#295/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/06/25 00:09 (196)
かわらない想い 26 寺嶋公香
★内容
「これからワインの醸造過程を見ていただくわけですが、その前に、ちょっと
予習しておきましょうね。まず、当たり前ですが、ぶどうを採り入れなければ
なりません。よく熟した物を使います。つみ取ったぶどうはその品質によって
選別した上で、房ごと破砕機という機械に通して潰します。こうすることで、
あとでジュース――果汁のことですね――にしやすくするため、いらない茎を
取り、皮を搾るのです。これを徐梗破砕と言います。
次に、圧搾機にかけてジュースを搾ります。これには二通りの工程があるん
ですよ。一つは、潰したぶどうから自然に流れるジュースを集めるやり方。そ
うしてできるジュースをフリーランと言います。もう一つは、圧力をかけてジ
ュースを搾り出すやり方です。こちらの方のジュースをプレスランと呼びます。
こうしてできたジュースに、ワイン酵母を加えて発酵させるのですが――ワ
インには大きく分けて、赤、白、ロゼの三つがあることはご存知ですか?」
「知ってるよ!」
コンパニオンの問いかけに、一成が元気よく答えた。知ったかぶりをしてい
るのではなく、単に受け狙いらしい。恐らく一成にとって、ワインができる過
程は、おおよそ知っている話ばかりなのであろう。
「若いのに、よく知っていますねー」
どことなく修学旅行のバスガイドのような口調になって、コンパニオンは続
けた。その「若いのに」という言い方がおかしくて、みんな笑ってしまう。
「この三つ、作り方にも違いがあります。白は皮の色が薄い、白っぽいぶどう
から取れたジュースそのものを発酵させて作ります。赤は色の濃いぶどうから
取れたジュースを、その種や皮等と一緒に発酵させます。それらに比べて、白
と赤の中間とも言えるロゼには色々な方法があります。赤と白を混ぜる、白に
着色するといった比較的大雑把な方法から、赤を作る途中で早めに皮や種を取
り出す、色の薄いぶどうと濃いぶどうをうまく混ぜて作るといったやり方もあ
ります」
「あの、質問していいですか」
小さく手を挙げたのは、悠香。
「はい、どうぞ」
「さっき出てきたフリーランとプレスランでしたっけ? あれって、わざわざ
二種類あるってことは、どこか違いがあるんですか?」
「はい、ございます。ワインの切れ味、口当たりに関わっています。フリーラ
ンは品のよい、さっぱりした物になり、プレスランは渋み等の個性を持つワイ
ンになります。これでよろしいでしょうか?」
「あ、はい、分かりました」
その悠香の後ろで、頼井がしきりにうなずいている。
「なるほど。あせって無理矢理搾るとがさつなのができて、じっくり待てば繊
細なのができるんだな」
「何を言ってるのよ」
振り返ってきた悠香に、頼井は苦笑いを浮かべた。
「いや、女の子との付き合いも一緒だなあ、と。じっくりと付き合った方が、
親しくなれる」
「また、ばか言ってんだから」
二人のやり取りが聞こえたか、コンパニオンも苦笑しながら話を再開。
「別に、プレスランからできたワインががさつなのではありませんよ。個性が
際立つという意味ですから。
話を戻しますと、次は発酵ですね。低温で二週間から三週間ほど置けば、ジ
ュースの中の糖分がアルコールに変化し、ワインとなっていきます。ワイン酵
母が糖分をアルコールに変えること、これをアルコール発酵と言います。発酵
すればするほどワインは辛口になります。何故なら発酵が進むにしたがい、糖
分がアルコールに変わるからです。
最後に熟成です。発酵が進んだ段階で、樽に移して二年から三年、貯葉させ
ます。この間に熟成が進み、独特の味や香りがはぐくまれるのです。それから
ガラス瓶に移し、貯蔵庫で瓶熟成の過程に入ります。ワインは出荷まで、こう
して寝かされることになります」
パネル説明は終わった。いよいよ次は、実際の醸造過程である。
が、現在はまだぶどう採り入れの本格的な季節ではないので、最盛期の秋頃
に比べると小規模な工程の見学になる。
それでも扱うぶどうの量は、驚くのに充分。
(すっごーい! 何だか、足で踏みたくなってきたな。ふふふ)
昔はぶどうを素足で踏んで果汁を搾ったと聞いたことがあったから、山と積
まれたぶどうを前に、そんな感慨を持ってしまう公子。
上向きに大きな口が開き、横から潰されたぶどうが飛び出す破砕機。巨大な
洗濯機の洗濯槽を横にしたような圧搾機。蔵に入って、大きな樽。
「この一樽で、七二〇ミリリットルの瓶一万本分になるんですよ」
そう説明されて、うわあと声を上げる。目の前には、そんな巨大な樽がいく
つも並んでいるのだ。
それから瓶詰め工程。ベルトコンベアによる流れ作業だ。
また蔵に入ると、こちらは瓶詰めされたワインの貯蔵庫だった。数え切れな
いほどのワイン瓶が、大きな棚に入って寝かされている。
「寝かせるのは、外の空気を通さないためです。コルクは熟成の長い間に、瓶
の空気の交換をやってくれますが、あまり通気がよすぎてもいけませんからね」
などと説明を受けて、工程の見学は終わり。工場を出ると、試飲コーナーが
待っていた。すぐ横には即売のコーナーも設けられている。
もっとも、公子らは未成年故、似たような色をしたぶどう果汁を出された。
「飲まれる前に」
コンパニオンの皆口は、白い手袋をした手でそっと瓶を取り上げた。試飲用
なのか、小振りである。
そして注ぎ口の部分に軽く触れる。ワインもジュースも瓶は同じ仕様らしい。
「まず、栓を抜かなければいけませんね。皆さん、やってみませんか」
勧められると、興味がわいてくる。コンパニオンの立つ位置から見て、頼井、
悠香、要、秋山、公子、一成の順に、長机の前に横一列に並んだ。
「最初に、フォイルという金口の部分を取らねばなりません。これはナイフを
使うので少々危ないですから、あらかじめ取っておきましょう」
言ってから、コンパニオンはなかなか慣れた手つきでナイフを操り、六本の
瓶のキャップを処理していく。そして布を使って瓶口をぬぐうと、各人の前に
一本ずつ、瓶を置いた。
「コルク栓抜きにも、様々な種類があります。最もポピュラーなのは、こうし
たねじ込んで引っ張るだけのタイプでしょう」
何種類かある栓抜きの中から、T字型をした物を示したコンパニオン。説明
はさらに続く。
「次は、プロのソムリエがよく用いるとされている物です。ねじ込んでからテ
コの原理を応用して、穏やかに抜けます。
その隣は注射器型とでも申しましょうか。この先端を射し込み、空気を送り
込むことによって瓶内部からの圧力を高め、栓を抜きます。
こちらは、そうですね、ペンチ型と言っておきましょう。この二枚の金属の
板でコルクを挟み込み、引き抜きます」
次から次へと並べられる栓抜き。その種類の多さに、ちょっと驚かされる。
コンパニオンに促されて、めいめいが気に入った栓抜きを手に取る。ちなみ
に公子は注射器タイプを選んだ。力がいらず、簡単そうだから。
「最も一般的なT字型の物から説明いたします」
コルクと栓抜きだけを手に、説明を始めるコンパニオン。
「栓抜きのねじの先端を、コルクの中心に、まっすぐ射し込んでください。こ
のらせん部分が見えなくなるまで、ぎゅっと押し込んでしまって結構ですから。
なるべく、まっすぐに。斜め方向だと、引き抜く力がうまく活かせませんので、
ご注意ください」
コンパニオンの丁寧な指示に従って、言われた通りの動作を行う。殊に、要
の奮闘ぶりがおかしかった。やはり力が足りないのか、顔を真っ赤にしても、
なかなかねじ込めないでいる。
「貸してごらんよ」
隣にいた秋山が、見かねたように言った。要から秋山の手に瓶ごと渡り、簡
単に栓抜きは押し込まれた。
(私もあっちの栓抜きにすればよかったかな。なんてね)
二人の様子を見守りながら、公子は手の中で栓抜きをもてあそんでいた。
「射し込めましたね? ええっと、左利きの方はいますか? あ、いらっしゃ
いませんね。それじゃあ、瓶を左手で逆手に持ってください。そして瓶を太も
も、左足の太ももの外側に押しつけてみてください。左足と左手で瓶を挟む感
じで、心持ち左足を浮かせて、瓶を安定させましょう。ここまではよろしいで
すか? では、栓抜きの取っ手を右手でつかんで、ゆっくり、ゆっくり引っ張
ってみてください。一気に引っ張ると、中身がこぼれるかもしれませんよ」
そんな風にして、順番に栓を抜いていく。小瓶の中身は白ワインを思わせる
透明な液体。抜いたあと、コルク栓の香りを嗅ぐことも、一応、教えられた。
公子も栓抜きに取りかかる。もう一人、一成もこの注射器型を選んでいた。
栓を抜くのはあっけないほど簡単だった。突き刺し、空気を送ると、やがて
栓は浮かび上がるように外れた。
でも、そのあとが公子にとってよくなかった。
「あ」
栓抜きの先に刺さったままのコルク栓が、すとんと抜け落ちた。
ついさっき、コルク栓の香りのことを聞いたせいもあって、公子はあわてて
しまった。
(いけない、落ちちゃう!)
心の中で叫びながら手を伸ばしたが、遅かった。
コルクを拾うことはならず、その上――。
「きゃっ」
屈んだ公子の肩辺りに、ジュースが降ってきた。
栓を拾おうとした弾みで足を机にぶつけてしまい、自分で開けたばかりの瓶
が傾いたのだ。
「危な」
叫ぶ声も短く、秋山が手を伸ばす。うまく瓶を支えることができたため、被
害はさほど大きくならずにすんだ。
「大丈夫ですかっ?」
さすがに面食らった表情になったコンパニオン。手にタオルを持って、公子
のそばに駆け寄ってきた。
「は、はい。あの、すみません。こぼしちゃって……」
「いいんですよ。私こそ、説明の仕方が悪くて。栓のことを口酸っぱく言いす
ぎました」
公子の服装は、白のブラウスに茶系統のチョッキを上から着ていた。幸い、
ブラウスの方にはさほど飛沫は飛んでいないようだ。
「キミちゃん、チョッキ、貸して。拭いたげる」
お言葉に甘えて、チョッキを脱ぐと、公子は要に手渡した。
「ほんと、ごめんね。みんなにはかかってない?」
「無事みたいよ。秋山君の手がべとべとになったぐらいで」
悠香の言った通りだった。濡れた右手を上に向けたまま、秋山は途方に暮れ
たようにしている。
「えっと、皆口さん。僕にもタオルをもらえますか」
「はい。拭かれたら、一度、手を洗われるといいですわ。このジュースは普通
の物よりも糖分が多いんです。なおのことべとつきますから」
白いタオルを秋山に渡しながら、コンパニオンは化粧室の位置を説明した。
「あ、本当だ。甘い」
手に付いたジュースを少しなめて、秋山は苦笑いを浮かべた。
秋山と連れ立って、公子も化粧室に向かった。髪に多少、ジュースがかかっ
たこともあって、洗いたかったからだ。
「ごめんなさい」
蛇口の前に来て、また謝ってしまった。すまない気持ちがこみ上げてきて、
仕方がない。
「気にしなくていいよ」
勢いよく水を出して、手を洗う秋山。
「それよりも、公子ちゃんこそ大丈夫?」
「大丈夫、だと思う……」
お下げの内、右のゴム紐を外すと、束ねられていた髪が広がった。ジュース
がかかったと思われる辺りを前に持ってくる。しゃがんでから、出し過ぎにな
らないよう、水道のカランをそろそろとひねり、必要最低限の水で洗う。
左側に立っている秋山に、顔を向ける格好になった。
「あ、先、行ってて」
「別にいい。向こうでも、待つのに変わりないから」
手を拭きながら、公子の様子を見やってくる秋山。
(何だか恥ずかしい……)
公子は洗うのを急いだ。
「それにしても、甘くて渋かったな。こういうのだったら、フランスとかで子
供まで日常的にワインを飲んでるって聞いても、何となく素直にうなずける」
「水で薄めているんでしょう、確か?」
「そうだったね。学校にまで持って行くって、何かで読んだことあるよ。感覚
が違うよなあ」
ようやく洗い落とせたような気がしたので、公子は水を止めた。
髪を鼻先に持っていき、匂いを嗅いでみるが、よく分からない。髪の先端は
確かに匂わないが、他がどうなのかまでははっきりしないのだ。
「あの、秋山君」
ためらった挙げ句、公子は秋山に頼むことにした。
「何?」
「落ちたかどうか、髪の匂いを嗅いでみてくれないかなと思って……」
「おやすいご用」
秋山は公子の右に回ると、ばらけたままの髪を手ですくった。彼がそこへ顔
を近づける様が洗面台の鏡に映って、公子からもよく見えた。
――つづく