AWC そりゃないぜ!の恋20   寺嶋公香


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#338/1160 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/18  00:41  (201)
そりゃないぜ!の恋20   寺嶋公香
★内容
 聞かれたけれども、もう、曖昧に笑ってごまかした。まともに答えていたら、
僕が知りたいことからどんどん遠ざかってしまう。三井さんの変化を見逃さな
いよう、集中、集中。
 劇はやがて半ばに差し掛かり、男と女が一目を忍んで、家を抜け出そうとす
るシーンになった。シリアスな展開だけれども、もちろんお笑いだから、真面
目一辺倒ではない。誰も見ていないと思っている二人だが、実はばればれとい
う形で笑いを生んでいく。
 筋を知っていても、好きなもんだから、ついつい見入ってしまった。大団円
を迎える頃に、やっと隣の様子を窺う。
 次に、ぎょっとした。
 三井さんは目を潤ませていた。それどころか、少し涙をこぼしている。人差
し指を曲げ、その第二関節の辺りで目元を交互に拭う様が、僕を動揺させる。
思わず、彼女の名前を呼ぼうかどうしようか、迷った。
 でも、そうする前に気付いた。
 三井さんの唇の端が、上を向いている。白い歯も覗いていた。笑ってるんだ。
泣いているように見えたのは、おかしすぎて涙が出て来たというやつらしい。
 舞台上では、幕が下がっていく。拍手が起きた。当然、三井さんも僕も手を
叩いた。幕が降りきるまで、ずっと。
 本日の公演はこれで終了しました云々のアナウンスが、ゆったりとしたメロ
ディの音楽と共に流れてきた。ざわざわとした場内、帰り支度を始めた三井さ
んが「面白かったね」と言った。
 そのときの表情が、心底楽しんだという満足そうな笑顔だったので、僕は単
純に嬉しくなる。
 いや、さっきの涙の意味を念のために確認しておこうと思ってたんだけど、
きっかけをなくしてしまった。後回しだ。
「帰る時間を遅らせた甲斐があったって感じ」
 通路を行きながら、前を歩く三井さんがまた嬉しいことを言ってくれる。こ
ちらとしては、浮かれるよりも先に、まず謝らねば。
「無茶なスケジュールに付き合わせて、ごめん」
「うん? いいのよ。私が自分で決めたことだから」
「それはそうやけど。でもな」
「なーに? 岡本君まで、私を子供扱いするのかな」
「そんなん、せえへんて。したら、同い年のこっちも子供になる。ただなぁ、
最初っから時間に収まるようにしとったら、余計な気遣いさせんかったのに。
お詫びの意味で、何かおごる。お腹空いとらへん?」
「え?」
 振り返った彼女の歩みが遅くなり、僕はすぐ追い付いた。ちょうど通路を抜
け、広いスペースに出たこともあり、横に並んでから会話の続きを。
「小腹空いとるんとちゃうか思って、言ってみたんやけど。ちなみに僕は、ぺ
こぺこです」
「それはまあ、時間も時間だし……」
「ちなみにツー。高いもんは無理。帰りながら食べられるような、お持ち帰り
品に限定。かまへん?」
 おどけて(というか、財布の中身が厳しいのは事実だが)言った僕に対し、
三井さんの返事は、僕以上におどけていた。
「かまへんかまへん!」
 それじゃあ、どこかファーストフードの店か、あるいはたこ焼きの類でもと
話がまとまり、劇場の建物を出る。
 左右を見渡し、右手の方に数歩行き始めた。途端に、「こら」という声と共
に、頭をぽかりとやられた。
 丸めて筒にした紙でやられたらしい。全然痛くない。が、ただただ驚いて振
り向く。
 知っている顔に、すんごい目つきで睨まれていた。
「誰かと思ったら、蓮沼さん」
 そう、蓮沼さんが何故か――何故ってことはないか――立っていた。腰の両
側に手を当て、仁王立ちだ。オーラでも出ているのか、みんなよけて行く。
「そんな挨拶みたいな反応するよりも先に、言うことがあるでしょ」
「はあ」
 僕のとぼけっぷりが気に入らなかったのか、彼女は真っ直ぐ指差してきて、
鋭く言った。
「君はルール違反!」
 色々言い訳することならできる。たとえば、六時までは擬似デートで、それ
以降は友達として一緒に観ていただけ、とか。だが、当然、そんなことは口に
しないし、思ってもいない。
「ごめん。つい、面白くて。それに、まさか蓮沼さんが見張っているなんて」
「私は企画実行委員長として――」
 いつそんな役職に。
 訝る僕のすぐ横を蓮沼さんの視線が通り抜けて、三井さんを捉える。
「――万里が無事に帰宅するまで、見守ると決めてたの。幸か不幸か、私には
門限ないからね。まったく、携帯電話は通じなくなるし、私もここの入場券を
買って、中に入って連れ出すべきだったわ。でも、どこにいるか分からないあ
なた達を捜して、場内をうろうろするのは無理っぽかったから、じっと待って
たの」
「見張るのなら、最初に言ってくれよ」
「言ってたら、勝手に延長しなかったとでも? その代わり、本性が出なかっ
たでしょうね――」
 これには頭にきたので、声を少々荒げる。勝手に延長したのは悪いと認める
が、誤解も甚だしい。
「ちゃう。そんなんやなくて、蓮沼さんが危ないやろ」
「あん?」
「こんな暗ぁなるまで、こんなとこで一人で待っとったら、危ないやろ言うと
んねん。分かっとったら、六時でやめとった」
「……」
 ぶすっとしたまま、言い返さなくなった蓮沼さん。なーんか、変な空気が流
れる。
「二人とも! その辺りでストップ!」
 三井さんが唐突に割って入ってきた。文字通り、僕と蓮沼さんとの間に立つ
と、両腕を横に広げる。
「終わりよければ全てよしじゃないけれど、結果的に何事もなかったんだから、
もういいじゃない? ね、幸」
「結果論だけじゃ……」
 顔をやや背け気味にして、蓮沼さん。彼女の立場上、簡単に折れるわけに行
かないのは、僕にだってよく分かる。
 三井さんは優しい調子で続けた。
「それに、私も途中で席を立つのが惜しくて、こうなったの。無理強いされた
んじゃないんだからね」
「ほんとに?」
 まだ五割方疑っていそうな口ぶり、目つきの蓮沼さんに、三井さんは「本当
よ」と、大きくうなずいた。
「だったら……」
 許してくれるのか、と思いきや、そんなにストレートではなかった。
「万里っ。あんたもあんたよ。今年中に人妻になるって人が、そういう風に簡
単に転んでいいのかっての。まったくもうーっ!」
 蓮沼さんはひとしきり喋ると、きーって感じで地団駄を踏む。三井さんも、
これにはしゅんとなった。俯いて、小さな声で一言。「ごめんなさい」
 蓮沼さんは息を整えると、僕と三井さんに背中を向けた。
「ま、いいわ」
 やっと穏やかな声になってくれた。思わず、僕と三井さんは顔を見合わせ、
安堵していた。
「確かに、何事もなかったようだし。判定は六時までの分だけを考慮するって
ことで。万里、いいわね?」
 向き直った実行委員長に、三井さんはこくりと首肯した。
 満足げに笑みを覗かせた蓮沼さんは、次に僕を見やってきた。
「さて。何やら、食べ物の話をしていたようだけれど、当然、私にもおごって
くれるんでしょうね?」
「あー、それは……」
 仕方あるまい。僕は尻ポケットの財布を、布地の上から触った。

「――ドーナツもおいしかった。ありがとうね」
「いやいや」
 中年のおじさんみたいな応対をしてしまったのは、朝、いきなりお礼の電話
が掛かってきて、動揺していたからということにしておこう。
 擬似デートの翌日の日曜、三井さんはわざわざ電話でお礼をくれた。
 ドーナツは、最後に買ってあげた食べ物のこと。M.D.のアメリカンオー
ルドファッションとフレンチタイプが好物だという、いつぞやの妹からの情報
が役立った形だ。
 ちなみに蓮沼さんには、スペシャル何ちゃらクレープという、色んなフルー
ツやチョコやクリーム、それにポッキーなんかもゴージャスに詰め込んだ、重
たそうなクレープをおごらされた。ドーナツ二個より圧倒的に高額だったぞ。
「それで?」
 急に聞かれて、僕は電話口で戸惑った。何のことかと問い直すと、三井さん
は、
「昨日の岡本君、何だか私に聞きたいことがあるみたいに見えたから……。違
った? 違ってたら、さっきの言葉、撤回」
 と早口で言った。僕も負けないくらいの早口で、否定に掛かった。
「い、いや、違ってない」
 劇のクライマックスで泣いた意味の確認。これが後回しになったままだった
のだ。昨日聞けなかったのは、言うまでもなく、蓮沼さんという第三者の存在
のおかげ。そんな経緯で、聞くなら、今がちょうどいいだろう。
「あのさ、昨日の最後、ちょっと泣いてたやん?」
「あ、気付いてたの? やだ、ばれてないと信じてたのに」
 真実、恥ずかしそうな声になる三井さん。でも触れられたくないというわけ
ではあるまい。
「結構びっくりしたで。あれって、笑いすぎて出たんか、それとも、何ていう
か、劇の内容に刺激されたっていうか……。後者なら、悪いことしたかもしれ
へんなと思って」
「……岡本君てさ、心配性なところがあるなって、言われない?」
 質問返しできたか。まあいいけど。
「言われたことないな。あったとしても、覚えてない」
「そう?」
 もしも心配性な性格に映ったとしたら、それは泣いていたのが君だからだよ
――てなことを真正面から堂々と言える立場に、ワタシワナリタイ。今でも、
関西弁でなら言えるかもしれないが。
「あれはねー」
 間が空く。きっと、思い起こし、考えているのだろう。本来、感情の動きを
あとから正しく説明するのは、とても難しい作業のはず。得てして、造り物の
説明になりがちだろうし、それはそれで仕方ない。そのときの感情にどれだけ
近付けるか、の問題。
「笑いすぎて出た涙とは、ちょっぴり違うかな。涙が出るほどおかしかったっ
ていうのも、多分あったんだろうけど」
 再び沈黙。考え考え話しているのが分かる。
 それはかまわない。ただ、こんな質問に何故そこまで慎重になるのかが、気
になり出した僕。焦れったくなる自分を抑え、言葉を待つ。
「ああいう内容だったから、特に後半の方、観てる内に、涙が段々溜まってく
るのが意識できたわ。このときのは、感情移入しちゃった涙。そこからハッピ
ーエンドになって、一気に開放されて……うれし涙になった」
 納得。
 少なくとも僕は、納得させられた。期待していた答――「そうよ、おかしく
っておかしくって、涙が出ちゃった」的な答とは異なっていたけれども、彼女
を一番理解できる返事だ。
 僕は、三井さんがまだ言葉を付け足したいかもしれないと思い、しばらく待
ったが、それ以上はないらしかった。そう判断して、口を開く。
「それほど感情移入したのは、やっぱり、結婚のことが頭にあるから?」
「多分」
 この答には、結構打ちのめされる気分。あの劇を観ている間中、三井さんは
由良の存在を頭の片隅(だか中央だか知らないが)で意識していたってことに
なるじゃないか。
 僕があの劇の内容に関して抱いた懸念が、的中していたわけだ。
 がっくり来る僕に、また三井さんの声が。
「でもそれは、私が由良さんともうすぐ結婚するからっていうんじゃなく、女
ならかなりたくさんの人が共感するんだろうなって思う。私自身、そうだった
から」
 おっ。田舎の夜道で迷い、明かりを見つけた心持ち。気を遣って言ってくれ
てるのではなく、本心からの言葉と信じたい。擬似デートで、そこまで相手を
気遣うとは考えにくいだろ、うん。
「あと、ライブの迫力もあったし。テレビで観てるのとは、全然違うよね! 
きれいなだけのスナップ写真よりも、実際に体験した人の話を聴く方が心に残
るのと同じかな。私、その辺りも感激しちゃった。空間を共有してるって感じ
で、伝わってくるものが凄いっ」
 話題が昨日の感想になり、僕の内心のさざ波は収まっていく。そして、三井
さんが喜んでくれていることを知り、改めて僕も喜んだ。
 このときばかりは、まじで、どうして君が婚約を決める前に知り合えなかっ
たのか、運命を罵りたくなった。
「状況が許すんなら、また行こうよ」
 ほとんど勝手に出た台詞。三井さんは極自然な口調で返してきた。
「うん。由良さんは昨日みたいなところには、絶対に連れてってくれないし」
 三井さんの物腰は柔らかく、軽かった。
 冗談なのか、僅かでも本気が混じっているのか。人生経験の浅い僕には、ち
っとも判断つかなかった。

――続く





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