#296/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/06/26 10:53 (198)
そりゃないぜ!の恋16 寺嶋公香
★内容
家に戻ってから、電撃作戦ならぬ演劇作戦について改めて思ったのは、確か
に愉快ではあるが、やっぱり空虚なんだよなってこと。
結婚をやめさせるのは、現実味がない。分かっている。それでも、一目惚れ
した相手に婚約者がいるとその日の内に知らされるという仕打ちは、ひどすぎ
ないか、神サマ?
せめて、同じスタートラインに立って、公平な勝負に持ち込めないものか。
それも、汚い手を使うことなく。
黙々と夕食を済ませ、部屋でじーっと考え込んでいた僕は、携帯電話の着信
メロディではっと我に返った。
画面を見ると、非通知ではなかったが、覚えのない番号が表示されている。
誰だろうと軽く首を傾げつつ、応じる。もしもし?
「こんばんは。私、知念」
おや。これは予想外。
「こんな時間にわざわざ電話してくるとは、何か重要な話でも?」
「外れと言いたいんだけれど」
続いてため息が聞こえた。何なんだろ。重要だが言いたくない話ということ
だろうか。
「ひょっとして、宙ぶらりんになってたあの話か? 三井さんと須藤なんたら
いう人との」
「ええ。とても外で話す気になれないなあと思って。誰かに聞かれる可能性が
ある場所では、話しにくい」
「だから電話って訳か」
こちらも覚悟を決めた。どんな話を打ち明けられようと、受け止めよう。っ
て、これじゃあまるで、三井さんの恋人が吐く台詞じゃないか。
「最初に言っておくとね」
知念さんは真剣な調子で前置きを始めた。
「私、本当は迷ってる。これから話すことじゃなくて、万里と由良の結婚をぶ
ち壊そうとしてることに」
「え?」
それはつまり、僕と同じく、ダーティなやり方は気乗りしないという意味だ
ろうか。
いや、違った。続いて出て来た台詞は、これまでの彼女に対する印象をまた
もがらりと変えた。
「万里に二度も手ひどい失恋を味わわせるなんて、したくない」
「……須藤との別れ方がよっぽどひどかったんだな?」
覚悟の上乗せをした僕に、またもや知念さんの深い吐息の音が届く。
「絶対に他言無用よ」
「ああ。世界一口の堅い関西人だぜ、安心しろ」
少しでも雰囲気を明るく、軽くしようと思って冗談を飛ばしてみたが、効き
目はほとんどなかった。知念さんは重ねて念押ししてきた。
「万里本人にも、言わないで。クラスメートに知られたと分かったら、あの子、
きっと傷つく」
正直、この段階で、聞きたくない気持ちが高まっていた。聞かない方がいい
んじゃないかという嫌な予感すらある。
だけど、ここまで来て、やっぱり話さなくていいわと言えるほど、僕の三井
さんに対する関心は弱くないし、僕自身の人間だってできていない。
「分かった。誰にも言わない。知念さんこそ、早く言って気を楽にしたいんじ
ゃないのか」
これ以上ないほど真摯な口ぶりで先を促す。
うなずいたような気配があった。そして彼女の声が語り出す。
「あのときの須藤は、外見は優等生で二枚目だったけれども、中身は平凡な中
学生だったのよ。並の中学生男子が持つ欲望そのままに……万里の身体に手を
出した」
「――」
頭ん中が一瞬で真っ白けになる。
突如発生した濃い霧をかき分け、振り払い、知念さんが言ったことを、直接
的な表現に置き換えてみる。それってもしかすると……レイプ? 何やそれ!
知念さんの話は、前置きがあった割には短いらしい。気付くと、電話は沈黙
していた。切れたのかと思い、慌て気味に呼び掛ける。
「おい? 知念さん」
「何?」
「その、三井さんは正式に須藤と付き合っていたと聞いたんやけど」
「須藤が独りで勝手に、一線を越えた。それだけよ。付き合っていても、合意
じゃないといけないのよって言わなきゃ分からない?」
「いや、そうじゃなくて。ただ、確かめたかっただけや」
僕は変に饒舌になっていた。僕の身体が自動的に動揺を隠そうとしているの
かもしれない。意識して抑制を掛けねば、止まらなくなりそうだ。今すべきは、
根掘り葉掘り聞き出すことではないはず。
だが、ただ一つ、これだけは聞いておきたい。
「須藤の奴はどうなった?」
知念さんは一拍置いて、ふん、と鼻を鳴らした。
「表沙汰にならなかったんだから、お金か何かで丸め込んだんでしょうね。親
戚筋に市議会議員がいてね、圧力掛けられたなんて噂も影で囁かれていたけれ
ど、真相は薮の中。普通に中学卒業して、どこかのいい高校に進学してたわ。
あとは知らない。まあ、広まらなかったのが唯一の救い」
救いかもしれないが、それでも三井さんは相当なショックを受けたはずだ。
「三井さんが立ち直れたのは、時間が経過したからか? それとも誰かが支え
てあげたから?」
「私も本当のところは知らない。でも、その頃よ。万里の人生に由良がはっき
りと登場したのは」
そういう風につながってくるのか。もしも由良が当時の三井さんを支えたの
だとすると、三井さんがひどい別れを経験したことも知っているに違いない。
知ってて全てを受け入れ、婚約したのなら、最強ってやつだ。遅れて登場した
関西人のために、潜り込む隙間がどこにあるというのだ。
「最初は、由良兄……由良光一が関わったみたい。医者だからね。内密に検査
したい万里ん家は、親しい由良病院に依頼した訳」
何の検査なのかは、僕にも分かる。
「いつ、どうやって、兄から弟の方に移ったのかは知らない。私は、心の底で
は、由良長太郎がいい人間であってほしいと祈ってるわ。そうじゃなきゃ、ま
た万里が傷つく」
「三井さんなら間違いなく、相手を選べる立場や。なのに、よりによってあん
な年上の男なんかと、しかも結婚しなくちゃならんのや。そんなに思い入れる
ほど、支えてもらって感謝しているとは、全然信じられん」
「検査時に秘密を握られて、無理矢理結婚させられようとしている、ってんじ
ゃないと思うけど。さすがにね」
これは冗談ですよというサインなのか、軽薄な調子で言った知念さん。
「むしろ、つけ込まれたんじゃないかって睨んでる。弱っているときに優しく
してもらうと、そっちに転んじゃうのは、誰にでもあることじゃない?」
「誰でもかどうかはともかく、あり得る話やな」
答えてから、僕は大きく息を吐いた。心労を覚える。知念さんが、由良がい
い人であってくれと願う気持ちも理解できた。もし、いい人でないのなら、傷
ついて別れるか、傷つく前に別れるか。僕らがやろうとしている(していた?)
後者の方が、少しましという程度のこと。
これまでの由良の評判を聞く限り、相当な遊び人と見なさざるを得ない。結
婚を機に心を入れ替えるとは、考えにくい。どちらかっていうと、三井さんみ
たいな世間知らずで大人しい子を妻に据えることで、かえって安心して好き勝
手するんじゃないかと、楽に想像できてしまう。
……想像と言えば。
僕は電話を握る手のひらを拭った。こんなこと尋ねたら、どやされるかもし
れない。だけど、結構重要な気もするし。せめてオブラートに包もうと、ここ
は一つ、おどけた関西弁で。
「なあ、知念さん。ひじょーに聞き難いんやけど、三井さんと由良は、すでに、
そのぉ、婚前交渉ちゅうか――」
「してる訳ないでしょ、ばか」
ばかと来たか。しかし、予想していたより遥かに穏やかである。字面だけな
らきついが、知念さんの物腰は落ち着いたものだった。ただ、ちょっとばかり
冷たさが滲んでいる。
「万里が須藤からされたことを考えたら、分かりそうなものだわ。たとえ由良
と結婚しようとしまいと、当分、男性と関係を持つことはできないんじゃない
かしら。今だって、男子と接近して話すのさえ、凄い努力を必要としているの
かもしれない」
「……すまん。考えなしで」
「反省できるんなら、それでいいわよ。でも、万里の前では言わないこと。し
つこいようだけど」
「もちろん」
請け負って、あとは一分ほど雑談に費やし、電話を切った。
よく教えてくれたと思う。信頼されているってことなのか。だとしたら、何
としてでも期待に応えたいところだ。
だが一方で、絶望的な気分も味わった。何故って、三井さんに男性恐怖症の
気が僅かでもあるとして、それにもかかわらず婚約者になった由良は、三井さ
んにとって特別な存在と言える。その牙城を崩すのは、並大抵の努力では足る
まい。
そもそも、努力してかなうレベルなのかどうか、怪しいものだ。最悪のケー
ス、三井さんを心理的に説得しなければならない訳で。由良に全幅の信頼を置
いているとしたら、確実に手間取る。
こりゃあ、ますますもって、文化祭の寸劇で由良を引っかけて面白がってい
る場合じゃなくなったような気がする。
これまでは婚約破棄しか眼中になかったが、由良に改心させることも視野に
入れざるを得ない……のかな。癪だけど。
いやいや。だめだだめだ。僕の個人的思惑により、それは許容できない。汚
いやり方は取らない、とまで譲歩したんだ。これ以上、譲ってたまるか。一目
惚れってのはそんなに安っぽくないぞ。
よし、じゃあ改めて婚約を白紙に戻させる手段を、真剣に考えてみようじゃ
ないか。それも、なるべく三井さんを傷つけずに済む方法を。
まず、三井さんの両親に、考え直してもらうっていうのがあるな。娘の結婚
に表向きは賛成していても、心中には残り火があるんじゃないか。この婚約は
時期尚早ではないかという迷いの残り火が。それが高校生の娘を持つ親っても
んだと思う。
問題はその残り火の勢いを、どうやって復活させるかだが、汚い手の封印を
誓ったもんだから、結構難しい。未成年者の結婚の失敗例を引き合いに出すと
か? どうやって聞いてもらうんだか。あんまり現実味がないよな。
まあいい。細かい段取りは後回し。
次に考えられるとしたら……反対に、由良の両親はどうなんだろ? 仕事面
では輝かしい実績を上げるも、異性関係では遊び人の息子が落ち着いてくれる
ってことで、諸手を挙げて賛成しているんだろうか。相手は未成年とはいえ、
“先生の家系の娘さん”であり、体面上、何ら不都合はなかろう。
むしろ、年齢などの条件面で三井さんよりも似つかわしい女性を、由良に宛
ってやることができれば、案外、簡単に婚約解消になるんじゃないか? なら
ないかな?
と、ここまではいい線行っていると自画自賛していたのだが、ちょっと考え
てみれば困難さが分かる。由良の家族にどうやって接触するのだ。三井さんの
両親以上に接触しづらい。加えて、どっからその宛う女性を連れて来るのだ。
さっきよりもさらに非現実的な案になっている。没。これは諦めた。
三つ目。いつか剣持の奴が言ってたように、映画よろしく、式場から花嫁を
連れ出す。挙式の日までに、三井さんの気持ちを僕に向けさせることができれ
ば、充分にあり得る……ねーよ! そんな過剰なまでの自信があれば、一目あ
ったその日から猛烈にアタックしている。
このあとも、急に妙案が浮かぶはずもなく、時間だけが過ぎて行った。
結局、根本的なところから見直してみようと決めた。三井さんの気持ちを知
らないことには、始まらないのだ。
「三井さんは本当に、今、結婚したいのか」
それも、彼女の回りの人間に聞き込みをするなんて迂遠なやり方は放棄。学
校で、三井さん自身に直接聞いた。
「な、なあに。いきなり」
確かに突然だ。三井さんは驚いたのか、瞬きの激しくなった目で僕をまじま
じと見返してきた。これが昼休みなら、箸先から里芋の煮っ転がしでもつるん
と滑って落ちるところだろう。実際は一コマ目のあとの休み時間なんだけど。
「高校生で結婚するのって、どんな気分なんやろなと思うて、昨日、寝る前に
想像し始めたら、寝られんようになって。これは当人さんに聞くんが手っ取り
早いやろってことで、教えてください」
ずっと真剣な調子で続けるのは精神的に疲れるので、お家芸を挟みつつ、探
りを入れる。
この聞き役、知念さんか誰か女子に頼めばよかったかもしれない。そんな後
悔の念が、頭の片隅になくはなかった。その一方で、自分で是非とも聞きたい
という欲求もあった。本気で三井さんを奪うつもりなんだから、人の手を借り
てばかりいてはいけない。殊に、彼女の気持ちを確かめるという重大事におい
ては。
「改まって聞かれると、難しいな」
視線を逸らし、髪の毛をかき上げる仕種をする三井さん。まじめに考えてく
れているのが、その困った風な表情からよく伝わってきた。
「不安はないん?」
助け船という訳でもないが、こちらから細かい質問をして促す。三井さんは
ほとんど間を置かずに答えた。
「不安は……あるわよ。もちろん」
――続く