#469/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/12/22 18:39 (200)
気まぐれ月光 5 永山
★内容
「何だね、百田君。時間がないと云ったのは、君だぞ」
「僕が、ワトソン役、ですか」
「確認の点呼は一度しかしないよ」
自分自身を指差し、口あんぐりの百田を置いて、十文字は改めて新聞を開く。
この強引さにはかなうはずもない――と、僕は思った。
という訳で、ここからは僕、百田充が記述者を務める。若干、ややこしいか
もしれないが、叙述トリックの類を仕掛けようと目論んでのことではないので、
安心して次に進まれよ。
「分かりました。今回はそれでいいとしましょう」
僕は快諾を装った。
「ただ、僕には一人、まとわりついてくる人物がいるのをご存知だと思います
が、それは承知の上なんでしょうね、先輩?」
「まとわり……ああ、彼女のことか。一ノ瀬君なら、大歓迎だよ。いや、小歓
迎かな。油断していると、名探偵として活躍の場を奪われてしまう。ふはは。
おや、噂をすれば」
「え?」
十文字先輩の視線が、教室後方の扉に向くのを見て、僕は振り返るよりも先
に、頭を抱えたくなった。一ノ瀬和葉はプログラムのテストをしたいとかで、
今日は朝一番からコンピュータ室に閉じこもっていた。だから、僕は久方ぶり
に静かな朝を満喫できていたというのに、十文字先輩に邪魔をされ、そこへ更
に一ノ瀬が戻って来たとなると、普段の倍以上に騒々しくなること請け合いだ。
って、誰に請け合ってるのか分からないし、請け合っても何にもなりはしない
んだが……。
「みつるっち〜、もしかして楽しそうなことになってる? なってる? ミー
も仲間に入れてくれよん」
十文字先輩がいると気付いたせいか、一ノ瀬の声が非常に弾んだ調子になっ
て、後ろからどんどん迫る。
「やあ、一ノ瀬君。目が充血しているが、君が苦戦するほどの難問を扱ってい
るのかい?」
「やー、十文字さん。これは」
と、自分の目を指差す一ノ瀬。
「夜更かしして本を読んでいたスウェーデン、今朝の作業とは関係ナイロビ」
……ナイロビは分かるとして、スウェーデンは……「せいで」か? 第一、
スウェーデンとナイロビでは国と都市で、釣り合いが取れていない。
「それは結構。何の本か興味あるところだが、今はより重大な話がある。今朝
の新聞を読んだかい?」
「うんにゃです。今日はお弁当じゃないので、包むのにも使わなかったから、
持って来てないし」
失礼な言葉遣いで返事をする一ノ瀬の横、僕は冷や冷やしつつも、同じよう
に読んでいないと答えた。
「すでに百田君には云ったが、名探偵に相応しい事件が起きた。掛け値なしの
大事件だ」
「どれですか?」
新聞を広げた机の上を、ほとんど覆わんばかりに身を乗り出した一ノ瀬。更
に、頭をあちこちに動かす。邪魔。
過去に一度、似たような状況の折、「えーい、鬱陶しい!」と、彼女の頭を
押しやったことがある。そのときの反応が、「こいつぅ、ぷにぷに」的な人差
し指ほっぺた攻撃だったものから、以後、注意をするのをやめ、させるがまま
にすることに決めた。
「これだ」
十文字先輩が人差し指を鉤爪のように曲げ、紙面の一方向を示す。目をやる
と、そこそこ目立つ見出しで、「“夢の跡地”に変死体」とあった。囲み記事
で写真はなく、文章の真ん中にもう一つの見出し――「密室の墜落死?」――
が配置されていた。詳しい内容はまだ読んでないので分からないが、奇妙な事
故死か自殺のニュアンスが滲み出ているような。
「おっ。時間が足りないな」
先輩は、大げさな動作で腕時計を見ると、音を立ててきびすを返した。
「新聞は置いて行くから、読んでいてくれたまえ。じゃあ、また」
「あ、あのー。『また』って、次はいつですか?」
「僕から動く。心配するな」
背を向けたまま、ちらとも振り返らずに手をひらひらさせると、十文字先輩
は悠然とした足取りで、廊下へと姿を消した。時間が足りないと言った割に、
随分のんびりとした人だ。
「謎的には、面白そうだよ」
若干、妙な言い回しの発信源はもちろん、一ノ瀬。まあ、人の死が絡だ事件
を真っ向から面白いとは云えないため、そんな風に表現するんだと思う。思い
たい。
「高い塔のようなコンテナの中で、遺体が発見されたんだって。鍵は内側から
掛かってて、死因は転落死若しくは墜落死と推測される、うるるんカメルーン」
云々かんぬん、だろ。そう注意する間もなく、一ノ瀬が聞いてきた。
「転落死と墜落死の違いを述べよ」
「……うーん? どちらも、高いところから落ちて死ぬことには違いないけれ
ど、転落は文字通り、転がり落ちた場合も含めるんじゃないかな」
「てゆーと……階段なんかから、どたたたたっと転げ落ちて死んだら、転落死。
にゃるほど」
しきりに頷き、一ノ瀬は猫の手つきをする。猫は、高いビルの屋上から落と
されても、無傷で着地できるという話を聞いた覚えがあるが、限界はどの程度
なんだろうか。
「それから、墜落の方が転落よりも、高いだろうね。建築現場で組まれた足場
から落ちれば転落。飛行機が落ちるのは墜落」
「高層ビルから落ちたときは?」
「……両方、云う気がする……」
案外、使い分けが難しいな。あとで辞書を引こう。いや、そんなことは事件
の本質ではない。先に、問題の記事を読み通さねば。
と思った矢先、始業の合図が……。
先生が教室に入ってくる最中に、音を立てて新聞を畳み、机の中に仕舞うの
は、かなり目立つ行為だったに違いない。
結局、十文字先輩が“動いた”のは二日も経ったあとだった。火曜日の内に
何かあると思っていた自分はやきもきさせられたけれど、こっちから聞きに行
くこともないだろう。厄介事に巻き込まれるのは確定なのだ、それをわざわざ
早くしてどうなる?
という訳で木曜日の放課後、空き教室で僕らは話していた。話すのは主に先
輩で、僕と一ノ瀬はしばらく聞き役に徹する。
以下は、十文字先輩が、大会直前の五代先輩に電話をし、ほとんど無理矢理
に引き出してきた情報である。なお、五代先輩は警察関係者たる父親からこれ
らの情報を仕込んでおり、精度は高い。
今週月曜の夕刻、五時十五分頃に発見された遺体は、その時点で死亡から丸
一日以上が経過したものと判断された。換言すると、死んだのは土曜の夜遅く
から日曜の夜明け前。幅広く見積もって、午前〇時を挟んだ六時間前後だとい
う。現段階では身元不明だが、二十代の男性らしい。
現場は、マジカルワールドランドという遊園地の建設予定地。いや、最早、
完成の見込みはほぼゼロだそうだから、正しくは建設される予定だった土地、
だ。敷地内の一角を占めるのが、災害及びその避難体験を目的とした施設の建
物で、コンテナ型の建物がいくつか集まっていた。遺体があったのは、それら
の中で最も背の高い建物内で、墜死と転落死の両方の見方が死因は、警察内部
では前者に傾いていた。
問題かつ重要なのは、やはり、この建物が、十文字先輩にとっての“大好物”
の一つ、つまり密室であったことだろう。ドアの錠は、単純な押しボタン式で、
室内側からボタンを押し込むことで施錠される。解錠は、内からはノブを捻る
だけ、外からは鍵が必要となる。現在土地を所有する会社に問い合わせると、
鍵は敷地内の他の建物の分と一緒に、きちんと保管されており、持ち出された
形跡はないとの返事だった。より優先的に処理すべき物件が多くあるため、事
件現場にはたまに形だけの見回りを行い、除草剤を撒いて帰っていた。要する
に、放置同然。
窓は一つもなく、出入口はドアのみ。被害者もそこから中に入ったのは、靴
跡から判断して間違いない。ただ、完全完璧な密閉空間という訳ではなく、ド
アを入って左手奥の下部隅に、コード類やダクトをひとまとめに通すための穴
が空いていた。楕円に近く、サイズは長径十センチ余り、短径五センチ余り。
浸水等を防ぐ目的で、金属とゴムからなる蓋が付いているが、外側からも開け
閉しめできる構造になっていた。さすがにこの蓋には、錠は付けられていない。
「密室もさることながら、今度の事件もまた、事件の方から僕へとすり寄って
きている感じがするね。名探偵は謎が恋人……」
十文字先輩はうろうろと動き回りつつ、まるで唱うように云った。失礼なが
ら、こういう物腰を目の当たりにすると、頭を殴られた一件が尾を引いている
んじゃなかろうかと、心配になってしまう。
「密室の他にも、何かあるんですか」
僕は聞き役というかワトソン役として、適切な相槌を入れた。
「うむ。今から話すことは、現段階で最上級の極秘事項である。それ故、絶対
に口外しないでくれたまえ」
「うんうん」
重々しい云い方をした先輩に、軽く請け負う一ノ瀬。秘密大好き!って顔を
している。
「捜査員の聞き込みで、興味深い目撃証言が出て来た。殺人があったと思しき
日曜、その朝十時頃に、二人組の若い女性が、現場近くをうろつく姿を、車で
通りがかった図書館職員が見ている。移動図書館の車で移動中で、時刻は時計
で確認した訳ではないが、大体合っているだろうとの話だ」
「発覚が月曜でしょ。随分早く、目撃者を掴まえたにゃって気がする。警察の
ラッキー?」
一ノ瀬が聞いた。十文字先輩は顎に手を当て、鼻を鳴らした。頭を前後に、
極僅かに振ると、やがて分かったような口ぶりで応じた。
「云われてみればそうだな。ひょっとすると、捜査員の聞き込みで出て来たと
いうのは、警察の優秀さを示したいがためのかわいい嘘で、実際は目撃者の方
から名乗り出たのかもしれない。事件は大きく報道されたからね。名乗り出た
目撃者相手でも、聞き込みと呼べなくはない」
「そんな、身も蓋もない云い方をしたら……無理をして情報をくれている五代
さんに悪いですよ」
ワトソン役なら、探偵の暴走を未然に防ぐために、手綱を引くことも必要だ
ろう。今のような台詞を、刑事の前で吐かれたら、気不味い空気どころでは決
して済むまい。
「君が気にすることはない。彼女は僕の第一ワトソンなのだから」
一夫多妻制ならぬ、一探偵多ワトソン制か。って、云いにくい!
「そんなことより、最上級機密事項って、さっきので終わりですかー?」
一ノ瀬が、癇癪を起こしたときみたいに両腕を振り上げ、話題を元に戻そう
と努力する。そう云われてみると、重要な目撃証言には違いないが、最上級と
は思えないし、何よりも、十文字先輩の「事件の方から僕へとすり寄ってきて
いる」という言葉に対する理由になっていない気がする。
「最上級はここからさ」
先輩は、にやりと擬音が似合いそうな笑みを見せた。
「二人組の内の一人は、制服姿だった。制服といっても、銀行員やミニスカポ
リスのそれじゃないぞ」
銀行員はともかく、何でミニスカポリスをここで挙げるんだろう……。
「勿論、悪の組織の最大目標でもない」
……世界征服か? 何だか、一ノ瀬の影響を受けていないか、十文字先輩?
「ここの制服だった?」
一ノ瀬が唐突に云った。猫語尾を使わないところを見ると、真面目な意見ら
しい。
「ご名答。察しがよくて助かるよ。ワトソンなら、すぐに気付いてほしいね」
先輩は僕をじろっと見た。なるほどね、そーゆーことですか。僕が気が付く
ように、莫迦々々しい地口を続けていた訳ですか。鈍くてスミマセン。
と、そんな愚痴を紡いでいる場合でない。
「それってつまり、我が校の女子生徒が犯人だってことに?」
「ノンノン。百田君、確かにその見方は可能性の一つではあるが、あまりにも
正確さを欠く」
先輩が人差し指をちっちと振った。それを目の当たりにした一ノ瀬が、真似
たが、昔のアイドル歌手の振り付けみたいになった。
「証人は、校章を確認してはいないんだ。七日市学園の女生徒用制服、若しく
はそれによく似た制服を着た、若く見える女性らしき人物が、犯行のあった日
に、犯行現場近くを歩いていたというだけだよ」
「それじゃあ、ほとんど重要じゃないって感じになりますけど……」
「話はまだ途中だ。制服姿ではなかったもう一人、その格好が奇抜でね」
深緑っぽい色の帽子を被り、大振りなサングラスを掛け、まるでトリコロー
ルみたいな柄のシャツとスラックスだったそうな。髪の毛も染めていたかもし
れない、という。そりゃ目立つ。
「この証言を知って、ぴんと来た」
先程振っていた人差し指を、今度は自らのおでこ、やや右寄りに宛う十文字
先輩。
「僕は、学園の生徒に関するデータを、自分の頭脳にできる限りインプットし
ようと努めている。目撃証言にある人物の外見が、そのデータベースに引っか
かった。四谷成美にイメージが重なる、とね」
「誰ですか」
「だから、四谷成美だよ。総合芸術コースで、音楽を専攻している」
自分も、対象を校内有名人に限ってなら、割と強く関心を持っている方だと
思う。けれども、四谷成美……聞いた覚えがない。
でも、名探偵を自認する先輩は、「知らないのかい?」と、さも意外そうだ。
「ゴールデンウィーク明けに、今年度入学の特待生によるデモンストレーショ
ンがあっただろう? まさか、一年生のくせに観なかったと云うんじゃないだ
ろうね」
――続く