AWC そりゃないぜ!の恋19   寺嶋公香


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#337/1160 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/15  00:34  (200)
そりゃないぜ!の恋19   寺嶋公香
★内容
「好きなお笑い芸人て、おる?」
「関西の人の中でってことね?」
「うーん、そういうんでもないけど。じゃ、お笑いタレントと言い直す」
 三井さんは、「だったら」と、どこの出身か知らないが明らかに関西育ちで
はない大御所の名前を二人、挙げた。一人はお笑い芸人よりも文化人として認
識されつつある漫才師で、もう一方はシュールな一人芝居芸を得意とする、テ
レビにはほとんど出ない怪優だ。
 二人とも嫌いじゃあない。僕は手短に感想を述べてから、対抗し得る関西の
大御所の名前を列挙した。そして三井さんにどう思うか、聞いてみる。
「あー、いいよね。昔は好きじゃなかったの。うるさい感じがどうしても拭え
なくって。けど、岡本君とこうして話すようになってから、だいぶ慣れたのか
な。平気になった」
「そうやったん? 下手したら僕かて嫌われとったってことになるやん。そん
なんかなわん」
 特に意識して方言で喋ると、三井さんはくすっと笑った。
「嫌いになんかならないわ。岡本君なら、私の理解できない言葉で話さない限
り、大丈夫」
「ほんまに? ほっとした」
 大げさに胸をなで下ろすポーズ。ちょっと芝居がかりすぎ、やりすぎかな。
でもまあ、三井さんの台詞に少なからず感激していたので、仕方ないってこと
にしておく。
 やがて照明が少しだけ落とされ、舞台の幕には強いスポットライトが浴びせ
られた。その一点に、若手も若手、まだ誰も知らないような二人組が出て来て、
前節を手短に行った。期待ゼロなだけに、しょうもない駄洒落や下ネタの連発
でも、一つ佳作があれば受ける。結構温まったところで、幕開けにつなげた。
 いよいよ始まったが、最初の方の出演者は、やっぱりほとんど無名と言って
いい。三井さんが小声で、どういうコンビなの?云々と聞いてくるから、僕は
知っている限りのことを教える。そして。
「大阪人は、知らん芸人が出て来たら、少々のことじゃ笑わんぞと身構える。
ハードルが高くなるけど、代わりに面白い奴にはちゃんと笑うし、拍手を惜し
まへん。そういうのを乗り越えてくる芸人が面白くないはずない。メジャーに
なるわけ」
「うんうん」
「だから、初めて見る顔でも先入観なしに、面白かったら笑う。これ、基本」
「分かった。プロフィール聞くのは間違いだったね」
 にこっとして、舞台に集中する三井さん。その横顔が何だか真剣さに満ち溢
れていたので、こっちはつい噴き出しそうになった。
 その内、三井さんも手を叩いて笑い始めた。ここを選んだのは、少なくとも
外れではなかったと確信する。あと心配なのは、こういうテレビに映らない場
では、芸人は下ネタに走りがちなことぐらい。百も承知の僕が、それでもこの
お笑いライブに三井さんを連れてきたのは、由良のやるデートとは正反対の線
を狙ったためだ。気取っても意味がないし、勝ち目ない。ついでに言うなら、
気取るのにかかるお金もないけれど。
 プログラムも半ばに差し掛かり、前半の締めに、そこそこ顔の売れたベテラ
ンの漫才コンビが登場した。さすがにうまく、客をいじりながら、全体を笑い
に包んでいく。三井さんも最初に「あ、知ってる」と言ったきり、くすくすと
肩を揺らしっ放しだ。
 と、その矢先、下ネタが出た。心の準備がまだだった僕はここで来たかと慌
てつつ、三井さんの様子を窺った。
「……」
 黙っている。
 場内がやや暗いので分かりづらいが、ほっぺたが多少赤いようだ。口を努力
して噤んでいるのが見て取れた。それでいて、肩の揺れは継続していた。
「おかしいんやったら、笑ったらええのに」
 一段落ついたと思ったところで、そう言ってみた。すると三井さんはまだ笑
いを我慢しながら、「だって、これ分かる人は……」と語尾を濁す。
「もうじき結婚しようって人が、知らないってのも不自然でわ?」
 語尾に微妙なアクセントを置きつつ、反射的に言ってみた。言ってから、結
婚の話題を持ち出したことを少し後悔する。そうでなくても、さっき、由良と
のデートを思い出させる会話をしたのに。あれが限度だとラインを引いたつも
りが、ついまた口にしてしまった。
「とにかく! 三井さんがこのネタで笑ったことは、誰にも言わんから安心し
て笑ってよ」
「それはいいけど、でも、岡本君に知られちゃったわけになるのよね」
「そこまで気にするなら、忘れましょー」
 頭を叩き、記憶を追い払う仕種をしてみせる。本職には負けるが、こんなこ
と一つでも笑いを取れた。
「さて」
 休憩時間になって、時計を盗み見る。もうすぐ一時間が経ってしまう。三井
さん、夢中になってるみたいだけれども、この程度ではまだ全然こちらの目的
達成していない。それをさっ引いても、ここで打ち切りというのでは、いかに
も惜しい。
 が、時間が来たことを教えないのは、ずるいよな。下心が透けて見えるって
やつだ。
 時間だよって伝えた上で、もし、三井さんの方から、もうしばらく楽しんで
いたい意思表示があれば、エスコート?するとしよう。まあ、常識的に考えて、
そうなる可能性は限りなく低いだろうけど。門限がかなり早い時間帯かもしれ
ないし、そうでないとしても帰宅の予定ぐらいは家の人に伝えているはず。
 だから僕は、期待せずに言った。
「三井さん。もう少ししたら五時になるから、えっと……忘れ物しないように」
「え、もう?」
 三井さんはびっくりしたみたいに目をいっぱいに開き、それから手首を返し
て腕時計に視線を。するとまた驚いて、「ほんとだわ」と一言。
「大阪商人にとったら、チケット代、半分ぐらいしか元を取れへんのはもった
いなくて、痛いんやけど、時間とあればしょうがない。最後の男として責任も
って送りましょう」
「……」
 三井さんは腕時計を触り、回す仕種を見せた。そして呟くようにして応える。
「そうよね。もったいない」
「うん?」
「最後までは無理かもしれないけれど、あと少し、見て行きたい」
 いい意味で予想を裏切られ、僕は一瞬、惚けてしまっていた。すぐには返事
できない。
 が、はっと我に返ると、頭を振って、言葉を探す。あくまで擬似デートなの
だから、こういう場合、ほいほいと喜ぶだけでなく……。
「本当に大丈夫? 家の人に叱られない?」
 小学生みたいな物言いになってしまったが、心配したのは事実。もちろん、
実際はがきじゃないんだし、今日は目的が目的だから、計算がゼロだったとは
言わない。好感を持たれたい気持ちもあった。ただ、その割合はほんのコンマ
数パーセントだ。
「大丈夫。実を言うとね」
 きゅっと握った拳でかわいらしく胸を叩き、請け負う三井さん。そして秘密
めかすようにウィンクし、続けた。
「朝、家を出るときに、帰りは七時をちょっと回るぐらいになるかもって、言
ってきちゃった」
「それって、つまり」
「うん、予防線。多分、遅くなるんじゃないかなって予感があったし、実際、
そうなりそう」
 ちらっと舌先を覗かせる三井さん。悪戯を見つかった子供みたい。だけど、
かわいらしさはそこらの子供よりもずっと上。
 いかん、またまた好きになる。それはいいとしても、今、本気になるのはま
ずいぞ、僕。頭の中で、冷たい物・寒い物を思い浮かべて、冷静になるように
務める。
「岡本君?」
 僕が押し黙ったのを変に感じたのか、三井さんが怪訝そうに覗き込んできた。
「どうしたの? もしかして、岡本君の方は予定があって、六時までにどうし
ても帰らなくちゃ行けないとか。だったら、かまわない。出ましょ」
「あーっ、ちゃうちゃう!」
 持ち物を膝上で確認してから腰を浮かし掛けた彼女に、僕は大慌てで両手を
振り、制した。
「チャウチャウ?」
 僕が叫んだものだから、チャウチャウが場内のどこかにいると思ったのだろ
うか。きょろきょろと左右を見回す三井さん。この定番過ぎるリアクションが、
こっちのつぼを突いた。恐らく三井さん、ぼけたつもりはなく、素の反応なん
だろうな。そう思うだけで、笑いがこみ上げてきてしまう。
「いや、犬の話やのうて……。出なくてええってこと」
 爆笑を我慢しながら、座ってくれるように促した。それからしばらく、笑い
の潮が完全に引くまで、時間を取る。
「――あー、えー、僕の方には用事ありません」
 改まって答えると、関西弁が消えるのは何故だろう。
「だから、三井さんがよければ、このまま一緒に観よう」
「よかった。じゃあ、チケット代の元を取って、おつりが返ってくるくらいに
笑いましょ」
 彼女が笑顔でそう言い、椅子に座り直した頃、場内アナウンスが休憩時間の
終了が近いことを告げた。
「家の人に、電話の一本でも入れておく?」
「いいのいいの。出て来るときに伝えたんだから、家族はきっと心配してない
わ。心配するとしたら、由良さんかな。元々口うるさいし、今日のこと、はっ
きりとは話していないしね」
「ばれたときが恐い、とかいうやつじゃないよね?」
 冗談半分、本気半分で聞いてみる。三井さんはしばらく黙ったままだったが、
じきに首を左右にゆっくりと振った。
「そこまで束縛される謂れはないっ」
「……もしかして、ひょっとしたら、酔っ払っとる?」
 今度はもちろん100パーセント冗談で、三井さんの顔の前で手のひらを振
ってみた。おーい、ってな感じで。
「酔っ払ってないって。お酒飲んだことすらないわ」
 三井さんが何だかすっきりした様子になる。
「まだ結婚してないのに、ほんと、困るのよね。大事にすることと、篭の中の
鳥扱いすることを、ごちゃ混ぜにされちゃ。私は節度を守って、こうして高校
生してるのにね」
「……」
 どう受け答えしようか考える内に、場内が暗転し、ほぼ同時に、わーっとい
う歓声と拍手で溢れる。後半が始まってしまった。
 人気の出て来た若手漫才師の登場に、僕も拍手を送りながら、頭の中では別
のことを考える。
 三井さん、さっきの口ぶりだと、由良の女癖の悪さを、充分に承知してるん
じゃなかろうか。そしてそれを過去のこと、自分が付き合い出す前のこととし
て、きれいさっぱり水に流している……。そんな気がする。
 付け入る隙、ほんとにあるんだろうか。逆転の目はあり得るのか。さすがの
僕も、ちょっと自信なくなってきた。
 舞台の方は、漫才や落語の間に、コミカルな手品や歌芸、ジャグリングを挟
み、どんどん進んで行った。最後は、これもコミカルな人情劇だ。
 書き割りなど、簡単なセットが組まれた舞台上で、劇がスタートし、しばら
くしてから、僕は内心、「まずい!」と叫んでいた。
 僕は関西暮らしが長かったせいもあり、よくテレビでこの手の劇を観たもの
だ。関東に移って、番組が一本しかないのを知り、悲しくなったほどのファン。
それだけに劇のネタは頭に入っている。新ネタでない限り、最初の数分を観た
だけで、どんな話なのか思い出せる。
 いくつかあるストーリーの内、今日、これから繰り広げられるのは、結婚が
テーマの話なのだ。いわゆる、許されない恋パターンとでも言えばいいのか。
身分違いの二人が、親の反対にあったり、周囲の好奇の目に晒されたり、ある
いは誤解から危機を迎えたりしつつも、最終的に結ばれる。
 これって、今の三井さんにはどう映るんだろう? 三井さんと由良の立場に
滅茶苦茶似てるってわけ訳でもないのだが……自分達のことに重ね合わせ、共
感を覚えるのかもしれない。早く結婚したいと、意を強くするかもしれない。
逆に、結婚に対してネガティブな思いはがくんと減るに違いない。僕にとって
都合の悪いことに。
 折角ここまで、なかなかいい雰囲気で来たのに、最後にこれかい!
 運のなさを呪いながら、そんな思いはおくびにも出さず、僕は隣の三井さん
の様子をこっそり観察した。
 劇が始まったばかりとあって、まだ顕著な反応は見られない。許されない結
婚の話だということは、もうじき分かるはずだから、それを待とう。
「あの人って」
 舞台の方向を指差し、三井さんが小声でいきなり話し掛けてきた。どうやら、
ヒロイン役を差しているらしい。
「あの人がどうしたの?」
 まさかいきなり、自分自身と重ね合わせて同情するのだろうか。それはいく
ら何でもイマジネーション豊かすぎというか……。
 身構えていた僕に、彼女はさらっと言った。
「お笑いの役者さんなのに、きれいよね」
 がくっ。
 大げさでなく、ずっこけた。膝上に置いていた両手が、順番に滑った。慌て
て姿勢を戻す。
「ん? どうかした、岡本君?」
「いや。そういうこと気にするのって、やっぱり女ですなー、と思っただけで」
「あら? 岡本君達男子は、ああいうきれいな人を見て、何とも思わないの? 
そんなことないでしょう」

――続く





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