#520/568 ●短編
★タイトル (AZA ) 22/09/03 19:25 (408)
逃げ水 永宮淳司
★内容 22/09/06 20:04 修正 第2版
(第十九回ミステリーズ!新人賞に投じた拙作二つの内、箸にも棒にもかからなかった
方の作品です)
X月Y日。僕達は遭難した。
元々は、一年に一度だけ見られるという噂の湖と咲き乱れる花々を観察する目的で、
砂漠をキャンピングカーで突っ切っていた。順調に進んでいたのだけれど、目的地まで
あと少しというところで、突如発生した嵐にやられてしまった。
車は少し浮いて、一回転した上でさらに横転、そのまま地面に叩き付けられた。横倒
しの車から這い出して来られたのは四人。運転手を含めた残りの四人は姿を現さないま
ま、車が火を噴いた。
助けたくても、砂漠に水なんかない。いや、あるにはあったんだけど、それは僕らが
車から脱出したときにそれぞれ持ち出した荷物に入っていた、水筒の中身の飲料水だ。
大した量はなく、もし消火に使っていたとしても無意味だったろう。
爆発的に燃え上がった炎は折からの強風で勢いを増し、手の着けようがなかった。自
然に消えるのを待つしかなかったのだ。
僕らは砂嵐を避けるため、ヒイロが持ち出しに成功したテントを広げ、中に籠もっ
た。生憎と電波の届かない地点らしく、誰の携帯端末も救助を呼ぶのに役立たなかっ
た。
一時間以上して風が収まったのでテントを出てみると、キャンピングカーの火もほぼ
鎮火していた。早速、取り残された四人の状況を確かめようとしたのだけれど、それは
難しいと一目で分かった。
転がった場所が砂だまりのできやすい場所だったのか、乗っていた人間もろとも車の
残骸は砂に埋もれていた。それも、掘り起こすことを端からあきらめざるを得ないほ
ど、深くしっかりと。
これでは、たとえ車内に使えそうな道具類や飲食物が燃え残っていたとしても、見付
けるのが至難の業だ。特にテントはもう一つあったから、ぜひとも欲しかったのだ。
というのも、生き残った四人のメンバーの組み合わせがあまりよくなかった。いや、
考えられる限りでは最悪と言えるかもしれない。
生き残ったのは僕・カナタとさっき言ったヒイロ、そしてサコンの男三人と、女が一
人、ルリ。みんな学生で年齢差はない。そして僕を含めた三人は、みんなルリにアプ
ローチをしている真っ最中だった。
そういった背景を抜きにしても、女性一人に男性三人が一つのテントで休むことは想
定していなかった。女性は全員で三人いて、キャンピングカーの中で寝泊まりし、男達
はテントに入る予定だったのだ。
六人が楽に横になれるサイズだから、ルリと距離を取って眠ることは可能だろうけ
ど、男子三人の中で場所争いが起きることは必定だった。
生きるか死ぬかという状況でこんなことに体力を使っても仕方がないと、表面上は平
静を保っているが、幾日か過ごす内にきっと何かよくない出来事が起きる。そんな空気
が早々に醸成されつつあった。他の四人が犠牲になったというのにだ。
僕ら四人は実際どれほど救助を待てそうなのか。
持ち出せた飲食物を洗いざらい並べて、チェックすることになった。
チョコレートや飴と言った菓子類はそこそこあったが、お腹に溜まる物となると多く
はない。パンやおにぎりがせいぜい一個ずつ。他にはオレンジの類が一人当たりちょう
ど二個ずつ。あとおかずと言ったらコーンの小さな缶詰が三つだけ。何故わざわざ缶詰
なのかというと、ケイジ先生の好物で、この缶詰の味付けがお気に入りだった。一日一
個食べないと気が済まないため、二泊三日を予定していたこの観察ツアーでは三個。僕
が持たされていたので、僕のリュックに入っていた。
飲み物の方は、砂漠へ出向くということで多く用意されていたんだけど、重たいた
め、ほとんどがキャンピングカーの中。恐らくは使い物にならない。ただ、各自が持参
した水筒に水を詰めていた。誰もが四〇〇〜五〇〇ミリリットルぐらい残しており、大
差はないようだった。
「公平に分け直すべきだと思う」
だから、ヒイロがそんなことを言い出したときは、冗談だろと思った。
「食べ物の方は公平に分けると決めたんだから、水もそうするのが筋だ」
「待てよ。理屈は分かるが冷静になれ」
サコンが穏やかに反論した。
「水筒の形が違うから、正確なところは不明にしても、みんな似たような量だろう。わ
ざわざ分け直すほどのことじゃないと思うぜ」
「一人当たり、五〇〇ミリリットル以下なんて、どのみち足りない。食べ物と違って水
分は、なかなか我慢できない物だ。だからこそ等しく分けておく方が後々問題にならな
いと言ってるんだ」
「いやいや。仮にその理屈を認めるとしてもだ。計量カップがない。大きな容れ物もな
いみたいだし、水を一旦集めて正確に四等分なんて、無理じゃないかな」
「だったら、誰か一人が水を一元管理すればいい。飲みたいときはそいつに申し出て、
このキャップ何杯分を飲んだか、記録を付けていく。これでいいだろう」
ヒイロは自らの水筒の蓋を示しながら主張した。
「それは別の意味で問題がある。管理する奴がずるをしたって、分からないんじゃない
か。正確な全体量が不明なんだから」
「管理役はルリさんにお願いする」
「私?」
さして役立ちそうにない議論が続き、うんざり顔をなしていたルリだったが、急に名
前を出されて、表情は“きょとん”に転じた。
「彼女なら文句あるまい」
ヒイロが自信満々の笑みを見せる。サコンはしかめっ面になった。
「……ルリさんにはすまないけど、全面的に信頼するのは危険だ」
「サコン、おまえよくそんなことが言えるな」
ヒイロは顔色を変えたが、ルリ本人の態度に特段の変化はなく、話の成り行きを見守
っている。
「ルリさん個人がどうこうじゃない。特定の一人を信頼するのが危ないってんだ。この
あとどんな状況になるのか見えてないんだぜ。何日も助けが来なくて、水の奪い合いに
なるかもしれない。まあ、それまでに飲み尽くしている可能性の方が圧倒的に高いだろ
うけどな」
「たとえ我々三人がそうなったとしても、ルリさんは違う。最後まで公平かつ冷静に分
配してくれる」
「ヒイロ、おまえさあ、彼女が好きなのと、今の非常時をごっちゃにするなよ。繰り返
しになるが、冷静になれ」
「いや、俺は冷静だ。公平・平等を基準に、論理的に動いている」
「ならば、多数決を採るのはどうだ。自信があるんだろう?」
「よかろう。ただ、二票ずつに分かれたらどうする」
「ほらみろ、やっぱり自信がないんじゃないか」
「違う。これはあり得べき結果を想定して、前もって取り決めをしておこうという、自
信とは無関係の――」
「分かった分かった。二票ずつなら、おまえのやり方でいいよ」
四人しかいない多数決で、同数でも負けを認めるというのは途轍もない譲歩だ。当の
ヒイロ以外の全員が反対に回らない限り、ヒイロの意見が通ってしまう。
「じゃ、採決のコールはカナタ、おまえに頼む」
「はい? 何でだい、サコン?」
「俺かヒイロのどちらかだと、声が威圧的だったとか何とか、いくらでもいちゃもんを
付けられるからな。ルリさんも当事者みたいなものだし、ここはずっとだんまりだった
おまえが適任だ」
なるほど。理屈は通っている。
「それでは……ヒイロの意見に賛成の人、挙手を願います」
ヒイロだけが手を挙げた。
結局、水筒は各人が常に肌身離さず、自己責任で持つことになった。
果物が少々あるとは言え、水が足りなくなることは分かり切っていた。
二泊三日のスケジュールを組んだのだから、捜索が開始されるのは四日後。舗装道で
はないけど砂漠の中にある定められたルートだ。嵐に遭ったとは言え、さほど外れては
いないはずだから、捜索隊が出さえすれば多分見付けてもらえる。それまで何としてで
も保たせないといけない。四日を待たずに、誰かが通り掛かってくれるのが一番理想的
だが、生憎と交通量はほぼゼロだと前もって聞かされていた。観察予定だった自然現象
が人気の一大イベントだったなら、いくらでも行き交う車はあったろうに、実際は残念
ながら僕らのような物好きぐらいしか注目しない。
「ドキュメンタリー番組とか漫画とかで見た覚えがあるんだけど」
僕は、水を確保する手段として、小便を蒸発させて、ビニールに付いた水滴を集める
方法ができないかなと提案してみた。
「レディの前で、何て話を」
ヒイロは多数決に負けたというのに、まだ目が覚めていないらしい。普段は凄く優秀
な奴だとうらやましいくらいだったのに、非常時だと判断が狂うタイプだったか。
「ああ、それなら俺も何となく知っている。ビニールはテントの一部を引っぺがすか、
食べ物の飽き袋を使えば代用が利くかもしれない」
その点、サコンは分かってくれている。どちらかといえば普段は堅苦しい話はいい加
減に流し、友達を巻き込む悪戯をしてはまあいいじゃん、楽しければ!って性格なの
に。分からないもんだねと、人を見る目を勉強させてもらった心地だ。
「ルリさんは?」
さすがに聞きづらいものはあったけど、言い出した僕が聞くしかないので。
「水が必要なのは分かる。けど、やるのなら個人単位でやってほしいかな。みんなのが
混じったのなんて、飲む気にならないと思う」
「そんなことを言ってられなくなるかもしれないんだけどな」
サコンが言うと、またヒイロが食って掛かった。
「サコン、ルリさんを脅すようなことを言うな!」
「ちげーよ。現実ってやつを、早めに知ってもらいたいだけ。今日はもう暗いからいい
が、朝になって日が昇れば、どんどん水を飲みたくなるさ」
結局、夜の間は作業がしづらいし、ビニール云々は明日になってからということで眠
りに就いた。食事は今日の昼まではきちんと食べた事実を考慮し、抜いてみた。
翌日は朝早くからビニール集めを開始し、分量的には揃ったと思う。でもこれを充分
な大きさの一枚にするのが難しそうだった。
「裁縫道具なんかないしな」
サコンが言った。皆、朝食として、小さなチョコレートとあめ玉とクラッカーを一つ
ずつ摂っている。
「無理なんだよ」
ヒイロがぼそりと言った。それ以上言葉が出て来ないのは、早くも参ってきているの
かもしれない。
かくいう僕も、夕飯抜きが堪えてきたみたいで、飴玉をなめている間もお腹がずっと
きゅうきゅう鳴っている。
「陽が低い内に、キャンピングカーの辺りを調べた方がよくないかしら」
少し離れたところにいるルリが意見を出してきた。就寝時に限らず、彼女には広めに
スペースを与え、なおかつ僕ら男達のいるスペースとは荷物なんかで境界を作ってあ
る。
「そうだね。砂に埋まったとは言え、使える物が何かあるかもしれない。多少なら掘り
返してみるのもありかな。体力消耗するだろうが、短時間なら」
「道具がない」
ヒイロがネガティブなことを言う。昨日のリーダーシップを取ろうとする勢いはどこ
へ行ったんだ。テントを持ち出してくれた功績には感謝してるんだよ。確かファッショ
ンで小さなナイフを身に着けていたはずだけど、あれを使って掘る気概とかないのか
な。
てな感じの文句を僕が声に出せずにいると、サコンが判断を下した。
「車から外れた金属板とかあるだろ。とりあえず早い方がいい。行ってみよう」
淡い期待を込めて行われた“捜索”だったが、収穫は中途半端に終わった。
まず、車に近付く過程でペットボトルをいくつか発見するも、大きく破損しており中
身も全て流れ出ていた。底の部分より上が適当に残っている物はコップ代わりになるか
らと、ルリは僕らの人数分以上を拾い集めていた。けど、砂まみれだから、コップとし
て使うためには布で丁寧に拭かなきゃいけないな。
車のひっくり返っているところまで辿り着くと、思惑通り、プレートがいくつかあっ
た。これをスコップ代わりにして、掘ってみる。幸いと言っていいのか知らないけど、
風はない。
砂は掘りやすいところと掘りにくいところが両極端で、思うようには進まなかった。
それでも、ガムが出て来たり、ダクトテープが見付かったりした。車両用の芳香剤は、
ルリに渡した。あと、焦げた地図や、カメラに顕微鏡も出て来たが、いずれも使い物に
ならないと確認できた。顕微鏡には毒にもなる試薬が付属していたんだが、見当たらな
かった。砂に埋もれたらしい。生態系に影響を及ぼさなければいいのだが。
釣り竿が一本、無傷で見付かった。湖で魚釣りを試すつもりで積んできた物だが、こ
の砂漠の只中で持たされてもしょうがない。
「ルリさん、これ」
背後で声がしたので振り返ると、ヒイロが彼女に何か渡している。まさか飲み物か食
べ物を見付けてこっそりいいところを見せようとしたのではと勘繰ったが、違った。
ヒイロがルリに渡したのは、鏡だった。サイドミラーなのかルームミラーなのかは分
からなかったが、なるほど、女子にはあった方がいいのかもしれないな。こんな環境下
でそれを思い付くヒイロに、変に感心した。
太陽がじりじりと僕らを焦がし始めたので、捜索は切り上げられた。成果は大きくは
なかったが、ないよりはましと言ったところかな。それと、遺体につながる物が出て来
なかったのは……よしとすべきなんだろう。今、遺体を掘り出せても、場所を移して埋
め戻すくらいしかできまい。
ハプニングはその日の昼過ぎに起きた。
早めに食べる必要のあるおにぎりを中心とした昼食後、ルリがテントを出た。炎天下
に外出するのはトイレと分かり切っているので、誰も声を掛けない。ちなみにだけど、
小便から飲料水を取り出す仕組みは、まだ完成していない。
しばらくすると、外から短い悲鳴のようなものが聞こえた。
まさか危険生物に出くわしたか?と今さらながらその可能性に思い当たり、僕ら三人
はテントを飛び出した。
ルリはすぐに見付かった。立ち尽くして、下に向けた顔を両手で覆っている。どうや
ら危険生物と遭遇したのではなさそう。だけど、何かショックなことがあって動けな
い、そんな風に見えた。
「ルリさん……」
僕は声を掛ける途中で、気が付いた。彼女の足元近くに、水でできたと思しきしみの
円がうっすらとある。
「ルリさん、その水筒は」
ヒイロが言った。彼の指差す先を辿ると、赤色が特徴的なルリの水筒が地面に落ちて
いた。注ぎ口の蓋は閉まっているが、外ぶたのキャップは外れている。
彼女はすぐには答えられる状態ではないみたいで、泣いてさえいた。僕らが落ち着か
せて、テントに戻り、ようやく聞き出せたのは。
用を足したあと、彼女はほんの少し手を洗うつもりでいた。できればその水分で、首
筋や腕ぐらいは拭きたい。そんなことを考えながら、水をキャップの半分ぐらい注ごう
としたとき、立ちくらみが起きたという。
運悪く、注ぎ口の栓は開いていて、水が盛大にこぼれてしまった。立ちくらみが収ま
って、水筒の蓋を閉めたときには、中身の大部分が失われたと分かり、悲鳴を上げたら
しい。
蚊が鳴くよりも小さな声で「どうしよう、どうしよう」と繰り返す彼女を前に、ヒイ
ロがサコンの脇をつつき、続いて僕の手を引くと、アイコンタクトを求めてきた。
「分かってるよ」
サコンはしょうがないなとばかりに、嘆息した。
「俺達の残りから、ちょっとずつ分けるしかないだろ」
ただでさえ少ない水が、さらに減ったのは正直頭が痛い。命に関わる一大事だ。なの
に、安堵して少し笑みを覗かせたルリを見ると、まあいいかと思えた。思うことにし
た。
午後からはダクトテープを利して、ビニールの一枚布を完成させ、例の装置を作る準
備は整った。風のなるべく吹かない方向を見定めて、夕方には設置を終えた。
夜の食事は、コーンの缶詰を開けてみた。コーン本体よりも、味付けに使われた何ら
かの液体が入っていて、水分補給の足しになるのではという期待感が強かった。
「……当たり前だが、甘みの中にちょっと塩っ気があるな」
「海水を飲むと余計に喉が渇くと言うぞ。大丈夫か」
「これくらいならいいんじゃないの? 海水と水を一定の割合で混ぜて飲んで、助かっ
た人がいるいって聞いたことある」
などと言い合いながら、みんなで飲んだ。塩分自体を身体が欲していたせいなのか、
特に乾きが強まった感覚はなかった。
奇跡的に、水はまだ残っている。あと一日ちょっとを乗り切れば……希望が現実感を
伴って見えてきた。
ところが三日目の朝は、大事件で幕を開けた。
“僕ら”の遭難そのものは終わったのだけれども、でもまだ救助が来た訳ではない。
僕以外の三人が、死んだのだ。
どういう順番で死亡したのかは分からない。とりあえず、ルリからその状況について
綴ってみる。
彼女はテントの外、トイレと定めた場所までの途中で倒れ、息絶えていた。首に痣の
ような手の痕があったから、絞殺されたんだろう。死に顔はまともに見られなかった。
次にサコンだ。彼もまた外で死んでいたのだが、場所は全く違う。かすかに残る足跡
から、テントを出たサコンはふらふらと千鳥足で彷徨い、目測で五十メートルくらい歩
いたところで倒れたようだ。口元に細かな泡を吹いたような痕があったから、病気か何
らかの毒を体内に入れてしまったか。
最後にヒイロ。実は見付けた順番は、彼の遺体が一番だった。何せ、テント内で首か
ら大量出血して死んでいたのだから。ただし、場所は彼の使っていた定位置ではなく、
テントと外をつなぐ出入り口の付近で、遺体のそばに凶器らしき物は見当たらず。逆に
ヒイロ愛用の小型ナイフが消えていた。
恐ろしかった。
砂漠の真ん中で、一人きりになってしまったのもそうだが、それと同じくらいに、み
んなを殺したのは誰なんだ、そいつは僕も襲うつもりなのかという恐怖が、化学反応の
発泡現象みたいに急速に膨らんでいく。
でも、こんな場所に、他に誰かいるのか? 見渡す限り、いっぱいの砂と、あとは岩
と植物が申し訳程度にあるだけの世界。何の準備もなしに暮らせるはずがない。砂漠の
民がいて、僕らはその禁忌を知らず犯してしまい、彼らの逆鱗に触れてしまったのか?
……冷静に考えて、なさそうだ。万が一そういった地元の部族の凶行であるなら、一
度にやるはず。僕だけ殺さなかったのは警告のため恐怖を植え付けたと解釈できるかも
しれないが、それ以前に、ルリとサコンの死んだ時間が、同じ頃合いだとは考えにく
い。何故なら、サコンの足跡は見付かったが、ルリの足跡はほぼ消えていたからだ。同
じ時間帯に殺害したのであれば、両者の足跡は同じように残っている、あるいは消えて
いるべき。
他に誰が……と考えたとき、キャンピングカーのことが脳裏をよぎった。
まさか。
死んだと思っていた仲間四人は生きていて、助けを求めにここへやって来た? でも
外見が火傷などで酷いことになっていたら。そんな姿をいきなり見せられたサコン達は
助けを求める相手を襲ってきたものと誤解し、突き放したり攻撃を加えたりするかも…
…。
助けを求めるも拒否され、怒りのあまり殺害。この流れだとすれば、殺害時刻にひら
きがあっても、まあ納得できなくもない。
ただ、この仮説にしても、僕が無事でいる理由にはならない。助けを求めて彷徨う内
に傷が悪化して、どこかで倒れ、砂に埋もれたのだろうか。それにしてはそのような足
跡がまったく見当たらなかった。都合よく、風できれいに消える場合もないとは言い切
れないけど。
とにもかくにも、僕は救助を待つことに決めた。この状況で僕まで死ねば、下手をす
ると僕が犯人にされてしまう。そんな不名誉な濡れ衣は絶対に嫌だ。
僕はテントの出入り口まで行き、ヒイロの遺体のそばに立った。彼の身体を少し動か
してから、砂や風が吹き込まぬよう、出入り口のジッパーをしっかり閉じる。
「二人の遺体も中に入れてくべきか。でも殺人事件だとしたら、そのままにしておかね
ばならないとの見方もできる」
独り言が出た。この惨劇のせいで、心身ともにくたくただ。何か腹に入れて、動く気
力が湧くようなら、二人をテントまで連れて来よう。そう決めて準備に取り掛かる。
ふと思い出したのは、みんなの水筒。悪いけど使わせてもらうとする。
最初にヒイロの使っていたエリアを見下ろしたが、すぐには見付からない。よく目を
こらし、ヒイロとサコンそれぞれのスペースの中間ぐらいに転がっていた。
が、その形状はボコボコにへこんでおり、しかも、底に近い側面に小さな穴が一つ空
いていた。中身はこぼれ出たのか、残っていない。
どこかおかしい。周囲が濡れていないし、水筒には一滴も残っていない。拭き取った
ようだ。
続いてサコンの水筒を捜す。そういえば彼の遺体も水筒を身に付けていなかった。身
に着けていたのは……ルリだけだ。
サコンの水筒は彼のスペースですぐに発見できた。ただ、何故か「ヒイロの物」とサ
コンの字で書かれた紙切れが、その肩掛け紐の金具に通してあった。
分からない。想像を膨らませるのなら、ヒイロの水筒の水をサコンがこぼしてしま
い、そのお詫びに自身の水をやることになった、とか。わざわざメモ書きをする理由が
分からないが。
ヒイロの物と言われると、おいそれと使いづらい心理が生まれていた。僕はいても立
ってもいられなくなり、外に出てルリの遺体を目指した。
彼女の水筒には、何ら特別な変化は起きていなかった。
やはり分からない。不気味さを覚えた僕は、遺体も水筒もそのままにしてテントへ引
き返した。その出入り口の手前一メートル弱の地点で、靴の裏に感触を覚えた。何か細
くて固い物を踏んづけたようだ。
何らかの生物だったら怖いので、探り探り、慎重に砂をかき分けると。
「……釣り竿?」
僕らが持ってきた釣り竿が出て来た。何故か糸はなくなっていた。
* *
厳しい条件の下、現場検証を行い、遺留物収拾に努めた。
持ち帰った物証の科学鑑定に加えて、搬送した遺体の検死・解剖により、おおよその
状況を描くことができたと一定レベル以上の確信を得たので、ここに報告する。
まず、ツアー初日に発生した嵐により、キャンピングカーが吹き飛ばされ、八名の乗員
中四名が事故死したのは間違いのないところである。死因の厳密な特定には今少しの時
間を要するが、彼ら四名の死に事件性はないと判断する。
続いて、事故を生き延びた四名の内三名が死亡した件に移る。
解剖の結果、三名の死がツアー最終日に該当する三日目の午前だったことは間違いな
い。この点、唯一の生存者であるカナタの証言は正しい。
それでは三名の死は、どのような順番で起きたのか。また、いかにして死んだのか。
かなり難度の高い命題だが、少なくとも一番最初に死亡したのは、ルリだと言える。
正確な時間の絞り込みは難しいが、明け方の四時から六時の間と推測される。
彼女は首を手で絞められ、窒息死せしめられていた。首に残る痕跡、すなわち手型か
ら判断するに、ルリを絞め殺したのはヒイロである。他の二人、サコンとカナタはとも
に手のサイズが異なる。
なにゆえヒイロはルリを襲ったか。ルリの遺体の周囲には、拾って容器として使った
というペットボトルの底部が六つ見付かった。その形と傷などから推察するに、二つの
底部を重ね合わせ、蓋付きの容器として使っていたと考えられる。ただし、カナタはそ
のような使い方をしているのを目撃していない。
カナタの証言によると二日目の昼、ルリは自らの水筒の中身の大部分を外でこぼして
しまい、悲嘆に暮れていたという。一方、先程言及した蓋付き容器の中身は水だったと
考えられ、他の食べ物を入れた形跡はなかった。
これらの状況を総合すると、一つの絵が浮かび上がるのではないか。すなわち、ルリ
は水をこぼしたふりをして、実は蓋付き容器に移し、隠し持っていた。そして男性陣の
同情を買い、新たに水を分けてもらうことに成功した。なお、砂にできていた染みは、
彼
女自身の尿を用いたのかもしれない。
この行為は他の三人の立場からすれば裏切りであり、場合によっては殺意を抱かせる
のに充分な要素ではないだろうか。
聞くところによると、ルリは研究室のマドンナ的存在で、特にヒイロはご執心だっ
た。彼は三日目の未明、テントを出て行くルリに気付きあとをつけたのではないか。ル
リの遺体の位置から考えると、もしかするとトイレに行く彼女を覗こうという魂胆だっ
たかもしれないが、これは完全に根拠のない空想であり、故人の名誉のためにも公式文
書では削除を願う。
それでもヒイロがルリに気付かれないよう彼女を見ていたのはほぼ確実で、それによ
り、ルリが水を隠し持っていることを知った。ヒイロはその時点で殺意を抱いたか、そ
れとも彼女に声を掛けてやり取りをした末、殺害に至ったのかは分からない。
ただ、ある別の推測により、ヒイロは一度ルリと話し合うも物別れになり、テントに
戻って自らも死ぬ準備をした後、改めてルリを殺害しに行った節がある。
ここで、サコンの死に目を向ける。彼は毒物によって呼吸困難に陥り、死に至った。
この毒は生物観察用の薬品で、生物の動きを緩やかにする、もしくは仮死状態にするの
が本来の用途であるが、分量によっては人間一人の命を奪い得る。
カナタの証言によれば、この薬品を管理していたのは引率の講師だが、事故後は所在
不明で、恐らく砂に埋まったものと考えていた。だが現実には現場検証の際に明らかに
なったように、車の残骸の近辺に薬品はなく、テント近くの砂に使用後の割れたアンプ
ルが埋まっていた。このアンプルからは複数名の指紋が出ているが、一番最後に触った
のはヒイロと考えられる。
ヒイロはしかしこの毒をサコン殺害に使う気はなく、自殺のために用いるつもりだっ
たと思われる。それはヒイロの水筒から微量ながら毒の成分が検出された事実により推
察される。
ヒイロが自殺を考えた理由はルリ殺害を決意したためであり、最前触れたルリとの話
し合いが決裂後、テントに戻ったヒイロは隠し持っていたアンプルの中身を自身の水筒
に投じ、ルリ殺害後すぐに服毒する予定だったと考えられる。
ところが実際にはできなかった。サコンがヒイロの水筒の(毒投入後の)水を口にし
てしまったためである。
ここからまた大幅に想像が混じるが、ヒイロの水筒にあけられた小さな穴は、サコン
の仕業と思われる。カナタや他の学生の証言によると、日常生活でのサコンは軽い性格
で、友人に悪戯を仕掛けることも多々あったという。今回の遭難後は生還のため真剣に
行動したそうだが、無事に戻れる目が出てきたことでいつもの癖が出たのではないか。
つまり、ヒイロの水筒をわざと漏れさせ、弱ったヒイロに「これをやるよ」自らの水
筒を渡す。その実、ヒイロの水筒から抜き取った水は、別の容器に移しておき、あとで
悪戯でしたと種明かしをする気だったのではないだろうか。
サコンにとって誤算だったのは、水を抜き取る際、容器から溢れそうになったため、
思わず口を着けてしまったことだろう。先程述べた通り、ヒイロの水筒の水は毒入り
だ。サコンは異変を察知したが時すでに遅く、苦しみのあまりテントを彷徨い出た挙げ
句に、絶命してしまった。
ルリ殺害から戻ったヒイロは、自殺しようと水筒を手に取ったが、空になっていた。
故意にあけられた穴を発見した上に、近くにはメモを挟んだサコンの水筒もあった。お
およその状況を悟った怒りで思わず水筒をボコボコにした。だが死ぬ決心は変わらな
い。また、水筒にわずかに残る水滴をもしも誰かが舐めたら、死ぬまでは行かずとも、
体調が悪くなるのは目に見えている。それは不本意なので水滴をできる限り拭き取っ
た。
当初予定していた自殺の手段を失ったヒイロは、愛用のナイフの使用を考えるが、ナ
イフが近くに落ちていたら自殺とすぐにばれてしまう。毒を飲んだ場合は自殺ではない
可能性も視野に入れてもらえるだろうが、ナイフはだめだ。そこで思い付いたのが、釣
り竿を使ってナイフを遠くへ飛ばすという方法だった。ナイフの柄に釣り糸の先端を固
く結び付け、さらには糸そのものもリールから離れて飛んで行くよう、切っておく。こ
うした準備の上で、ヒイロはナイフで自らの首を掻ききるや、最後の力を振り絞って、
竿を操り、ナイフを遠くへ飛ばした。さらに竿もなるべく遠ざけようと放り、それから
テント内に倒れ込んだ。
カナタが発見時、竿が砂に埋まっていた点はやや不可解である。サコンの足跡はまだ
認識できる程度には残っていたのだから。これは恐らく目覚めたカナタがまずヒイロの
血塗れの遺体を見付け、パニック状態で他の二人を捜しに外に出た。その際、竿に気付
かずに踏み付けて、砂に押し込んでしまった可能性が高い。
以上が現場検証及び物証の鑑定、遺体の解剖、生存者の証言を総合して出した、恐ら
く真実に近いであろう仮説である。
想像で補った箇所が多いことを否定はしないが、それでもなお、相当の確信を持って
これがあり得るべき真実であると申し述べる。
唯一、懸念するとしたら、カナタが嘘の証言をしている場合だが、彼の証言と現場状
況などは概ね一致しており、特段の疑いを向ける理由もないことから、この懸念を退け
るに決定した。
了