AWC 三文役者   永山


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#1206/1336 短編
★タイトル (AZA     )  99/ 7/31  17:47  (200)
三文役者   永山
★内容
 ふざけるなっ!
 そう叫んだはずだった。叫んで、ことを収めるつもりだったのに。
 足元に人が倒れている。ぴくりとも動かない。
 仰向けだから誰なのかすぐ分かる。吉原だ。八方美人のプロデューサー、元
から好きじゃなかった。そいつの着ている服の腹の辺りが、赤くべっとりと濡
れている。
 今日に限って、たまたま登山用のナイフを身に着けていたのは何故だ。……
ああ、そうだ。今度の舞台劇で冬山遭難者の役を演じるから、それになりきる
ための小道具だった。
 それに、そこの床の間に日本刀が飾ってあるのも、私に殺意を誘発させた遠
因だったかもしれない……。
「おい」
 無駄だという予感が頭の中を駆け巡っていたが、しかし声を掛けた。人を殺
してしまったことを信じたくない、ただそれだけの理由で。
 実際、絶命はしていないのかもしれない。今から救急車を呼んで蘇生措置を
施せば、息を吹き返すかもしれない。
 だが、もう遅い。私の罪は消えない。我が手の中にあるナイフは血で染まっ
ている。
 いや。私一人のことで済むのならば、自首してもいい。あるいは今この時期
でなければ。
 私のせいで娘の明るい将来を阻むような事態だけは避けねばならない。
 意を決すと私は偽装工作を謀った。

 運転手の塩崎はベテランだから、腕前は確かだ。よって車の揺れは気になら
なかったが、別の揺れが気になってたまらなかった。
 そろそろよい頃合いだろう。私はそう判断し、始めた。
 ずっと続いていた携帯電話の震動を、たった今感じたかのようにポケットへ
手を入れた。取り出し、緑に光る画面に表示された数字を隣の佐田に見せる。
「誰です? ああ、吉原さんからですか」
「自宅からだな。何だろう、こんな時間に」
 佐田が番号を確認したのを見届けてから、電話に出る。向こうから聞こえる
声はない。会話のふりをする。
「ああ、吉原さん……どうしたんだ、声が変だ。何っ、刺されただって?」
「え」
 佐田も塩崎も短い声を上げた。
「担いでるんじゃないだろうな? 何故救急に電話しない? リダイヤル?」
 私は芝居を続けた。芝居は本職だが、これほどまでに真剣になってやったの
は初めてかもしれない。何しろ、我が身と家族の命運を掛けているのだから。
「分かった。すぐそちらに向かう。おい、塩崎」
「承知してます」
 緊迫感を帯びた声で応じ、ハンドルを切る塩崎。行き付けの店への道を外れ、
大通りに出た。じきに夜中とは言え、行き交う車はまだまだ多い。
「十分はかかる。こっちで救急に連絡するぞ? 携帯切るな、だって? ああ、
分かった。――塩崎、どこかへ寄せて、公衆電話から救急へ」
 塩崎は無言で実行に移した。数の減っている電話ボックスだが、すぐに見つ
かったようだ。
 停止した車内で、私は仕上げに取り掛かった。
「ん? おい、吉原? どうした? おいっ、おい! 聞こえんぞ! しっか
りしろ。誰、誰にやられたんだ?」
「吉原さん……どうかされたんですか」
 隣から間の抜けた調子の声が届く。だから刺されたと言っているだろう。佐
田を証人に選んだのは失敗だったかもしれない……不安がよぎる。
「くそ、反応が全くなくなった」
 私はそんな台詞とともに不安をも吐き捨てた。

 吉原の家に差し掛かると、先に救急と警察が来ていると知れた。外灯の明か
りを背に浴びて、救急隊員が玄関ドアを叩いている。そのそばに立つ制服警官。
いずれも到着したばかりらしい。
 ドアに鍵は掛かっていない。私達は車を止めたのと同時に、彼らが屋内に入
るのを見届けた。
 次に、もう一人の警官がいたことを知らされた。年若い彼は機敏な動作で駆
け寄ってくると、我々の身元を問い質す。
「通報した者です」
 この一言だけで警戒が随分和らいだようだ。
 私達は三人でことの次第を説明し、逆に尋ねた。
「吉原さんを刺殺した犯人はどこに……」
「逃げたようです。周辺を見て回りましたが、怪しい人物は発見できなかった。
家の中に潜んでいる気配もなかったようだし」
 吉原宅を振り返る警官。野次馬がぞろぞろと集まり出すのが分かった。
 そのとき、救急隊員と今一人の警官が飛び出してきた。救急隊員二名は手ぶ
ら、つまり吉原を担架で運ぶようなことはしていなかった。
「被害者、死んでたよ。殺しだ」
「本当か? すぐ連絡しないと」
 警官同士の間でそんな会話が囁かれた。

 現れた刑事は飛井田と名乗った。厳つい顔をしていたが、どこか風采の上が
らぬ男だ。寝不足のゴリラといった感じである。彼は私のことを知っていた。
「どこかで見たなと思ったら、俳優の榎並辰郎……さんじゃないですか。あの
ドラマ、えっと『都会の達人』、よく拝見させてもらってます。どうもこの度
はとんだことで、お悔やみ申し上げます」
 耳障りだが、丁寧な物腰だ。私は三人を代表する形で、吉原とのつながりや
通報に至る事情を話した。
「ほお、吉原さんは『都会の達人』のプロデューサーでしたか。んー、あのド
ラマ、私もうちの奥さんも好きだったのに、見られなくなるのかな」
「いや、続きますよ」
 私が断言すると、刑事は少し驚いた風に目を丸くした。それからかすかな笑
みを口元に浮かべる。
「そりゃよかった。妻も喜びますよ。さて……お話によると刺された吉原さん
は誰でもいいから助けを求めるべく、電話のリダイヤルボタンを押した。それ
が榎並さんの番号だったと」
「そう言っていました。苦しげな息でしたが」
「ふむ。一度目の電話はどのようなご用件だったんで?」
 メモ帳片手に、鉛筆の尻で頭を掻く刑事。私は首を傾げた。
「何のことでしょう?」
「だから、リダイヤルですよ。助けを求める以前に、被害者はあなたの携帯に
電話してることになりますから」
「ああ……これは失礼。気が動転していて」
「分かります」
「しかし、電話が掛かってきた記憶はないんですよ。普段から呼び出し音が出
ないようにしてましてね。震動を感じるタイプの方で。今日一日で上着を脱ぐ
機会は当然あったから、そのときに掛かってきたとしたら、分かるはずがない」
 事実、全ての仕事を終えたあと今夜七時に吉原から電話があったのは確認し
ている。たまたま、トイレの中でだった。腹立たしさもあって、私は電話に出
ずに直接家に向かったのだ。そして事件を起こしてしまった。吉原が『都会の
達人』の打ち切りを勝手に決めようとしたから……。
「ところで榎並さん。先ほど警官にこう聞いたそうで……『吉原さんを刺殺し
た犯人はどこ』と」
「はあ。確かにそんなことも言いましたが。それが何か」
「あなたは現場を見る前に、吉原さんが死んでいることを知っていたのですか」
「ん?」
「いえね、刺殺って言ったってことは、そうなるでしょう」
「そういう意味ですか」
 私は思わず胸元をかきむしる仕種をしてしまった。鼓動が早くなるのを外に
出すまいとして。深呼吸一つさえ、この刑事には怪しく映るかもしれない。
「途中で、吉原からの声が聞こえなくなったからね。こちらがいくら呼びかけ
ても返事がない。それで……最悪の場合を想定したんでしょう。もちろん、確
信があった訳じゃあない。ただ単に、悪い予感をふっと口にした。それだけの
ことです」
「なるほど。よくあることです」
 納得した風にうなずく刑事。だが、目はまだ鋭い光を帯びている。
「でも、電話を切っちゃったのは何故なんです?」
「え?」
「電話の向こうでは人が生きるか死ぬかの状態で、いくら返事がなくなったか
らと言って、切ってしまうのは冷たいような気が」
「――それはこちらだってつなぎっ放しにしておきたかった。だが、もし現場
に犯人が残っていたら、そしてもしその彼が通話中の事実に気付いたら、事態
は悪くなる一方じゃないかな。そう考えたので、切ったんだよ」
 思い付くまま、一気に喋った。私の必死の表情の演技は定評がある。刑事を
圧倒するぐらい訳ないはずだ。
「うーん、首を傾げたいところだが、まあいいでしょう。緊急事態だったのだ
しねえ」
 果たして刑事は引き下がった。私の勝ちだ。
 だが、安心したのも束の間だった。刑事は再び「でも」と始めた。
「一つ、気になりますな。気になることが、新たにできたというか」
「何がですか、刑事さん。はっきり言ってくれないと分からない」
 自信溢れる口調に努める。表面上、私は平静を保っているはずだ。
「いえね、ごく些細なことなんですが……あなたは先ほど、犯人を指して『彼』
とおっしゃいました。ええ、間違いありません。犯人が男だと考えたのは、ど
ういう理由からなんで?」
「……あなたも細かい点を気にする人だな。刺殺というイメージから、犯人像
に男を連想するのは当たり前じゃないかな。人間の腹にナイフをぶち込むなん
て、女の力じゃなかなか難しいと聞いたよ。骨や筋肉に邪魔されるとか」
「必ずしもそうとは限らないでしょう。非力な女性だからこそ、刃物に頼ると
いう考え方もできますから。まあ、その点はもういいです。私、榎並さんを重
要参考人としてお連れすることに決めましたから」
「……何故だ」
 突然の通告に、私の返答はさすがに震えたようだった。後方では佐田や塩崎
が色めき立って、騒ぎ始める。彼らを手で制すると、私は重ねて聞いた。
「何故なんだ、刑事さん。私が事前に刺殺と口走ったからか? 電話を切った
からか、彼と言ったからか? ええ?」
 気持ちが高ぶって、声を荒げると同時に相手に詰め寄っていた。
 刑事は対照的に、両手でまあまあと私の興奮を抑える仕種をし、そして静か
に言った。
「榎並さん。あなた、饒舌すぎます。あなたが犯人だとしたら、今あなたが挙
げただけで三つのポカをやらかしたことになるが、さらに二つも重ねちゃね、
どんなお人好しの刑事だって疑いますよ」
「何のことだ?」
「『人間の腹にナイフをぶち込む』……あなたはさっきこう言いました。どう
して刺された位置を知っているのですか? 私は伝えていませんよね。さらに、
凶器。現場に凶器はありませんでした。具体的にナイフと言ったのは何故です
か? 吉原さんの家には包丁だって日本刀だって、あるいはバーベキュー用の
鉄串だってあるんですがね」
「……」
「あなた、役者さんだから演技はうまい。だけど、余計なことを知りすぎまし
たね。本物らしく演じようと、知っている限りの情報を駆使した結果、犯人し
か知り得ない事実をどんどん口にしてしまった。違いますか?」
「証拠はない」
 せめてもの反論を振り絞った。
「徐々に堀を埋めていきますよ。まず、あなたの証言に嘘があることを証明す
るつもりです。吉原さんの電話の通話記録を調べれば、何か出ると思うんです。
実はですねえ、カレンダーに真新しいメモが残されてまして、どうやら今夜八
時前に誰かと電話でやり取りをしているんです。それがもし、吉原さんから発
信した電話であったのなら、あなたのリダイヤルの話は怪しくなってくる。八
時以降、どこで上着を脱いだのか、お答え願えますか」
「……ちょっと思い出せない。その前に、私にはアリバイがある」
「ほう」
 口を丸い形にした刑事に、私は吉原からの電話を受けた際の模様を聞かせて
やった。さらに佐田を呼び付け、ディスプレイに電話番号が表示された件を証
言させる。
「どうだ? 間違いなく吉原の家から電話があったのだよ。この私の携帯電話
に。その時点で吉原は生きていた。刺されてから間もない頃のはずだ。犯行推
定時刻に、私は佐田や塩崎と一緒にいたんだ」
「それはアリバイにはなりません、多分」
「ば――馬鹿を言うな!」
「吉原さんを刺したあと、彼の家の電話から自分の携帯へ掛け、そのまま出な
いでいたんじゃないですか。タイミングを見計らって、さもたった今掛かって
きたように振る舞い、演技した……」
 刑事の視線が私を射抜く。にわか作りのアリバイ工作は簡単に破られた。
「ついでに、あなたと親しい人を何人か教えていただけます? 榎並さんが吉
原さんからの電話に出るまでに、榎並さんの携帯に電話を掛けた人がいるかも
しれない。その人達は一様に同じ証言をするはずだ。ずっと話し中だったと」
 私は長期戦を覚悟した。どうやら、絶対にしくじってならない場面での私の
演技は、生涯で最低ランクの出来映えだったらしい。撮影中であれば、こんな
しくじりは決してしない自信があるのだが。
 娘の将来もこれでかなりの方向転換を迫られるかもしれない。折角、最終オ
ーディションまでこぎ着け、あとは榎並達郎の娘という話題性から言って、優
勝間違いなしという段階だったのに。
「刑事さん。私の演技を見てどんな感想を持ったのか、聞かせてください」

――終




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