をどこかへ放り出してしまったらしい。我ながら情けなくて、ため息
が出る。
「幹にいちゃん……」
 瞬が僕の顔を覗き込んで言った。不安げな眼差しでこちらを見る。
「……ごめん」
 小さな声で、それだけ答えるのがやっとだった。
「声が出るようになって、良かったね」
「……うん」
 これで失声症が本当に治るのかどうか、僕にはわからなかった。すっかり冷たく
なった風が、公園内の木立を揺らす。瞬は寒そうに肩をすくめ、身を寄せてくる。
「……さむ、い?」
「ううん、幹にいちゃんと一緒だから平気」
 僕も一緒に死ぬ!
 線路で瞬の叫んだ言葉が、ふいに頭の中で蘇る。
 現実を受け入れられず、自分の殻に閉じこもったまま死のうとした馬鹿を、何故
こんなに愛してくれるのか。
「!」
 思わず従弟の身体を抱きしめた途端、僕は泣き出してしまった。瞬の腕が、ゆっ
くりと背中に回される。
「約束して。もう……どこにも行かないって」
 瞬はどうして責めないのだろう、どうして信じようとするのだろう。あれほど言
葉を重ねたにもかかわらず、僕は純粋な想いを、残酷な形で裏切ろうとしたのに。
「幹にいちゃん……、大好きだよ」
 瞬の声は震えていた。でも、僕には愛される資格などない。この街に来てから、
実の弟のように可愛がった従弟を泣かせてばかりいる。
「……どう、して……」そんなに僕のことを?
「今度は僕が……、幹にいちゃんを助ける番だから」
 意味がわからない。抱きしめた腕を解き、鼻をすすりながら従弟の顔をまじまじ
と見つめた。瞬の青ざめた頬が、次第に赤みを帯びてくる。
「だって幹にいちゃんは、うちのおにいちゃんみたいな意地悪しないし、いつも優
しくしてくれたでしょ」
 買いかぶりすぎだ。神様でない以上、怒ったりイライラしたりなんてことはしょ
っちゅうある。恭一のような暴力をふるわないだけで。
「うちで悲しいことがあっても、幹にいちゃん家(ち)に行くと、みんな忘れちゃ
うんだよね。おにいちゃんにぶたれても、お父さんやお母さんにかまってもらえな
くても、次のお休みになったらまた行けるんだって思うと、何だか元気が出てくる
んだ……」
 瞬はそこで言葉を切り、目を伏せた。
「僕、叔父さんと叔母さんも好きだったよ。ふたりが死んじゃったって聞いたとき
は、すごく悲しくて……。だけど、もっと悲しいのは幹にいちゃんなんだよね」
 葬式のとき、瞬はずっと側にいてくれた。僕の手を握ったまま泣いてたっけ。
「幹にいちゃんがうちに来る前、お母さんの様子が変だったんだ。台所の包丁は全
部どこかに隠して、お風呂場にあったお父さんのカミソリとか、引き出しに入って
たカッターやはさみまで片づけちゃってさ。お気に入りだったガラスの花瓶まで押
入にしまったんだよ。たから僕、わかったんだ。幹にいちゃんが……」
 瞬はふいに声を詰まらせたかと思うと、大粒の涙をこぼしながら、僕の首に腕を
回してすがりついた。
「……死んじゃ……やだ……、僕を……ひとりに、しないで」
 嗚咽混じりの言葉が、胸を締めつける。
 何も聞かされなくても、瞬は察していたのだ。僕から離れようとしなかったわけ
も、今なら理解できる。
「もう……や……やら、ない」
 僕は再び瞬を強く抱きしめた。従弟の力強い胸の鼓動を感じる。
 この鼓動を、決して止めてはいけない。
「約束、して……」
「……うん……する」
「絶対、だからね……」
 瞬は涙声で言い、僕の唇に自分のそれを重ね合わせた。
 温かくて柔らかい感触に、遠い記憶が微かにうずく。こうしているのが、遙か昔
から決まっていたような気がする。
大好きだよ、瞬。 
 今すぐ、言えたらいいのに。
声が出るようになったとはいえ、僕の喉はすっかりこわばっていて、元のように
しゃべれるようになるには、リハビリが必要だった。つっかえながら言う「好き」
なんて、格好悪いじゃないか。
「……幹にいちゃん……」
 瞬は唇を離し、潤んだ目でこちらを見つめた。
 可愛い、どうしてこんなに可愛いのだろう……。
 命がけで慕ってくれるから? 3人姉弟の中で、最も容姿に恵まれているから?
今までにも「可愛い」と思ったことは何度もあるけれど、昨日までのそれとはま
るで違う。胸に溢れてくる、この感情は……いったい何?
 瞬の髪を撫でてみる。さらりとした感触が心地よい。誘惑に導かれるまま、今度
は僕のほうから唇を近づけたとき――。
「僕って……変?」
 瞬は小さな声で訊くと、ため息を吐いて目を伏せた。もやもやとした想いの中に
隠された何かを、いきなり衝(つ)かれたような気がして、僕は返す言葉を失った。
「やっぱり変だよね、幹にいちゃんにキスするなんて……」
僕の前には暗い橋があった。瞬はその橋の上、もうすぐ渡りきろうかという位置
で、こちらを向いて待っている。
 渡るも引き返すも、僕の自由だ。
 大好きだよ、瞬。
 それだけは変えられない。
「こっち……み、て……」
 橋の向こう側は、深い霧がかかっている。
 その先で待っているものは、必ずしも平坦な道ではない。
「しゅ……瞬、す……き……」
 つまらない見栄を捨て、たどたどしい言葉を紡いだ途端、仰向いた瞬の目からま
た涙がこぼれてきた。親指ですくい取って口に運ぶ。舌に広がる味は、塩辛いくせ
に何と甘美なことか。
 僕は橋の上を歩いて、瞬の前で立ち止まった。
 手をつなぎ、ふたり一緒に向こう側へ渡っていく。
 行こう、瞬。
 どこまでも。

 児童公園を出たのは、陽が落ちて周囲が暗くなり始めた頃だった。街灯が次々に
ともる中、瞬と僕は手をつないでだらだらと続く坂道を上っていた。道案内役の瞬
に引っ張られ、息を切らしながら歩く。
 ようやく見覚えのある場所までたどり着いたとき、後ろからやって来た警官に声
をかけられた。どうやら、僕たちを捜していたらしい。
 交番に連れて行かれ、奥の小部屋で伯母の到着を待っている間、いろいろと事情
を訊かれた。
 あまりしゃべれない僕は筆談で対応したが、家に帰らなかった理由は、「海を見
に行こうと思ったから」で押し通した。さらに「伯母さんを心配させて悪かったと、
心から反省しています」の一文を付け加えておいた。伯母がどこまで話したのかは
知らないが、警官にはこれ以上、僕の心の中に土足で踏み込んで欲しくはなかった。
 しばらくして、伯父と伯母がふたりで交番にやって来た。てっきり伯母だけ来る
ものと思っていた僕は、少々面食らってしまった。
 瞬は母親である伯母の顔を見て緊張が解けたのか、大泣きしながら彼女の腕の中
に飛び込んでいった。やっぱり、うらやましい……。
「幹彦」
 伯父に名を呼ばれたとき、僕の心臓は跳ね上がった。
 叱られるに違いない。
 自分の身勝手で伯母を心配させ、僕を捜しに来た瞬まで自殺に巻き込むところだ
ったのだから。
「おまえはな、貴志が必死で守った命なんだぞ。それだけは忘れるな」
 胸に応える言葉だった。
 父さん……ごめんなさい……。
 僕は声を上げて、泣いた。

 補習授業は1日休んだだけで、僕は再び登校を始めた。なくしたはずの鞄も、交
番経由で運良く手元に戻ってきた。さらに声が少し出るようになったことで、言語
療法士による発音と発声のリハビリが日常生活に加わった。
 今までの僕なら、部屋に引きこもって寝込んでいたと思う。あの自殺未遂騒動を
機に、僕の中で何かが変わったのは確かだった。
 瞬の愛情と、伯父のひと言。それらが、ともすれば萎えそうになる心を、内側か
らしっかりと支えてくれる。
 諦める前に、投げ出す前に、今日を精一杯生きてみよう。
 その積み重ねだけが、明日へと続くただひとつの道なのだから。

                      to be continued





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